ルクフェイシア城の城下町 ~人類最強の男と人類最萌の猫娘は日常を刺激的に生きる~

蒼凍 柊一

ルクフェイシア城の城下町 ~人類最強の男と人類最萌の猫娘は日常を刺激的に生きる~

「ふぁあああ……クソ太陽め、今日もまた上ってきやがったのか……」
 朝一番に恨み言を呟きながら起床したこの男の名は、ヴェルム・クロイと言った。
「ご主人様、朝一番から気分が悪くなるような事を言わないでください。耳障りですし、目障りです」
「ココア、いたのかっ!?」
 抑揚のない、それでいて冷静な声がいきなり聞こえたのでヴェルムは驚いた。
 声の方を向くと、そこには銀髪、猫耳、猫しっぽの少女、ヴェルムはココアと呼んでいる、本名はハイシュタインゼン・ガルルギアス・コルルレイゲン・フェニキアシス・コリウム・ルクフェイシアが立っていた。
 ヴェルムはココアの服を見て目を細める。
「おいおい……なんだその恰好は」
 ヴェルムが声を上げるのも納得だ。
 ココアは男用のブカブカのワイシャツを着ているだけだ。もちろん、下は何も穿いてないように見える。
「いい天気ですよ。ご主人様」
 そう言いながらココアが窓を開けた瞬間、風で揺らいだシャツの裾の間から、白く透き通るような太ももが覗く。
 朝一から刺激的なものを見てしまった……。とヴェルムが思ったその時、またしても風が吹いた。
「――お前、少しは隠せよ」
「なんのことですか? それよりほら、いい風ですよ」
 更にめくりあがるココアのワイシャツ。当人は気にせず朝の風を浴びている。
 めくりあがったそこから、白く繊細なレースで大事なところだけを飾り立てている、ほとんどヒモのような下着が見えた。いや、もはや下着と言っていいのかすら疑問だが、とにかく、下着のようなものをネコ耳少女は着けていた。
 それに胸がデカすぎてボタンとボタンの合間から大きく谷間が見えている。これはエロい。
 そのうちボタンがはじけ飛ぶのではないかと思うほどの巨乳だ。
 ヴェルムは上半身を起こし、またしても呻く。
「早く窓を閉めてくれ……俺の理性が崩壊しないうちにっ。というより、なんだその恰好は!?」
「ご主人様。なぜそんなに訳の分からない事を言っているのです? それにこの格好については何も言わないでください。こういうのが好きなんでしょう?」
 ココアが不思議そうにヴェルムに問いかける。
「いや、まぁ好きだけどさっ! 好きだけど!」
「何も言わないでくださいと言ったはずです」
「お前は一体何がしたいんだ!?」
「ですから、なぜ朝一番からそんな憂鬱になっているのですか、と私は質問しているのです」
 どうやら格好についてはココアは触れてほしくないようで、かたくなに言おうとしない。
 しかもちょっと恥ずかしいのか、白い透き通るような肌が少し赤みを帯びてきている。
 それはとても……煽情的だった。
 ヴェルムは耐えきれず顔を別な方向へ向け、質問の答えを返した。
「俺はほら、朝弱いからな。大目に見てくれよ。それよりだな……ちゃんと服を着てくれ」
 ヴェルムはもう泣きそうだ。なんとも打たれ弱いことか、とヴェルムは思うがそれは仕方のないことだ。
 八年前に人類最強とまで呼ばれたこの男。なんと童貞なのだ。
 しかも、ココアという絶世の猫耳美少女がいながらにして、一回も手を出していないほど、そっちの方面には奥手である。
 それくらい繊細な、もとい、根性なしなのだ。
 だが、ココアはヴェルムのその言葉を聞いて不思議そうに首をかしげた。
 ヴェルムのある体の一部分をみながら、
「それで朝が弱いと言うのなら、世界中の辞書の【弱い】という項目を訂正しないといけませんね?」
「おい、可愛い顔してそんなことを言うのはやめなさい。頼むから」
「すみません。ですがあまりに立派だったもので……」
「いい加減にしてくれ! というか着替えたりするから部屋から出ててくれよっ!」
「私にはご主人様をお世話するという使命がありますし……。そしてご主人様の童貞も捨てさせろという依頼もありますので」
「誰からの依頼だよっ!?」
「ミルレイ様からのご依頼ですよ?」
 はぁ、とヴェルムはため息をついた。
 またあの人の仕業か、とも思う。
 それにその依頼内容だったら今のココアの姿にもヴェルムは納得がいった。
 ともかく、今は着替えてミルレイの元へと行かねばならないので、ヴェルムはココアにお願いする。
「……あの人には後で俺が良く言っとくから、ちょっと外に出ててください。お願いします。あ、それと、今すぐその恰好はやめなさい……っていきなり脱ぎだすなっ!!」
「はい?脱げと言われたので脱いだのですが…?」
 危うくココアの大事なところが見えるところだったとヴェルムは冷や汗を流す。
 というより、なぜか残念な気持ちの方が上回ったが、それを隠してヴェルムはココアに言う。
「従順すぎるよっ!?もう少し恥じらいってものを持とうよっ!?」
「私は恥じらいは兼ね備えております。ご主人様に私を性的対象として見ていただこうと努力しているだけですが?」
「見てるから、もう十分みてるからっ!」
「なら、一緒にベッドインを……」
「もうこの娘勘弁してっ!!」
「冗談ですよ」
「なんなんだっていうんだよ……ホントに……」
 事もなさげに澄ました顔で言うココア。
 もうヴェルムのライフは朝っぱらからゼロだった。




 しっかりとココアが部屋の外に出たのを確認して――歩くたびにのぞく白い形の良いお尻は目に毒だったが――それを意識の外にやり、自分を鎮めたヴェルムはゆっくりとベッドから出て、朝の身支度を始めた。
 歯を磨いて、朝風呂して、着替える。
 お気に入りの黒いシャツに、黒いズボン。これがいつものヴェルムの格好だ。
 鏡を見る。目の前には見慣れた顔があった。これでもそれなりにココアに会う前はモテたりしていたのだが、ココアと行動を共にするようになり、街をゆく女性達はぴったり離れずついていくココアを見て全員ヴェルムのことをあきらめるのだとか。
 あんなに可愛い彼女には勝てない、と思うそうだ。
 初めてソレを聞いたときは耳を疑ったものだ。
 ヴェルムは近くの収納棚を開け、一揃いの黒い軽装鎧と一本の剣を引っ張り出した。
 いつも仕事をするときに着けている、万能の軽装鎧と剣だ。
 鎧の名前は【最高神の軽装具】。正真正銘、神様からもらった鎧だ。
 突拍子もないことだろうと思うだろうが、これにはきっちりと理由があるのだ。
 だがここでは割愛しよう。
 剣の方の名前はこれまた【最高神の黒剣】。
 これも正真正銘神様からもらった剣だ。
「本当に優秀な武器と防具だよなぁ……こいつら。いくら使っても刃こぼれしないし、切れ味も一級品、しかも魔力を通せばなんでも斬っちまうし防いでしまうってか。くれたアイツにはホント感謝だよな」
「それ、もらい物だったんですか? 奥に大事そうにしまってあるから誰かの形見の品かとばかり」
「っ!?」
 いきなりしたココアの声にヴェルムは硬直してしまった。
 確かにヴェルムはココアが部屋から出るのを見届けた。
 朝シャンして部屋に戻るときも誰もいないのを確認したはずだったのだが。
「いつからいた!? ってなんで全裸なんだよ、お前はっ!」
「たった今ドアを開けたとこです。全裸なのはご主人様が服を用意してくれないからですよ?」
 そういえば、とヴェルムは己の過ちに気付く。その恰好をやめろとは言ったが、どの恰好をしろとは言っていないことに。
 極力ココアの方を見ないようにし、いろいろな雑念を押さえつけながらヴェルムはココアに言う。
「……これを着ててくれ」
「ご主人様はなぜ私を見てくれないのですか?」
「恥ずかしいからだよっ!? いいからこれを着て、ミルレイさんに新しい服を用意してもらうんだっ!」
「了解しました。正直ご主人様をこれ以上辱めても、私が辱められている気がしてきたのでもうやめようかと思っていたところだったので」
「それはありがたいな。あと、俺はお前を辱めてなんかいない。ココアが勝手に自爆してるだけだからな?」
「ご主人様。それでは一階で会いましょう。それと、まだ言っていませんでしたね。……おはようございます」
「ああ、おはよう」
 ヴェルムはココアが部屋を出ていくのを見送りながら、手に持った剣と鎧をしまい、ヴェルムは一階のミルレイの元へと向かうのだった。




