青春に贈る葬送曲
#29 獅子型《マンティコア》(二)
二
悠奈が友人らとともに昼食を囲っている昼休みに異空間に招かれたとき、泰樹もまた同様に異空間へと招かれた。
四限目の体育の授業が終わると、泰樹は颯希や美結、その他数人のクラスメートとともに、体育館のステージで昼食を頬張りながら談話に興じていた。
もう何度目になるか分からないほど見てきた、世界が変貌する瞬間。泰樹はゆっくりと立ち上がってはステージから飛び降り、体育館を後にする。
まるで誰かに「これを使え」と促されるように与えられる武器は、なぜかいつも自分の教室にしか出現しない。故に泰樹は、まず三年A組の教室へと向かった。
B棟校舎の南側の階段から二階に上がると、廊下を道なりに進んでA棟校舎へと続く連絡通路を目指す。廊下の角を曲がったところで、一人の少年と出くわした。
「やぁ、タイキくん、元気?」
「てめぇ……」
高校生には見えない、平均的な小学生くらいの身長の少年。ブロンドカラーの緩いパーマがかかった髪に、パッチリとした切れ長の目には宝石のような輝きを見せる青色の瞳。
泰樹が通っている高校の関係者ではないことは一目瞭然だ。加えて、この異空間に招かれているような人物でもない。
だが、泰樹はこの小学生のような幼い少年とは、何度か面識があった。その容貌に似つかわしい、無邪気で幼さを感じる高い声。それを聴いて、泰樹は生まれつきの仏頂面をさらにしかめた。
「もう、そんなに怖い顔をしないでよ? あ、元からだっけ?」
「………………」
少年の皮肉を歯牙にもかけず、泰樹は視線を外して無言で廊下を突き進む。
「えー、無視ー? 酷い酷ーい! 泰樹くんのいけずー!」
少年の声は無視して、泰樹は連絡通路を進んでA棟校舎に入ると、三A教室に入るなり相棒を見つけては持ち上げる。
その様子を、少年は扉の陰から覗き込むように見守っていた。
「ねー、なんでそっちはいつも使わないのー? 一応、タイキくんのってどっちも特別仕様、なんだよー? 使わなきゃ勿体ないよー。こっちとしても使ってもらいたいんだけどなー」
「ちッ……うるせぇ。俺にはこいつだけで十分なんだよ。どけ、まとわりつくな」
得物を手にとって教室を出ようとする泰樹の周りを、少年はぐるぐると回って進行を妨害する。泰樹はそれを空いた手で振り払うが、それでも離れようとはしない。
「おい、俺にくっついてくるんなら、今回の敵を教えろ。なにが出てくる?」
「んー、内緒? いや、タイキくんには特別に教えちゃおっかなー? アレだよー、おっきいネコさん」
「……獅子型、か。それで、今日は誰をこっちに呼び込んだ?」
「んー、さすがにそれはそのうち分かるし、言わなくてもいいよねー? それに、タイキくん意地悪だから、なおさら言わなーい」
無邪気でありながら、どこか不敵な雰囲気をわずかに織り交ぜた笑顔を、少年は泰樹に向ける。
それが酷く憎たらしく思えたものの、泰樹は怒りを通り越して呆れ、目を伏せて俯くとため息を吐いた。
「あー、そうそう、そうだそうだ……」
急に少年の声のトーンが低くなり、ふと顔を上げた泰樹の目に映った童顔には、なにか含みのある怪しげな微笑が浮かんでいた。泰樹が問いかけるより早く、少年が口を開く。
「そこの窓から、外を見てみなよ? 今日はタイキくんにプレゼントがあるんだ」
泰樹は少年の言葉に、背筋に冷たいなにかが這うような嫌な感じを覚え、思わず体を反転させて窓際に近づく。閉ざされたガラス窓を開いて顔を出すと、正門がある北側に視線を向けた。
「……おい、プレゼントってのは、あれか?」
