底辺騎士と神奏歌姫の交響曲

蒼凍 柊一

姫と騎士、その出逢い

 時刻はちょうど日付が変わった頃。
 場所は円形のこの街の中心を流れる川に掛けられている大橋の上。
 普段であればここは恋人たちが夜に語らう絶好のスポットなのだが、今は普段の様相とは打って変わって、物々しい雰囲気が漂っていた。


 一人の少女が、白で統一された甲冑を身に纏っている男たちに追われているのだ。


「まてぇええええ!!」


 男の野太い声が彼女の耳を震わせる。
 当然、待てば少女の目的は果たせなくなってしまうので待つわけにはいかない。


「はぁ……っ、はぁっ……」


 だが、彼女の体力はすでに限界だった。普段歌などを歌っては居るものの、そんなもの基礎体力のなさに少しの補正をかけているだけでなんの意味もない。
 橋の中腹まで来たあたりで、一際大きい存在感を放っている男が野犬のように吠えた。


「俺と契約しろっ! カノンっ!!」
「そんなの、いや……」


 儚く、消えそうな声で彼女は拒絶の意志を示す。
 彼女にはすでに決めた人がいるのだ。
 ――記憶の中にある一人の男。それが彼女の決めた人だ。
 彼女の名を呼んだ男とは別の追い回している男は、中々捕まらない少女に舌打ちをして魔法を発動させた。


「【フレイムボム】!!」


 だが魔法は外れた。いや、意図的に外したのだが狙った場所が悪かった。
 急速に収束した魔力の気配に、少女は身をひるがえす。
 足止めのために放った男の魔法は、少女に直撃はしなかったものの、少女の近くに魔法が着弾したため、爆風で少女は吹き飛ばされ……


「っ……」


 盛大な水しぶきを上げながら、少女は川に落ちてしまった。


「コノ馬鹿野郎!! 何やってんだ!!」


 追い回していた複数の男の中のリーダー格の男が、魔法を放った奴の頭を殴る。


「す、すみませんすみません!」
「俺のカノンに傷がついたらどうすんだっ!? アァ!?」
「ごはぁっ!!」


 殴って、殴って、男が気絶するまでリーダー格の男は殴り続けた。
 その凄惨なさまは他の男たちにとっては悪夢のような光景である。
 訓練を積んだ男たちでも、目を背けるほどのモノだった。


「ふぅ、ふぅ……」


 一通り顔の原型が無くなるまで殴ったリーダー格の男は、他の男たちを蛇のような目で睨み付けた。
 男たちの間に緊張が走る。


「てめぇら……何ぼさっと見てやがる? それでも【白の騎士団ホワイトナイツ】の一員か!?」


 まさしく王者の風格を宿したリーダー格の男は続けて部下である男たちに指示を出した。


「早くカノンを捕らえて俺の前に連れてこさせろ!! 絶対に傷はつけるなよ…?」
「ハッ!!」


 その言葉に男たちは一斉に了解の意を背を正して告げたあと、蜘蛛の子を散らすかのように散り散りになり、カノンと呼ばれた少女を探しに行った。


「ずっと俺の隣で啼き続けろ……カノン!! お前は俺のものだっ!!」


 その声を最後に、リーダー格の男は転移魔法……瞬間的に遠くへ移動する魔法だ。それを使って姿を消した。


―――――


 一方そのころカノンは、川に流されながら下流の方へと向かっていた。
 神姫、神姫使い達が通う学院がある方向だ。
 服が水を吸って重くなり、泳ぎにくくなるが、なけなしの体力を振り絞り岸辺へと向かう。
 なんとか縁へと手を掛けることに成功した。
 腕に全力をこめて、陸へと上がる。
 水を吸った服がやけに重く、髪の毛からも水が滴っている。
 少し水を飲んでしまったせいか、口の中に生臭い匂いが広がった。
 何回か咳き込み、水をできる限り吐き出した。


「痛っ……ハァ、ふぅ……」


 痛みが走った左手を見るとわずかに血がにじんでいた。きっと先ほどの爆風で吹き飛ばされた影響だろう。川底で擦ったのだろうか。
 だが、今はそんなことを気にしている場合ではないとカノンは思う。


「早く、逃げないと……」


 どこへ? と考えるが、騎士団から逃げ出してきたカノンに行くあてなどない。
 結局、そばにある学院の方向へと向かうしか考え付かなかった。


「あ、服……乾かさないと……」


 カノンは残り少ない魔力で魔法を使った。
 瞬時に体や服に付いていた水気がなくなった。
 服が乾くと途端に悲しみがカノンを襲う。
 なぜ、こんな思いをしなければならないのか。
 自分に決まった神姫使いがいないからなのか。
 かすかに記憶に残る【彼】を探し続けるのは、いけないことなのか。
 様々な感情が混ざり合い、カノンの頬を一筋の涙が伝った。


