やがて忘却の川岸で

作者 ピヨピヨ

僕を知っている人 2

弔い人カロンの家はいたって普通の人間が住んでいそうな内装をしていた。
きちんと掃除された床や、埃のない机や小物からして家主は掃除が趣味らしい。
ちゃんと掃除ができる人は好きだから、僕はそれでこのカロンと言う魔物に、一定の好意を置いた。
カロンは僕とセシリアにお茶を出し、僕はセシリアが喋れないこと、そして死にたがっていることを彼に伝えた。
すると彼は「なるほど」と無愛想に言って、あっさりと殺しの依頼を承諾した。

カロンは僕をまるで友人のようにもてなし、気さくに話しかける。
そして僕のことを良く知っていた。

「エリーサは元気か?」
「……。」
「お前1年もどこで何をしていたんだ?カルミアも心配してたんだぞ、またどこかで動けなくなっていたのか?」
「……そうじゃない…けど…」
「……お前は何も変わらないな。」

カロンは癖のある髪を掻きながら、紫色の眼差しを僕に向ける。

「…カロンは…なんでエリーサのことを知っているの?」
「は?…いや、お前が教えてくれたんだろ?何を言ってるんだ、また変なものでも食べたのか?」
「僕が…教えた?いつ?どこで?一体君はなんなんだ?」
「お前、それ冗談か?」

本当に心配そうに顔を覗き込まれ、僕は少し気まずい思いをした。でも見知らぬ初対面の人に全てを知られている事実は素直に恐ろしさを感じる。

「一体…君は誰?」

僕の一言にカロンは目を見開く。驚きと疑問符色の感情が見て取れる動揺ぶりに、僕はまるで調律が取れない歯車になったような、居心地の悪さを感じた。
再びカロンが口を開こうとした、刹那。
突如玄関の扉が大きく開かれた。

「カロンただいま!見て見てパンが半額だったの、お得な買い物しちゃった♪」

その場の暗い色を一気に明るく塗り替えた高い声に僕らは拍子抜けして、声の主を見やる。
明るい小麦色の短髪、明るい日差しのような金色の瞳、歳は20代前半あたりか…
玄関には見慣れない女性が一人買い物カゴを持ち、また彼女も驚いたような顔をしていた。

「あら…あらあら、お客さんだわ!こんにちわ、ルーアさんもお久しぶり、元気にしてた?心配してたのよ?」
「あ……あぁ…どうも。」

この男の嫁だろうか…でも人間だ、エルフでもない。それに僕の視線は自然と彼女の腹部に誘導される。
それは不自然に大きく膨らんでいた、おそらく中に赤ん坊がいるのだ。
様子を見るに今月が臨月だろう、いつ生まれてもおかしくはない。

彼女も僕を知っているようだった。

「お前…その体で歩き回るなよ?俺たちの子供に何かあったらどうするんだ、さっさと寝ろ!」
「えー!?でもぉ、赤ちゃんがお外の空気吸いたいって言うから、あとパンも食べたいって。」
「言う訳ないだろ!しかもパンもまだ生まれてないのになんで味知ってんだ?」
「それはぁ…えっと…勘みたいなものよ!」

カロンは慌てて立ち上がり、彼女を寝室に連れて行く。不満そうな声が聞こえたが…

「気にするな、いつもあんなんなんだ…」
「大変だね。」
「あーそうそう、後であいつの診察してくれないか?お前…昔は医者だったんだろ?最近どうも”近い”みたいでな…心配なんだ。その間俺はこっちの獣人の奴と話をしてくる。」
「……うん。」
「それで…さっきの話だが、カルミアのことも覚えてないのか?ここで過ごしたことも、何もかも…」
「僕は、どうやら前にもここに来たことがある…とは思うよ、でも…わからないんだ…何もかも忘れたのかも知れない。」
「……忘れた…か。」

カロンは顎に手を置きながら何か考えあぐねていたが、しばらくして深いため息をついた。

「ひとまずは…仕事を先に片付けよう。
 おい、娘…ちょっと俺と表に出て話そう、まずは話し合いからだ…筆談だから紙はいるよな。」

そうして、カロンは外着に着替え始めた。
セシリアは少し緊張が和らいだように見えたが、緑色の瞳は未だ不安そうに揺れている。
僕は黙ったまま、そっと彼女の頭を撫でてあげた。




「ルーアさんはどこかで頭でも強く打ったんじゃないかしら?だって本当はとても物覚えいいもの。」

ベッドで木霊の頭を撫でながら、彼女…カルミアはそう僕に告げる。
彼女は人間でありながら、死神の嫁としてここに暮らしている。つまりは魔族と人との異種婚、かなりの珍しいタイプだ。
それに魔族と人間では子を成すのはとても難しい…というかできないはず、一体どれだけ苦労したのだろう。
考えれば考えるほど、妙な夫婦だった。

「初めて来た時はどんな風だった…?」
「そうねぇ…だいぶ昔のことだけど、確か雨の降る夜にここに来たのを覚えてるわ、服がびしょびしょで、沢山の青い蝶々が舞って…”友達を殺してください”ってカロンに頼んだのよ、いきなり。」
「そう…なんだ。」
「エリーサさん…だったわよね、確か。ルーアさんのとても大切な人。」
「……うん。」

