青春に贈る葬送曲
#6 人狼型《ワーウルフ》 (終)
六
立ち上がった人狼型の眼は、変わらず狂気と憎悪に満ちている。
最初は巧聖と有紗の二人、次いで湊輔と雅久が加わって四人、最後に泰樹と一対一で戦っていたところに四人が合流したことで五人。
斬撃、殴打、刺突、あらゆる手段によって人狼型は体中に大小様々な傷でまみれており、ハァー、ハァー……と体全体で呼吸をしている様子を見るに、かなり消耗しているのが分かる。
「グルルルル…………ウオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォン!」
低く唸った後、天を仰ぎ、身を震わせながら、遠吠えを上げる。
それは辺りの空気を振動させながら体育館中に轟き、壁面上部に設けられた窓ガラスがガタガタと音を立てる。
湊輔たち五人の体にも、その衝撃がビリビリと伝わった。
遠吠えとともに、人狼型の体のあちこちに異変が起こる。
まるで血管が浮き上がったような真っ赤が筋が全身のあちこちに浮かび上がり、あらゆる筋肉が膨張して身体が肥大する。
「お前ら、腹くくれ。こっからがこいつとの本当の戦いだ」
泰樹が最後列にいる有紗と並ぶ位置に移動しながら、淡々と告げる。
湊輔は泰樹の行動に違和感を覚えたが、すぐさま意識を人狼型に向ける。
内に収めていた激しい怒りを体現したような容貌へと化けた人狼型。ふと体勢を低くしたかと思えば、視界からその姿が消えた。
「後ろッ!」
雅久が叫ぶ。
「――ッ!」
湊輔が振り返ると同時に、有紗が声にならない悲鳴を上げた。
今さっきまで取り囲まれていたはずの人狼型が有紗と泰樹の後ろ側にいる。
一歩踏み込むとともに、体をひねって左半身側に構えた右腕を振り払い、有紗めがめて裏拳を繰り出す。
ドゴッと鈍い音が鳴る。人狼型の一撃が命中した音だ。
直後、ズシュッという低く鋭い音が鳴る。
湊輔は思わず身を見張った。
有紗に裏拳が当たるより早く、泰樹が間に割り込み、肥大化して太さを増した人狼型の前腕を受け止めていた。
それだけではない。すでに剣を左手に持ち替えており、瞬く間に上段斬りで反撃し、敵の右腕を深々と斬りつける。
痛手を負った人狼型だが、これで怯むことはない。
再び姿勢を低くして、姿を消す。
「いらっしゃい、犬っころ!」
今度は陣形左側に控えていた巧聖の近くに現れた。
巧聖はその動きを予測していたのか、すでに構えていた槍を突き出す。
だが、その一撃は空振りに終わる。人狼型が再び姿を消したからだ。
「――湊輔ッ!」
雅久の悲鳴とも思えるような叫び声が響く。
人狼型が現れたのは湊輔のすぐそば。貫手を繰り出そうと、すでに構えている。
湊輔は直感した。――『死』を。
人狼型はこれを狙っていたのだろうか。
大盾を持った雅久がすぐには追いつかない陣形の真後ろに飛び移り、有紗を狙うことで泰樹が動くことを。
ある程度戦い慣れした巧聖のそばに飛び移り、彼がそこを狙って槍を突き出してくることを。
やがて一人が取り残される。そう、陣形の右側に着く湊輔ががら空きになることを。
怒り狂っているように見えて、敵を一人確実に葬るために動いていたとなれば、なんと狡猾な相手だろうか。
それが人狼型の動物的な本能なのかは定かではないにしても、この展開はまるで偶然とも必然とも捉えることができる。
湊輔の体感的な時の流れが、酷く緩やかになる。
動画の再生速度を一〇分の一、一〇〇分の一にしたように、湊輔に駆け寄ろうとする雅久と泰樹、愕然とした表情で振り向く巧聖、矢をつがえる有紗、湊輔の視界に映る周囲の味方の動きがスローになり、聞こえてくる声や音がかなり間延びしている。
