青春に贈る葬送曲
#31 獅子型《マンティコア》(終)
四
南方向から襲いかかってきた流星によって吹き飛ばされた獅子型は、二度三度体を転がしては地面を蹴り、宙で体勢を整えて着地し、先ほどまで自身がいた場所を見据える。
「シバさん? ……シバさん、ですか?」
海都は立ち上がると、突如として現れた白髪青眼の少年に尋ねる。その横顔は、何度も目に焼きつけては脳裏から剥がれることのなくなった、英雄のそれだった。見間違うはずがないというのに、驚きと疑いの色が語気に滲んでいる。
石膏の顔を持つ獅子を吹き飛ばし、雅久のそばに姿を現した泰樹が、海都の声に応えるように首を横にひねる。鋭い剣幕は相変わらずで、威圧的な後光を錯覚させる。
「よぉ、寺沢に丸山か。のんびり喋ってる暇はねぇ。――お前ぇら、動けんならヤロウの相手しな」
泰樹があごで指す方向には、歯を剥き出しに、瞳のない眼で五人を睨む巨体の獅子。
海都は返事をするでもなく、頷くでもなく、力なくうな垂れた。無言で立ち尽くす海都に、泰樹の鋭く切れ長のつり目が向いたとき、背中を平手で容赦なく一撃された。
「ほらッ、切り替え! 行くよ、海都! ――シバさーん、りょーかいでっす!」
「あ、あぁ……」
海都が振り向いたとき、けばけばしいアイメイクの輪の中に、激情のような眼光を宿す明咲の顔が目に映った。弱々しい返事をしながら、強引に腕を引っ張られていく。
威嚇の姿勢を示す獅子型に向けて駆ける二人の背を見送ると、泰樹はしゃがみ込んで、大の字になって大盾の下敷きになっている雅久の顔を見下ろす。
「我妻じゃねぇか。人狼型《ワーウルフ》以来だな。無事か?」
「ははは……どうなん、スかね……? 柴山先輩、から見て、俺、大丈夫、そうスか?」
「無事かって聞いたくせにこう言うのもなんだが……満身創痍、だな。まぁ、喋れるくらいだ。内臓がやられてわけじゃねぇだろうよ」
「へへ……ヤロウ、何度も、何度も、俺を踏みつけて……。おかげで、体が動かねぇ……ッス」
ぎこちない苦笑を浮かべながら、たどたどしく乾いた声で話す雅久の頭を、泰樹は優しく叩く。そして、動けない雅久にのしかかる鉄板を剥がすと、横にずらして静かに下ろした。
「あ、あざーッス……。めっちゃ、重かった、んスよ、それ」
「だろうな」
「にしても、どうしたんスか……? 三年にもなって、グレたんスか?」
雅久が言い示しているのは、紛れもなく泰樹の白髪と青眼だ。
それに気づいた泰樹は、白く変貌したオールバックを撫で上げては再び雅久のそばにしゃがみ込み、額を指で弾いた。
「違ぇよ。色々あったんだ、色々な。死に損ないはおとなしく寝てろ」
「はは……。じゃ、お言葉に甘えて……」
大の字のままに目蓋を閉じた雅久から視線を外して立ち上がり、近くで二人の様子を見守っていた悠奈を見る。
泰樹と目が合った悠奈は、一瞬わずかに体をビクつかせた。泰樹の仁王像よろしくつり上がった目つきが強調的な相貌には、やはりまだ慣れていないらしい。
先日の美術室前の出来事を思い出した泰樹は、参ったように俯きながら頭を掻く。獰猛な獣の笑みにならないように気をつけながら、なるべく柔らかい表情を繕って悠奈に歩み寄る。
「……よぉ、佐伯。どうだ、戦えてるか?」
泰樹は細心の注意を払ったつもりでいたが、慣れないことをすべきではなかったかと後悔した。加えて、自分と同じように平時の表情がきつい颯希が、ああも屈託のない笑顔を自然と光らせることに疑問を抱いた。
獣のような不敵な笑みではなく、知謀に長ける悪魔のようなそれが近づいた途端、悠奈は思わず身持ちを硬くして後ずさった。返事をしようにも、首が締まって声が出ない。視線を外さずに頷くのが精一杯だった。
「……そうか。そういえば、長岡から聞いたんだが――」
颯希の名を出した途端、岩石のごとく固まっていたいた悠奈の表情が綻んだ。