「そう! 獄の巨人《ムスペルティタン》の剣兵《ウォーリア》。いやね、彼らってここに来れるはずないんだけど、なにかの間違いで一体迷い込んじゃったみたいなんだよ。ボクは今日天装どころか装具も持ってきてないし、高名たるタイキくんに倒してもらおっかなって」
全長四メートルはあろう巨体を誇る人型。いや、その姿形は紛れもなく人間そのものだ。頭にオームと呼ばれる、寸胴鍋を逆さにしたようなものに、視界を確保するスリットと呼吸口が設けられた兜を被っている。上半身は肩から先がない、胴体だけを防護するスケイルメイル、下半身には腰回りを覆う金属質な短いスカートを履いている。頭と胴回りの防御力は高そうだが、前腕や脛には防具がつけられていない。
手にはその巨体に見合う、長大な剣が握られている。先が平らな、長方形の刀身。巨人の拳が三つ並ぶほど長い柄。全体が赤黒く、どこか不気味な雰囲気を醸している剣。
「どう? タイキくんは今はまだ人間だから、普通に戦ったらかなりきついかもだけど、特別にその剣の制限を解いてあげるからさ? いいでしょ? まぁ、天装でも装具でもない模造品だけど、アレを倒すには十分な力が発揮できるから、ね?」
泰樹は少年の話の意味がさっぱり理解できなかった。
呆然と立ちすくむ泰樹はお構いなしに、少年は泰樹が握る剣を両手で挟むように握ると、
『……アフィプニッシ・アレス』
目を閉じて俯き、聞きなれない言葉を呟いた。
すると剣は青白く発光し、瞬く間に光が落ち着いて消え入ると、刀身にほんのりと青く灯る血管のような筋が浮かび上がった。
「はい、完了。あ、そうだ。その効果は今回の戦いが終わるまで続くから、アレを倒したらそのまま獅子型に向かってくれていいからね? というか、アレを倒さないと、色々面倒だから、タイキくんには選択肢はないけどね。あ、それとさ、出る前に鏡を見てみたら? 結構いい感じになってるから、さ」
「……くそッ、人をいいように使いやがって」
毒づきながら泰樹は教室を後にして、非常階段へと向かう。
「――あ、もータイキくんったら……。これとセットだってのに。……ま、いっか。所詮模造品《レプリカ》。たいした防御技はないし、タイキくんならなんとかするよね」
置き去りにされたそれを、少年は微笑を浮かべながら優しく撫でる。
泰樹は足早に廊下を歩いている途中、少年の最後の一言を思い出し、気になって男子トイレへと入っては鏡を見た。
「なんだこりゃ……」
黒かった短髪は余すことなく白髪へと変わり果て、瞳は少年のそれと同様に宝石のごとく煌めく青色を宿していた。
自分の体の変わりぶりに驚き、言葉を失った泰樹だが、まもなく我に返ると外に飛び出した。階段を下りて、昇降口付近で足を止めて辺りを見渡している巨人へと近づく。
「おい、デカブツ」
泰樹の低くハスキーな声に、獄の巨人が反応しては振り向き、白髪青眼の剣士を見据える。オームのスリットの奥に潜む紅い眼が、仇敵を捉えたような憤怒と憎悪の色を示した。
「貴様……天域の徒《エルシアン》! まさかこのような空間を築き上げているとは……!」
「あ? エル……? なんのことか知らねぇけどよ。悪ぃが俺の相手、してもらうぜ」
「しらばっくれるどころか、図に乗るとは、やはり天域の徒は不遜で高慢、傲慢な種族! そんな貴様らがなぜ荘厳なる天を支配しているか、甚だ疑問――だあッ!」
巨人は言葉を紡ぎながら得物を両手で持ち上げると、言い切ると同時に泰樹めがけて右薙ぎに振り払った。その瞬間、刀身から熱風が吹き荒れる。
――あっぶねぇ! なんだありゃッ?