大切な、そう大切な人だ。
僕は彼のことが嫌いではない、それにずっと僕がいなきゃあの場所はずっと寂しい場所だからだ。
今もずっとあの暗闇にいるエリーサを思い出すと、胸の奥がツンと悲しい。

「…ごめんなさいね、結局、カロンはあなたの友達を殺さなかったわ…いえ、殺せなかったんだけど。」
「殺せないって、どういうこと?」
「わからないわ、でもカロンは魔物は殺せるけど、死神は殺せないって前に言っていた気がするの…だから自分も殺せないって。」
「………。」

…それはとても残念だ。
ならば、僕は一体なんのためにここまで歩いてきたのだろう。
また、一からやり直しだ。

「ねぇ、ルーアさん、一つずっと聞きたいことがあったんだけど。」
「……何?」
「なんで、その友達を殺したいの?」

そう聞かれて、そういえばなぜ僕は彼を殺したがっているのだろうと思った。
なぜ、彼のためにこんなに奔走しているのか…
なぜ、人間になる薬を探してまで彼を殺したがっているのだろうか…

いや、本当はもう分かっている。

「彼に”許し”を与えたいんだ。」
「許し?」
「彼は、昔に犯した大罪のせいでずっと暗い場所に独りぼっちで取り残されているんだ、だから僕は…彼を解放してあげたい、許してあげたいんだ。」
「……それで、死なせてあげたいのね。」

一度大罪を犯した人間は死神へと生まれ変わる。そしてその罪に見合った業を課せられるのだ。
人間へ戻す薬があればなんとかなるのではと思った時期もあった、だが一度罪を犯した人間はまた同じことをするだろう。だから僕が人間にする薬を求める理由は、それで死神としての特性を失った彼を殺すことが主だ、それなら可能性はあるのかもしれない。

「でも、それって本当に許されることになるのかしら。」

カルミアの一言に俯いていた顔をあげる。

「死ぬことで、罪は許されるとは私は思えないわ。」

カルミアの太陽のような目と目が合った。

「だって、それって逃げてるのと同じよ。」

逃げてるのと同じ…その言葉に思わず手元から小さな蝶が舞い立つ。今まで罪は死んで詫びるのが一番だと考えてきた、死ねれば罪は許されるのだと。
そうでないとしたら…

「死ぬから勘弁してください…もう生きようとしませんから許してください…不幸になるから、幸せにならないから許してくださいって、神様に言っているようなものじゃない?でもそれは私は正しくないと思うの…だから…」
「………。」
「えーっと…だからね……」
「………。」
「…ちょっと、言い過ぎたかもしれないわね…ごめんなさい、あなたのことよく知りもしないのに。」
「…いや、別に……たしかに、そうかもしれないから。」

むしろ少し冷静になれた気がする。
確かに、これは逃げだろう。
僕は罪から逃れようとしている、そして彼に罪から逃れてほしいと思っている。
醜い独りよがりの偽善だ。

「そうだ、君を診察してほしいって頼まれていたんだった。」

半ば無理やり空気を変えようと話題を変えた。

「あ!そうそう、それなんだけど最近どうも調子が悪くて…もうすぐ生まれてくるのかなぁ?」

彼女はぱわぁと笑顔になって、お腹をさする。本当に明るい人だと僕は思う、可愛らしい女の人だ、本当。
騒がしいけど、嫌いじゃないな。

「じゃあ、診察します。」





カルミアはここの生活のこと、カロンのことを沢山話してくれた。そのどれもに覚えはなかったけれど、カルミアは嬉しそうだった。

「カロンの子供って一体どんな子なんだろう…私にも似てるかなぁ…名前はどうしよう。」

愛しそうにお腹の胎児を愛でる姿を見ていると、僕は少し昔のことを思い出した。

彼女も確かこんなふうにお腹をさすっていたな…とか
彼女のお産を手伝って僕らの子供を取り上げたこと…とか

その子供が、死産だったな…とか…。

「……っ。」

カルミアの表情が一瞬歪んだことに気づかず、僕はぼーっと床を見つめていた。
脳裏には死んだ赤子を抱きながら、何度も、何度も何度も何度も謝り続ける彼女の姿が浮かんでいた。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいって…何時間も、何日も……
僕は…
何もしてあげられなかった。
ただ、そんな彼女のそばにいた。

「ルーア…さん……っ…」

か細い声に、ゆっくり振り返るとカルミアがお腹を押さえて唸っていた。
数秒、僕は固まった後、すぐさま立ち上がって彼女の側による。彼女は息を荒げながら、体を硬くして、そして苦痛に歪めた表情を無理やり崩して、笑みを浮かべた。

「これ…やばい、かなぁ…っこの前のより、酷い…かも…ッ!」

ーーーーパシャッ

水が弾けるような音がした。
破水だ、膜が破けたんだ。

「生まれる……かも……」

カルミアは嬉しそうにも、不安に恐怖に駆られたようにも見えるなんとも言えない表情で、僕の腕にしがみついた。

これは、大変な日に居合わせてしまったのかもしれない。

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