「……貴方は今、どこにいるの?……どこに……」


 彼女の感情に共鳴するかのように、暗い川面が金色に輝く月を照らし輝いていた。




―――――




 腕にある時計を見ると時刻は零時ちょうどをさしていた。


「はぁ…」


 一人の、たった今齢にして16になった男がため息を吐く。


「なんでこんなに世界ってのは不条理で…くだらないんだろう」


 場所は、古びたレンガの建物の屋上。クラウディア聖姫騎士学院の最上階だ。
 ここからの眺めは最高だ。家々の明かりが点々と光っていて白亜の王城も見える。円形のこの街を一望できるくらいに高いこの場所は男のお気に入りの場所だった。
 だがそんな素晴らしい景色も色あせて見える。
 授業が終わってから男はずっとここで考え事をしていたが、ついに結論は出ず、何も起こらないまま零時が来てしまった。


「今日で俺は16歳……で? 騎士として覚醒するのは何歳までだったっけ、リアナ」


 あきらめの感情がすでに浮かんでいる彼は、いつの間にか居た少女に確認の意味を込めて尋ねる。
 少女は感情を押し殺し淡々と答えた。


「……15才のうちに覚醒できなければどんなに魔力を持っていても、どんなに力を渇望しても、騎士としては最底辺に位置する……というのが理論として確立されています。元気を出して……セツナお兄様」


 セツナと呼ばれた彼は、返ってきた予想通りの言葉に再び嘆息する。


「君はホントにひどいことをさらっと言っちゃうな……。ごめんリアナ。ちょっと今は一人にさせてくれないか?」
「…っ、はい……それでは、後で迎えに来ますね……」
「いや、歩いて……歩いて帰りたい」
「はい……お兄様がそうおっしゃるなら……そのように」


 リアナはそっと屋上から転移魔法を使って自宅に転移した。
 白い光がはじけ、先ほどまでそこに居た少女はいなくなっていた。
 一人になったセツナの眼に、すでに生気は無い。
 それもそのはずだ。
 神姫使いは15歳までに覚醒する。
 正確には15歳までに覚醒しなければ騎士にはなれない、ということだ。
 その事実がセツナの頭を悩ませている。
 別にこの姫騎士を養成するための学院には在籍はできるのだが、彼としてそれは納得できていない。神姫使いでないまま、絶大な魔力をその身に宿しながら魔力を使う術のない彼は……。


「もう退学しか道はない、か」


 一人、退学を決意した。


「――あーあ……まったく、なんて日だよ今日は。せっかくの16の誕生日だってのに、おめでとうの一言もないなんてなぁ……ま、このありさまじゃ祝ってもらえなくて当然か」


 セツナは自嘲気味に笑いながら、銀の腕輪をはずし、手に取る。続いて翡翠色の飾りがついた首飾りも外す。
 これは昔孤児院に居た時に院長先生から貰ったもので、今はよほどのことが無いときは身に着けていないのだが、今日は騎士になれるかなれないかの重要な日だったので、着けてきたのだ。
 院長先生は立派な騎士になりなさいと言ってくれた。やさしく、たくましい、いい先生だったと記憶している。
 だが自分が11歳の時に死んでしまったらしい。
 らしい、というのはセツナ自身あまりよく覚えていないのだ。
 妹のリアナも同じ様で、院長先生が死んだときの記憶はあまりないと言う。


「院長先生……俺、なんか騎士に成れなかったみたいだ……約束破って、ごめん。でもほら、他に人を助けられる職業なんていっぱいあるし……」


 言っているうちにセツナを虚しさが襲う。
 騎士に成れなかった事実。それはセツナの願いが成就する事は無くなってしまったことを意味していた。


「――こんな結末って、ないよな……」


 セツナは星空を見上げ、首飾りと腕輪をポケットにしまった。


「なんで俺だけがっ……くそっ……!!」


 なぜ覚醒できないのかという疑問しか頭に浮かばない。当然あきらめきれる夢ではないからだ。
 誰もいなくなった屋上に、セツナの嗚咽が響いた。


―――――


 数十分は泣き崩れてしまっていたが、捨てきれない願いを抱きながらセツナは再び立ち上がった。
 立ちくらみだろうか。くらっと視界がぶれるが、踏みとどまった。


(こんなところで泣くより、今後のことを考えよう……)


 そんなことを思いながら手のひらサイズの小さな水晶の欠片、映像水晶を取り出す。
 これはなけなしの小遣いをはたいて買った、巷で人気の歌姫の音楽と映像入りの水晶だ。落ち込んだ時、次へと向かう気力を充実させるには一時の癒しが必要だった。
 水晶を起動させると淡い光が四角い表示を作り出し、その中で一人の女性が歌い始めた。
 彼女の名前は、Sevense。
 きっと芸名だろう。
 華奢で、儚げで、消えてしまいそうな彼女の雰囲気。
 大きな瞳に流れる銀色の髪。彼女を構成するすべての要素が、儚いものに見えた。
 その歌声は力強く……だが、悲しかった。
 昔の記憶を頼りに恋人を探し求めるという歌。
 なぜか不思議と引き込まれセツナの心を撃ちぬいた。