泰樹は思わず片眉を上げたが、これを好機と捉えて話を続ける。
「お前、キックボクシングをしてたんだってな? 戦技《スキル》もねぇ割に強ぇってな。それと……なんつってたか。――あぁ、そうだ。肝が据わってるし、洞察力もあるんだってな。この前、お前と別れてから長岡がうるさくってよ。可愛いし強ぇし頭いいって、散々褒めちぎってた……ぞ?」
颯希から聞いた話をそのまま伝えた泰樹は、思わず言い淀んだ。悠奈は顔中を火照らせて俯いては、小刻みに体を震わせているのを見て、まずいことでも言ったかと狼狽した。
「お、おい、大丈夫か?」
「……あ、はい、だ、大丈夫、です。ちょっと、舞い上がってる、だけです、から……」
「……そうか。ちなみに、戦技はなにか手に入ったか?」
か細く途切れがちな声ではあるものの、悠奈が反応を示してくれたことに泰樹は安堵する。歯切れの悪かった声遣が調子を取り戻した。
「……はい、無心千衝《サウザンド》を」
悠奈の激しく暴れていた心臓もまた落ち着きを取り戻したようで、泰樹に対する身持ちが軟和している。
「無心千衝? へぇ、結構いいのを見つけたじゃねぇか。手甲なんて今までいなかったからな。誰が使うんだよって思ってたが――そうか、佐伯が、か。それで、試してみたか?」
「いえ、今日ここに来て見つけたばかりなので、試すもなにも……」
「……なら、試させてやる」
不思議がる様子の悠奈をそのままに、グラウンドで獅子型を全力で釘づけにしている海都と明咲のもとに歩み寄る。
二人は先ほどのように獅子型がグラウンドを駆けずり回ったり、跳躍して地震を起こしたりしないよう、常につかず離れずの間隔を保ちながら応戦を繰り広げている。
獅子型は海都めがけて、持ち上げた前足を振り下ろす。それを何度も繰り返すが、海都は冷静を保ちながら軌道を見極めており、霞脚でことごとく躱される。
やがて立て続く踏みつけをやめると、身を翻るとともに後ろ足を跳ね上げ、着地とともにサソリの尻尾を勢いよく振り下ろし、叩きつけた。衝撃音が響くとともに、肉が無理矢理に断裂させられるような音が鳴った。
「――シバさん!」
尻尾の叩きつけを躱した海都の視界に、泰樹の後ろ姿が映っていた。
獅子型が身を翻したそのとき、泰樹は明咲を呼びつけた。跳躍台の構えをとらせると、尻尾の叩きつけの直前に飛び上がってはサソリのそれめがけて急降下し、勢いに乗せて握り締めた剣を振り下ろした。
泰樹の剣はサソリの尻尾の根元近くを捉え、真っ二つに断ち切る。泰樹はさらに追撃を狙い、獅子の右の後ろ足を鋏挟閃《シザーズ》で右に左にと二連続で斬りつける。
「――ふんッ!」
左腰に剣が収まった途端に、右切上の一閃――終一閃《エクストラ》につなげ、計四度の連撃を見舞った。
毒々しい色を帯びた円筒状の終体を根元近くから失い、右足に無惨な深手を負ったことで、獅子は右の後ろ半身から崩れる。傷だらけの右後ろ足を踏ん張り、重心を低くする。
「逃がさねぇ――よッ!」
その場から立ち去ろうと踏んだ海都が、獅子の背後から肉薄し、傷だらけの足めがけて剣を突き出す。
「――ッ! 待て、寺沢!」
泰樹が声を張り上げるが、それより早く海都の突き――破突《ペネトレイト》が放たれた。刃が肉の繊維を食い破る音が上がるかと思いきや、硬質感ある音を鳴らして、海都の体が後ろによろめいた。
獅子型の動きは、逃げようと見せて敵の攻撃を誘い、弾攻構で身体を硬質化して弾こうという狙いのブラフだった。海都は獣の思惑にまんまとはまり、破突を繰り出しては硬くなった身体に阻まれ、撥ね返ってきた衝撃によって体勢を崩された。
巨体が跳び上がりながら反転すると、よろめいた海都めがけて右前足の爪をぎらつかせて、着地に合わせて叩きつける。
その一撃が海都を押し潰す直前に、人影が一つ躍り出た。獣の振り下ろされた前足は、その人影が腕につけている円形状の板に阻まれ、重々しい音を上げながら受け止められる。
