想色40season's

漆湯講義

2.追憶の旅

「さやかちゃん!」

    懐かしいその声に私が振り向くと、何故か幼い頃のしーちゃんが"私と同じ目線"で、団子虫を両手一杯に乗せて私に向かって差し出していた。

「きゃー!    気持ち悪い!    何でそんな事するのっ?    しーちゃん嫌い!    どっかいって!」

    そんな言葉が私の口から勝手に飛び出す。
    そこで私は気付いてしまった。これは私。幼い頃の"私自身"だという事に。
    そして幼い頃の私は小さなその手でしーちゃんの手を叩き払うと、地面に散らばった団子虫を睨んだ。
    小さい頃から私は虫が苦手だった。今思い返すと、この時に見た、しーちゃんの手のひらの上でウヨウヨと蠢く団子虫の無数の足がトラウマになったのかもしれない。
    そして私がしーちゃんへと視線を戻すと、怒るわけでもなく何処か寂しげな瞳で私を見つめるしーちゃんの表情が小さな私の胸をぎゅっと締め付けた。

    すると突然、パッと画面が切り替わるように目の前に満開の桜並木が現れる。
    横を見ると、さっきより少し大きくなったしーちゃんが立っていて、私の視線に気付いて今と変わらない優しげな表情で微笑むと、それに呼応する様に春の柔らかな風がそっと私の頬を撫でた。
    私はというと、嬉しそうに綺麗な折り目のついた灰色のスカートの裾を摘んではヒラヒラと春の陽射しに揺らしながら落ち着き無くぴょんぴょんと身体を小さく上下させていた。
    そして不意に後ろからお父さんの声がして振り向くと、見慣れない晴れ着姿のお父さんとお母さん、それとしーちゃんの両親が幸せそうに私たちにカメラを構えていた。
    ……懐かしいお父さんの姿につい目頭が熱くなる。
    お父さん……嬉しそうだな。

「はいっ、二人とも笑って!」

   シャッター音が小さく響いたかと思うと、次の瞬間、目の前に広がる景色や風の匂いがまた、見覚えのあるものに変わった。

    ……何でもない過去の日常の一コマや、記憶に残る出来事、そんな一つ一つが春飆(しゅんびょう)の様に現れ、過ぎ去っていく。
    そうやって私は過去の記憶を旅するかの様に数え切れない程の思い出を繰り返した。

 そしてその旅はだんだんと記憶に新しいものへと移り変わっていき、再び景色がパッと移り変わると、私は"あの場所"に立っていた。
    ……この景色は今でもはっきりと覚えている。たぶん、一生忘れる事のないこの景色を。


「しーちゃん、話って何?」

「えっ、あ……うん。あのさ、ここ、覚えてる?」

    家から少し離れた、高台を走る崖沿いの道路の脇の小さな敷地に造られた東屋(あずまや)のベンチに座ってしーちゃんが言った。
    私は東屋の腰壁に肘をついて、夕陽に染まる崖の下の街並みを見下ろしながら答える。

「えーっ?    うんとねぇ、あ、そうだ!    確か昔ここで……しーちゃんおしっこ漏らしちゃったんだっけ?」

「ちげぇよっ!    違わなくもないけど……そんなんじゃなくて」

    私が振り向くと、しーちゃんは少し頬を染め下を向いていた。私はそのしーちゃんの姿が、なんだか昔と変わってないように思えて、ちょっぴり嬉しくなってしーちゃんのほっぺたみたいな色の遠くの空を見上げた。

「ねぇ、話ってなに?    早くしないと暗くなっちゃうよ?    あ、高校行くのやめたいとかそういうのは絶対ダメだからね」

「まだ行ってもないのにやめねぇよ。そんなんじゃなくてさ」

「じゃぁどんなんなの?」

「その……お前、昔ここで言っただろ。俺が東京の高校行こうか悩んでた時。"私はしーちゃんがどこ行ったってずっと一緒だよ"ってさ」

「そうだっけ?」

    私がそうやってとぼけて笑ったのに、しーちゃんのいつもの"なんだよ、ばーか"という言葉は私の背中に返ってこなかった。
    今思うと、しーちゃんはこの時から緊張してたんだなって何だか可愛く思えたりもする。

