L a p i s ~ 世界樹の精霊《スピリット・オブ・マナ》 ~

神の味噌汁

出会い

 村が襲われたのは早朝だったが、今は陽は登り、お昼に近い時刻になっていた。
 馬は草を食み、アリシャは携帯食ビスケットを齧っていた。
 1枚を食べ終えると、カバンから地図を取り出す。
「えっと、村がここだから……」
 近くを流れる河を地図上で一致させ、指先でなぞり、現在位置を予想する。
「魔の森……」
 河の周囲に木々が無いため、一見そうは思えないが。地図上では森の中に位置していた。
「魔の森と言えば、大昔に一夜にして荒野になりはてた、って伝説がある場所だけど」
 あまりに不吉だということで、亜人さえも近づかないという呪いの森だった。
 アリシャは頬に指先を当てて、思案を巡らせる。
 森を出て、再び草原を走れば、別の農村がいくつか点在している。
 選択肢の一つは、その農村を目指すことだ。
 しかし亜人たちが、また近くの村を襲う可能性は捨てきれない。
 ほかの選択肢は、森を抜けて、山を越えて、北にある都市を目指すことだ。
 亜人たちが近づかないのであれば、森を抜けるほうが安全かもしれない。
 問題はその保証がないことだ。
「あー、うー!」
 アリシャは、自身の金髪をかきむしった。
「安全を約束されたところなんて、どこにもないのね」
 あるとしたら王都などの大都市だろう。
 しかし現地からはかなり遠い。そして大都市には大都市なりの危険があることをアリシャは知っている。ゴロツキやスラムの厄介者たちのことだ。
 アリシャは顔立ちが良い方なのか、都市では決まって変なのに絡まれる。脅しにナイフを突きつけられたことも数え切れなかった。今後、必殺の金的蹴りが利かない悪漢が現れたら、その時は一巻の終わりだろうと、アリシャは思っている。
 アリシャにはもはや正解など解らなかった。
「えーい、もう、お馬さんに聞いてみよう」
「ねぇねぇ、君はどっちに行くほうが良いと思う?」
 座りこんでいるお馬さんに、アリシャはしゃがみ込んで尋ねた。
 地図を、ぴらり、と見せながら。
 しかし、馬はぷいっとそっぽを向く。
 当然だ、馬に地図は読めないし、言葉も通じない。
 それなのに、馬が向いた方向が示す先なのだと、アリシャは誤解した。
「なるほど、北東か」
 森を抜けて、山脈を右回りに迂回するルートだった。
「遠回りだけど途中に街もあるね……いいんじゃないかな」
 妙案だね、と言わんばかりに白馬に微笑みかける。
 そしてテキパキと出立の準備を済ませた。
「それじゃ、水も補給したし、食糧の残りも確認したし、携帯キャンプキットも無事だし、日が暮れる前に行こっか!」
 という、セリフは、勿論ここまで逃亡を共にした馬に言ったものだ。
 不慣れなままではあるものの、そのまま自然に、鐙に足をかけようとしたアリシャだった。
 が、馬が半歩ほど前に動いたので、思いっきり踏み外した。
「あいたっ」
 もう一度チャレンジするが、また馬が動いてしまう。
「あいたっ、なんで動くの!」
 むむ、とアリシャが見た馬面は、
(何勝手にご主人面しちゃってるんですかあ?)
 というイメージを、あくまでイメージを、アリシャに伝えてきていた。
「ずっとここにいるわけにはいかないでしょ! 私が行っちゃったら君、一人ぼっちになっちゃうよ?」
 いいの? とダメ押しするアリシャ。
「…………」
 アリシャと、馬はしばし見つめ合った。
 背丈の差から、アリシャは見上げることになる。
 馬の背までの高さは、およそ165cm。この時点ですでに、155cmのアリシャよりよほど高いが、頭部の高さは2メートルを超える。
 ちょっと怖い、とビビりかけているアリシャに、
(しゃぁない、のせたげるわよ、ばーかばーか)
 というイメージのもと、ぐい、っと体をアリシャに寄せてきた。
 馬という動物は実はさみしがりであり、独りぼっちは嫌なのだった。
 ようやく馬の背に乗ることができたアリシャ。
 しかし、アリシャが進んでいいと合図を送るよりもはやく、馬は走り出した。
「うわ、ちょっとまって、落ちる落ちるうっ」
 そうして、一人と一頭は、森の中へ掛けていく。
 騎手というよりも馬にひっついているオプションのような有様の、アリシャを乗せて。