桜色のロングツインテールが海都の視界を覆った。明咲がバックラーを頭上にかざして踏ん張りながら、叱咤の怒声を張り上げる。
「海都! 焦り過ぎ! 下がって!」
「――ッ! すまねぇ……」
海都は自身のうちでくすぶる焦りを自覚し、猛省しながら後ろに下がる。
「……なめんじゃねぇよ……こんの――ボケがぁッ!」
ジリジリと全身にかかる重圧に対して腰を少しずつ落として耐えながら、明咲は盾をつけている左腕に、鉤鎌槍を握ったままの右手を添える。そして、素早く体を跳ね上げるとともに、盾を押し上げるように獅子型の右前足を弾き飛ばした。
獅子型の巨体の前半身が浮き上がる。この好機を見越していたか、泰樹はすでに動き出していた。
「佐伯ぃッ! 来ぉいッ!」
悠奈の名を呼ぶ泰樹の体に、純白の胸当、腕当、腰当、脛当が現れてはまとわりつく。極めつけは背中。幾何学模様の、これまた純白の翼が左右に広がっている。
途端に粒子と化し、獅子型の足元に潜り込む。肉体を顕現させると、戦技ではない右薙ぎを獣の左後ろ足めがけて放つ。刺々しい形状の刃は、肉どころか骨までも容赦なく抉った。
「ウアアアアッ!」
石膏像の顔から嘆きの悲鳴が上がるとともに、後ろ半身から崩れるようにへたり込んだ。
泰樹はまたしても粒子と化して、空高く飛び上がった。再び顕現すると、そのまま自由落下運動、ではなく、体を逆さにして剣の柄を両手で握りながら垂直に構えると、不可視の足場を蹴るように、獅子の背中めがけて強襲をしかける。
身体の周りに粒子をまといながら勢いよく落下するその姿は、まさに流星。鋭い刃を突き出した隕石が、獅子型の背中に垂直落下し、轟音を上げながら巨体を地面に沈ませた。
声もなく叫び上げる石膏像の眼前に、両腕に手甲をはめた、小柄な少女の姿が立ちはだかった。拳を力強く打ちつけて、構える。
「やああああああああああああ!」
まずは右手の拳が獅子の頭に張りつく人面を殴打した。間髪入れず、右手を引くとともに左腕を振るっては先ほどとは逆側を殴りつける。
ダンッ、ダンッ、ダン、ダン、ダ、ダ、ダ、ダ、ダダダダダダダダダダダダダ!
拳が顔面を捉えるたびに、拳打と拳打の間隔が徐々に小さくなっていく。
拳打のスピードが最高潮に達したとき、悠奈は八面六臂の阿修羅のごとく、あたかも腕を何本も生やしているような幻影をつくり上げていた。
「ああああああああああああ――」
獅子型の顔面はすでに元の骨格を保っておらず、ましてやその場から逃げることもしない。――できないのだ。異形とはいえ所詮獣。生物。立て続く拳打の衝撃に、弾攻構を発動することすらできないほどに、大脳の機能が不全状態へと陥っていた。
すでに力なく倒れ伏している獅子を目前に、悠奈は連発する拳打を止めた。そのみすぼらしい姿に情が湧いた、わけではない。悠奈の構えは解かれておらず、むしろ、この刹那はこれから放つ一撃の伏線。
普段実の年齢よりも幼く見える童顔からは、幼気さなど一抹も感じられない。先ほど見せた阿修羅を投影したまま、瞳に冷たい真紅の気炎を宿し、静まる獣を見下ろしている。
「――だあッ!」
反らした上半身とともに弓なりに引き絞っていた右腕を、獅子型の顔面中心部めがけて叩き込んだ。
炸裂音とともに、バキバキという潰撃の音が次々と起こる。
最後の一撃が骨格を歪ませるほどの威力を発揮したことで、石膏像の顔面に悠奈の右の拳がめり込んでいった。
「ちょ……悠奈、やるぅ……」
「嘘だろ……ヤベェな、おい……」
「はッ……とんでもねぇな……」
明咲、海都、泰樹がそれぞれの胸懐を露わにし終えると、視界に映る空間に異変が起こる。
気がつけば、悠奈は教室で友人たちの視線を浴びながら、右手にマイボトルを握り締めていた。
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