 ヴェルムが一階へ降りると、長髪青髪のココアに負けず劣らずのボディをした母性ある女性が迎えてくれた。
「おはようございます。ミルレイさん」
「あら、今日は早いのね?ヴェルム様。コーヒーにします?」
 ありがとうございます、と言いながらコーヒーを受け取ったヴェルムは少し口に含み、
「――で、どうだったのよ、ココアちゃんは。ふふっ、気持ちよかった?」
「ぶべらっ!?」
吐き出した。
あたり一面が黒一色に染まる。
「ご主人様。汚いですよ? 食事中に噴き出すなんて……」
「ミルレイさんが、ミルレイさんが悪いんだっ!」
「あらあら、ワタクシのせいにするんですか? ヴェルム様」
 いつの間にかヴェルムの横に来ていたココアが、何ともない顔でヴェルムが噴き出したコーヒーの後始末をしているのを見て、ミルレイは女の勘という奴が働いた。
「そう……あんな刺激的な格好をしたココアちゃんでもヴェルム様の鋼の貞操は奪えなかったのね?」
「は!? 何を期待してるんだっ、あなたは!?」
「え、同居人とネコ耳少女がえっちしてるのを妄想するのが私の趣味だって言ったじゃない?」
「聞いてねぇよっ! 全然そんなの初耳だよっ!!」
「この宿の管理を一人でしてるのよ? しかも居候を二人も抱え込んで……それくらいの楽しみがあったっていいじゃないのよ?」
 そう、ヴェルムとココアがお世話になっているこの宿、【黒猫亭】の女主人がこのミルレイなのだ。なんと宿を一人で切り盛りしていて、その実力はかなりのやり手だ。
 ひょんなことからヴェルムとココアはこの人の手伝いという名目で【依頼】をこなすことになったのだが、今は居候、という身分がしっかり板についてきている様だ。
「ゴホン……それで? 今日の依頼はなんです?」
 ヴェルムが話題を変えるためにわざとらしく咳払いをし、真面目そうな声を出す。
「ご主人様、私はお腹がすきました。ご飯をください、ご飯を。」
「はいはーい! ココアちゃん、たぁっぷり食べてね☆」
「ミルレイさん! あなたがコイツを甘やかすから……」
「甘やかすから、なんだというのです? あ、ミルレイさんありがとうございます」
 ヴェルム的にはココアを自分に仕向けているのはミルレイで、そのミルレイはココアをたきつけることに関してはかなり上級者であり、それは日頃からココアを甘やかしているから…という認識なのだ。
「すりすり」
「ココア、お前の太ももを俺の太ももの上に乗せて擦り付けるな! いろいろ危ないだろうが! それになんだその露出過多な踊り子みたいな衣装はっ!? 俺を殺す気かっ!?」
「いえ、悩殺する気です」
「いっちゃえココアちゃん! 今日でその朴念仁を快楽の底にたたき落とすのよっ!」
ヴェルムは頭を抱え、思う。
この先に話を進ませるにはもう少し時間を置かないとだめだ、と。




「と、いう訳で、今日の依頼は何ですかっ!? いい加減仕事行きたいんです! 教えてください!」
 ご飯を食べ終え、一息ついた二人を見て、絶妙のタイミングで話を切り出したヴェルム。
「……んもう、せっかちさんねぇ?」
 ミルレイはヴェルムを指さして言い放つ。


「――それじゃあ本日の依頼はと言うと……じゃじゃじゃん! 『銀翼竜』の心臓を入手してきてください!!」


「へ?」
 ヴェルムは自分の耳を疑った、
 たしかに聞こえたその魔物の名称――【銀翼竜】。
 こいつは並の冒険者たちが数十人でかかってもとらえきれないほどの強さを持つ、強敵だ。
 その牙は鎧をやすやすと穿ち、その翼の爪はすべての剣を砕くという。
 そしてその心臓は貴重な鉱物であるオリハルコンを多量に含んでおり、宝石としても、武器の素材としても用途がある。
 宝石として使えば、その美しさから天文学的な数値の値段が付けられ、武器の材料として使えば、天下無双の猛者にだってなれるほどの能力を持った魔法武器になる。
 この心臓欲しさに挑む冒険者たちのほとんどが、銀翼竜に傷一つつけることなく殺されてしまうという。
 最近はまったく銀翼竜を討伐したという話を聞かない。あまりの危険度の高さから、冒険者ギルドが近くに行くことも禁止したからだろう。
 それほど危険な相手なのだ。
「えーと、今なんと?」
 ヴェルムはもう一度聞き返す。
 この平和なルクフェイシアの街で、まさかその名前を聞くことになるとは思わなかったからだ。
「だから、銀翼竜の心臓を取ってきてください。これが今日の依頼です」
 やっぱり間違いなくそうだったことにヴェルムは驚きを隠せない。
「なに馬鹿なことを抜かしているんだミルレイさん! そんなの俺たちの実力でとってこれる代物じゃないだろ!?い いか、よく見てみろ! 俺は童貞の一冒険者だし、こいつはただの猫人間だっ!! どうしたって【氷海の魔龍】と呼ばれる銀翼竜をぶっ殺せるんだよ!? しかも心臓だぞ!? 心臓!! 剥ぎ取りもすげぇ技術がいるんだぞ!?」
「イけるイける♪ 頑張ってねヴェルム様!」
「いや、イけねぇよっ!? ホントに無理だ勘弁してくれっ」
「え~……」
 ミルレイは唇をとがらせ、非難めいた目でヴェルムを見る。
 冗談ではない。そんなもの自殺しに行くようなものだ。
 だが、この城下町でそれほどの宝石を欲しがるものなんてどういう人なんだろう、とヴェルムは興味がわいてきた。
「ちなみに、そんな国宝級の魔物の素材の納品なんて、誰がこの宿屋に依頼を出したんですか……まさか、国王さまとかじゃないですよね?」
 国王からの依頼だとすれば大きな報酬を得られる可能性がある。
 王への特権とか、莫大な金とか、それこそ大きな屋敷だってくれるかもしれない。
 期待にヴェルムの胸が高鳴る。
「え、近所のカンナちゃんよ? ほら、いっつもお店に来てくれるあの子よ」
 知ってる人だった。しかも、
「……おもいっきり子供じゃねぇかっ! なんでそんなもん必要なんだよっ! まだあの子5歳だろうがっ!」
「え~だって~、『ヴェルムお兄ちゃんのお嫁さんになる為に、銀翼竜の心臓で作った指輪が欲しいのっ!』って言われたら断れないじゃない? ……昔人類最強なんて言われてたヴェルム様なら楽勝でしょう?」
「おいおい、なんで俺求婚される側なのにする側の面倒みなきゃならないんだよっ! しかも相手5歳だぞ!? 5歳!! 法律に触れるわっ! となり歩いてるだけで事案ものだよっ!」
 ぜいぜいと荒い息を吐くヴェルム。
「ご主人様」
 隣でぐいと腕をとるココアにヴェルムはすぐに反応できなかった。
 まずい、とヴェルムは思う。
 このココアという少女は、仕事をしない【ご主人様】、すなわちヴェルムを――許さない。
「行きましょうか」
「おい、強引に腕をとるな、やめ、やめろぉおおおお」
 ココアに右腕を強引に引っ張られ、ぱふっ、とヴェルムはココアの豊満な胸にダイブしてしまう。
 ヴェルムの顔を覆う柔らかな二つのマシュマロ。
「ぶほぁっ!!」
 大量の鼻血という血液と共に、ヴェルムは意識も失った。
 この男は童貞な上にきれいな女性に滅法弱いのであった。






