サキュバスは、性犯罪を減少させる

ウロノロムロ

あたしの契約者になってもらえないかい?

案の定、人狼が関与する誘拐事件に巻き込まれたアイリンは、その後警察と移民局に何度も呼び出され、参考人として事情聴取を受けた。


その後しばらくして再び移民局に呼び出されるアイリン。


「もちろんサキュバスのみなさんが、性犯罪の未然防止にご尽力いただいていることは、我々も知っています」


最初に話はじめたのは移民局の新米担当官である守屋もりや慎之介しんのすけ。年の頃は二十台前半、まだ大学を卒業したばかりの新卒のように見える。守屋がこうした場に参加するのは今日がはじめてのことだ。


もう一人はいつもの担当官である菅谷すがや謙三。白髪混じりの五十歳前後と思われる男性で、アイリンはこの狸親父たぬきおやじに若干苦手意識を持っている。


「今回は調査協力のお願いということになりますので、リラックスしてお話が出来ればと思っております。」




結局、女子高生誘拐事件に関与した人狼は、アイリンが想像した通り、移民がはじまる以前からこの国に密入国していた不法滞在者であると判明。


密入国後、その腕力の強さを認められ裏稼業の人間達に雇われて用心棒的な仕事をしていたらしい。


人間を喰ったかどうかに関しては、現在まだ調査中ということになっている。アイリンはあの人狼がおそらくこちらの人間を喰ったことがあると推測していたが、政府としてもそれが公表されれば世論が騒ぎ立て、責任問題にもなり兼ねないことは明白、従っておそらくはこのまま闇に葬られることになるだろう。


あの人狼は捜査が終われば即刻異世界に強制送還されることになる。とは言っても故郷の異世界ももうじき消滅することが避けられない運命にあるのだから、そこに返されたところでそれは死刑宣告も当然。そういう意味ではいくらこちらで罪を犯した人狼であれ、アイリンは同情せざるを得ない。




担当官の話によれば、今回のような密入国者は多数確認されているが、実際のところ政府でもその正式な数は把握出来ていないと言う。


そして今回の活躍を評価した移民局が、密入国者捜査への協力を正式にアイリンに要請したいというのが話の本題であった。
もちろん相応の報酬も出され、安定した生活が保証されることになるが、と同時にそれはアイリンに天下の公僕の犬になれと言っているにも等しい。


「悪いんだけどね、今回の話はお断りさせてもらうよ」


誇り高きサキュバスであるアイリンからすれば、そもそも気分がいい話ではない。


「あたしは、故郷の仲間を売るような真似はしたくないんでね」


「しかしですね……」


何か言おうとした守屋を菅谷が制し遮る。


「まぁまぁ、アイリンさん。
こちらの世界の童話にですね、哺乳類と鳥類が総出で戦争をすることになった時に、両方に仲間だと言ってどちらにもいい顔をしていた蝙蝠の話がありましてね」


この回りくどい感じがどうもアイリンには性に合わない。


「あたしにその蝙蝠になれと?」


「いえいえ、その蝙蝠は結局どちらからも裏切り者扱いされてしまうんですがね。むしろあなた方もどちら側なのか最初から立場をハッキリさせておいた方がいいのではないかと言いたいのですよ」


ワザとこちらのミスリードを誘うような話術、やはりアイリンはこの狸親父が好きになれそうもない。


「なるほどね、片方は切れと言うことかい?」


「こちらの世界で生きて行くのなら、それもまた必要ではないかと」


人狼と同じくアイリン達サキュバスにはもう帰る故郷はない。そういう意味ではこれは半ば脅しのようなものでもある。


「今回のような凶悪犯罪であれば、その時は喜んで協力させてもらうけどね」


アイリン個人の流儀や面子めんつはあるが、一方で一族を代表しているという立場もある。迂闊に喧嘩を売れば一族を路頭に迷わすかもしれない。


『これだから厄介事に巻き込まれるのは御免なんだよ』


伝説級のサキュバスアイリンと言えど、公式の場ではそれなりに立場が弱い移民者の苦渋を味わされることもある。
とりあえず今回は自らのスタンスを貫いたアイリンだが。


-


移民局での話が終わり、守屋がアイリンをエントランスまで見送りに行こうとした際、アイリンは人通りのない階段で突如守屋に詰め寄り、壁ドンして言い寄った。


「あんた、あたしの契約者パートナーになってもらえないかい?」


レジェンド級サキュバスに詰め寄られ迫られた守屋。
透き通るような美しい白い肌、輝きを放つ金色の髪、妖艶でありながら美しい気品あふれるオーラをまとった姿。甘くせつないような声、距離が近いからこそわかるその甘美な匂い。そして、触れるか触れないかのぎりぎりのところで伝わってくる相手のぬくもり。
目の前の女に視覚、嗅覚、聴覚、体温のすべてを奪われるような感覚に守屋は陥る。