「そんな事言う為に寄り道したの?    結局私と一緒の高校になっちゃったんだからさっ、否が応でもずっと一緒じゃん」

「うん。そうなんだけどさ……別にそれは本題じゃないっていうか」

「もう、なよっちいなぁ。男だったら言いたい事はっきりいいなよ。私達の仲なんだからさ」

    私が振り向いてそう言うと、しーちゃんはゆっくり立ち上がって私の目の前まで来ると、いつもの子供みたいな笑顔は消えていて、不似合いな真面目な表情でそっと口を開いた。

「あのさぁ……」

「んー?なに?」

「その事なんだけど……俺、お前の事、幼馴染だなんて思ってないから」

    ……この時の私の鈍感さと言ったら、しーちゃんの言う通り、"ど"が付く程のものだったと反省する。だってこの時の私は、"ちょっと待って!    それって兄妹?    いや、姉弟……えっ、まさか男友達みたいなものってコト?!"なんて本気で思ってたから。

「えっと……そうなると私はしーちゃんのなにみたいなものなの?」

「ったく……今ので分かれよっ……お前は守ってやりたいっていうか、ずっと側にいてやんなきゃっていうか……俺にとって大切な人って事だよ!」

「ごめん……それって妹って事でいいの?    えっ……もしかしてお母さんじゃないよね?!」

    ……苦笑すら出てこない。
    確かにこの時の私は、しーちゃんの"幼馴染だなんて思ってないから"の一言にかなり動揺していたけど、それにしても改めて見返すと酷いものだ。

「馬鹿っ、どっちでもねぇよ」

    そして私は高鳴る鼓動を抑えつつ、目を見開き耳を澄ませると、しーちゃんへと意識を集中させた。
    "この後"だ……

「まさかの……ペッ……」

「俺の彼女になれよ」

「ト……えっ?」

    あぁ……もう一度、しかもこうやってしっかりとこのしーちゃんの言葉を聞けるなんて、私はどれだけ幸せなんだろう。私がこうやって不思議な記憶の旅をしているのはこの為なんじゃないか、なんて思わせるくらいだ。

「あぁ!    もうっ!    それだからお前はほっとけないんだよ!    鈍感だから何にも気付いて無いんだろうけどお前結構男子にモテてんだぞ?    俺が幼馴染だからってそういう関係にならないとか高括られてどれだけ俺が相談受けた事か!    お前は知らないだろうけどお前が他の男と付き合うとか想像するだけで眠れないし……もう無理なんだよ……お前が他の男にそういう目で見られるの」

    その時の私には今まで想像もしなかったようなしーちゃんの気持ちが私の耳へと飛び込んできた。
    私だけがそっと心の奥にしまい込んでいた筈のその気持ちが、しーちゃんの口から飛び出してくる……
    すると何故だか小さな涙の粒が私の思考に関係無く溢れ始め、それは瞬く間に夏の夕立ちの様に大粒の涙へと変化したのだった。

「そんな……私が他の男と付き合う訳ないじゃん。だって……だって私はずっとずっとしーちゃんしか好きになってなかったんだもんっ!鈍感なのはどっちよ……馬鹿っ!」

    その時のしーちゃんの驚いた顔といったら、もし今の私がこの身体を動かせたなら絶対写真を撮って携帯の待ち受けにしていたと思う。

「えっ……今何て」

「だから……いいよ、彼女になっても」

    こうして私達は"ただの幼馴染"からトクベツな関係へと変わった。この出来事は私の人生の中で一番特別な思い出として、これからもずっとずっと大切に心の中に輝き続けるんだって私は確信した。



    

    

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