 ヴェルムが意識を取り戻すと同時に感じたのは、異様な寒さ。先ほどまでのマシュマロの感覚はとうに消えうせ、人肌の温もりも跡形もなく消え去っていた。
 目の前を氷山と見紛う程の氷塊が流れていく。
 一面の銀世界、という表現がぴったりな場所にヴェルムは立っていたのだ。
 黒いシャツと、黒いズボン――部屋着のままで。
「ここは何処なんだココア。寒いんだが?」
 この寒さにも動じることなく直立不動の美猫に、ヴェルムは問いを投げかけた。
「氷海に転移したんです」
「は? 転移?」
「転移魔法です。ご主人様はご存じないんですか? 学が足りませんよ。学が」
「それくらい知っている! 瞬時に特定の地点と現在の地点を結んで、瞬間的に移動する魔術のことだろ? 俺が聞いてるのは、なんで転移なんてしたんだってことだよっ!」
 その問いを待ってました、とばかりにココアは満面の笑顔で恐ろしいことを口にした。
「お仕事――しましょうか?」
「お前まさか俺に一人で銀翼竜を討伐しろって言いたいのか?」
 ヴェルムの問いにまだココアは、素敵な、満面の貼り付けたような笑顔で頷いた。
「さぁ、やりましょう。無事に戻ってこられることをお祈りしております」
「なんだその嘘くさい営業スマイルは!」
 胡散臭いココアの笑顔。それは一般の人たちからでもわかるほど嘘くさい笑みだった。
 それを指摘してやると今度は腰に手を当て、怒ったように、
「お仕事、しなさい」
「そんな命令口調で言っても俺はやらないぞ!? だって無謀だから! 普通の冒険者が、銀翼竜なんて、倒せるわけないもの!」
「ご主人様は人類最強なんです。だから、銀翼竜なんてイチコロじゃないんですか?」
「……お、俺は、そう、ただのヴェルム! ただの冒険者のヴェルムなんだから! 銀翼竜なんて倒せない!」
「じゃあ、ただのご主人様……。銀翼竜の心臓を採ってきたら、一日ゆっくり添い寝してあげます」
「いらねぇよっ!? そんなもので俺の鋼の精神がゆらぐとでも……」
 ちらり、とココアの艶やかな魔っ白なふとももが目に飛び込んできた。
 まさしく神の美脚と言っていいほどの芸術性。
 絶対的な美、というものはこういうことを言うのだろうか、などとヴェルムは考えてしまっていた。
 見つめる事数十秒。ようやく我に返ったヴェルムは口から流れるよだれを拭きながら、必死に仕事の遂行を拒否した。
 当たり前である。
 銀翼竜は多人数でようやく相手にできるほどのドラゴンなのだ。
 一個人で倒そうなどと抜かす者がいたら、それは自殺志願ということか、というジョークにもなっているほどの紛う事無き強敵なのだ。
 だが、そんなことココアには関係ない。
 無情にもヴェルムに向かって言い放った。
「前払いは済ませました。早く倒してきてください」
「へ!? 今のでなのか!? 添い寝じゃなくて、足を強制的に見せつけられた挙句、俺に死んで来いって言うのか!?」
「いいから早く倒してきてください。寒くなってきましたので……早くおうちに帰りたいです」
「……」
 ココアは聞く耳持たず、と言った様子でヴェルムを冷めた目で見つめていた。
 ヴェルムもヴェルムで、今は普通の冒険者として活動しているのでそんな自分から目立つような真似――というか自殺行為はしたくない。
 かくなる上は、来た時と同じ方法で帰還するしかないという結論にヴェルムは至った。
「……なぁ、ココア。ちょっと胸見せてくれよ」
「この変態ご主人様。今欲情するなんて、青○好きなんですか? 私にはちょっと理解できません」
「別に俺は青○はす、好きじゃないぞ! 家でしっぽりとラブラブ派だ!」
「聞いてないです」
「あ、すまん。いやいや、謝ってどうすんだ、俺!」
「ご主人様にセクハラされ仕事まで放棄された、とミルレイさんに報告したら明日の朝私は……」
「おいなんか不穏な単語がいくつも聞こえてくるんだけど!? ……ちなみに、明日の朝お前、どうなるんだ?」
「上も下もキワドイ衣装で、デコレーションされた挙句、ご主人様の眠るベッドに忍び寄り、朝までくんずほぐれつの濃厚なセッ」
「はいストォオォォォップ!! ストップ!! やめなさい!! 分かったよ…!! やればいいんだろ! やれば!!」
「わかっていただけたのなら、早くしてきてください。いい加減帰りたくなってきたので」
「この駄猫め……。大体、なんでいきなり氷海に来て、銀翼竜なんぞと戦わないといけないんだ……あぁ……」
 ヴェルムが嘆き、天を仰いだその時、


 ――ォォォォオオオ!


 曇天の中から、轟音と呼ぶべき咆哮が聞こえた。
 まさしくこれは銀翼竜の鳴き声。
 この、身を裂くかの如き不快感。漂うダイヤモンドダスト。
 ヴェルムの背中に、嫌な汗が流れた。
「……おいココア、冗談はここまでだ。ほら、はやく帰るぞ!」
 ココアはヴェルムの言葉を無視し、胸の谷間からどこぞの青いネコ型ロボットの四次元収納かの如く、人が四人すっぽり入れるぐらいの巨大な炬燵を取り出して入り込んだ。
「何言ってるんですか? ここからというところで。私は炬燵に入って丸くなってますので、あとはお任せします。おやすみなさい、ご主人様」
「どっから出したんだよ……その炬燵」
「ご主人様が良い魔道具だと言って、買ってくれた気がするのですが?」
 魔道具。それは使用者の魔力を使い、動かす機械のことだ。
 核となる部分にコアを使用しており、それに魔力を流すことで機械が動く仕組みになっている。
「確かにそれは買ったけどさっ、どっから出したんだよ!? といより、無いなと思ってたらそんなとこにあったのかよっ!!」
「――これは、乙女の秘密……です。ふわぁぁぁ……武器と防具は炬燵の上に置いておいたので、あとはお願いしますね」
 ココアは眠そうな顔で、炬燵から上半身を出してこちらを見ていた。
 露出の激しい衣装のせいで、やわらかな胸の谷間――下手をすると先のほうまで見えそうなくらいだ――が見えていた。
「ちょっ、鼻血がぁっ!!」
 鼻血を出しながらも鎧を手早く装着し、剣を腰に提げた。
 長年の経験からか、その手つきは異様に素早く、冷静だった。
 心臓の方は早鐘を打ち、今にも貧血で倒れそうだが。
「どうしたんですか?……あ、来ましたよ。わー。アレが銀翼竜ですかー。おっきぃですねぇ……あっ、ブラが外れちゃいました。」


 ――ゴアアアアアアアアア!!


 ココアが近づいてくる銀翼竜を指さしたのと、少し身じろぎしたせいで完全にカップの部分が外れてココアの胸全体が外気にさらされたのは同時……ヴェルムが鼻血を噴き出しながらも気力で持ち直し、銀翼竜へと向かって剣を構えたのも同時だった。
「クソッタレがっ! 俺の……どうしようもない怒りをくらええええええええ!!」
 銀の鱗に、白銀の吐息。
 体長50メートルはあろうかという巨大な龍が、獲物であるヴェルムめがけて突進した。
 天空からの急降下で獲物を仕留めるという、銀翼竜の得意とする狩りの方法だ。
 これを見た冒険者は生きて帰れないとまで言われている。圧倒的なプレッシャーと銀翼竜の存在感に気圧されてしまって、足が動かなくなってしまうからだ。
 ――だが、ヴェルムは例外だった。
 凍えるような吹雪の中、ココアの方を気にする余裕を持ちながらも銀翼竜に負けないプレッシャーを放っている。
「微力ですが、私も手伝いましょうか。なにチラチラこっち見てるんですかご主人様。――あ、胸出しちゃってましたね」
 たゆんたゆんと音が聞こえそうなほど自分の胸を揺らして、ココアはヴェルムの注意を引こうとしていたのだ。本人にはその気はないのだが、結果的にヴェルムの邪魔をしている形になってしまっている。
「お前は本当に、俺の手伝いをする気があるのかぁああああああ!?」
 黒い剣を持ち空中に飛び上がったヴェルムは鼻血を吹いている。銀翼竜がすぐ近くまで迫っているが、目は完全にココアの胸へと向かっていた。
 一匹と一人の距離は縮まり……ヴェルムの体全体が冷気に覆われた。
 銀翼竜の特性だ。周囲の気温を大幅に下げるという能力をもっている。
 腕がやけに重くなったのをヴェルムは感じたが、そんなことはどうでも良いとばかりに、銀翼竜に向かって剣を――放り投げた。
「っらぁっっ!!」
 至近距離での、全力の投擲。
 ヴェルムが放った黒剣はまさに光の如き速さでまっすぐに銀翼竜の眉間に突き刺さるが、刺さってもそれはなおも勢いは衰えず……尻尾まで駆け抜け、最後には氷海の空を駆け抜けた。
「……フッ!」
 タン、軽快な音を立てつつ地面に降り立ったヴェルム。
 主人であるヴェルムが無事だったことを確認し、急いでブラをつけなおすココア。
 盛大な音を立てながら、紅い血をまき散らしながら落ちてくる銀翼竜の亡骸。
 すべてが、混沌としていた。
 そんな中、服を直したココアがヴェルムの元へ駆け寄る。
「……あ、ご主人様、鼻血吹きすぎて気を失ってるじゃないですか……この変態さん」










 『ルクフェイシア』というこの国は、どこにでもあるような、普通の王国である。王国のシンボルである、街の中心にある白亜の城は巨大で荘厳だ。その周りにある城下町は、民達の生活の豊かさを示しているのだろう。どれもレンガで組まれ頑丈で、道は動物の汚物や生活ごみなども落ちておらず、清潔だ。
 そんな城下町の一角にある宿屋――黒猫亭。
 ここがヴェルムとココア、ミルレイが住む場所だ。
 黒猫亭はたったの五室の二階建ての宿屋で、ヴェルムとココアはその客室を二部屋貸し切っているような形である。勿論、その御代は(主にヴェルムが)身体で払っているわけだ。
 宿屋の評判はそこそこだ。満室になるときもあれば、昨日のようにヴェルム達しかいないということもある。いつもは大体ヴェルム達しかいないのだが。
 今日も予約は入っておらず、黒猫亭にはミルレイとココアとヴェルムが居た。
 だが、いつもと違うところが一つある。


