才能ゼロのサキュバスは世界最強の弟子となりやがて魔王となる

蒼凍 柊一

第一話 私は彼を見つけてパンと牛乳をあげた。

 真紅に染まる世界があった。


 魔族による攻撃で人間の都が地獄と化したのだ。
 だが幸いなことに、自分の探知した限りでは人間と魔族の全員が無傷。
 どうやら展開した結界がぎりぎりで彼らを守ったらしい。


 それでも自分の魔力にも底はある。強敵との連戦よってすでに消耗しきっていたので、目の前の敵――魔王との戦闘が魔導戦士として最後の仕事になるだろうと俺は腹を決めた。


【愚かな人間の戦士よ……。キサマの魔力はもうどこからも引き出せぬはずだ。……散れ、魔導も扱えぬ人間は滅びるべき運命なのだから】


 山のように大きな龍――魔王だ――が悠然と空中を移動し、俺の目の前で魔導を展開した。


 魔導陣から読み取れるそれは『灼熱の炎ヘル・フレイム』。魔族が扱う中でも最高峰の魔導だ。
 これが当たれば確実に死ぬ。
 すでに意識が遠のいていたが、俺は理想を思い描く。


 魔族、人間、どちらも種族としての違いはあれども、優しい心を持っているはずなのだ。
 こうして争っているのも、魔王が人間を攻撃してきたことが発端だ。
 だが、それに対して人の王も愚かだった。


 魔族を悪と罵り、魔族たちを殲滅しようとしたのだ。


「バカみたいな話だよなぁ……互いが互いを憎しみあって、大切なものを奪い合って……」


【それは、そちらが選んだのであろう。素直に隷属しておればこのようなことにならずに済んだものを】


 魔王が吐き捨てるように言った瞬間――死が俺の体を襲う。


 赤々と燃え上がり、地面すらをも溶解させていく。


 ――本当に、ああ、本当に。


「馬鹿みたいな話だよ」


 最後の魔導を発動させ、俺は魔王の炎を一瞬にしてかき消した。


【なんだと……!? キサマのどこにそんな魔力が!?】


 何が起こったのか理解できないはずだ。
 いや、魔導が無効化されたのは分かるか。


 答えてやる義理はない。最初から最後まで俺は奴の罠に嵌った訳だが、そのどれもが俺の魔導に届かなかっただけの話だ。
 それに、こいつは滅びるべき存在だ。
 他人を隷属させ物のように扱う世界など、俺の理想とは遠いものだから。


 誰もが笑顔で、平和に暮らせる世界。
 多少の不幸はあっても、理不尽に抗える世界。


 それが俺の求める世界だ。
 理想を叶えるためなら、俺は喜んで障害となる存在を滅ぼそう。


「これが仕上げだ――俺の描いた計画の礎となれ」


 突き出した右手に浮かび上がる魔導陣から漆黒が噴出し、魔王の体を包み込む。
 その魔導は『撃滅の輝ける闇アーク・ブラッド』。
 滅びの概念を相手に与え、その存在を構成している魂の元素オリジンと呼ばれているものごと消滅させる、禁忌の魔導。


【オノレ、オノレェェェエエエ!!】


 怨嗟の声を上げながら、魔王はこの世から完全に消え去った。










 ――――それから、八百年の歳月が過ぎた。










「腹減った……」


 まだまだ寒い春の初め。王都のセントラル通りの道端に一人の男が倒れていた。
 道行く人々はその男を一瞥して、すぐに見なかったふりをして通り過ぎていく。
 当たり前だろう。


 このご時世、行き倒れにパンを恵む危篤な奴は存在しない。居たとしたら頭のおかしい奴だけだ。
 そして王都で倒れている奴なんて碌な奴じゃない。
 冒険者になればいくらでも金は稼げるし、職に就こうとすれば斡旋所でいくらでも宛てがあるからだ。
 働けないというより、自ら働かないことを選ぶ変人。そう世間からは見られてしまう。


「クソが……どうして働かせてくれねぇんだよ……」


 しかし男の場合、少々事情が特殊だった。


 まず男の名前だ。――その名も、グレン・ラヴォスチナ。


 世界に轟く最強の魔導戦士の名前だ。
 グレンの名は世界的に有名、尚且つ神話上の伝統的名前の為、一般市民から貴族に至るまでその名を使うのを禁じているのだ。子供にその名をつけた場合、不敬として重罪になる。親も子も。
 なので、虚偽の記載が許されぬ冒険者ギルドと斡旋所の書類にこの名前があると、まず偽名だと疑われ、身元を調べられる。