(この人と実際に会えたら、きっと俺は錯乱するな)


 そう思ったその時、はるか遠くの石造りの大橋の上で何かが爆発した。
 天高く舞い上がる炎があたりを照らしている。だがそれはすぐに収束したためセツナはそれが魔法の炎であったことが分かった。


「なんだ!?……あれは、炎系統の魔法か!」


 ――誰かが襲われているのかもしれない!! 助けないと


 と、一瞬動き出しそうになる足を、セツナは瞬時に止めた。
 自分が行ったところで何になるというのだろうか。底辺騎士である自分が。
 答えは分かり切っている。




 何も出来はしない。




「……どうせ、不良のいたずらかなにかだろ。警備団がなんとかしてくれるさ……」


 セツナは映像水晶をポケットにしまった。
 不良のいたずらにしろ、こんな時間に外をうろついていたのが警備団に見られたら何を言われるか分からないので、セツナは学院を出ることにした。




―――――




(まったく、なんでこんな時間に騒ぎ出すんだ?)


 内心で毒づきながらセツナは川沿いを歩いていた。
 家に向かうには少し遠すぎるし、気晴らしがてらに川沿いを歩くことにしたのだ。大橋の上の騒ぎはもう収まっているようで周囲は静寂に満ちていた。


「……いい、天気だ」


 星空はよく見えるし、月もよく見える。
 周囲を漂っている魔力が結晶化し点々と淡く光り輝いてもいる。
 こんな時隣にいてくれる神姫がいたらきっとすごく楽しいんだろうな。とセツナは思う。


「寒いな……」


 周囲の温度ではなく、心が。
 自分も騎士になりたかった。
 神姫と契約して、苦難を共にしながらも人々を救うということがしたかった。


 ――ヒーローになりたい。


 しかし、その思いはもう叶わない。
 それを再び自覚して、セツナの中を黒い感情が渦巻く。
 どうしてこんなにも力を渇望しているのに自分は騎士に成れないのか。
 どうしてこんなにも人を救いたいと思っているのに覚醒できないのか。


 ――他の奴より、俺は強くなりたい…。


「くそ、くそ……、くそぉ……!!」


 襲い掛かってくる無力感にたまらずセツナは走り出した。
 川沿いをひた走る。
 周りも気にせず無念を振り切るかのように全力で走る。
 だが、彼の全力疾走は長くは続かなかった。




 家へと続く路地を左に曲がったところで、華奢な少女が倒れていたからだ。




 「うぉわぁっ!!??」


 あわててブレーキを掛けるが、小石に躓き少女の上に覆いかぶさってしまう。


 ―ふに


 優しく、甘い香りがセツナを包み込む。
 やわらかい感触が顔全体に広がりとても心地が良い。
 むき出しの肌の暖かさが先ほどまで感じていた寒さを忘れさせてくれた。


 だが、それも一瞬のこと。
 彼女の大きな眼とセツナの眼があった瞬間。


「ご、ごめん!」


 起き上がり、すぐさま土下座の姿勢になるセツナ。
 今感じた心地よい感触は一生忘れない、などと思いながらも頭を下げた。


「…………?」


 だが、いつまでたっても帰ってこない返事を不思議に思い、セツナは怒っているであろう少女を見る。


 すると……。


 彼女は、泣いていた。
 泣き叫ぶのではなく、セツナを見ながら、セツナの眼をじっと見ながら、大粒の涙を流し続けていた。


(女の子を不注意とはいえ泣かせてしまった……。よし、自決しよう)


 セツナの頭にナイフで自分の腹を掻っ捌くという物騒な考えがよぎる。


「これで俺を好きにしてくれ……俺は君にそれだけのことをしてしまった」


 自分で自分に手を下すより、破廉恥な行為をした俺を殺したほうが彼女の気も静まるだろう。
 そう思い、セツナは腰にあったナイフを少女の目の前に置く。


「違う、違うの…………」


 少女は言いながら涙をぬぐう。
 セツナは彼女の言っている意味が分からない。


(違うって、何のことだ? ああ、自分で死ねってことか)


 半ば自暴自棄になりながらセツナは言った。


「すみません。触れるのも嫌ですよね……? ごめんなさい。俺、自分で死ぬから……」


 言いながら少女の方を再び見て初めて顔全体と体全体を見た時、セツナの脳に電撃が走った。




 ―――この人、Sevenseかっ……!?




 パニックになったセツナは、もうこれで思い残すことはない、とか早く自決しないととか思ったその時。
 少女にナイフを持った手をたたかれ、思わずナイフを取り落してしまう。
 乾いた音を出しながら転がるナイフ。
 そして、彼女は素早い動作でセツナの正面に周り―――次の瞬間。


「……!?」


 この華奢な体のどこにそんな力があるのか、と思うほど強い力でセツナは少女に抱きしめられていた。




「やっと、やっと会えた……私の――」

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