 それは三人が夕食時間には遅すぎる時間に食卓に付き、神妙な顔で未だに脈打つ心臓を呆然と眺めていることだ。






「さぁて、どうしたものかね」
「なにがです?」
「この『銀翼竜の心臓』だよ。本当に近所のカンナちゃんにあげるわけにもいかないだろ? こんなもんやったら、確実に魔力に当てられて意識が吹っ飛んじまうぞ。5歳には刺激が強すぎる」
「そうね。ヴェルム様の言うとおり――こんな強大な魔力を放つ心臓、カンナちゃんにはプレゼントできないわねぇ」
「となると――どうやって処理するつもりなんだミルレイさん。ノリで俺も龍を殺っちゃったけど、よく考えたら、公式で討伐依頼も出てないから売り払うにも売り払えないし、鍛冶屋に持っていこうものなら鍛冶屋組合に出元を探られて、確実に裁判に掛けられるぞ?」
 そう、処理のしようがないのだ。
 本当に指輪に加工して、カンナに渡すなど問題外。
 売り払うのも論外、武器にするのも論外だ。
 しまっておいても漏れ出る魔力は桁違いなので、いつかは城下町を守る正義感に満ち溢れた、マッチョな軍団……『衛兵』達に見つかってしまうだろう。
「めんどくさいわね? 王城の宝物庫にでも入れておく?」
「無理だろ!? それに、たとえ入れられたとしても王城のお抱え魔術師たちが気付くし、あいつらならすぐに心臓の出元を探ってくるはずだ」
「それにしても、てっきり倒せなくて戻ってくるかと思ったのに……。本当にヴェルム様はあのヴェルム様だったってワケね」
「なんだミルレイさん。今まで疑ってたのか?」
「いえ、信じてたわよ? でもここまでの実力だなんて思わなかったわ」
「まぁこれでも『人類最強』なんてあだ名がついた位だしな……」
 途端にヴェルムはわずかに暗い表情になった。
 『人類最強』。その名にヴェルムは良い思い出を持っていない。
 あるのはただ、悲しい思い出だけ。
 ヴェルムのその表情の変化にいち早く気付いたココアは、わざとらしくふざけた口調でヴェルムに話を振った。
「というよりお腹が空きましたご主人様。なんで銀翼竜の肉付きの良い部位を持ってくるのを嫌がったんですか? あれなら一週間分の食料になったじゃないですか。こうしてドクンドクン言ってるキモチワルイ処理に困るモノ、早く食べちゃいましょう」
「え? お前食べるつもりなの? これ? 正気? ねぇ正気?」
「私は至って正気ですが?」
「食うなよっ! 絶対喰うなよっ!?」
 ヴェルムが必死になって止めるのも当然だ。なぜなら――
「だめよココアちゃん。龍の内臓とかお肉なんて、食べる物じゃないわ。お腹壊しちゃうわよ」
「そこなのか!? 違う! 龍の肉を食えるのなんて、龍以上の魔力を持っている奴だけだっ」
 そう、決してお腹を壊すから食べるな、という訳ではない。
 強力な龍は、莫大な量の魔力をその身に宿している。その肉片ひとかけらを口にすればその濃密な魔力を直接体内に取り込むことになるのだ。
 人の身体は魔力をどのくらい貯めておけるのか個人差がある。
 ヴェルム位であれば、龍の肉を腹いっぱい食べても平気なのだが、ココアくらいの魔力量の者が食べると、たちまち魔力に全身を侵され、死に至るだろう。
 それをココアにヴェルムが説明すると、ココアは口をとがらせ文句を垂れた。
「むむぅ……それなら仕方ありませんね。ご主人様。さっさとコレ、なんとかしてください」
「なんとかできりゃ、もうなんとかしてるっつーの!」
 そう言いながら荒く息を吐くヴェルム。
 そこでヴェルムにある考えが浮かんだ。
 氷海に転移し、その後戻れたのだから、また氷海に戻って心臓を海に投げ捨てればよいのではないだろうか? と。
 ヴェルムはそれをココアに恐る恐る問いかけると、
「できません」
 即答だった。
「なんでだよっ!? 行ったし、帰ってこれただろう?」
「だから、できないんです。あの転移魔法、三日に一回しか使えないんですよ」
「なんて事だ……三日待たないといけないのか?」
「まぁまぁヴェルム様。三日待てば住むことでしょう? 三日くらいだったら衛兵さんにだって見つからないでしょうし、いざとなればココアちゃんが居るから大丈夫よ」
 ミルレイが手を叩き、話はこれでおしまい、と言って布きれで神々しく光り輝く心臓を包みこむ。
「どこに保管しておく気なんだ?」
「まぁヴェルム様は見ててくださいね? ――ココアちゃん。立ってこっち向いて?」
「はい。なんでしょうミルレイさん」
 ココアは言われるがままに立ち上がり、ミルレイの正面に立った。すると、
「えいっ」
 ばいん、と音がするのではないかというほど、ココアの二つの巨大な双丘が跳ねた。
「ぁァアんっ! み、ミルレイさんっ、だ、ダメですっ」
 むにむにとミルレイはココアの胸を揉みしだく。
 もみもみ、むにゅむにゅ――たたでさえ露出の多い踊り子のような衣装を着ているココアがそんなことをされればどうなるか、火を見るより明らかだった。
 そんなヴェルムの心配は、的中する。
 妖艶な嬌声を上げるココア。その胸を申し訳なさそうに覆っている薄い布が外れたのだ。
 ばいん、という音を確かにヴェルムは聞いた。
 跳ねる、跳ねる。
「ぶほぁっ!!」
 ヴェルムは鼻血を大量に吹き出し、銀翼竜の心臓を包んだ布に血しぶきを飛ばす。
 そのヴェルムの鼻血まみれの心臓を、徐にミルレイは鷲掴みにして……
「えいやっ!」
 気合十分。ココアの胸の谷間に勢いよく心臓を挟んだのだ。
 ぶるんぶるん揺れ動くソレに、ヴェルムの意識は持って行かれそうになった。
「あ、熱いです――ご主人様ぁ」
 その上熱っぽい声で耳元で囁かれたので、ヴェルムの熱いパトスはもう止まるところを知らない。
「そんな恰好で熱っぽく俺に囁くなココア!! は、鼻血がとまらんっ!」
「ふぅ……完了ね」
「何を一人で落ち着いてるんだよっ! それよりこの行動の意味は一体なんなんだ!?」
 ヴェルムが訳の分からないミルレイの奇怪な行動に突っ込みをいれると、ミルレイはココアの胸辺りを指さし、ヴェルムにそちらを見るよう促した。
 すると――
「グゲパァッ!?」
 剥き出しのココアの胸を直視してしまい、ヴェルムは吐血した。
「あ、ココアちゃん。もう胸しまっていいわよ。ありがとね」
「はい」
「お前らグルかっ!? グルなのかっ!?」
「いいから、ほら、もう一回見てみて?」
 ミルレイに再び促され、ココアの方を恐る恐る見てみると――
「なっ!? 心臓が消えてる!?」
 そう、先ほどまであった心臓が跡形もなく消えているではないか。
「まったく、ミルレイさんは加減ってものを知らないんですか? 恥ずかしいじゃないですか」
「ごめんねココアちゃん。これもヴェルム様の童貞を喪失させるため……! 我慢して!」
「何を言って「分かりました」」
 即答か、とヴェルムは思う。冗談ではないがそれどころではない。
「おい、心臓はどこにやったんだ!?」
「どこって、ココアちゃんの『収納場所インベントリ』に一時的にしまっただけよ?」
「はい? なんだそれ。俺は知らないぞそんなもの」
 『収納場所インベントリ』があるなんて全くしらない。ましてやココアの胸の谷間にソレがあるなど、ヴェルムは毛の先ほども知らなかった。
「『収納場所(インベントリ』って、遠隔で倉庫と繋げる魔術の事だろ? いつの間にそんな高度な魔術を覚えたんだよ。ココア」
「私は前から使えましたよ? 昨日氷海に行ったときだって使ったじゃないですか」
「……っ、そういえばそうだったな」
「これで一安心でしょう? ヴェルム様」
 これで一安心だ、とヴェルムは落ち着いた。
(待て。確か『収納場所インベントリ』の魔術は術者が一番最初に指定した倉庫にしか送れなかったハズ……)
 そこまで思い出して、ヴェルムはハッとする。
「なぁ、ココア」
「はい?」
「お前、『収納場所インベントリ』の場所、どこに指定してある?」
 ヴェルムの頭には嫌な予感しかない。
 つー、とヴェルムの額に汗が流れる。
 嫌な汗だ。
 こういう時のヴェルムの予感は、嫌になるほどよく当たるのだ。
 それはヴェルムは自覚していたが、今この時だけは外れることを願った。
「えぇと」
 ごくり、とヴェルムの喉が鳴る。
「確か――」
 ココアが思い出そうと額に小さな手を当てている。
 耳がぴょこぴょこ動いているのは無意識のうちの行動だろう。
「あ、思い出しました」
「どこだっ!?」
 緊張の一瞬。


「指定したのは――王城の宝物庫です」


 ヴェルムの願いが見事に砕け散った瞬間だった。


「ははは……ごめんねヴェルム様。まさか王城の宝物庫につながってるなんて思わなくってぇ……」
 ミルレイが申し訳なさそうに言うがヴェルムは焦っていたので、ココアに向かって叫ぶことで精いっぱいだった。
「バカヤロー! 早く取り出せっ! 早くっ! あんなもの宝物庫にぶちこんだらすぐ気付かれるぞっ! それに重罪だっ! どうすんだよ!!」
「仕方ないですねぇ……。取り出しますよ」
 ごそごそとココアが自分の胸元に手を差し込む。
 ヴェルムはすぐに取り出せると思ったのだが、ココアは一向に心臓を取り出さない。
 十秒、二十秒、三十秒。
 ――まだ、取り出さない。
「…おい、どうした?」
 冷汗がヴェルムの背中を伝う。
 冷静な顔で、淡々とココアは事実を告げる。


