オルフェウスとエウリュディケが機械人形であっても

綾崎真澄

 昨日任務で来た時とは違い、昼間なので移民街は人が多く活気で溢れている。オルフェは入り口である門を抜けると、市場で買い物をしている様々な人の群れが目に入った。子どもから老人、白人から黒人まで年齢や容姿が様々だ。
 オルフェは普段と違って、どこから探そうか迷っていた。いつもならセオリー通り動くのが当たり前だが、今回だけは違った。もちろん任務として冷静な行動を取っているはずなのだが、今この様子を見ている読者の目からは、早く見つけようと焦っているように見える。そう、早く見つけないと、永遠に彼女には会うことが出来なくなるのではないかと思うほどに……
 オルフェは市場を走り回った。人込みを掻き分け人とぶつかりながら、ただただ必死に。だが、見つけられない。漂う温かい香りに身を包まれながらも、なぜか周囲が冷たいように見える。移民街は晴れ。しかしオルフェの視界からは、暗く雨が降っている光景が見えていた。ここに彼女はいない。そう判断すると、暗い場所に引きずり込まれるかのように、移民街の奥へと入り込んでいった。
 移民街の暗い部分へと足を踏み入れると、前にも通ったことのある場所が目に入る。煤で汚れた大きな共同住宅が並ぶ路地を進むにつれて、この前の任務の記憶が蘇る。屋根から屋根へと跳び移りながら、徐々に犯人を追い詰めていったあの夜のことを……
 オルフェは戦闘や追跡を除いて、素早く動くことはほとんどない。普段は速歩きはせずに、歩調を変えずゆっくりと歩くことばかりだった。それもただ単にゆっくりと歩くわけではなく、人と同じようなごく自然の歩き方を心掛けていた。
 でも今回は違って移民街の市場と同様に、いつもより歩くスピードが速くなっていた。
 路地がどんどん狭くっていき、さらにそれを進んでいくと、昨日の事件現場へと辿り着いた。血痕がほとんど残っていない。昨日と変わることなく大量のごみ袋が置かれて、辺りの臭気がかなり酷いこととなっている。アンドロイドでもなければ、とても耐えられるものではないだろう。オルフェはこの場所を冷静な様子で見ていた。
 少しの間この場所の辺りを眺めていると、突然後ろから光が射し込んできた。まるで長い冬が終わって、ようやく訪れた春の始まりのような暖かな光だ。この微かな温もりが、オルフェにはどこか懐かしく感じられた。しかし何がそんなに懐かしいのかは、オルフェには分からない。だが、意識の隙間に入り込む断片的な映像を見る度に、オルフェにしては説得力に欠けるような確信に似たものが生まれた。「もしかしたら、これが郷愁というものなのか?」そうやって自分の体内にある人工知能が自問自答しながら、この場所を離れて光が流れ込んでくるその先へと向かった。
 先へ進み始めると、段々光が薄れていく。しかし、チェスターとの会話の中で出てきた女性のこと以外全く手がかりがないため、直感的にこの僅かな光の筋を辿るより他なかったようだ。この光が彼女の道しるべとなる根拠は無いのだが、それでもこの光の筋に縋るかのように、移民街のどこかにいる、若しくはいたという痕跡を掴もうと、歩くスピードをさらに早める。
 オルフェが任務で移民街に来たのは、これで3回目だ。地図や何かデータを渡されることもなかったため、この場所の地理にはどうしても疎くなる。だからこそ、今まで自分の通った道筋を繋ぎ合わせ、分析をおこない、人工知能の中に組み込まれている記録ファイルの領域に保存することによって対処していた。
 右の角、そして左の角を曲がったりしていき、気が付けば、一度も通ったことのない道を歩いていた。道はさらに狭くなり、周囲が暗くなった。しかし、このおかげで薄れた光の輪郭がはっきりと蘇り、一本の細い道筋を示してくれた。
