なんとなく怖い話

島倉大大主

タンガガンタ 下

 俺はいつの間にか真っ暗な部屋に立っていたんだ。
 畳の感触とか、ぼんやりと見える机から、多分俺が子供の頃使っていた部屋だったと思うんだが、蛍光灯の紐が一向に見つからない。
 そのうち、妙な気配がすることに気が付いた。
 誰かが――いや、何かがじっと俺を見てるんだ。
 部屋の隅、バットとか竹刀を立てかけといた所だ。横の棚の下にはエロ本が隠してあったのを思い出した。勿論、エロ本から外人のヌードモデルが這い出してきたなんてことはなかったんだが、ともかく何かがいる。
 俺は目を凝らした。
 一歩そっちに近づくと、畳が軋んで埃っぽい臭いがした。
 ぼんやりと、何かがそこにあるのが判った。
 回ってたな。
 床屋のポールみたく、直立している俺くらいの大きさの何かが、くるくる回ってるんだ。
 更に近づく。
 顔が見えた。
 俺はぎょっとして、足を止めた。
 回っているのは人――いや質感が違う。

 隅にいたのは、タンガガンタだったんだ。

 爺さんにもらったあの彫像、両端が頭だから飾るにしても、立てかけなくちゃいけないし、頭が互い違いになってるから、どうやっても格好がつかなくて、どっかにしまって、それっきりだったあの彫像が、俺くらいの大きさになって隅でぐるぐる回ってるんだ。
 んで、体に絡みついていた細くて長い四本の腕が、ゆっくりと持ち上がってくるのが判った。遠心力でようやく離れられたのか、なんて考えたな
 俺はだんだん怖くなってきた。

 細くて滑らかだが、爪も指紋もない硬い手。あれに体を触られたら――

 俺はじりじりと後ずさりをして、さっと振り返った。
 そっちはドアがあって、すぐに階段がある。下に降りれば、すぐに親父とおふくろが寝てた部屋がある。
 だけども、ドアはなかった。
 目の前は真っ暗で、真っ黒なだけだった。
 俺の両手と両足が、ぎゅっと掴まれた。
 硬い手だ。
 つるつるしていた。
 俺は悲鳴をあげた。
 持ち上げられたのか、それとも、もしかしたら部屋ごとぐるっと回ったのか、ともかく俺は掴まれたまま上へ――いや、下かもしれないが、ぐんぐんと進んでいた。
 真っ暗で真っ黒な所へ、掴まれて押しやられたんだ。

 で、気が付いたらベッドに寝ていたんだ。
 真っ暗で真っ黒は目を開けると、消え去った。いつもの通りのベッドに、いつもの通りの天井の照明。
 だけども――

 隣に俺が寝ていたんだ。

 鏡で確認し、トイレで確認し、そうこうするうちに俺が起きてくる。
 はは、自分で言ってて訳が判んねえよ。
 俺がおはよう、なんて挨拶をしてきて、俺はなんとか、おはようって返す。すると俺が俺を変な目で一瞬見てくるんだ。
 はは、そうそう!
 日付を確認したよ。
 妻を殺したちょっと前に戻っていた。
 俺が出勤しちまうと、俺は慌てたさ。まあ、勿論慌てただけでその日は終わっちまって、そうこうするうちに俺が帰ってきた。
 晩飯は何? って聞かれて、俺は焦った。今日は朝から調子が悪くて、とかなんとか誤魔化してその日はなんとかなった。

 だが、次の日も、その次の日も俺は妻のままだった。

 もうホントにひどかったよ、あははは!
 もしや神様が、妻の身になってみろと教訓めいた罰を与えているのじゃないかと思ってみたりしたが、一週間して俺はあることに気が付いた。
 俺が俺を見る目がやばいんだ。
 疑っている。
 そりゃあ、そうだ。何しろ中身が俺なんだ。どう取り繕ったって違和感があるだろう。
 そして、ようやく気付くわけだな。

