青春に贈る葬送曲
#14 鬼人型《オーク》(二)
二
目を細めてその人影を注視すると、見知った人物であることに湊輔は気づいた。
「あれって……福岡先輩と深井先輩だ」
先頭を走る二人は湊輔が通う高校の制服を身にまとっている。
一人は肩幅の広いがっちりとした体形で、大盾と片手鎚――メイスを携えた福岡耀大。
もう一人は、小柄な体に布を巻きつけた長い棒を担いでいる深井二菜だ。
「おぉ、もしや湊輔か! すまんが、手ぇ貸してくれんかのぉ!」
耀大が湊輔に向かって、年寄りくさい渋くおっとりとした声を張り上げる。
「うわーん! 鬼人型《オーク》とかあたし超ダメなんだけどー! 助けてぇー!」
隣を走る二菜は泣き叫ぶように吠えている。
――お、鬼人型? え、なに、あれ? 普通にでかいんだけど?
二人の後ろを追いかけてくる敵の姿を見て、湊輔は一瞬おののいてしまった。
二メートル近い身長、灰色の肌、この前の人狼型のようなガタイの良い体つき、ざんばら髪の生え際から二本一対の短い角が生え、口元から牙がせり出しているその顔は、醜悪という言葉を当てはめたくなるほど、酷いものだ。
胸元、前腕、すねに簡素な鎧を身につけ、手には鉄板から切り出したような無骨な片刃の剣を持っている。
「遠山くん、もしかして鬼人型は初めて?」
「え? あ、あぁ、そう。あれは、初めて」
「そう……良かった。私は初めてじゃないけど、一回しか経験ないのよね。――避けて!」
有紗は湊輔より前に出ると、耀大と二菜に向けて声を張り上げ、すかさず引き絞った弓の弦から手を離す。
「二菜、頭ッ!」
耀大は有紗の声と動作から意図を察して、二菜の頭を斜め上から押し下げる。
二菜は突然のことに驚きつつも、走りながら身をかがめた。
その頭上をヒュンッという風を切る音がして、直後ドスッという鈍い刺突音が鳴り、「ウオォォ……」という、とても人型とは思えない、動物のような低い唸り声が上がった。
鬼人型の集団の先頭を走っていた一体が背中から崩れ落ちた。
今しがた有紗の放った矢が喉元、鎖骨のラインの上あたりに突き刺さっている。
「すごっ……まさか一撃? 一体やった?」
「いいえ、あれでもあくまで体勢を崩したに過ぎないわ。あの程度じゃ鬼人型は落ちないもの」
――え? 喉元に矢が突き刺さっても立つの? 動くの? なにその生命力? めっちゃ怖い。
先頭の一体が射たれたからか、集団は一気に足を止めて、警戒の色を強めると、合流した四人にその醜悪な顔を向けて威嚇している。
「二、三、四……今倒れたのを含めて五体ね。ちょっと数が多いわ」
有紗は鬼人型たちの威嚇に負けじと、次の矢をつがえて醜悪な面の集団に向けて構えている。
「はあッ……はぁ……ふぅ……いやいや……助かったわい」
「ぜぇー……ぜぇー……はぅー……もう……無理ぃ……」
耀大は湊輔の横に着くと、息を荒げながらも、大盾を支えに体勢を崩すことなく立ち続けている。
湊輔と有紗を追い越した二菜は、棒を地面に突き立てて、支えにしながら身をかがめる。
「ねぇ、泉さん。この状態、そう長くは続かない、よね?」
「……そうね、ヤツらがいつ襲いかかってきてもおかしくない状況よ」
「いやぁ、すまんのぉ。……だいぶ長い距離走り続けたもんで、体がきついわい。いったん退いて立て直したいところなんじゃが、どうにかならんかのぉ?」
鬼人型の集団を見据えながら、耀大は湊輔と有紗に提案する。
「えぇ、そうするしか、ないわね。壁役さんのスタミナが切れてるまま戦い続けるとしたら、いつ全体が崩れるかも分からないわ」
鬼人型の一体が一歩踏み込んだ瞬間、有紗が矢を放った。
狙いは体ではなく、足元。それ以上踏み込めば、次は射つという威嚇射撃だ。
鬼人型たちは四人との力関係に理解を示しているのか、はたまた、それなりの体格をしていながら、中身は質の悪い暴力団というよりも頭の悪いチンピラ程度なのか、有紗の威嚇射撃に動じている様子だ。
有紗はふたたび矢をつがえて鬼人型たちに狙いを定める。
「……泉さん、その矢はあとどれくらいでなくなりそう?」
「分からないわ。今まで、矢を射ち過ぎてなくなったことって、ないもの。もしかしたら無限なのかもしれないわ」
「じゃあ、矢が無限なことに賭けるとして、ちょうど図書館がすぐそばだし、うまく行けば逃げられる」
「おぉ、裏口じゃな?」
「はい。泉さんの射撃でヤツらを牽制しつつ、図書館に入って出入口を封鎖、裏口から出て校舎に入れば、立て直す時間は稼げるんじゃないかって」
「そう、私を、可憐な乙女をこき使おうって腹積もりなのね? まぁ、この状況なら妥当ね」
「それなら……泉、といったかのぅ。嬢ちゃんはヤツらを牽制するために最後に入るとして、二菜、湊輔、わし、の順でいいかのぉ?」
「いや、深井先輩の次は福岡先輩でお願いします。多少時間は稼ぐので、出入口をふさげそうなものを集めてほしいです」
