やがて忘却の川岸で

作者 ピヨピヨ

少女の願い

頬を突かれる感触に僕は短い夢から目を覚ます。
昔の、人間だった時代の夢を見ていた。
胸が少し痛かった、痛みは感じない体だったが、やはり痛んだ。
あたりは既に朝になっている、空は快晴だ。
仰向けになり空色を眺めていると、その視界に少女が入り込んできた。
彼女だ、獣の彼女がこちらを恨みがましい目で睨んでいる。

「良かった、生きてたんだ…」

素直にそう言うと彼女は一瞬目を丸くして、ぷいっと向こうを向いてしまった。
僕は起き上がり彼女に問いかける。

「もう…怪我はないかい?ごめんよ、僕の血は……酷かったろ?」
「………。」
「酷く苦しかったはずだ……何か体に異変が…」
「………。」
「……セシリア?」

彼女は返答をしない、僕は嫌な予感を感じた。

「声が、出ないのかい?」

彼女は僕を睨みながら、頷いた。
なんてことだ、僕は彼女から声を奪ってしまったのだ。
僕は彼女にイエスがノーかで答えられる質問を幾つかする。
どうやら失ったのは声だけであり、他は大丈夫らしい。
今はもう痛みもないようだ。
あとお腹が空いているらしい。

「ミートパイが食べたい……?流石に、それは用意できないよ。」
「……。」
「睨まれても、無理なものは無理さ…すまないけど。」

わがままな彼女は不機嫌そうに頬を膨らます、やれやれ困ったことになった。
これからどうすれば良いものか…全く検討がつかない。
僕は彼女をじっと見つめながら、今何をするべきか思案した。

出た結果は、ひとまず彼女の服を買うべきだ、ということだけだった。





「それで連れてきちゃったの?」
「うん、行く当てもないから。」

エリーサは船の上から彼女をじっと見て、耳は生えてないんだね?と何故か少しがっかりした様子でそう言った。
彼女と言えばずっと僕の後ろに隠れたまま、興味深そうに川やエリーサの乗る船を見ている。

「ひとまず…ほら紙あげるよ、その方が話しやすいだろ?」

エリーサはそう言って紙とペンを差し出した。彼女はそれを受け取る。
さらさらと何かを書き始めた彼女をそのままに、僕はエミリアがちゃんとここに来たかエリーサに聞く。
どうやらちゃんとここに来れたらしい。
良かった。

「にしてもここ何日も俺を放っておいて、こんな可愛い女の子と一緒だったなんて、嫉妬しちゃうなぁ〜、ルーア。」

エリーサはわざとらしく爪を見るふりをして、僕に不満そうな声で文句を言う。

「しかもさ頼んだ本も忘れちゃうし、ちょっと最近冷たいんじゃなくって?俺泣いちゃうよぉ?ただでさえ一人ぼっちで寂しいのにさぁ。」
「悪かったよ…次はちゃんと本持ってくるから。」
「……そこじゃないんだよ…ばか。」

エリーサは船のヘリで拗ねたように頭を乗せ、悪態をつく。その傍らで白蛇が慰めるように彼の首筋に緩く巻きつく。
一体何が馬鹿なのか…分からない。

「ごめんよ、次からはちゃんと来るから…」
「………。」
「林檎も本も……ぶどう酒も持ってくるよ。」
「……ルーアも一緒に食べてくれる?」
「僕は食べる必要は…………食べます。」

食べたくなかったが、エリーサの白蛇のような瞳がこちらを不満げに睨んだため、言い直す。
正直面倒だったが仕方ない、確かに最近の僕はあまり構ってあげられてなかったかもしれない。