 その夜。
 アリシャと白馬は森の中で野営していた。
 噂通り、森の中に亜人の姿は見られなかった。
 一応、念のために四方に魔よけのお香を焚き、中央に折り畳み式のテントを展開して、魔物の襲撃にも備えている。
 テントの前では、焚火にくべた木々の水分が、熱気で爆ぜてパチパチと音を立てている。
 そこに、木を組み、小さな鍋をかけ、アリシャは料理を煮込んでいた。
「とりあえず、甘めにしてみたけど、お馬さんに合うかな……」
 アリシャは都市の旅館や、酒場で、何度も料理人として仕事をしてきた。だから、料理の腕には自信があった。
 だが、馬用は自信がない。
 当の白馬は、さきほどから鍋の回りをうろちょろしていた。
 鍋からあがる湯気に乗る香りを、くんくん、と気にしている。
「一応楽しみにしてくれてるのかな? もう少しだから待ってね」
 本当はミルクが良いのだが、そんなものは旅先に持ってこれないため、自家製のバターを溶かしたシチューのようなものに、砂糖などの甘味を加えた簡単なものだった。
 それでも、おいしそうな香りは漂っている。


 しかし急に、落ち着きのなかった白馬が立ち止まり、両の耳をそばだてた。
 遅れて、アリシャも気づく。
 森の奥から人影が近づいてきていた。
 貴族のような、燕尾服のような、高級感のある服をまとった長身の男性だった。
 やや老齢のダンディなおじさまという風体で、白髪のオールバックに、整えられた髭、かすかに香る、バラの芳香。
 彼はアリシャから2メートルほど距離を置いたところで立ち止まる。
 迷い人だろうか、アリシャは不思議そうに問いかける。
「どちら様?」
「私かね。私は……」
 男性はやや言いよどんだ。
「ふむ、まぁ別に隠してどうなるものでもありませんね、私はヴァンパイアですよ、あなたを狩りに来た、ね」
「へっ?」
「いやはや、私は、夜目が利きますもので、貴女様のようなお美しい女性でしたら、なおのこと、見過ごすはずがありません」
 老紳士はそういって、アリシャに笑顔を向けた。
 アリシャは、ぽかん、としていた。
 鍋をかき混ぜることも忘れていた。
 今が、危機的状況なのか、そうでないのか、判断する力が麻痺しているかのようだった。
 老紳士はさらに微笑んで、
「良いですね、そういう理解が及ばない、という表情かお、私は好きですよ」
 アリシャは、頭脳より先に体が理解した。無意識に、一歩後退さる。
 手を離したお玉が、草むらに落下した。
 その様子に、男は、一歩分距離を詰めた。
「大丈夫ですよ。私は、美女には優しいのです。まずは私の屋敷までご一緒していただきましょうか」
 老紳士は、微笑をうかべた甘いマスクの下に、本性を隠し持っている。
 そもそも、最初にヴァンパイアだと公言している。付き従っていい未来があるとは到底思えなかった。
「い、いえ、遠慮します!」
 アリシャは、さらに数歩後ろに下がり、両の掌をかざして拒絶の姿勢を取った。
「困りましたね、言葉で応じていただけないのなら……力づくでいくしかありませんが」
「うっ」
 どうしたものか、アリシャは周囲に視線を巡らせる。何か逃げられるヒントはないものかと。
 しかし、わかったことは、白馬の姿が見えないことだけだった。
 いつの間にか逃げていたのだろう。
 その、思案していた一瞬で、ヴァンパイアは目の前に来ていた。
 真っ黒なシルエットに、赤い眼だけが輝きを放ち、その威圧感だけで、アリシャは足がすくみそうなほどだ。
 声を上げることも忘れて、身体は金縛りにあったかのように動かすことはできなかった。
 ぎゅっと瞳を閉じた。
 アリシャは人生の終わりを覚悟した。
 農村の人々を見殺しにした罰だ。そう思った。
 それなのに、
「ぐがっ」
 打撃音とともに、男のくぐもった声が聞こえ、
 アリシャが目を開けると、ヴァンパイアの姿が消えうせていた。


 そして目の前には、焚火に照らされた銀色の髪と、フードとケープ付の真っ黒な外套が靡いていた。
 二つに纏められた腰を越える長髪は、宵闇に流れる白銀の川のように風にたゆとい――、


 アリシャはその者が少女だと気づくのに時間を要した。
 右足を突き出したような恰好でいる小柄な体躯は、身長130cmほどで、頭には二股の黒い帽子をかぶっている。全ての指には、金色を基調とした指輪がはまっていた。
 いきなり現れた小柄な背中に、アリシャは見惚れていた。
 少女は蹴りを放った姿勢を正してから、背中越しにアリシャの姿を確認する。
「間に合ったかしら」
 か細くハイトーンの声が、少女の小さめの唇から発せられる。その幼く、可愛らしく、色白な横顔は、まるで最高の造形を与えられた人形のようで、アリシャは夢の中にいるような気分で、問いかけに答えることすら忘れていた。

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