 だが、グレンはグレンでしかないしそれ以上でもそれ以下でもない。親も数百年前に他界しているため記録になければ子もいないため、何も出てこない。
 よって彼の家柄や身元を調べても過去の功績による秘匿事項が多すぎて一般では参照できず、結果的に浮浪者という扱いになる。
 こうなると斡旋所はまず職を斡旋してくれない。身元がはっきりしていないものは、安易にその国で働かせてはいけないからだ。
 しかし、身元がしっかりしていなくても入れる冒険者ギルドはまだ救いがある――と見せかけてやはりだめだ。


 魔力を測定されてしまうのだ。


 冒険者とは、市民の依頼から国の重鎮である貴族の依頼まで幅広く取り扱っている。当然、その中には腕っぷしが必要なものや、魔法が必須条件になっているものがあるため、魔力がないものはお断りなのだ。


 グレン・ラヴォスチナという人物自体の魔力は――ゼロ。


 よって、冒険者にもなれない。そもそも、この国を徒歩で抜けるにしても身分がなければ出国できないため、ほかの国にも行けない。
 お得意の魔法で検問を突破しようとするのはプライドが許さない。やるくらいだったら死を選ぶ。


 その最後の大きなほこりのように小さいプライドの為、グレンは今餓死寸前な訳だ。


 ぐぎゅるるる、と情けなくなるほど大きな腹の虫が鳴く。
 目がかすみ、意識が朦朧としてきた。
 ここで死ぬのか。


 情けなくなるほどだが、プライドを捨てるほどの苦しみではない。
 グレンはここで野垂れ死ぬことを腹に決め、目を閉じた。


 気が遠くなるほどの時が過ぎて朽ちぬこの体。
 昔とった杵柄だ。
 だが、腹が減るのはどんな魔法でも魔導でも止めることはできない。
 自然の摂理というやつだ。


 ――そんな時、天使が舞い降りた。


 正確には魔族っぽい反応だったのだが、今のグレンにとっては天使にしか見えなかった。
 白銀の滑らかな髪の毛。整った顔立ち、少女然としながらも豊満な色っぽい肢体。
 そして、差し出されたパンと瓶に入った牛乳。


 そこで一度グレンは冷静になった。


(俺を憐れみに来た性格の悪いお嬢様かもしれない。誰かに嘲笑われるくらいなら、このまま死ぬ!)


 人を信じ切れぬ男の潔い決断だった。


「……食べて」


 よし、の合図を出された犬のごとくグレンはパンに噛り付いた。
 なんとも情けない姿だったと思うが、少女の目には哀れみではなくなにか静かな炎が揺らめいている気がした。


 だが今はそんなことは関係ない。 
 グレンの今すべきことは、この至高のパンと牛乳を腹に入れることだ。


「ぐぇほ、げぇぼ!! ぱ、パンが気管支にぃぃぃ!」


 焦って食べたからか盛大にせき込む。しかし意地でもパンは口から吐き出さなかった。
 せき込みながらも牛乳でパンを流し込む。
 涙が止まらないが、それでもグレンはパンと牛乳を完食したのだった。


 そして一呼吸付き、改めて命の恩人である(発狂しているかクソがつくほどの変人であると推測される)少女へ向き直る。


 言葉を失った。
 あまりの美しさにグレンは見とれてしまったのだ。
 数百年生きてきてこれほどまでに好みの女性に出会うことはなかった。生まれてはじめてグレンは『女子を見て恋愛感情を抱く』という異質な事態に直面していた。


 ついには、


「ありがとう麗しき人。お礼にあなたの望みをなんでも叶えて差し上げよう」


 というベタ中のベタ、悪く言えば変人みたいな返しをしてしまった。
 しかもそれが『誓約』の魔導を帯びている事からして、グレンも相当に動揺してしまっていた。


 だが彼女はもっと驚いていた。
 信じられないといった様子だったが、数秒固まった後、迷いのない瞳でグレンに告げる。
 しっかりと『誓約』の魔導に沿う形での完璧な回答を口にしたのだ。


「私、シオン・グレイスは魔導戦士になることを望みます」


『誓約が受理されました。シオン・グレイスが魔導戦士になれなかった。または、魔導戦士になれないことが確定した場合、魔導の使用者グレン・ラヴォスチナは絶命します』


 これが――サキュバスでもあり、魔導戦士に必要な才能である魔力と魔導の適正ゼロの少女との出会いだった。


 そして同時に、グレンの運命が大きく動き出した瞬間でもあった。

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