 このままいけば、俺は俺に殺される。

 誤解を解くべきだ。男からの電話や着信は一切ないのだから、浮気はしていないと言えば――いや、それはかえって疑われるか? 
 俺はどう考えるのか?
 目の前にいる俺は日毎に、ますます俺を疑った目で見てくる。
 仕方なく、一か八かの賭けに出ることにした。
 俺は出勤前の俺を呼び止めると、浮気をしていないと言った。なるべく俺を刺激しないように言葉を選んだつもりだった。
 だが――俺の目の奥に何かが沸き上がったのが見えた。
 俺はとっさに逃げようとした。
 俺の脇をすり抜け、玄関のドアに走ろうとして、俺は失敗を悟ったよ。
 でも、俺が妻を殺した日には、まだまだ時間があったんだ。
 だが、俺は押し倒され、喉を絞められた。
 物凄い力で何度も頭を床に叩きつけられ、更に首を絞められ、涙とゲロを吐き散らかして俺は死んだんだ。
 声が聞こえたよ。

 タンガガンタ、タンガガンタ、タンガガンタ、タンガガンタ、タンガガンタ

 震えるような調子で繰り返してやがったな。
 あれは間違いなく笑いそうになってるのを抑えている声だったよ。

 で、まあ後は同じだ。
 暗い部屋。タンガガンタ。真っ暗で真っ黒。
 で、次に起きた時は――俺は俺だった。
 妻は隣で寝てたよ。

 ははは!
 なんだ、それ? て顔してるな!
 妙な夢、ちょっとした教訓ホラ話、妻の身になって考えよう! 男の身勝手さを罰する神様の話! ってな!

 まあ、妻が俺を見る目を見た時にそれは吹き飛んじまったんだがね。

 それは俺の目だった。
 妻になってしまった状況に混乱し、俺を観察する目。
 信じられなかったよ。
 君は俺か? そう聞いたよ。
 妻は驚いたように頷いた。
 俺たちは話し合った。
 タンガガンタ、タンガガンタ、タンガガンタ。
 妻はどこに行っちまったのかも話し合った。
 誰かに相談するか?
 誰に?
 いっそ離婚してみるか?
 いや、それはあまりにも不安すぎる。
 目の届かない所で自分に何か起きるかもしれないって不安、あんたに判るか?
 で、結局、時間が解決するかもしれないから、現状維持っていう糞みたいな結論に辿り着くわけだよ。
 タンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタ!
 ん?
 いや、ちょっと言ってみたくなってな!
 あんたもどうだ? 酒の勢いで叫ぶと楽しいじゃないか?

 ……と、まあ、こんなとこかな、俺の隠し事は。
 いや、しかし時間ってやつは恐ろしいじゃないか。
 なにしろ、中に俺がいるはずのあれが『浮気』をするんだからな!
 いや、しょうがないってのは判ってるさ!
 俺達は、まだ二十代だ。性欲がありまくる!
 だけども、自分を抱けるかって話だよ!
 俺だって商売女を抱いたよ!?
 だけども――だけども、妻に――俺が中に入ってるはずなのに――あいつに欲情しちまうんだ。
 前よりも!
 激しく、あいつが欲しくなってくる!
 そんなあいつが!
 俺が!
 どうしてお前に抱かれなくちゃならんのだ!?
 俺が男に抱かれるって――一体どういう事だ!? 同性愛を否定する気はないぞ! だが、俺は同性愛者じゃない! 断じて違うんだ!
 答えろ!!!
 俺の唇はどうだった!? 俺の抱き心地はどうだった!!?
 なに? 大声を出すな?

 はっはっはっはっはっはっは!!!
 タンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタタンガガンタ!!!
 いや、大声は出すよ! なにしろ慣れっこだからね、こういうことは!
 お前にこうやって話すのだって、十回――いや百回目かもしれねえ!!
 今回だって最後には、どうせ殺し合いをして、気絶するんだ!
 あいつの中の俺が俺になるのか、俺があいつの中の俺を押し出してあいつになるのか、そんなことはもうどうだっていいんだ!!

 さあ、聞かせろ!
 次にお前と寝るときの参考にしてやる。
 好きな下着の色は?
 好きな体位は?

 妻が、いや俺が好きなら、頼むから、頼むから――


 答えてちょうだい――
 了

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