マギアルサーガ~惡の化身~

松之丞

第二十八話

「で? あたしの正体だっけ? そうね……まずあたしはアンタを殺しちゃいないわ。アンタはあたしの愛弟子を殺した罪で追われ、最期は追手から受けた身体中の矢傷が化膿して死んだわ。本当に辛かったわね……でも無念は残しちゃいなかった。アンタが再びこの世に生を受けたのは、アンタ以外の意思によるものよ」

「俺以外の、意思だと? 俺は望んで蘇ったのではないと?」

「ええそうよ。アンタは無念を残すことなく逝ったわ。それこそ、綺麗サッパリにね。でもね、この世界には、思いや祈り、願いが質量を持っちゃう世界よ。となると話は別だわ。アンタに未練がなくとも、アンタに恨みを持つ者、感謝する者、前途を案ずる者、友愛を感じる者、我が子を想う者、アンタに向けられた色んな人間の意思が混ざり合って肥大し、幻理を司る魔法、咒術によって再びこの世に生を受けた。ま、その殆どが恨みつらみだからこそ、アンタは悪魔の化身みたくなったわけだけど」

 悪魔の化身……そう言われて、不思議と、何かを成し遂げたような気持ちに駆られる。まるで、かつての俺が、長く追い求めてきたもののような。だけどどこか、寂しいことのような。

「――フリアエ」

 何だと? 俺は今、何を口走った? 誰の名を口走ったんだ? まるで無意識の、反射的な、言葉だった。

「あら、もう記憶が戻ってきたのかしら。でもまあ、あの娘の名前ぐらい、さっさと思い出して欲しかったわ」

「……一体、何者だ。貴様の知り合いか?」

「だから言ってるじゃない、察しが悪いわね。あたしの愛弟子の名よ、フリアエは」

 ――なんだ、この胸に去来する波濤はとうは。ありとあらゆる、感情という精神の起伏が、大波となって荒れ狂う。胸を穿とうと、腕を切り落とされようと、今こうやって剣で磔にされようと、生まれなかった感覚。嗚呼、悶えるほど、焼けるほど、苦しい。何なのだ、これは。これが、俺なのか。

「ふふっ、いいじゃない、人間臭い顔してるわ。忘れないで、その気持ちを――愛って言うのよ。どうせ、いずれ思い出しちゃうんだろうけど……感情を知らなかった獣に、初めて生まれた愛の感覚、それをしっかり胸に刻んでおきなさい。それもまた、アンタのかけがえのない宝物になるわ」

 愛……愛とは何か。焦がれる気持ちなのか? 他者を想う気持ちなのか? 己を犠牲にする気持ちなのか?

「クッ……考えるのも億劫おっくうだ。だから貴様は一体、何者だと言うんだ……」

「ああ、あたし? あたしの名前はね、アルカ・リ・クロウ。アンタが死から生まれ変わったように、あたしは一度滅びた古の世界の住人。そして、この生まれ変わった世界に転生してきた、人類の観測者よ」

     *

 アルカという人間が語る言葉の悉くは理解に苦しむが、少なくとも俺という存在の正体を掴むことはできた。

 この世には、我々が住まう物理世界と、概念が住まう幻理世界とに分かたれているという。フリアエというこの世の崇敬を一身に集めていた人間を俺が殺めたことで、それが全て怨恨へと変わり、俺に矛先が向けられた。そして、肥大化した怨恨の数々と、僅かに残った俺に対する親愛の情が、幻理世界に住まう概念へと変化し、俺に降り注いだんだ。人類が語り継いできた、悪の化身である、悪魔なる存在を象って。

 なら俺は、何のために、再びこの世に生を受けたんだ? かつての俺は、無念を残さず死んだんだろ? もはや、俺がこの世で成すべきことなど、ないんじゃないのか。

「自分の生きる意味を見失ったって顔してるわね」

 大母たる海を眺め、その潮騒しおさいに耳を傾けていた俺に、アルカが語り掛ける。確かに、俺はこれから、何をすればいいんだろうか。この世界に、俺の居場所はないってことか? 存在する意味などないと。