こちらの人間相手に魅了や誘惑の術は使わないと決めていたアイリンだが、それでも存在そのものが男を魅了せずにはいられない。


「はぁ、パートナーですか?」


アイリンが言うパートナーの意味がよくわからない守屋は、必死に正常を装いながら問う。


「こちらの世界で言う、情夫とかイロとか愛人とかセックスフレンドって意味さね」


ストレートな説明に面食らう守屋。


「えっ!? いや、それは……」


守屋の心臓の鼓動が加速する。


「あんたをさっき一目見た時から、この世界であたしの契約者パートナーはあんたしかいないって決めちまったのさ」


そう、アイリンは守屋にすっかり一目惚れをしてしまっていた。こちらの世界に来てから禁欲生活を送っていたとは言え元々はサキュバス、惚れた男には積極的にもなるし、多少強引なこともする。


「いえ、そんな自分なんてまだまだで、全然ダメですし」


すっかりのぼせ上がって思考停止寸前の守屋。


「そんなこと言って自分を下げるもんじゃあないよ。
あんたの魂は立派なもんだよ。
あたし達の世界なら英雄とか勇者が持つような魂をしてるよ」


体が熱く高揚し、興奮しているのが守屋自身にもわかる。


「いいじゃあないか、あたしはこれでも本気なんだよ?」


心臓の鼓動は激しく乱れ、口の中がからからに乾き、脳が痺れたような感覚に陥る守屋。


「いや、自分はまだそういうことを女性とは……」


女性に対して自信を持てない守屋は、伏し目がちに言いづらそうに言葉を濁す。


「あぁ、わかってるから、みなまで言うなってことよ。
そんな最も知られたくないような個人情報を本能的な嗅覚でわかっちまって申し訳ないんだけどね」


「そんなのは気にすることじゃないよ。
むしろ童貞喪失の相手が最高位レベルのサキュバスなんて、男冥利に尽きるってもんだろ?」


守屋の最も知られなくない個人情報をさりげなくバラすアイリン。


「それともあんたはサキュバスじゃ嫌かい?そんな差別主義者なのかい?
それとも自分なんかにあなたのような方はもったいないとか心にもないこと言って、また自分を下げるのかい?」


口説き文句を聞き続けているだけで、まるで催眠術にでもかけられているかのように思考が出来なくなっていく。


「あ、病気なら心配要らないよ。
あたし達はこの世界の人間の肉体とは違って、魂が具現化して肉体化したものだからね。
簡単に言うとこっちの人間が言う病気やウィルスにはかからない、無縁てことさね」


ここで言う病気とは性病のことだが、こちらの人間と全く同じ人型ではあるが、肉体を構成している要素が全く異なっているサキュバスに性病は有り得ないということらしい。


それから五分以上、アイリンの熱烈なアピールが続くが、守屋には刺激が強過ぎたのか完全に思考停止状態。


「さあ、あんたはこれからどう答えるんだい?
断るにしても、男の格ってもんがあるだろ?
相手の女性を傷つけないようにとか、自分を下げないような断り方がさ」


ここまで思考停止状態で、ずっと言葉を濁し続けていた守屋だが、アイリンの熱意を感じたのか、誠実に応えなければと思い真剣に返答する。


「自分はただ相手が誰であれ、そういうことは大事にしたいなと……童貞も自分の生き方ですから、童貞も大事にしなくてはと」


一瞬の静寂。


「あはははっ!」


普段はクールでほとんど笑うことがないアイリンが、珍しく大声を出して笑う。
その反応に若干ムッとする守屋。


「いや、すまないねぇ、
ちゃんと真面目に答えてくれたのに本当に申し訳ない。
別にあんたの童貞を馬鹿にしてるわけじゃあないんだよ。
ちょっと予想の斜め上過ぎてついね」


つい笑ってしまったことへの詫びを何度も繰り返す。


「でも、ますますあんたを気に入ったよ、あたしは」


「童貞を大事にしたいって理由で、サキュバスの誘いを断った人間ははじめてだよ。
あたしも相当長いことサキュバスやってるんだけどねぇ、あたしもまだまだってことだね」


そう言ったかと思うと突然、息が掛かるくらいに守屋の顔に顔を近づけるアイリン。守屋の心臓は止まりそうになる。


「これからはあんたのことをしんさんと呼ばせておくれよ。それぐらいはいいだろ?」


アイリンに耳元で甘くせつないような声でそう囁かれた守屋は思考停止、頭が完全にパンクする。


-


後日、守屋はアイリンとリリアンがたむろする喫茶店『カミスギ』を訪れる。
もちろん童貞喪失を決意、覚悟を決めた訳ではない。


「慎さん!
会いに来てくれると思っていたよ!
ようやくあたしと契約してくれる気になったのかい?」


抱き着こうとするアイリンを守屋は両手を広げ前に出して制する。抱き着かれてしまってはまた思考停止しかねない。


「い、いや、そうではなくてですね……」


ちょうど店にいたリリアンは、アイリンが惚れた男に興味津々の様子。普段クールに気だるそうにしいているアイリンが、これだけ可愛らしくはしゃぐところをリリアンはかって見たことがなく、それだけでも目が離せないというもの。




