オルフェウスとエウリュディケが機械人形であっても

綾崎真澄

 西暦2504年、アストロメリア(火星と木星の間のアステロイド・ベルト付近の衛星国家)の移民街で事件が発生した。レンガ造りの大きな建物が並ぶ路地裏の一番奥で、若い男の死体が発見された。身体のあちこちに打撲の痕があり、紫に変色している。いろいろ暴行を加えられた後に、頭に一発銃弾を撃ち込まれたようだ。ちょうどごみ袋の山の上に捨てられていたので、辺りの臭気がかなり酷くなっている。
 死体を調べた結果、国家警察の諜報部の確認によって、この男がある秘密結社を調べていた潜入捜査官であることが分かった。しかし顔バレを防ぐため、他の衛星国家から来た移民がいざこざに巻き込まれて殺されたという情報をメディアに流した。
 この事件に関して、諜報部は刑事部に捜査権を一時的に譲ることになる。犯人逮捕、あるいは射殺した後、その身柄を諜報部に引き渡すことが上層部の意向で決まった。
 刑事部所属の警官たちが次々と現場に到着した。藍色の制服を着た男たちが現場を取り囲む姿は、移民街に物々しい印象を与える。しかし、軍が事件に介入する時ほどではなかった。捜査に軍の人間までが加わると、テロの可能性があると国民に示唆してしまうので、皆がとても不安がってしまう。上層部も軍にテロの可能性がないと捜査前に伝えて、介入を未然に防いでいた。
 移民街は他の地区と異なり、防犯カメラの数が少ない。確かに犯人の姿を捉えたカメラが1つあったが、犯人がフードで顔を隠していたため、映像を確認していた警官たちは苦い顔をするしかなかった。
 警官たちが現場周辺で聞き込みをしている間に、犯人は黒のフード付きマントを焼却炉に脱ぎ捨てて、隣の地区との出入り口付近まで近づいていた。
 煤で汚れた大きな共同住宅の間の狭い道を進んでいくにつれて、出口の姿がはっきりと見えてきた。チャイナタウンならどこにでもありそうな市場の中心にある門が目に入ると、犯人は安心したのかニヤッとした。黒の短髪で顎髭を生やしたこのラテン系の男の外見は、まるで映画に出てくる麻薬密売人そのものだ。
 男の歩くスピードがだんだん速くなってきた。早く移民街を抜けたいためなのか、焦る気持ちが呼吸となって表れていた。歩みを進めるごとに、息が荒くなり手の震えが酷くなっていた。それでも恐怖に抗うかのように確実に進んでいって、共同住宅の小道を抜ける50メートル手前まで来ていた。
 しかし行く手を阻むかのように、屋根から何者かが飛び降りてきた。犯人は立ち止まり身構えると、首筋に汗を流しながら自分の行く手を阻むものが何者なのか確認する。犯人の目には、黒の戦闘服を着た男の姿が映っていた。短距離走のスタート時のような体勢から顔を上げて、そしてゆっくりと立ち上がった。後ろに流した艶のある黒髪、彫の深いマスク、太く切れ長な眉、そしてブルーグレーの瞳。翳りのある若い美男子が表情を全く変えることなく、犯人に目を向けた。
 犯人はこの得体のしれない翳のある視線が自分へと向けられた瞬間、汗の出る量が酷くなった。心拍数が上がり呼吸がさらに荒くなって、辺りに修羅場の空気を漂わせる。
 しかし犯人の目の前にいるこの男は、全く表情を変えない。感情を一切表に出すことなく、冷めた目でこちらに近づいてくる。
 犯人は震える手で旧式のオートマチックを構えると、慌てて標的に銃弾を放った。しかし、男は素早く横に避けて弾を躱した。無駄のない最小限の動きを見たためか、犯人の呼吸がさらに乱れて、黒のTシャツとチノパンが汗でびっしょりと濡れている。それとは反対に男は顔色を変えず、次の弾丸が放たれるタイミングに合わせて突っ込んできた。
 犯人が撃ってくると、男は避けようともしなかった。左手を盾代わりにして防ぐと、一気に間合いを詰めた。犯人はこの瞬間、本能的に気づいた。目の前にいるこの男が人間でないことを。最悪のイメージが脳裏を過ぎった瞬間、見事な回し蹴りが頭に決まって、犯人は大の字になって倒れた。
 痛みは特に感じなかった。意識がだんだんと薄らいでいく間、はっきりと覚えているのはこの感覚だけだった。自分を見下ろす凛とした瞳。感情なんてものは一切持ち合わせていないだろうと心の中で思いながら、意識が遠くに消えていった。
 犯人が気絶してから数分後、身柄を確保したという情報が入って、警官たちは犯人が倒れている場所へと向かった。警官たちが駆け付けると、倒れている犯人のそばに黒の戦闘服を着た男がいるのが目に入る。男は警官たちに気づくと、ゆっくりと近づいてきた。現場の指揮をしている私服刑事が、近づいてくるこの男に歩み寄る。
「オルフェ、おまえがやったのか?」
「えぇ、でも気絶しているだけですから、心配はいりません。」
「分かった。次の任務があるまで本部で待機していろ。」
「分かりました。」
 オルフェは犯人の逃走経路と捕獲方法を報告すると、ゆっくりと現場を離れ始めた。私服刑事がオルフェの後姿を見ると、左手に穴が開いているのが目に入る。しかし血が流れた痕跡はなく、小さな穴から微かに鉄の骨が見えていた。
 現場を検証している若い警官2人が、オルフェの姿を見て愚痴をこぼした。
「本当に嫌になるよな。俺たちに犯人を捕まえさせるくせに、それを横取りしやがるんだよな。諜報部の人間は。」
「あぁ、まったくだ。嫌な仕事や尻拭いは全部押し付けて、手柄だけ奪いやがるんだ。やってらんねぇよ!」
「まぁ、それがエリートの特権なのかもな。でも、ムカつくって言えばアイツもだよな。オルフェって言ったけ、澄ました顔しやがって!」
「ホントにムカつくぜ。良いところ全部取りやがって、機械人形の分際で!」
 オルフェは自分について言われていることに気づいていた。しかし感情的にならず、ゆっくりとした歩調で国家警察本部へと向かっていった。

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