なんとなく怖い話

島倉大大主

佇む女 下

 大学から帰ると、いつもの習慣であたしはPCを立ち上げた。すると地図ソフトが勝手に立ち上がった。前回PCをいきなり切ってしまったからだ。
 地図ソフトは更新情報を読み込み、前回の場所に地図モードで移動する。このまま拡大すれば、昨日と同じく画像モードになる。
 あたしは少しの間、躊躇したが結局地図を拡大した。
 確かに昨日のあれは薄気味悪かった。だけどPCを切って五分も経ったら、もう平気になっていたし、食事をしてシャワーを浴びた時には綺麗さっぱり忘れていた。夜も快眠だったし、大学でも特に何も無かった。
 つまりは、勘違いというか、雰囲気に飲まれたというか、ビビりすぎたというか――

 ボロボロの家に女性はいなかった。
 ゆっくりと視点を回転させると――そこに女性の後ろ姿は無かった。行き交う通行人は写っているが、それは昨日と同じように思える。

「ほらなぁ」
 あたしは椅子にもたれると、大きな声でそう言った。安堵と一緒に、ちょっとした恥ずかしさが湧きあがった。
 なんで昨日はあんなにビビっちゃったのか、まったくあたしとしたことが――

 道路をクリックして駐車場の前に移動する。昨日と同じ写真だ。
 さて、ここからラーメン屋と逆方向に行くと何が――
 あたしは視点を回転させた。

 女性がいた。
 後姿だ。

 あたしはしばらくPC画面を見続けた。
 震える指で道路をクリックして先に移動すると、視点を駐車場の方に向けた。

 女性が駐車場前の道路の端に佇んでいる。
 ぼさぼさの髪から覗く口元に笑みを浮かべている。

 動いてる。
 この女――移動している。

 あたしは画像モードを地図モードに切り替えた。

 なんだこれ?
 写真の中を移動してるよね?
 幽霊? 妖怪? とにかく普通じゃない……よね?

 ふと地図の横に別ウィンドウが開いているのに気がついた。
 前回の検索結果、ラーメン屋までの家からのルートだ。道路が青く染まっている。

 ……え?

 女性が佇んでいる道路も青く染まっている。

「……嘘でしょ」
 あたしは自分の声が小さくて震えているのに気がついた。
 仮に、女性が道路を何処までも移動していくとするなら、いずれはあたしの家の前に到着する……。

 あたしはソフトを終了し、PCの電源を落とした。

 二日経った。
 どうなんだろう、と思った。画面を見なければ怖くない。このまま地図ソフトを削除してしまえば――
 いや、あの女、あたしが見ない間に移動してたよな。
 ってことは、今もじりじり移動している?

 いや! あの時、あたしが見たから移動したんだ。だから時間をおいてからもう一度見て、次の写真に移動していたなら、『あたしが見た時に動く』って証明できるじゃないか。
 そうしたら地図ソフトを削除すればいい。それで、あの女は永久に動けなくなる。

 でも、そうじゃなかったら?
 あたしが見ない間も、あたしの家の方へじりじり移動していたら?

 あたしは自分を何とか抑え、PCを立ち上げた。
 そら――あの女は――

 女は佇んでいた。
 しかも、かなり進んでいた。駐車場は既に見えない。
 あたしは視点を回転させ、周りの風景を見ていく。両側は林で道路は二車線。女はその真ん中に佇んで笑っている。表情は林の影の所為で更に見え難くなっているのに、口だけは何故か笑っているように判るのだ。
 いや、待って!
 こいつ――林の影の中に居る。ちゃんと日陰の中に居る。
 写真の中の風景、そこをちゃんと移動している!

 あたしは画面を地図モードに切り替えた。
 ここまでの距離は――まだ百キロ。約四日で移動した距離は――四十メートルくらいか。
 ということは一日十メートルで、ここまでくるのには……え? 一万日?
 あたしはちょっと落ち着いた。一万日ってことは――二十七年? え? 合ってるよね?

 ……なんだ、流石にそれは引っ越してるわ……。

「脅かしやがって……クソ女め」
 あたしはソフトを終了させると、PCの電源を落とした。

 五日経った。
 あたしはラーメン屋の事を思い出し、ついでにあの女の事も思い出した。

 あれが道路にいるってことは、迂回しなきゃならないかな。まあ、めんどくさい。やっぱり行くの止めるかな……。

 あたしは地図ソフトを立ち上げ、画像モードにすると体がぎくりと固まった。
 女は思ってたよりも先まで移動していた。
 え? なんだこれ? 一日十メートルじゃないの?
 ざっと計算すると、この前の場所から七十メートルぐらい?
 二十メートル多くないか? 
 あたしはしばらく頭を捻って――ゾッとする考えに至った。