「なるほどなぁ。よぅし、任せとけぇ。――二菜、聞いてたか? わしらは先に行くぞ!」
後方でかがみこんでいる二菜を抱え上げて、耀大は図書館めがけて走り出す。
それを見た鬼人型たちは「グオゥ!」「ウガゥッ!」と吠えて、獲物を逃がすまいと動き出した。
風を切るような勢いで、三本の矢が立て続けにそれらに向けて襲いかかる。
三本中二本が、二体の鬼人型の片足、ごつごつとした太ももを貫かんばかりに突き刺さる。残りの一本――最初に放った矢――は牽制のつもりか、命中した一体の頭めがけて放たれ、躱されていた。
太ももに矢を受けた二体は体勢を崩して倒れ込む。
矢が当たったくらいでは動じることもなさそうな体つきをしている割に、意外な展開だと湊輔は思った。
「矢継射、なかなか難しいものね」
矢をつがえて放つ。これを三回連続で、なおかつ高速で行うのが矢継射の動作だ。
的確に素早く矢の筈を弓の弦にかけ、標的に向けて狙いを定める正確性と技術力、筈を弦から外さないように固定し、威力を減衰させないためにしっかりと弦を引き絞れる筋力が必要になるため、単純な動作の繰り返しでも練度によって仕上がりは大きく異なる。
腕の筋力だけに限らず、体幹の安定性が求められるが、弓道部に所属する有紗だからこそか、つい先ほど矢継射の情報を手に入れたばかりにしては、鬼人型二体を足止めするという上々の出来栄えになっている。
ダメージを負っていない、残る二体の鬼人型が湊輔と有紗に迫る。
「ふぅ……泉さん、一体お願い」
「えぇ、任せなさい」
湊輔が前に出るのと同時に、有紗が走り寄ってくる一体に向けて矢を放つ。
狙われた一体は走りながら横に動いて避けるが、そこに再び有紗の矢が襲いかかり、これまた太ももに突き刺さった。
残った一体が「ウグゥ、ルガァッ」と吠えては無骨な剣を振り上げ、湊輔に飛びかかる。
着地と同時に湊輔めがけて振り下ろすが、対する湊輔は流転避で避け、鬼人型の左側に回り込む。
体を起こすや否や、鋏挟閃で鬼人型の左足、引き締まった太いふくらはぎを斬りつける。
「ングウッ」というこもった唸り声が上がり、鬼人型はバランスを崩し、左膝をついた。
ここぞとばかりに湊輔は追撃を試みる。
剣を肩越しに構え、左足を踏み込み、体を左側へひねると同時に剣を持つ手と腕を引き寄せるように振り下ろす。
「ウガァッ!」
湊輔の断甲刃は、あと少しのところで鬼人型の腕当に阻まれた。
ガァンという金属の衝撃音を上げて弾かれる。
「――くそッ!」
思わず毒づく。
片膝をついた鬼人型は、体をひねって右手の剣を振ってそれ以上の追撃を許さない。
湊輔は飛び退いて距離をとった。
直後、四角い物体がひざまずく鬼人型の横顔に直撃する。
「湊輔ぇ、こっちは準備オッケーじゃぁ! 嬢ちゃんも急げぇ! ――むぅんッ!」
耀大が図書館の出入口に立って、湊輔と有紗を呼び、手に持っていた四角い物体を再び湊輔が相手取っていた鬼人型めがけて投げつける。だが、今度は手で払われてしまった。
四角い物体は辞書だ。外箱に入った辞書で、そこそこの硬さと重さがあり、痛手にはならないものの牽制するには十分だった。
湊輔は図書館目指して駆け出し、やがて飛び込むように中に入る。
有紗もまた、湊輔より遅れてはいるが、鬼人型一体を足止めしながら図書館に駆け込む。
湊輔と有紗が図書館に入るまで、耀大は二菜に手渡された辞書を次々と鬼人型めがけて投げつけた。
「先輩!」
「おう!」
そして耀大が図書館に入ると、扉を閉めて鍵をかけ、出入口付近まで運んできていたソファやらテーブルやらを積み上げてバリケードを築く。
「……ふぅ、思ったより上手くいったのぉ。いやいや、お二人さん、よぅ頑張ってくれた。助かったわい」
「いえ、そんな。それより、次は裏口から校舎に行きましょう」
「そうじゃな。そういえば、裏口近くの通路に本が散乱しとったなぁ。まったく、おかしな空間とはいえ本をおざなりに扱うのは許せんのぉ」
耀大の話は湊輔にグサリと刺さった。
「あぁー、それ俺ですね、すみません。ははは……」と正直に謝って取り繕おうかと思ったが、二菜が先に口を開いた。
「でも耀くんだって辞書投げたよね?」
「お? それもそうじゃ。だったら責めれんわ。はっはっは!」
耀大が笑い声を上げるのと同時に、ダンダンッ、ガタガタッと出入口の扉が音を上げた。
「ゆっくりしてる暇はないわ。急ぎましょう」
有紗の言葉を皮切りに、四人は一斉に図書館の裏口を目指した。
図書館の出入口から対角線上に裏口がある。校舎の位置関係からすると直線上にあればいいものを、なぜか対角線上にあるのが湊輔には不思議に思えた。
裏口を出た四人は、すぐ近くにある武道館とB棟校舎を結ぶ連絡通路から校舎へと進入する。
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