「どうやら王城の宝物庫にちょうど居た、『誰か』に心臓を持ち去られたようです」


 数秒の間が空き、


「なぁぁにいぃぃいいいいいい!?」


 ヴェルムの絶叫が黒猫亭に響き渡った。






 ルクフェイシア城の宝物庫は地下にある。
 そこには誰も侵入ができないよう、普段は厳重な封印と警備が施されているのだが、今はそのすべてが一人の侵入者によって解除と排除がされていた。
 侵入者の名は、ネリア・ルージュ。歳は十六。動きやすい黒ずくめの服に身を包み、その顔の口元には黒いマスクがされている。
 その胸元には蒼い宝石が下げられていた。
 マスクで覆い隠されていても目元で美人だとわかるほど彼女は美しかったが、今、その美しき顔は驚きの色で染まっていた。
 なぜかと言うと――ネリアの目の前に、いまだ脈打つ竜の心臓が在るからだ。
(竜の心臓……しかもまだ『生きている』!? 何故こんなものがこの王城の宝物庫に!?)
 息をのむネリア。
 その時、ネリアの胸元に下げられている宝石から声が発せられた。
 いや、正しくはネリアの脳に、遠隔地にいる誰かが宝石を通して直接声を届けているのだ。
『どうしマシタネリア嬢。何を発見されマシタカ?』
「竜の心臓だけど、正しくは銀翼竜の心臓ね。しかも、まだ『生きてる』。まさかこんなものがルクフェイシアにあるなんて……。取り敢えずこれだけでも持って帰るわ。いいわね、ケティ」
 遠隔地にいるケティ・ロゼリアの息をのむ音がネリアの脳に伝えられた。
『――それは、銀翼竜の密猟をできるほどの人材がルクフェイシアには揃っているというのデスカ? 国際問題に発展しマスヨ、この発見ハ。しかし惜しいノハ、我々が正規の手段ではない方法でソコに侵入シテイルことデス。盗み出し、この発見を世間に公表したトコロデ重罪にかけられるのはワレワレの方デスカラ』
 そうね、と遠隔地にいるケティに頷き返しながらネリアは思う。
 ここに忍び込んだ当初の目的は、ルクフェイシア王国を破滅させるためだ。
 だが、今のネリアの目的は全く違うものになっていたのだ。


(これで作った武器があれば――あの男と対等に戦える!!)


 ネリアの脳裏には、八年前の戦場が思い出されていた。
 忌まわしき、あの戦場を。








 ルクフェイシア王国と隣国であるセントラル帝国が国境をかけて争った戦い。
 そこにネリアは参加していた。
 当時わずか十三歳だったネリアは、その天才的な剣さばきと、卓越した魔術で名を馳せた、セントラル随一の魔法騎士だった。
 戦歴は常勝無敗。彼女が指揮を取れば必ず勝てるとセントラル帝国内で噂されているほどだ。
 帝国に所属していたネリアは戦争が始まった時、この争いはすぐに終わると思っていた。
 相手のルクフェイシア王国の手勢は僅か千。こちらは一万を超える軍勢だった。
 なぜこんなにも大差がついた戦争なのか。
 それはルクフェイシア王国が、セントラル帝国の同盟国である、ケルティア国と戦争をしているからだ。
 ケルティア国の目的は一軍人であるネリアにはわからないが、自国であるセントラルが卑怯な手を使っていることだけは分かっていた。
(こんな戦争何の意味があるっていうの? 弱い者を寄ってたかって叩き潰そうとしているだけじゃない)
 そんな複雑な思いを抱きながら、ネリアは陣頭に立ち、兵士の士気を執っていた。
 全軍に突撃の命令を下し、国境の関所を守る兵士たちを蹂躙する。そう指示をし、一緒に進軍することにした。
 馬を並べて隣にいるケティに、ネリアは語り掛けた。
「早くこんな戦終わらせて、家に帰ってシフォンケーキを食べたいわね」
「そうデスネ。こんなところに居るヨリモ、甘いものが食べたいデス」
 戦場に似つかわしくない会話だと誰もが言うだろう。
 そんな会話を二人はしていた。
 しかし、やがて二人は気付く。
 会話をして、もう二時間は経っているというのに、敵を全滅させたという報告が上がってこないのだ。
「ねぇ、ケティ。どうして前線の役立たず共は勝利の報告を私に届けないの?」
 そんな愚痴をケティに漏らすと、ケティは少し考えて、
「マトモに考えマスト――まだ勝利していないのではナイカト」
 そんな馬鹿なとネリアは思うが、実際に勝利したという報告が上がっていないのだ。
 いったい前線の兵士たちは何をやっているのかとネリアが訝しんでいると、一人の伝令兵が早馬を走らせてこちらに向かってくるのが見えた。
 やっと終わったのかとネリアはため息を吐き、伝令兵が馬を下り、こちらに頭を下げるまで待った。
(遅いわ。まったく。誰もかれも役立たずね)
 そう思いながら、報告を聞いたネリアは、唖然としてモノも言えなくなった。
 ボロボロになりながら、伝令兵は言うのだ。


「た、たった一人の男に、我が軍は壊滅寸前ですっ! 早くお逃げくださいっ!!」


 と。
 最初、この男は一体何を言っているのか、という疑問で頭が一杯になった。
 言っていることは理解している。だが、言っている意味が解らないのだ。
 こちらは一万。あちらはたったの千。九百九十九の敵を蹂躙しておいて、あとの一人の敵を倒せないなど、そんなことは在り得ないからだ。
 どんなに力を持っていようと、どんなにその一人が怪物めいていてもだ。
 だからネリアは伝令兵の前に立ち、言い放つ。
「たった一人に壊滅寸前まで追い込まれる一万人の軍がどこにいるってのよっ! 頭イカれてるんじゃないの!?」
「ほ、本当なのです! ネリア様!! 一万いた我らの軍勢は、もう数十人まで減らされてしまいましてっ!」
「生き残った者達はどこに居る!? 私が引導を渡すわ!」
「それが……皆散り散りになって逃げてしまい、私だけがここに戻ってきたのですっ」
「――なんと愚カナ。ネリア嬢。ここは一度出て、その男を殺した方がヨイノデハ?」
 ケティがネリアに耳打ちすると、ネリアは鼻息荒く馬を走らせた。


 戦場に着くと、見事に何もなかった。
 いや、生きている者が何もなかったのだ。
 国境の関所の前には、おびただしい数の人の亡骸。
 赤黒く大地が染まっているその様は、ネリアが今まで経験してきたどの戦場よりも――凄惨だった。
「こ、これは……!?」
 敵方の亡骸も見受けられたが、圧倒的に多いのは自軍の方の亡骸だ。
 戦場を睥睨すると、関所の正面に一人、黒ずくめの服を着た、一人の青年の姿があった。
 歳は20歳に差し掛かる位といったところか。
 その手には黒剣。体には黒鎧。目は鷹のように鋭く、体中が剣で出来ているかのように、その『存在』すべてが鋭かった。
 一言で言うならば――まさしく無双の『武』。
 ソレと、ネリアは対峙した。
 いや、正確には睨まれた。
 発見されたのだ。ヤツに。
 まずい、まずい。ネリアの脳内にはその言葉しか浮かばなかった。
 尋常ではない存在感。人並み外れた化け物の気配。
 どれだけの人数がいようとも、強大な魔物を放っても、絶対にこの男だけには勝てない、という直感だけが働く。
 気付けばヤツはもう、ネリアの眼と鼻の先に居た。
「……お前が、大将か?」
「――!!」
 グラリ、と視界が揺れる。
 あまりの緊張にネリアの喉は乾ききっていた。
 馬上にいるネリアの方が大勢的には有利だというのに、脳内で死の危険を知らせる警鐘が鳴り響いている。
 男は馬上のネリアを見上げ、吐き捨てるように言う。
「なんだ。年端もいかぬ小娘じゃないか。帝国も落ちぶれたものだ」
 ――なんだこの男は。人間ではない。
 全身を押しつぶすかのような圧迫感をネリアは感じる。もう男の声など耳に入っていなかった。
「俺は小娘を凌辱する悪癖はないんでな。見逃してやる。ほら、何か言ったらどうなんだ?」
 男はネリアの乗っている馬の頭を一蹴りした。
 とたんに弾け飛ぶ馬の首。
 ビチャビチャ、というグロテスクな音ともに鮮血が迸る。
 生暖かい馬の血が、少女の体を穢していった。
 落馬し、どうとネリアは地面に横たわる。
 それを上から見下ろす男。
「ひっ――」
「おっと、手加減を間違えちまったか? あー……そんなに漏らすな。臭うじゃないか」
 気付けばネリアの下着は失禁により濡れていた。
 男は続けて言う。
「何にも言えないようだから、これだけは教えてやる。帝国に戻ったらこう言え。『人類最強の男ヴェルムがルクフェイシアには居る。絶対にヤツとルクフェイシアに手を出してはいけない』ってな? 良い子ならわかるだろう?」
 こくこくとネリアは軍人ではない、ただの十三歳の少女に戻ったかのように素直に頷いた。
 すると、ヴェルムと名乗った悪魔のような男はにやりと笑い、ネリアの頭を撫でた。
「いい子だ、お嬢ちゃん。……やっぱりこの鎧は熱いな。戦争も終わったし、脱ぐか」
 目の前でヴェルムは鎧を脱ぎ捨てた。血まみれのその鎧には傷一つなく、もちろんヴェルムの肉体にも一つも傷はなかった。
 そこでやっとネリアは正気を取り戻した。
(なにが戦争だ。これじゃあただの蹂躙だ。奴一人の独壇場だ。奴の仲間は全員死んだようだが、それでも奴は独りでわが軍すべてを殺しただと? 尋常じゃない。意味が解らない――)
 ネリアが理不尽なヴェルムの戦闘能力に怒りを募らせているうちに、ヴェルムはネリアに背を向けた。
 その無防備な背中を見て、ネリアは思う。
(今なら、奴を背後から不意打ちできる!)
 いくら一人で一万の軍勢を壊滅させられるからと言って、背後からの奇襲には勝てないだろうとネリアは思う。
(こんな奴に私の戦歴を穢されてたまるかっ!)
 ようやくネリアは誇りを取り戻す。
 魔法騎士としての誇りだ。戦場に立つ一人の軍人としての誇りでもある。
 このままでは、終われないのだ。
「うわああああああああ!!」
 ネリアは腰に帯びていた剣を抜き放ち、体全体に魔術の強化を施す。
 尋常ならざるスピードでネリアの剣は吸い込まれるように、ヴェルムの背中の左側――心臓へ向かった。