 オルフェは迷うことなく足を進める。大きな住居と住居の間を通る細い光の道筋。決して強い光ではないが、迷える者を誘うようなこの独特の暖かさは、少しでも良心のある人であれば、とても居心地の良いものに感じられるだろう。この光に導かれるがままに歩いたおかげか、ようやく路地の出口付近へと辿り着いたみたいだ。視界から見える100メートル先には、昼間の太陽のような輝きが満ち溢れている。
 しかし、この輝きを見た直後、オルフェの視界には運転中に見た夢のような映像が広がっていた。画像が乱れノイズ交じりのこの映像を見ていると、まるで大切な思い出を詰め込んだ古いビデオを見ているかのようだ。はっきりとは見えない。そして、思い出せない。でも、確かに知っている。まだ顔も思い出せない親しい誰かが手を差し伸べてくれる、そんな光景を……
 オルフェは右手を伸ばして、現実には存在しないその手を掴もうとした。そして、お互いの手が触れた瞬間、思いもよらぬことが起こったのだ。この時、互いの手が触れた感触が、本物のものと変わりがなかったからだ。たとえこれが幻だったとしても、手と手が触れ合った確かな温もりを感じた後、お互いの手が擦り抜けた瞬間、顔のはっきりと見えない誰かの微笑みを確かに感じたのだ。そして、現実世界へと視界が開けていった。
 光の霧を潜り抜けた先に見えたのは、大きな広場だった。この広場は移民街のどの場所とも異なり、とても清浄だ。石材で造られた地面の他、土に根を生やした緑でいっぱいだった。辺り一面地球に生息する高山植物で覆われ、所々に小さな花を咲かせている。正確には自然公園、いや庭園と言ったほうが良いのかもしれない。このアストロメリアのような衛星国家で暮らす者たちにとっては、とても目にすることができない場所だろう。人工美や退廃的な街並みが日常の者にとっては、ここはまさに非日常。感受性豊かな者なら、必ず感動するだろう美しい光景だ。
 オルフェはゆっくりと足を踏み入れる。そして、歩きながら周囲を確認する。ぱっと見回したところ、人の気配は無い。汚れた街の片隅に存在する小さな桃源郷に、オルフェは優しく向かい入れられた。
 先を進んでいくと、薄い霧の向こうにある大きな影が見えた。その存在を確かめようと歩み寄ると、天まで聳えるかと思うほどの大木が姿を現した。この大木は広場のちょうど中心に位置していて、まさにこの場所のシンボル的な役割となっている。地球時代の資料にあるような、太古から存在する壮大な外観だ。生気に満ち溢れ、ブナ科に似た葉を生やして、天まで緑を届かせるかのように思えた。
 オルフェは大きな1つの命を見上げた。オルフェのこの時の様子は、自分がこれから歩いていく道筋とその結末を確かめるかのようだった。
 しかし見上げてから数秒後、また幻覚に襲われた。辺りの景色が歪んで、いろんな色の混ざったサイケデリックな空間へと変わる。そして再び、顔の見えない誰かが目の前に現れた。それから周りの空間が膨張して収縮すると同時に、オルフェの身体から心臓の鼓動のような音が3回響き渡ると、現実世界へと戻った。
 幻の光景が目の前から消えた瞬間、オルフェは気配を感じた。大木の真下に視線を移すと、そこには探し求めていたガイノイドの姿があった。黒のワンピース姿と同じく黒のロングヘアーが、この広場一面に自然な形で溶け込んでいる。しかしそれとは反対に、ブルーグレーの瞳からは不自然なほど翳りのある鋭い輝きを解き放っていた。
 オルフェが視線を向けた時には、ガイノイドのほうもオルフェの存在に気付いたようだった。そう、お互い見つめ合っていた。近づくことも遠ざかることもなく、とても真剣に。
 オルフェは目が合った瞬間、自分の身体の中から強い鼓動を確かに感じた。そして、この時こう思ったのだ。
「知っている……なぜかは分からない。でも、確かに彼女を知っている……君は誰だ?」

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