そして湊輔の眼に、脳裏に、ドシュッという小さく鈍い音と衝撃が自分の体から起こり、視線を下ろすとみぞおちのあたりから黒く太い腕が突き出ている光景が浮かぶ。
続いてズリュッと腕が引き抜かれると、体から力が抜けて崩れ落ち、やがて視界が暗くなり、意識が薄れていく。
――そっか、俺、死ぬんだ。呆気ないな。
不思議と、湊輔は自分の死に何一つ抵抗感を覚えなかった。
これから起こる悲劇を見せつけられ、どうすることもできないと悟り、あっさりと受け入れてしまっていた。
もはや停止に近いほど酷く緩やかな時の流れの中、湊輔は目を開きながら、意識の中で眼を閉じた。
――ごめん、雅久。俺、諦めちゃったよ。きっと雅久のことだから、色々悔やむんだろうな。「俺がいながら死なせちまった、ちくしょう……」って。泉さん、学力テストで上位の泉さん。A組だし、これといった接点なんてなかったのに、こんなところで話せるなんて、ある意味ラッキーだったかも。凛としてて大人っぽくって高校生って思えないくらい美人で。そういや、屋上で声かけたとき、良い香りがしたな。荒井先輩、初対面なのにめっちゃフレンドリーだったな。せっかく戦技のこと懇切丁寧に教えてもらったのに、図書館行こうって思ったのに、もう行けないんだな。柴山先輩。めっちゃ強ぇ。すげぇ。ホント、翼人型より、人狼型より化けモンだよ。あぁ、せめてお礼くらい言わせてくれよ……。父さん、母さん、ごめん。俺が先に逝くみたい。昔っからワガママばっかり言って、ごめん。ありがとう。一六年の命だったけどさ、たった一六年だったけどさ、生まれてきて良かった。ホントにありがと――え?
瞬間、湊輔に見えていた光景が巻き戻されていく。
薄れゆく意識が明るさを取り戻し、崩れ落ちた体が起き上がり、再び太い腕がみぞおちを貫き、引き抜かれたかと思えば開いた穴が塞がっている。
人狼型が背後に現れ、貫手の構えをとるその瞬間まで巻き戻された。
湊輔は唖然とする。見せつけられた自分の死の光景が巻き戻ったことに。
そんな湊輔の様子はお構いなしに、今度は先ほどとは異なる光景が繰り広げられる。
人狼型の股下を転がるように、突き出される貫手を避けながら背後をとり、右足の太ももの裏側めがけて破突、そして抉牙で追い打ちをかけては剣を引き抜き、飛び退いていく自分の動きが視えた。
湊輔は見えざる糸とそれを操る手に動かされるように、咄嗟に身を投げ出して人狼型の股下を転がる。視界の端で、赤い筋を浮かべた黒く太い腕が自分のいた場所に突き出されるのが見える。
息もつかぬ間に身を翻しながら、泰樹の動きを忠実に再現するように、剣を持った右手を敵の右足太ももの裏側めがけて突き出す。
ズサリと鈍い感覚が体に伝わってくる。さらに突き刺した剣を力任せに右に左にと動かしては引き抜く。
人狼型が右足を後ろに振り上げて馬蹴りを放つが、湊輔はすでに逃げるように離れた後だった。
一連の動作を終えた途端、束の間の急激な緊張が解けたせいか、湊輔は呼吸を荒くしながらその場にへたり込む。
顔を上げると、ちょうど駆け寄ってきた雅久が、人狼型の横っ面を大盾の角で殴打する一撃を見舞っていた。
「おぉ! すげえじゃん湊輔ぇ! ひゅーッ!」
向こう側にいる巧聖が称賛しながら声を荒げている。
「いいぞ、よくやった」
頭上から低いハスキーな声がしたかと思えば、頭をポンと軽く叩かれる。
泰樹だ。相変わらず目つきは鋭く、笑みの色は一切見られないものの、その声からはすごみは感じられない。
湊輔はどこか報われたような気分になった。
ガンッ、ガンッ、ガガンッと衝撃音が立て続く。