「ぐっ!?」


 ズブ、という確かな手ごたえ。
 ヴェルムの胸からネリアの強靭な意志の剣が突き出る。


 そう、あっさりとヴェルムの体はネリアの剣を通したのだ。
 やった、と思った。
 確かに心臓を貫いた。無双の武を誇る男を、私の手で倒したのだ、とネリアは思った。


 ――だが、現実はそう甘くはなかった。


「やってくれるじゃねぇか……」


 ヴェルムは剣を胸から生やしたまま、ネリアを強引に引きはがした。
 その力はもうこの世のものではないほどの力だった。
 数十メートルは吹き飛ばされた。
 ヴェルムの方を見ると、ネリアは開いた口がふさがらなかった。
「おい、そんなんじゃ俺は死なないぞ?」
 ピンピンしていた。
 生きているのだ。
 夥しい量の血を流していてもなお、ヴェルムは立っている。
 そして胸に生えた剣を、ヴェルムは素手で掴み、抜き取った。
 ぐちゃぐちゃ形容できぬような音を立てながら、自分自身を痛めつけるように剣を回しながら。
「うぐ、おぇぇぇっ!」
 その光景に、ネリアの涙は止まらなくなり、吐き気が襲う。
 いつしかヴェルムの胸には大穴が空き、心臓は彼自身の手に在った。
 そしてその心臓を握りつぶした。
 四方八方に血と心臓の欠片が飛び散る。
 生暖かいソレが、ネリアの体に降り注いだ。


 未だ、ヴェルムは生きている。
 そして次に続く言葉に、ネリアは耳を疑った。


「死なないんだよ。俺はな。『氷海の魔龍』の心臓で作った剣でもない限り、俺は殺せないぞ? まぁ、そんなもの、世界に十本と無いけどな!」


 ハハハハハ! とヴェルムは笑う。
 それからヴェルムの体が光に包まれていく。
 その光景を最後にネリアは気を失った。






(私は、あの時から時間が止まったままだ。地位も家も、家族さえ捨ててここまで来た。奴が何なのか、何者なのかを突き止めるために。ケティは私がルクフェイシアへの復讐のためにやっていることだと思っているけれど、そう思ってくれていた方が都合が良いからそうしてるだけ。やっと奴と対等に並ぶための道具が手に入ったんだから、この後やることは決まってるわね)
『ネリア嬢? どうやらそれ以上の探索は危険のヨウデス。早く帰還してクダサイ。ルクフェイシアを内乱へと発展させる証拠はなにもアリマセンデシタガ、生きていれば次がアリマス。帰還ヲ』
 蒼い宝石からした声に現実に引き戻され、ネリアはあわてて返事をした。
「わ、分かったわ。あ、ケティちょっと待って。これを――」








「はぁ……どうすんだよまったく」
 夜遅くにヴェルムは一人、ため息をつきながら王城への道を急いでいた。
 いつもならココアも一緒に連れだっているのだが、今日一人なのは理由がある。
 もちろん、銀翼竜の心臓の件の後始末をするためだ。
 宝物庫にあることが判明したまではよかったのだが、それが何者かに持ち去られているとなれば大問題だ。最悪、戦闘を覚悟しなければならない。そんなところにココアは連れてこれないから、黒猫亭に置いてきた訳だ。
(鍛冶屋の連中か、行商人の連中の手にわたるか……宝物庫に侵入できたってことは、相当名うての盗賊だろうな。解呪もできて、開錠もできるなんていったい何者なんだ? なんにせよ、悪用される前に取り返さないとな)
 一人、ヴェルムは思考する。
 どうやって盗み出したのかはまったくわからない。
 それに、あんなものを盗み出しても使える用途など限られているのだ。
(盗み出して使う用途といえば、やはり闇ルートで販売か、自らで武器へ加工するくらいなんだがなぁ。闇ルートでの販売になっても額はたかが知れてる。買い手がいないからな。そうすると――)
 宝物庫に侵入できるほどの腕前と頭脳を持っているのだ。
 王城の近くに来たヴェルムは思考を決着させる。
(盗人は魔法も剣も扱える奴か。大方、ルクフェイシアに恨みを持っていて、宝物庫に侵入したら思いがけない獲物に出会った、ということだろうな。心臓を武器に使えば、魔力増幅はもちろん、武器自体の強化にもなるしな)
 ヴェルムが勝手知ったる我が家といった様子で、どんどんと宝物庫への道を行く。
 道すがらの王城を警備する兵士たちは、悉く気絶させられていたのでスムーズに移動できたのだ。
(おっ、と発見発見)
 ヴェルムが宝物庫の入り口前まで来たとき、中に人の気配がした。
(相手は一人か。歳は――21歳。げっ! 女かよ)
 気配だけで相手の年齢、性別を知る。
(おいおい!? ここで持ってる剣に心臓を融合させんのかよっ!? 大胆不敵な野郎――いや、女だなおい)
 高等魔術の発動を気配で感知したヴェルムは、冷汗を浮かべた。
 腕としては一流の盗賊なのに、肝っ玉が据わりすぎている。普通だったら目的のものを回収したら持って帰るものだろうとヴェルムは思う。
「だから、持って帰るにはこうした方がいいのよ。え? なんでですって? それは私の剣に使ってしまえば見つかる心配もないし、王宮魔術師だって剣と融合したなんて想像もつかないからよっ。いいからケティは黙って私の帰りを待ってなさいっ」
 中から話し声が聞こえた。
(遠隔話術の宝石をつけている……これで仲間がいることは確定だな。さて、一網打尽にするにはどうするかなぁ……まぁここは尾行するのが筋ってものだろう。それにしても、剣と融合ねぇ。そこまでの技量がある奴って、ほかの国に居たか?)
「ご主人様」
「ああ、ちょっとまてココア。そこの陰に隠れよう。もう少しで中の女が出てくるからな。隠れるぞ」
 後ろから不意にした声に、ヴェルムは丁寧に応答し、言葉を切った。


「――ん? ココア?」
 その違和感に気付いたのはヴェルムが物陰に隠れ終え、隣で当然のように自分に抱き着いている銀髪猫耳の少女を発見した時だった。
「なんでしょうかご主人様? もしかして私に欲情してしまったんですか? ドン引きです」
「違う、違うぞ。な、なんでお前がここにいるんだ!? ここは王城の宝物庫だぞ!? お前が一番来ちゃいけない場所だろう!?」
「ご主人様を尾行してきたんです。人類最強を相手に尾行を成功させたのなんて私が初めてですよね? ほめてくださいご主人様」
「ほめられる訳ねぇだろ! あぁもうクソっ! なんだってこんなことに……」
 ココアと小声でコソコソと言い合うヴェルム。
「あ、ほらご主人様見つかっちゃいますよ」
「おいっ、ちょっ、腕を引っ張るなって! おああ!?」
 ココアに強引に腕を引っ張られ、ヴェルムはココアに倒れこむ。
 その拍子にココアの服ははだけ、白い肌と大きな双丘の頂点にある、淡い桃色の突起がヴェルムの指で犯された。
「あぁんっ」
 ココアが得も言われぬ嬌声を上げたその時、ガチャリ、という音と共に宝物庫の扉が開け放たれた。
「……」
 宝物庫に侵入していた若い女と、ヴェルムの目が交差する。
「あ」
 数秒の間。
「こんにちは。名前も知らない侵入者様」
 ヴェルムの情けない声に続いて、ココアが半裸のまま丁寧にあいさつをする。
 当然、中にいた侵入者からはヴェルムとココアの痴態は丸見えで、視線と視線がぶつかり合っている。


