異世界にいったったwwwww
三十三
そこは瀟洒な邸だった――。
ガーナッシュ公の館は代々改築し、今では有数の敷地面積を誇るバザールの名物ともいえる場所になった。ウールド・ガーナッシュは数えて四代目となる後継である。
彼の妻、ノーズリは陽気とか朗らかという属性にあり、打算と裏切りが横行している世界に身を置くウールドからすれば頭を使わずに気楽に会話できる得がたい人物となっていた。
「ねぇ、もうすぐ菖蒲とか、あっ、そこ、薊もわたしと庭師が育てたんですよ。剪定も大変で……」
「はぁ……」曖昧に真希は頷き、馬車の窓から見える巨大な庭を眺める。
彼女たちは、バザールの街角から手近に停めていた馬車に乗り邸に向かった。御者は途中増えた真希たちを怪しげに何度か窺った。その度、ノーズリ夫人が「悪い人たちではありません」と言い添える。
「はい、奥様。」
長い付き合いのために、実は詐欺師や浮浪者などもノーズリ夫人が何度も邸に迎えようとした経緯があるために御者も不審がる癖をつけた。女中たちは、四席のうちの真希とノーズリの隣ですました顔で座している。
……馬に乗ったり徒歩よりはマシだけど、自動車の乗り心地には劣る、と不遜な考えを真希はしていた。
香櫨の匂いが染みている座席や窓のカーテンなどを真希は身を縮めるように感じた。すっかり貧乏性と長い付き合いの彼女は住む世界の違いに憧れより不思議な窮屈さを覚えた。
二
「さぁ、つきましたよ」
ノーズリは邸の正面門を抜けて庇のある玄関に真希とアーノを招いた。アーノは早く地面に降りたい様子で真希が嗜めるのにも関わらず腕を逃れて暴れ、泣き出す。
「あっ、ちょっと待ってください。」
真希は会釈を玄関の執事と女中たちにやった。
「いいえ、お気になさらず。」柔和な笑みでノーズリ夫人は再び階段を降りて、真希の傍らまでやってきた。
しばし、その優しげな視線を、アーノと格闘する真希に向けた。
「……あ、えっと、あ。すぐ行きます。」
ようやく落ち着いたアーノを抱え、真希はノーズリ夫人に礼を言う。
と、その瞬間、ノーズリ夫人の目元はなぜか悲しげな顔で翳っていた。真希は「あ、あの?」と言いかけてやめた。
「あ、すいません。ぼーっとしてました。よく主人にも怒られますの。すいませんね」
「い、いえ。こちらこそ」
真希は口元で微笑を浮かべ、怪訝な思いで夫人の手招きする後を追う。
両側には丸く剪定さた生垣が緑に茂っている。その後ろには広大に広がる庭が整然と並んでいた。舗装された玄関まで続く道を歩いた。
あと数刻で、夕方になる。
三
あの、逃げてきて、みんなで一息ついたあの屋敷だ。あの時は疲れてて何かに気を遣う事なんてできなかった。生きること以外にどうしても気が回らなかったんだ。みんな、誰がいて、誰がいないのか、
――ねぇ、エイフラム。今どうしてる? 私は多分元気。
邸の長く接続された回廊を案内されながら、真希はふと窓枠の向こう側、霊峰の連なる山脈の景色に思いを馳せた。そこには、恐らくあの離別して以来の〝あの男”がいるのだろうか。
だが、彼女は壮一に聞いたことがある。
『登山ってのはよ、今でこそインフラ装備も万全でスポーツの一種になったようなもんさ。だが、それでも死亡率は高い。でもよ、当時のなにもない人間だとどうだ? そうだ、生きるか死ぬかが比喩じゃないんだ。だから、エイフラムさんは……そう思ったほうがいい』
一度だけ、酒に酔った父が、窓を眺めていた真希にそう伝えた。しかし、その父もまた、真希にいうというより呟くというほうが適切だった気がする。
……ともかく、真希はそれ以後、父の言葉が胸をよぎった。
「真希さんとアーノちゃんも、よければ今夜泊まってゆかれない?」
先を歩いていたノーズリは振り返り、提案した。
「えっ、どうですかね。父に伝えないと……私は全然問題ないです。」
「あら、そう。ご家族がいらっしゃるなら無理強いできないわね。ええ、そう。なら、時間になったら馬車でお宅まで送迎させますから、是非ご夕食は一緒にいかが?」
「よろしいんですか?」
「ええ、無論ですよ。」
真希は正直にいえば、アーノの離乳食となる粥ばかりを取り分けて食べていた。心労もあったため、別にそれでもよかったのだが、さすがに今日は晴れやか気持ちで、なにか別な食べ物が欲しかった。
肉でもなんでもいい。とにかく、食べたい。空腹がその途端にやってきた。楽しいとお腹がすく。まったく人間の胃袋の図太さには参る。
ぐぅーっ。
「あら、では急ぎましょうか?」
「……はい。すいません。お願いします」情けなさそうに、同意して真希はノーズリ夫人から視線をそらす。
「キャッ、ウッ、キャッ、うっー」
面白いとでも言いたげに、胸元のアーノが小さな手を叩いて、足を動かす。
「えー、ひどい」
腕の人間に文句をいう。
すると、
「ふふっ、あっ、ごめんなさいね」
傍の彼女がそう応じた。
夫人は笑いながら、目端の涙を拭う。それは笑いだけの涙でなく、どこか別の印象を受ける涙だった。
「食堂に向かいましょうね」
「はい」
四
「あれ? お父さんどうしてここに? それに皆も!?」
「ん? 真希か。一緒にメシ食べるか?」
鳥の丸焼きの腿部分を頬張りながら、父はいう。
真希は我ながら、なんという図太い父の娘なのだろうと漫然と感じた。
学校の教室が二つも三つも集合したような食堂の大きな卓で、ザル、モグラ、壮一、そして当然グリアとウールドなど一〇名近くの男たちが飲み食いしていた。
「あら? 貴方おかえりでしたの?」
夫人は葡萄酒に口をつけ、グリアと談笑している夫に声をやった。
夫はグリアとの会話を一旦とめて、
「ん? ああ、そうそう、帰ったぞ、ノーズリ。実は込み入った事情で今日から屋敷が昼夜騒がしくなるぞ。いいか?」
「ええ、それは構いません。ですが――いえ、ご一緒しても?」
ウールドは満面の笑みで、
「どうぞ、お嬢様」
と、皮肉っぽい口をきいた。夫人は「あらっ」とワザと不機嫌な眉をつくる。一同も声を揃えてわらった。真希は、二人の関係が羨ましく思えた。
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