「じゃあ、許してあげる…そろそろ特別な日が来るし。」
「……?」
「なんでもない…ほら、彼女書けたって、見てあげなよ。」


エリーサの少し含みのある言い方に首を傾げたが、答えなさそうにないので、彼女の方を構うことにした。
セシリアの渡した紙には達筆な字で以下の通りに書かれていた。

『死にたくなったから、手伝って』

僕がその意味を飲み込む前に次の言葉が流布される。

『貴方のせいだから、最後まで付き合ってよ、死神なんだから』

僕は2枚目の紙と彼女の若葉の瞳を交互に見やる、彼女はしっかりこちらを見ているし、この紙の字は書かれた言葉以外に意味がない。
死にたいから手助けをする……しかしなぜ?
それに僕のせいって…

「なぜ…君は死にたいの?」
『妹を食べたから、もうこの体じゃ人間を食べるほか生きていけないし、それは嫌だもの』
「人間に戻りたいとは思わないのかい…?」
『いいえ、絶対人間なんかに戻りたくないわ。でもこのまま獣として生きていくのは嫌、だから死なせてよ。』
「………。」

彼女の意思は強く宝石のように高貴で硬いものらしい…これは面倒なことになった。
悩む僕の手からエリーサがひょいっと紙を取り上げる、すると「ほほう」とわざとらしいような声を上げる。

「君死にたいの〜?じゃあ乗せてってあげるよ、それで全部解決ってことでしょ?」

さらっと死を助長するエリーサは手招きしながらセシリアを船へ誘う。セシリアはしばし目を丸くしたが、頷いて船へ乗り込もうとする。
その道を僕は手を伸ばして塞いだ。

「無理だ、生きた精霊や魔物はこの川を渡れない。」

そうだ、この川は彼女用には作られていない。あくまで死んだ人間と死んだ動物用だ。
彼女は川を渡ることはできないのだ。

「やってみなきゃわかんなくない?」
「無駄だよ、渡ろうとしても船が戻ってきてしまう、渡れやしないんだ。」
「そうなの?それならダメか…他の方法考えなくちゃ……ってルーア。」
「…なんだい?」
「なんで船が戻ってくるって知ってたの?」

目を丸くしたエリーサに言われ、僕は息を詰まらせる。
知ってた…ってそんなの当たり前じゃないか、前も試したんだから。
いや、前って一体いつのことだろう……1年前?10年前?100年前……?その頃にエリーサはいただろうか?

僕は何故、そんなことを知っていたんだろうか…試したことは……一度もないはずなのに……前って何?
試した記憶は覚えている中ではないはずだ。でも僕は知っている。

”ずっと前から知っていた”

「ルーア…どうしたの?」

エリーサの声に思考で散らかる頭を現実思考に戻した。目の前には心配そうにこちらを覗き込む蛇の彼がいる。
赤い2つの目が僕を射抜いている。

「なんか辛そうだよ…なんかあったの?」
「……いや、ちょっと…考えていただけ…」
「ふ〜ん……ならいいんだけどさ、これからどうするか、ちょっと話し合わない?どうすればこの子を死なせてあげられるかってこと。」
「そうだね…」

エリーサの言う通りだ、今は変なことに頭を使うべきじゃない。まずは目の前の事を片付けなくては。
そう整理して僕は、とりあえずこの違和感を保留にした。





弔い人とむらいびとカロン?そいつが精霊に死を与えられる人なの?」
「そう…彼は特別な死神、運び屋の僕と渡し屋のエリーサとは違う…”狩り人”の死神だよ。」

エリーサはなるほど…と頷く、聞いたことはあるようだ。しかしセシリアは聞いたことのない名前だったようで、ひとり首を傾げていた。
後で説明してあげよう。
それにしても奇妙な偶然もあるものだ、まさか僕が探していた死神を、他の子と探し回る羽目になろうとは…都合がいい。

「どうやって探すの?場所は分かるの?」
「まぁ…大体わかるよ、ルージアとアメストシアの国境付近の森にいるらしいから。」
「詳しいなぁ……良かったね、セシリアちゃん。」

詳しいのは当たり前だ、ずっと彼を探し続けていたのは僕なのだから…
セシリアは頷くと紙にお礼の言葉を綴った。
明日、森に行くとしよう。

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