人狼型がまるで我を忘れたかのように、両腕を振り回して雅久の大盾に何度も連続で叩きつけている。
かと思えば、一歩下がって姿勢を低くし、
――またアレだ。
姿を消した。
いや、実際は姿など消えていなかった。
人狼型は高く跳躍して雅久の前方から飛び去ると、再び有紗の近くへ着地した。
姿が消えたように見えたのは、跳躍の瞬間のスピードがあまりにも速かったからだ。
だが今は、足に深手を負っているために対したスピードは出ない。湊輔の目でもその跳躍している姿が追えるくらいだ。
有紗にもその動きは見えていたようで、人狼型の着地点の予測がつくと、その場から離れて矢をつがえて構える。
寸刻遅れて人狼型が着地する。わずかに体勢が崩れた。ここでも足のダメージの大きさが顕著に現れている。
その一瞬の好機を逃さず、有紗は引き絞った弓の弦から手を離した。
放たれた矢は人狼型の左目に襲いかかった。いや、正確には左目の上あたり。
ほんのわずかに怯んだような動きを見せたが、気のせいだったのか、人狼型は身を屈めると有紗めがけて頭から突進する。
だが驚異的なスピードはなく、雅久が有紗と入れ違うのに十分な余裕があった。
ガァンッと雅久の大盾に人狼型の頭突きが直撃する。
攻撃を防がれた人狼型は身を起こすと、両手で大盾の両端をつかみ、さらに口を大きく開けては盾の上辺に食らいついた。
「こいつぅッ!」
雅久は、食らいつきながら揺さぶってくる人狼型の動きにどうにか対応して、大盾を手放さんとばかりに堪えている。
「荒井ッ!」
「はいよ!」
泰樹が声を張り上げて荒井を呼ぶと、巧聖がそれに応えるとともに、走り出す。
今回二度目の迅風突で、巧聖は人狼型に肉薄する。
距離が詰まったところで槍を突き出すかと思いきや、咄嗟に槍高跳で高々と跳躍した。
またも人狼型の頭上から襲いかかる。
「グウウッ!」
大盾に食らいつく人狼型の頭頂部に巧聖の槍が突き刺さった。
人狼型の体から力が抜けて、大盾を離し、よろめく。
それに合わせて、巧聖は槍を引き抜いて離脱した。
よろめいた巨体が倒れ込むかと思えば、左足で踏ん張って体を支えている。
――まだ終わらないのか?
もはや満身創痍と言える状態にも関わらず、真っ赤な眼はいまだ闘争の炎を宿している。
「化け物のくせに動物みたいな生存本能持ってんのかねぇ。……ここまで来ると生存本能とも狂気とも言い難いんだけど」
巧聖は呆れたようにぼやく。
「グウウゥ………………グアアアアアアアアアアア!」
叫び声を上げるとともに、再び人狼型が動き出す。
両腕を乱雑に振り回しながら前進する。
「もしかして、見えていないの?」
先ほどの有紗が放った矢が功を奏したらしい。
人狼型の動きは誰かを狙っているようには見えない。
「もう、終いだ」
泰樹が人狼型の背後に回り込む。
腰から後頭部まで覆うように逆立っていた尾は垂れ下がり、背中がむき出しになっている。
その背中の中心部に、赤く丸いものが見えた。
肉薄した泰樹が、それに剣を突き立てる。ひび割れ、砕け散った。
途端に人狼型の動きはピタリと止まり、ドスンッという重量感溢れる音を立てながらうつ伏せに倒れ込む。
体中に走っていた血管のような赤い筋は消え、元の真っ黒な容貌に戻ると、体の端から霧散して消えていった。
人狼型が消え去ると、まるで時間が遡るように今回辿った光景が巻き戻され、湊輔は一年B組の教室の自分の机に着席していた。
周囲の風景が色づき、突然消えた生徒が現れ、いつもの日常へと戻ってきたことに安堵の息を漏らした。
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