「お前は……」






 男女が互いに抱き合っている。
 一人は八年前のあの男だとすぐにわかった。八年の歳月を経てもなお、彼は欠片も老いていないからだ。
 もう一人の見知らぬ半裸の女性は女のネリアでも頬を赤らめてしまうほどの美貌の持ち主だった。
 ネリアからしてみれば、何をしているのかは一目瞭然。
 何故あの男はこんなところに居るのか。なぜ女を裸にさせようとしているのか。
 そのすべての疑問を無視し、ネリアは声を上げた。


「覚悟しろルクフェイシ――むぐっ!?」
 途中まで声を出したところで、目にもとまらぬ速さでヴェルムが侵入者の口を塞いだ。
「こんなとこで大声出すな馬鹿!」
 ジタバタと暴れる侵入者の口を抑えヴェルムは耳元で静かに怒鳴るという離れ業をやってのけた。
「むぐー! むぐぐむー!!」
「だから暴れんのやめろって」
「ご主人様が私ではない女の子と抱き合って喜んでいる……ああミルレイさん私はご主人様から見放されたのでしょうか」
「おいココア、そんなところで訳の分からない事言ってないでお前も手伝ってくれよっ」
 尚も侵入者は暴れ続け、だんだんと抵抗が激しくなっていった。
 その時だ。
「え?」
 ――ふに、というとろけるような感触のモノをヴェルムの手が鷲掴みにしたのは。
「むぐー!!」
 侵入者は顔を真っ赤にし暴れるが、それは逆効果だ。ヴェルムはさらに抑え込もうと動くので、胸を揉んでしまう回数が多くなるからだ。
「ふっ、んむむー!!」
「ご主人様がついに私ではない女に手を出してしまいました……私はもうショックで立ち直れません」
「暴れるから悪いんだぞ!? 暴れるからっ」
 ヴェルムの手は侵入者を押さえつけるためにその体を撫でまわすように這わしていた。
 その手は執拗に敏感なところをなぶり、摘み、尋常ではない快感を侵入者に与えていた。
 そしてついに、
「んっ、ん――」
 びくんびくん、と侵入者が体を大きく震わせ、力尽きた。
 しかし、なおもヴェルムの手は侵入者の体を悦ばせ続ける。
「んー! むぅっ! むぅぅぅっ」
「何言ってんのかわかんねぇけど、おとなしくしろって!」
「ねぇご主人様、それわざとですよね? わざと気持ちよくしてあげてるんですよね?」
「ココア、俺はこいつを抑え込もうとしてるだけだろうっ」
「んむーっ、んんっ、ぅぅー!」
 侵入者が抗議の声を上げ続ける。
 数十分、ヴェルムと侵入者はもつれあい、抱き合っていた。
 頃合いを見て、ココアがヴェルムに声をかける。
「あー、ご主人様。そろそろ話してあげないと漏らしちゃいますよその子。……あーもう結構やっちゃってますね。鬼畜です。ご主人様鬼畜です」
「えっ!?」
 ココアの声に我に返ったヴェルムは、ばっと侵入者の体から離れ、その惨状を目の当たりにした。
「はぁ、はぁ、はぁ―、も、もう、らめぇ……らめなのぉ……ゆるしてよ……ひぐっ、ぐす」
 侵入者は熱を持った息を吐きながら、体を震わせて泣いていた。
 さらには白濁とした液体が若い娘の股を濡らしているではないか。


 ――まさしくそれは、無理矢理男に乱暴された事後の女のようだった。


「……」
 それを見て絶句するヴェルム。
 ぽん、と肩をたたかれ、振り向くとそこにはココアが満面の笑みで立っていた。
「ご主人様。ついに女の子を手籠めにしましたね。おめでとうございます。私ではないのが残念ですが、このままこの娘に種付けしてしまいましょう」
「いまここで……た、種付けなんてできるかっ! というか、するつもりもねぇよ畜生!」
 ヴェルムの叫びが、静かに王城の地下に響き渡った。






「……ここは?」
 ネリアが目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋の中だった。
 周りを見渡す。
 木の窓からは朝日が差し込んでいて、窓の外で小鳥が鳴いている。
 ベッドの脇には、ネリアの剣やら、服やら、荷物一式がすべて置いてあった。
 体を起こし、真っ先に荷物の中身を確認してみる。
 もとより王城に侵入するための道具なので、盗まれても問題がないのだが他人が自分の道具に触れているとなると気持ちが悪い。
 だが、その心配も杞憂だったようで、何一つ盗まれてはいなかった。
(何も盗まれてないみたいね……それにしても、ここは何処なのかしら)
 簡素な机に、簡素な椅子。だがどこか温かみがあるその空間は、不思議にネリアにとって決して居心地の悪いものではなかった。
(手を縛られているわけでも、目隠しされているわけでもない……王城に侵入して、銀翼竜の心臓を剣と融合させて――っ!!)
 そこまで思い至った時、ネリアの顔が真っ赤になる。
 宿敵との邂逅。襲い掛かろうとしたときに、とんでもない辱めを受けたこと、あまりの快感に途中から我を忘れて熱っぽい喘ぎ声をあげてしまっていたこと。
 すべてを思い出した。
(ああ……死にたい)
 顔を両手で多い、ベッドの上でごろごろと身もだえする。
 その時、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
 どうやら監禁されているわけでもないらしい。
 ドアの外にいるのが衛兵である可能性も否定できなかったが、自らの今置かれている状況を理解できていない今、どうぞ、と返事をする他なかった。
「入るぞ」
 がちゃり、とドアを開けて入ってきたのは紛れもなくあの男――ヴェルムだった。
 入ってくるなりヴェルムは立ちすくみ、ネリアの方をじっと見つめていた。
「なによ」
 ベッドの布団にくるまって、ヴェルムから逃げるように後ずさるネリア。
 ネリア自身、昨日のあの責めを思い出すと体の中心が熱くなってしまうのだ。心臓もドキドキする。
 理由がわからなかったので、ヴェルムと距離をとったのだ。
「いや、その……昨日は、すまん」
 ヴェルムの謝罪の言葉が終わる前に、ぎしり、と音を立てて勢いよくネリアはベッド脇の剣を取り、ヴェルムの胸のあたりまで突き出し、ぎりぎりの所で寸止めさせた。
「謝る位なら私にこの剣で刺されて。あなたを唯一殺せる、銀翼竜の心臓と融合させたこの剣で」
 辱めを受けて未だ火照る体に鞭打って、ネリアは目の前の宿敵と相対した。
 一人で一軍すべてを虐殺せしめた男が、凌辱した女に対して素直に謝るなど、ネリアにとっては論外もいいところだったのだ。
「……」
「ふざけないで」
 ネリアは続けざまに言葉を畳みかける。
 相手が自分のことを覚えているか覚えていないかなどどうでも良い。
 過去にあんなことをしておいて、のうのうと幸せになっている目の前のヴェルムという男が許せなかった。
「許せない。仲間たちを皆殺しにして、私に消えない恐怖を植え付けて……そしてあなた、今はなに? あのネコ耳の女といいように暮らしているみたいだけれど、私に対して謝罪の気持ちがあるのなら今すぐ私に殺されなさいよ!」
 ネリアは言い放つ。
 八年間恨み続けた男に対して。
「死になさい! 戦争を虐殺に変えた悪魔っ! 化け物! 私のことなんて覚えていないでしょうけれど、そんなの今はどうだっていいわ! あなたを殺せれば! あなただけが死ねば! 私の恨みは張らされるのだから!!」
「残念ですが、それはできませんよ。ネリアさん」
「何よ、ネコ耳には関係ないでしょ!? いきなり話に入ってこないでっ!」
「ネコ耳ではありません。ココアです。そして関係なら大有りです。――ご主人様が、こう、なったのは私にも責任があるからです」
 ヴェルムの後ろから出てきたココアと名乗る少女は、昨日ヴェルムと絡み合っていた人だとネリアは気付いた。
「どういうことよっ! 意味が解らないわ!」
「落ち着け、こうすれば――」
 ぐい、っと剣を構えていた右手がヴェルムの方へ引っ張られた。
 続いて来たその感触に、ネリアは目を見開いた。
 人の肌を切り裂いた感触に。
「なっ」
 ネリアの虹色に輝くその件は、確かにヴェルムの心臓を貫いている。
「ほら、斬りつけるなり、微塵切りにするなり、好きにしろ」
 ヴェルムの言葉に、ついにネリアはキレた。
「うあああああああああああああ!!」
 縦横無尽に斬り続ける。
 なぜ心臓を貫いても、何をしても目の前の男は血しぶきを上げるだけで一歩も動かないのか。
 切り続けても斬り続けても、腕を飛ばそうとしても飛ばせず、首を斬ろうとしても切れず。
 魔法で焼き払っても全て魔力ごと魔法は吸収された。
 飛び散った鮮血でさえ、すぐさま消えうせる。
 ネリアがそれに気付いたのは、剣を振るう力もなくなるほどに全力を使い果たした時だった。
 息切れをして、どう、とベッドに倒れこんだネリアに、ヴェルムは淡々と告げる。
「お前が八年前の女だって、すぐ気付いたよ」
「はぁ、はぁ……だったら、私に、殺されてよ……」