「馬鹿ね。フリアエの頼みで前世の頃からアンタを観てきたけど、余りにも自我に塞ぎ込み過ぎてんのよ」

 自我に塞ぎ込むだと、どういうことだ。自我とは、己を内包する意識のことじゃないのか。

「アンタの目の前に広がった白藍はなに? アンタの頭上に広がった紺碧はなに? 考えてもみなさい、これだけ果てしない存在であっても、意味があってここに在るわけじゃないわ。どんな存在だって、この世界に必要とされて生まれてくるわけじゃないのよ。なら、あたしたちみたく矮小わいしょうな生命なんて尚更じゃない。そこに生まれ落ちたから、意義を見出し、誇りを抱いて生きてくだけ」

 この海も、この空も、世界に必要とされて生まれてきたわけじゃない、か。

「かつてのアンタもそうだったわ。最期には、誇りを抱いて死んでいった。それはね、あたしたち人間にとって、尊いものなのよ。己のため、他人のため、その命を燃やすの。それは誰かが見つけてくれるんじゃなくって、己の手で見つけ出すものなの。己が命をくべるべき灯火をね」

 ――己の手で、見つけ出すもの。与えられるものじゃなく、手に入れるもの。そうか、手厳しいな。だけど、気は軽くなったな。俺は、俺の意志で、生きていいということか。なら……

「なら俺は――惡の化身として生きよう」

「あら、それならもうなってるじゃない。そうよ、アンタは端っから思い悩む必要なんてないのよ。言っとくけど、この世界に生き汚く割り込んで生まれたあたしと違って、今のアンタは良くも悪くも望まれて生まれてきたのよ? なら、それを全うなさい。それが、あの娘の本懐でもあるんだから。大事にしてよね」

「――フリアエの、か」

 その名を聞くたびに、口をついて出るたびに、あらゆる感情が、寄せては返す波のように、この胸に去来する。なるほど、それほど俺にとっては、大切な存在だったんだな。大切な存在が望むのなら、俺はその通りに生きればいい。それが俺の本懐――嗚呼、そうか。生きる希望ってやつは、こうやって連鎖していくもんなんだな、フリアエ。

「じゃあ、あたしはそろそろ行くけど、アンタはどうすんの? その悪魔の姿だと、人間社会じゃ何にも出来ないと思うけど」

「なら俺も、アルカについて行こう。お前なら、色々と教わることが多そうだ」

「ふーん。ま、好きになさいな。あたしはどっちでもいいわ」

 そう言ってアルカは、その柔く脆い手で、外骨格に覆われた俺の手を取る。すると、彼女は呪文を唱えた。

「略式、《亜空跳躍タキオンドライブ》」

 奴と俺の肉体が、光を帯びる。地に着いた足が、次第に浮遊していく。身体の重みが消えた。その瞬間、俺の知り得るあらゆる速度を超えて、飛び立った。

 気が付くと俺の視界は、世界の全容を認めていた。広大なる大地を、遠大なる海洋を、無窮なる天蓋を、この身全てで感じ取る。鮮やかに彩られた天上天下。世界はこんなにも、美しかったのか。

 アルカについて行けば、何かがあるのか。それは、分からない。だけど少なくとも、俺の視界を覆い尽くす、この世界の有様は、比肩するもののない、珠玉のようで。嗚呼、そこには、数多の生命が息づいているのか。

 何か、約束があったような気がする。何か、誓いがあったような気がする。何か、夢があったような気がする。だから俺は、世界を認め続けよう。だから我は、人に宣おう。



 我はここに、人理を言祝ぐ。

 天を見よ、我こそは明けの明星、咲かせ芽吹くは惡の華。

 汝らに、自我をもたらす悪魔なり。

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