泰樹は霞脚《ヘイズステップ》で後退し、太刀筋に限らず熱風からも免れた。辺りの空気に先ほどの熱がわずかに紛れているのが、体のあちこちから伝わってくる。
全長四メートル以上を誇る獄の巨人は、左足で踏み込んで泰樹との距離を詰めると、右足を後ろに振り上げるや否や、前方に蹴り込んだ。泰樹がすかさず巨人の足の右方向に避けるのを見て、今度は左に薙ぎ払う。
「遅ぇッ!」
一瞬光の粒子へと化し、再び姿を現した泰樹は、巨人の右足の踵の上の腱を狙う。左足を左手前に踏み込み、薄青い筋を浮かべた剣を左に斬り払う。その勢いを殺さないように、体を横に回転させながらステップを踏み、左足の着地とともに、再び左に斬り払った。体を回転させながら二段斬りを見舞う、偃月斬《クレセント》。
「うおおぉぉ……!」
巨人の右足が脱力して体がよろめいたが、すぐさま右足を踏み出して踏ん張ることで転倒を免れる。
「逃がさねえよ」
左腰の脇に剣を添えたまま、踏み出された巨人の足へと肉薄し、勢いよく剣を抜き放った。袈裟斬り、左薙ぎ、左切上のいずれかを繰り出した直後、剣を左腰に控えることで放つことができる条件持ちの追撃技・終一閃《エクストラ》。
泰樹が放った終一閃は、普段以上の威力を披露した。
その勢いに巨人は右足を押し流され、左足がつられたことで仰向けに倒れた。ドォンという重々しい音とともに、ほんのわずかな振動が地面を伝わる。
――なんだ、今の?
泰樹自身、今放った戦技が終一閃だとは思えなかった。より凄烈で鋭い斬撃が繰り出せるのは知っていたが、敵を吹き飛ばすほどの威力は見たことがない。
「これが、制限を解いた状態の――こいつ本来の力、ってか」
右手に握っている、幅広で片刃の刺々しい様相の片手剣を見て、泰樹はどこか頼もしくも怖ろしい思いを抱いた。
「天域の徒、ごときに……我ら、誇り高き獄の巨人が、遅れをとる、ものかぁ!」
巨人は円筒型の兜の奥から激しい憎悪の気炎を吐きながら立ち上がると、右手に握る長大な剣を肩に担ぎ、両足を開いて腰を落とす。
「獄の守護神よ! 我に憤怒の鎧を与えたまえ! 獄の戦神よ! 我に復讐の斧を与えたまえ! 獄の神々よ! 我に、勝利をもたらしたまえ!」
巨人は肩に担いだ剣の先を左手でつかむと、天高く掲げた。途端に剣が、兜が、鎧がほのかな赤みを帯びた。剣からは蒸気が立ち上っている。
「うわー、まさか憤怒撃《ドレッドラース》と反激構《リベンジリアクト》が使えるなんてー、予想外でーす」
幼さを覚える高い声が背後から聞こえ、泰樹がそちらを向くと、あの少年が校舎の壁にもたれて腕を組んでいた。
「てめぇ、いつの間に……!」
「てゆーかー、ちょっとヤバイね。切り離さないと――ねッ」
刹那、泰樹と巨人、少年の周囲半径一〇メートルほどが紫色の空間と化した。
「いったいなにをした?」
「ここだけ隔離しただけだよ? さすがに今のソイツが暴れたら、他の四人にも影響が出ちゃうしね。ほら、前、前」
「むうぅああああああああああああああああああああ!」
泰樹が巨人に向き直ると、すでに高らかに剣を掲げているところだった。
刀身に炎の管が絡みつき、豪然たる咆哮を上げるや否や、泰樹めがけて振り下ろす。アスファルトの地面を直撃したそれは、凄まじい爆裂音とともに長広な亀裂を生みだした。
――おいおい、広瀬のあれかよ!