「今日は改めてお願いにまいりました」


席に着きアイスコーヒーを飲んで、ひと息つくと守屋は改めて本題に入る。


「移民局からの半強制的な依頼ということではなく、自分の友人として、情報提供レベルで構いませんので、今後もご協力をお願い出来ないかと」


「惚れた女の弱みに付け込もうって作戦だね、やるじゃあないか、慎さん」


「いえ、全然そういうつもりはないんですが……」


「じゃぁなんでもう一度お願いしに来ようと思ったんだい?
やっぱりあたしのことが気になったんじゃあないのかい?」


「いえ、そういう訳でもないのですが……」


「あの後、アイリンさんに関する調査書や報告書を読んだのですが、こちらの人間のことをよく理解しようとしてくださっているのが感じられて……とても誠実な信頼出来る方だと思いました」


真顔で守屋を見つめるアイリン、初めて守屋に会った時と同じように魂の共鳴を感じている。


これまでの自分の言動や行動をちゃんと理解してくれているこちらの人間がいるとは全く思っていなかったアイリンからすれば、やはり運命的な相手に間違いないとも思えた。


「そうかい、やっぱりあんたとあたしは魂が魅かれ合う者同士ってことかね……
わかったよ。
でも、いくら慎さんの頼みでも、あたしにも曲げられない流儀ってのはあるからね。協力するしないは毎回話の内容を聞いた上で決めさせてもうらうよ」


「もちろんです。」


「じゃぁ、慎さんの女として、協力することにするかね」


「そこは友達でお願いします」


-


これからの共存を約束した守屋とアイリン。
それがサキュバスとこちらの人間が共存する未来への希望のようにアイリンには感じられる。


「慎さん、日本式の漢字を使った名前をあたしにも付けておくれよ。
あたしもね、せっかくここに移住して来たんだから、日本式の名前を付けてみたいのさ」


「わかりました」


少し考えてから守屋は自分の手帳に文字を書いてみせる。


「では、こんなのはどうでしょう?
『愛』と『倫』で『愛倫アイリン』」


「『愛』はもちろんサキュバスのイメージですが、『倫』には『人が修める、守るべき道』という意味があります。
そしてもう一つ『倫』には仲間という意味もあるんですよ」


「サキュバスでありながら、人間のルールを守ろうとするあなたにぴったりの漢字だと思うのですが、どうでしょう?」


愛倫アイリンは嬉しそうな顔で素直に喜ぶ。


「いいねえ、うん、いいじゃないか」


「確かにあたしにぴったりの文字だよ、さすがあたしが見込んだ慎さんだよ」


「名前も付けてもらったし、これで慎さんとあたしの契約成立ってことだろ?
早速で悪いんだけどね、すぐそこにラブホあるから、行こ」


「は?」


「なんなら店内ここでだっていいんだよ?
プルプル震える店長マスターと小娘がいるけど、気にしなくていいからね」


「あれだろ? 名前を付けてもらったら、その人があたしのあるじになるっていう決まりなんだろ?」


ねえさん、それは和風系の設定ですから、洋風系の私達は違うんですよ!」


「なんだい、そうなのかい?
ここは日本なんだし、そういうことでいいじゃないか。
『郷に入っては郷に従え』だよ」


-


強引に契約しようとする愛倫アイリンに戸惑う守屋だったが、サキュバスの本能的な習性だろうと解釈して、折衷案を申し出る。


「まだ童貞を捨てる訳にはいかないんですが、報告書で読んだ『ドレインタッチ』ならご協力出来るのではないかと」


若干不服そうな愛倫アイリンではあるが、少しでも進展があるなら嫌がる道理もない。


「まぁそれでもいいかね。
慎さんの精気が貰えるなら、有難く頂戴しておくとするかね」


守屋の頬に掌で触れる愛倫アイリン、二人の初めての接触。


「こっちに来てからはじめてだよ、人間の男の精気を吸わせて貰ったのは」


惚れた男に精気を貰えて幸せそうな顔でご満悦の愛倫アイリン


「人狼がいるじゃないですか?」


ここまで惚れた男の前ではよく笑い可愛いらしい愛倫アイリンを見て戸惑っていたリリアン。人間男性との恋愛願望がある自分より先に、惚れた男に精気を貰っている愛倫アイリンを見てちょっとだけ嫉妬してみたりする。


「あれは獣だしね、緊急措置で仕方なくってやつだよ」


精気を吸われぐったりしている守屋。


「いやぁ、結構体 だるくなるもんなんですね」


「やだよ、久しぶりでちょっと吸い過ぎちまったかね」


これまでの様子を横で見ていた高齢 店長マスターが何を思ったかプルプル震える手で突然 愛倫アイリンの手を握る。


「どうしたんだい? 店長マスター


「わっ!店長マスターしぼんでいきますよ!」


「おかしいね、ドレインタッチはしてないんだけどね」


「ダメダメ!店長マスター早く手を離して!」


高齢店長マスター興味本位で危うく死にかける。




いつもと調子が違う愛倫アイリンに困惑していたリリアンだが、次第になんとなくだが気づく。
自分が生まれてから百年ちょっとが経つが、愛倫アイリンはその百年以上の間、恋をしていなかったのだと。











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