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やがて忘却の川岸で

作者 ピヨピヨ

わがままな女の子の話 4

僕が扉を再び開けた時、彼女の姿はもう人の形をしていなかった。
くすんだ銀色のような剛毛に包まれた勇ましい獣は、恨みがましい唸り声を上げて、その姿を闇に映している。
だが瞳は彼女の聡明な若葉の色だった。

「…なんだか哀れだね。」

あんまりな有様についそんな言葉が出てしまう。
さっきまで手まで繋いで一緒にいたあの子が、こんなことになってしまったんだから…本当に哀れで可哀想。
彼女…って呼んでいいのかわからないけど、僕のそんな言葉に不服をもらすように低い声で唸る。
そんな彼女に僕はポケットからペンダントを取り出して見せた。
彼女の若葉色の瞳孔がキュッ…と焦点を合わせたのを見る限り、これが欲しかったものなのだろう。

「君のお姉さんが持っていたよ、君の大事な宝物。」

ガルル…と地の底から唸るような唸り声を上げる彼女は、今にもこちらに飛びかかりそうなほどの殺意と威圧をかけてくる。

「返して欲しかったら、元に戻ってこちらにくるんだ。そうじゃなかったら、今すぐにでもこれを粉々に砕く…僕にはそれくらいの力がある。」

まるで三流の悪党みたいな台詞を言いながら、ペンダントを人差し指と親指に挟むように持ち直し、ギリっと力を込めてみせる。
ギリギリ壊れない程度に圧をかけると、ペンダントの何処かからピキッ…と何かの軋むような音がした。

その音に獣の耳がこちらにピクッと敏感に反応する。

しばらく身動ぎ一つせず黙っていた僕らだが、やがて彼女は観念したかのように警戒の形を解き、その姿の輪郭が若い少女の形になる。
服は着ていなかった、でも僕は目を逸らすことなく彼女を見つめた。

「随分酷いことするのね…最低な男。」

恨むような蔑むような声が暗闇から響く。
先程の唸り声と同じ声帯から出てくるとはにわかに信じがたいほど、凛と響く綺麗な声。

「君も、僕を騙していた。」
「……そうね、でも仕方がないじゃない、私は狼少女で今まで嘘ばっかりついてきたんだから。」
「嘘?」
「そう、嘘…私は嘘ばかりなの。」

彼女はそこでため息をつく。
長いため息をわざと僕に聞かせるように…

「どうせ、妹はもう裏手から出たんでしょ?分かるわよ、気配で。上手くやったつもり?私を騙せたつもり?ねぇ、意地悪して何が楽しいの?」

彼女の赤い口から、乾いた笑いが漏れる。
クスクスと笑いながら、笑顔で僕に一歩、さらに一歩近づいてきた。

「君は、妹が憎かったのかい…?」
「楽に死ねて良かったんじゃない?病気で死ぬ方が苦しかったに決まってるんだから……あんな奴早く死んだほうがよかったのよ。」
「妹をなんで殺したの?」

僕の度重なる質問に彼女の笑顔が消える。
すぐ近くまで歩み寄った彼女の体は、月明かりに照らされ、白く闇の中でくっきりと痩せた体の形を浮かび上がらせた。
麦のような黄金色の髪が、風邪に吹かれて闇に広がる。

「………お腹が空いたから。」

彼女は空虚な視線を宙に向けながら、ポツリとそう呟いた。
やっぱり、そうなんだ…と僕は思った。
彼女は殺したのではない、ただ欲求に耐えられなかったのだろう。
人狼はそう言うものだ。
どう足掻いても、食欲に勝る欲はない。

「……お爺ちゃんが狼だった。」

彼女は目を伏せながら囁く。

「私は最近まで普通だったの、野菜だって食べれたの、食だって細かったのに……15歳の頃から体が変わってきたの。」

自分の両手を見つめて、彼女は続ける。

「まずは爪から、それから耳…そして目や歯が月の日に変わった。野菜が食べられなくて何度も吐いたわ…それでお肉が食べたくて…でも牛や豚じゃ全然ダメ、お腹いっぱいにならないの。」
「………。」
「ねぇ…なんで私だけなのかな…私がいっぱいわがままを言ったから?だって妹ばかり構われて寂しかったのよ、私のことだってちゃんと見て欲しかっただけなのに…
それだけなのに…」

悲しさと悔しさの滲んだ声で僕にそう言うと、彼女は俯いていた顔を上げ、涙を溜めた潤んだ瞳を僕に注ぐ。

後天性の人狼はその血の濃さによって、稀に人に紛れることがある。
血筋に狼人間がいたら、その血は交配を続けても末代まで薄れることなく残り続けるんだ。
まるで呪いのように…
でも魔物からしたらアレは祝福と言うらしい。
よく分からないけれど、僕らにとってアレはそういうもの。
昔誰かが言っていた。

「あなたにはわかる?この気持ち。」

彼女はその頬を濡らしながら、僕にそう聞いた。
この気持ちとは、兄弟を恨んだことがあるかと言う質問だろうか。

もちろん、人を恨んだことはない、一度も。
死んでほしいとか、傷ついてほしいなどとは、思ったこともない。

でも、あの子は…

僕を恨んでいたに違いない。

「分からないよ……それが分かっていたら、僕はこんなことにならなかった。」

そう呟いた直後、彼女は僕に抱きついた。

いや、噛みつかれた。

ドサリと音を立てて、僕の体は冷たい地面に叩きつけられた。
僕の持っていたペンダントは草むらに落ちる。

「私貴方が大嫌い、大嫌いだから。」

喉に噛みつきながら彼女は酷く辛そうにそう言った。噛みつかれた場所から黒い水が流れていく。
ああ、だめだ…
僕は彼女に手を伸ばす。
それを飲んじゃだめだ。

僕はなんとか彼女にその旨を伝えようとしたが、彼女の長い獣の喉は黒い僕の血を嚥下してしまう。

刹那、彼女の苦しみの咆哮が夜闇を劈く。 
僕の血は過去色々な劇薬を飲んだことによる副作用でかなり澱んでいるのだ、そんなものを飲んだらどうなるか…僕ですら分からない。
彼女は悶え苦しみながら、その白い四肢を草原に投げ出す。喉を押さえその場に嘔吐する。

その光景を見ながら、僕はひゅーひゅーと喉を鳴らす。僕の澱みにあてらた彼女が苦しみの海に溺れている様を観ながら、僕はそれでも彼女を救いたくて手を伸ばす。
しかしすぐに意識は混濁し、僕の視界は重くなった瞼に従い、外界を遮断した。

獣の咆哮はしばらく続いた。






偉い人になりなさい。

優しい人になりなさい。

賢くなりなさい。

そしてお母様とお父様に奉公できる良い息子になりなさい。


そう母上と父上は言った。

だから僕は医者の道を選んだ。
病気に苦しむ人を助ける為に…

だから僕は優しい人になった。
周りが笑顔であり続けられるように…

だから僕は賢くなった。
より多くの人の幸を探してあげられるように…

母上と父上の為だけではなく、周りの人の為、全ての人の幸せを願い、自分の事より他人を優先した。
僕のことなんかどうでもいい、ただ周りに幸せになって欲しかっただけで、それに見返りも何もいらなかった。

だから、周りに気持ち悪いって言われても、構わなかった。

でも、僕は優しすぎたのかもしれない。

「僕を殴れよ!ほらっさっさとやれよ!偽善者!」

そうだ、僕は偽善者だ。
だから、あの時君を殴れなかったんだ。

あぁ、本当にごめんよ…









本当に、本当にごめんよ…

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