同じ学年の、長柄の大斧を振り回しては《覇者》と称される広瀬大瑚もまた、似たような挙動で似たような威力の一撃を振るう。泰樹の脳裏に、以前見た大瑚のそれがよぎった。
「あー、ごめん、訂正するね。今のは憤怒撃だけど、反激構の効果は乗ってないよ。あくまで獄の加護による攻撃力の上昇、だから」
地面を切り裂いた一撃の後、巨人は立て続けて泰樹に猛攻を振るう。
泰樹はひたすらに炎をまとう剣の斬撃を霞脚で躱しながら、少年の話を聞きとる。
「おい! 憤怒撃、とか、反激構、とか、つまり、戦技、なんだな!」
「そうそう、アッタリー! 憤怒撃と反激構は相乗効果があるんだよ。反激構を発動している間にダメージを受ければ受けるほど攻撃力が高まっていくんだ。で、憤怒撃も憤怒撃で、反激構の間に受けたダメージ分だけ、繰り出した瞬間の攻撃力に加算されるんだよ。つまり、つまりだよ! 反激構を発動している間にダメージを受ければ、反激構としての攻撃力と、憤怒撃としての攻撃力が合わさって、憤怒撃を放った瞬間の破壊力は凄まじくなるってわけ! どう? すごいでしょ?」
――ちッ……そういうカラクリか。だから広瀬がやたらめったら馬鹿力を振るえるわけだ。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
度重なる乱れ斬りの果てに、巨人は炎をまとう剣を再び叩きつける。剣も兜も鎧もほのかな赤みを帯び、オームのスリットの奥には激情の炎が昂っているが、先端が地面に食い込んだ剣を持ち上げようとせず、息を荒げて肩を上下させている。
「あ? どうした? ここに来る化けモンどもは無尽蔵に動き回ってんぞ? てめぇも所詮人間、てか?」
猛攻の嵐をすべて避けきっていた泰樹は、涼しく不敵な笑みを浮かべて巨人を見上げては、挑発の言葉を差し向ける。
「ぐうう……天域の徒の分際で、我を罵るとは……おのれぇ!」
「おい、お前、さっき憤怒の鎧だの、復讐の斧だの、なんか色々ぬかしてたな? 構えな。そっちの思惑に乗ってやる」
泰樹は片刃の剣を掲げ、剣兵に向けて切っ先を伸ばす。
「ふ、ふはは、ふははははは……! あえて、あえて我ら獄の奥義を受けんとするか! いいだろう、来ぉい!」
巨人はまたも、大瑚が見せるような姿勢で構える。
「……おい、クソガキ。ヤツの憤怒撃、反激構は、受けたダメージ量で攻撃力が上がる、んだったよな? 攻撃を当てた回数、じゃねぇんだな?」
「うんうん! そうだよ! 低いダメージでも回数が多ければそれで良し、高いダメージなら一回だけでもすごい破壊力が出せることがあるよ!」
「そうか。――それと、獅子型は来たのか?」
「え? んー――うん、そうだね。もう戦いが始まってるみたい」
「……おい、デカイの。悪ぃが終いだ」
泰樹の言葉の意図がつかめず、獄の巨人は片眉を上げる。そして、霞脚で足元に詰め寄った泰樹に思わず目を見張った。
「あれー、いっけなーい。模造品のつもりだったけどー、間違って装具をあげちゃったー」
少年が間延びした声でさえずる。
巨人の足元にいる泰樹の体のあちこちが、いつの間にか白い物体で覆われていた。それは胴に、腕に、足にと、鎧のような部品が装着されている。そして、背中には幾何学模様で形作られた白い翼。
「いやー、僕ってば、うっかりさんだねー。……ふふ、アハトに怒られちゃーう」
突如として白い装具を身にまとった泰樹は、剣を左腰に添えて構える。
――【断界】《アレス・シーフォス》
泰樹が剣を抜き放ち、逆風を繰り出した。真下から真上へと、縦に振り上げられた純白の一閃は、立ちはだかる獄の巨人・剣兵はおろか、《世界を断った》。
体を縦断された巨人は、声一つ漏らすことなく背中から倒れ、少年がしかけた紫色の空間は立ちどころに分断された。
ガラスが割れるように、紫色の箱は一瞬で砕け散り、辺りは白黒の世界に移り変わる。
泰樹が残心を終えると、立ちどころに体中から白い装具が霧散して、元の制服姿へと戻った。とはいえ、剣には依然として薄青い脈が流れ、髪は白く、瞳は青いままだ。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
校舎の向こう側から、重低音の咆哮が轟き、泰樹の鼓膜を震わせた。
泰樹は深呼吸をして、真っ二つになって横たわる巨人にも、満足げに笑みを浮かべる少年にも目もくれずに、南方向へと走り出した。
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