「そうもいかない。というより、死ねないんだ。俺は」


 ヴェルムは淡々と、なんでもないことのように話を続ける。
「あの八年前の戦争の直前、ある愚かな一人の男を気にして、やんちゃな王女様が戦場まで来ちまっててな。気付いた時にはもう手遅れさ。戦争は始まってた」
「……」
 ヴェルムの後ろでココアが俯いている。
「そのまま逃がせればよかったんだが、王女様は余所行きの高貴な服を身に着けててな。身軽に走れないし、どうにもならなかった。こちらの手勢は僅か。相手は数えるのも億劫になるほどの大軍。勝敗は火を見るよりも明らかだった……。俺の仲間も王女様を守ろうと必死に戦ってくれたが、なにせ多勢に無勢だ。すぐさま俺の仲間たちはお前の軍勢に無残に殺されたよ」
「それとあなたのその力と何の関係があるっていうのよ……」
 ネリアはヴェルムの言葉と共にあの戦場の様子をもう一度思い出した。
 戦場に立っていたのは、男一人。あちらの軍勢も壊滅状態だったので、ヴェルムの言葉に間違いはないだろう。
「関係があるのはここからだ。一度、王女様が敵の手に落ちたんだ。もちろん、俺は助けようとしたが力及ばず、助けられなかった。無残にも王女様は相手の剣で貫かれ、絶命した。俺は、守れなかった」
「え……」
 ネリアは絶句する。それからヴェルムが奮戦し、あの惨い戦場へ変貌させたと思ったからだ。
 だが事実は違った。こちらの軍勢が王女を殺したなどにわかには信じられなかったが、ヴェルムの目はまっすぐにこちらを見てきていて、嘘を言っている風ではなかった。
「その後だ。急に俺の目の前が真っ白になって、奴が現れたのは。俺と奴のほかには何もない部屋で、奴は俺に言った。『世界の守護者』になれってな。そうすれば人の生死を超越した存在になり、王女も救えるぞってな。当然、承諾する他はなかった」
「それで守護者とやらになった訳? そんなバカみたいな話を……」
「信じるか信じないかはお前次第だ。なにせこの話をしたのはお前と、生き返らせた王女――ココア以外に居ないからな。証人がいないのも確かだが、切り付けられ続けても死なないこの体を見てくれればわかるだろ?」
 ネリアは再び絶句した。
 守護者。死んだ王女を生き返らせた、いろいろと信じられないことが多すぎるが、すべてがすべて事実だということは紛れもない真実だろうからだ。
 ココアが王女だという事実。なぜこんなところに居るのかは不明だが、ヴェルムがそこまでして助けた女と一緒にいるということは、きっと二人は愛し合っているのだろうとネリアは推測した。
「だから、俺は死ねない。それにココアにも言われたんだよ。――絶対に死ぬな、一人にしないで――ってな。お前が俺を憎むのは構わない。殺そうとするのも構わないが、死んでやることは絶対に、なにがあろうとも、絶対にできない。不死身じゃなくても、ココアと約束したからな。……っと、これじゃあ何の解決にもなってないか」
 ヴェルムは椅子に腰かけて途方に暮れた。
 身の上話を聞かせたところでネリアが自身に抱く暗い感情は消せない。自分の正義を行った結果だから、自分がどうこう言った所でネリアが憤慨するだけだとヴェルムは思う。
「ふふっ……ははは」
 ネリアは笑い始めた。
「お、おい、どうしたんだよ」
 ヴェルムが尋ねるがまだネリアは笑っている。
「ははははっ、それじゃあ何? 今まで私があなたを殺そうと修練を重ねてきたのは、すべてを捨ててここまで来たのは無駄だったってわけね? 滑稽じゃない……笑えるわね」
「罪を償うことはできないが……何かしてやることは「ご主人様。それは言ってはいけません」
 言いかけた事をココアに制止されて、ヴェルムはしまったと思う。恨んだ相手に情けをかけられるほど屈辱的なことはないと思ったからだ。
 しかし、ネリアは笑い続ける。やけになってしまったのかと心配したヴェルムだったが、ひとしきり笑った後、ネリアは鋭い目つきになり、ヴェルムをまっすぐに見据えた。
「ヴェルム。あなたに私は一生付きまとってやるわ。それが私にとっての最善だから」
「最善? 付きまとう!?」
「ええ。一生、ね。あなたと王女様を幸せになんてさせてやらない。それが私の唯一の気晴らしになるだろうから」
「いいですよ」
 即答でヴェルムではない声がネリアの言葉に答える。ココアだ。
「一生、あなたの命尽きるまで私たちと共に生きましょう。人生はながいです。とてつもなく長いです。一緒にご主人様に悪戯しながら、貴女が他の人生を見つけるまでともに過ごしましょう」
「ココア……!?」
「っと、いうわけで、これからずっとあなたに付きまとうから。暗い夜道は背後に気をつけなさいよ」
「はぁぁあああ!?」


 ヴェルムの叫びが、黒猫亭に木霊した。








「ふぁあああ……クソ太陽め、今日もまた上ってきやがったのか……」
 ヴェルムが窓の外の太陽に悪態をつくと、部屋の隅から声が聞こえた。
「朝っぱらからうるさいわね? 死んでくれない?」
「おい」
「シャワー浴びてくるから、コーヒー入れといてね」
「ちょっとまてネリア!」
「なによ?」
「なんでお前が俺の寝室にいるんだよっ、それにシャワー浴びてくるからコーヒー入れとけとかどういう神経をして……」
「いいの? 私、黒猫亭のお客様よ? ミルレイさんに言いつけるわ。あなたのところの従業員は接客態度がクズですね、って」
「それだけはやめてくれ」
「なら、よろしくね」
 そう言い放ち、ネリアはヴェルムの部屋を出る。
 ネリアが扉を閉め、部屋にはヴェルム一人、取り残された。
 あれから一か月。
 いままでネリアは付きまとうと言ってからずっと黒猫亭に居座っているのだが、ヴェルムの部屋まで来ることはなかった。
 どういう風の吹き回しだろうと思ったが、ネリアの中で何かが変わりでもしたのだろう、とヴェルムは早急に結論付けて、ベットを出た。
「おはようございます。ご主人様」
「なんでお前はいつも俺の予想外なところから出てくるんだよ!? ベットの下に潜り込んでんじゃねぇよっ、朝っぱらから心臓止まるかと思ったわっ!」
「本当ならベッドでご主人様の顔を胸にうずめたかったんですが、直前でネリアさんに止められましてね」
「なに刺激的なことやろうとしてんだ……というか、またその恰好かよ」
 ヴェルムはベッド下から出てきたココアを見やる。
 例の裸ワイシャツだった。
 今日はシャツの下には何もつけてないらしく、胸の頂点とか、細い足の間にある、ツルツルのソコとかがうっすらとワイシャツから透けて見えているのでとんでもなくいやらしい、というか艶めかしい。
「ネリアさんに先を越されないように、私なりに頑張ってみたんですけど、そう改まってまじまじと見られるとちょっと……ドン引きです」
「お前がやってるんだからな!? いやなら早く着替えやがれっ」
「着替える前に、ご主人様のいきり勃っている剛直を鎮めますね」
「おい、ちょ、そんな恰好で前かがみになって近寄るな、見えてる、見えてるって!」
「見えてるんじゃありません。魅せてるんです」
「誰がうまいこと言えと!」
 ついにココアはヴェルムをベッドの上まで押しやることに成功する。
「お、おい、いつもの冗談なんだよな? な?」
「いえ」
 ココアの様子がいつも以上におかしいことにヴェルムは気付いた。
 どうしたというのだろうか。ヴェルムにはまったく訳が分からなかった。
「どうしたんだよ……今日はやけに積極的じゃないか?」
「ご主人様……、ネリアさんのこと、気に病まないで下さい。全部私が悪いんですから、ご主人様は何も気にすることはないんですよ」
 仰向けになったヴェルムにココアが体を密着させるように、まるで愛する人にするかのように、やさしく抱擁する。
 ヴェルムはココアの言葉に、そういうことか、と納得する。
「ココア……俺は大丈夫だよ。ネリアのことも、あの八年前の戦場でお前を助けたことも後悔しちゃいない」
「本当に?」
 ココアが潤んだ目で自分を見てくるので、ヴェルムは言ってやる。
「本当だ。俺はココアが――好きだから。一緒に居て最高のパートナーと巡り合えたし、この日常をとても気に入ってるんだ」
「ご、ご主人様」
 とたんにココアの顔がリンゴのように真っ赤に染まった。
「ほら、下でネリアがコーヒーを待ってる。今日も忙しいぞ、ココア。……よろしく頼む」


 ヴェルムがココアの目を見つめ微笑んでやるとココアは


「はい、これからもずっと……よろしくお願いしますね」


 最高の笑顔で、そういった。

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