 次の日、女は予想通りの場所に移動していた。

 なんてこった! こいつ、『二週間目』は一日二十メートル移動しているぞ!
 あたしは椅子から立ち上がると部屋をうろうろとした。
 これは――一週ごとにどんどん移動距離が伸びてくるって事だよね? じゃ、じゃあ、どのくらいで家に来るんだろう? 二か月経ったら一日八十メートルだぞ!
 どうする? どうすればいいんだ? 友達に相談? いやあ、あたしの友達でそういうのに詳しい奴なんて一人もいないぞ?
 じゃあ、お祓いとか? 神主とかにPCの画面を見せろって? なんか病院とかに相談しろって言われそうだぞ……。

 いや、待て……。

 あたしは女が立っている場所の地図情報アドレスを、ネットの巨大掲示板のオカルトスレッドに貼った。
 一時間もすると、それを見た人達の雑談が始まった。
 あたしはPCを切ると、しばらく真っ黒な画面を見続けた。

 もしかしたら、初めて犯罪に近い事をやったのかもしれないと思った。

 だけど次の日、地図ソフトから女が消えているのを確認するとそんな気持ちは吹っ飛んでしまった。掲示板に行くと、女が移動することについて議論が交わされていた。
 そのうちの一人が、あたしのアドレスを貼った書き込みに返信していた。

 ――やむにやまれずこの『呪い』を放り投げたんだろうけど、警告を書いてほしかった。だけど安心してくれ。なんとか処理してみせる。ここは暇人が多いからな。ただ、注意してくれ――

 注意? 何に?
 あたしは返信しようと一瞬考えたが、結局止めた。
 ラーメン屋は行かず、地図ソフトも削除した。掲示板は元々見ないたちだから、いつしか女の事は完全に忘れていった。


 長い時間が過ぎた。
 あたしは就職し、新しい家に引っ越した。
 持ち帰りの仕事をPCでこなしているうちに、煮詰まってしまった。気分転換をしようと犬や猫の動画や画像の投稿ページに飛んだ。閲覧注意と書かれた短縮URLをクリックする。きっと、小さい男の子が子犬に群がれられてしまう画像か動画だな、とあたしはニヤニヤしていた。

 画面が突然切り替わった。あれ? と思っていると別ウィンドウが開き新しいソフトをインストールしたとのメッセージが出る。あれ? ウィルス? でも、対策ソフトが起動してるんだから、大丈夫のはず――

 地図ソフトが立ち上がった。

 呆然とするあたしの目の前で、画面は画像モードに切り替わり――

 女が道路の真ん中に佇んでいた。

 あたしは喉が干上がるのを覚えた。指以外の感覚が一切消えてしまったようだった。
 なんで――どうして――

『注意してくれ』

 そうか、そういうことか。
 あたしみたいに追いつめられた人が、こんな場所にURLを張り付けたんだ……。

 で、でも落ちつけ。
 また、あの掲示板にこの地図情報アドレスを貼りつければいいんだ。それにあれから随分経つし対策とかが確立しているかもしれない……。

 あたしがアドレスを貼りつけたスレッドは、スレッド番号が百進んでいた。

 ――駄目だ! あの女何やっても止まらんわ! ――
 ――これ、とんでもねえぞ。あの霊能力者みたくなるのだけは嫌だぜ――
 ――もう目にも止まらねえよ。予測エミュレーターの限界超えてるわ。次あたりは即来るぞ――

 なにこれ?

 ――今までのまとめ:女の移動速度は一週ごとに『倍』になります。つまり今週二十キロメートルなら、来週は四十キロメートルです。更新は深夜0時。恐らく来訪もその時間帯だと思われます。
 この板に在住していた自称霊能力者氏は自宅で女を待ち受け処理しようと試みたらしいですが、数日後に『滅茶苦茶な状態』で発見されたと友人氏が語っています。皆さん、くれぐれも冗談半分で女を見ないように! ――

 あたしは時計を見た。

 23:57

 あたしは汗をダラダラ流しながらURLを掲示板に貼る。

 ――いやあ、つまんねーな、ここ。女なんていない。あとは判るね? ――

 そうだ! 女なんて、あんな女なんていないんだ!

 だから

 だから、お願いだから誰かこのURLを見てください!

 ――幽霊なんていたら、見てみたいね――

 だったらこのURLを見て!

 あたしは泣き叫びながら女のURLを、犬猫の投稿ページに貼りつけ、友人へのメールに貼りつけ、大手掲示板のチャットコーナーに貼りつけ、それからそれから――

 頼む!
 お願いだから!
 誰か!
 お願い、お願いだから――

 お願いだから―――――――それ以上家に入って来ないで……。

 了

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