マギアルサーガ~惡の化身~

松之丞

第二十七話

 意外にも、俺が望んだ相手は、すぐに現れてくれたようだ。

 森を抜けると、それは俺の視界一面に広がった。これが大海原という存在か。まさに――偉大という言葉が当てはまる。迎合を許せぬ我が信条をして、これはまさに、偉大という他ない。一目見ただけで分かる、ここから生命は誕生したのだ。俺という超常の生命が出現したきっかけも、ここにあったのだ。

 そして、波打ち際で粛々と佇む生命がある。一目見て分かった――あれもまた俺と同じ、怪物であると。だが、あの姿形は、俺の形状によく似ている。二つずつの手と足、更に二足歩行。ほう、あれが人間という奴か。俺自身を俯瞰に見たことがなかった為に、全容を知り得なかったが、あれが俺か。まあ、頭部から紫苑の長い体毛を生やしていたりと、細部は異なってはいたりするが、些細な話だ。

 俺は、疾風の如く――疾走した。大地に波濤はとうを作り、浜に砂塵を巻き上げて、得物に向かって走り出した。しかし、なんなんだ、こいつは。一切の警戒がないじゃないか。道中の生命は皆、俺の一挙手一投足に恐れをなして逃げ出したものだが、奴は俺に背を向けたまま、微動だにしないぞ。

 フッ、舐められたもんだ――では、数々の生命を捻り潰し、天高くそびえる木々を平らげた我が豪腕と鉤爪、堪えて見せよッ!

 大気に轟く衝撃波が吹き荒ぶ、我が得物の背中越しに広がる海が、真っ二つに割れた。しかし、これは……? どういうことだ? 何が現れた? 全身に金属を纏った、異形の人間が現れただと? どこからだ、気配などなかった。だが確かに我が鉤爪を、爪牙にも似た細長い金属物で受け止めている。これが、剣という奴か。

 クッ、なぜだッ! その細腕、その細剣で、なぜ動かんのだ! 俺が意識を得てから、これほどの膂力など出したことがない。にも関わらず、目前の金属を纏った人間は、微動だにしない。これまで目にした有象無象の生命など、僅かな力みで屠ってきたというのに……。

「アルトリウス、ご苦労だわ。まだ斬らないで頂戴」

 そう、我が得物が口を開くと、ゆっくりと踵を返し、俺の方を向いた――まただ、内なる何かが囁く。奴のことなど知る由もない。にも関わらず、その人間の顔が俺の視界に入った途端、耳鳴りの如き囁きが聞こえてくる。爪を、収めろと。無駄は、止せと。

 馬鹿なッ! こいつは、紛れもなく俺の悦を満たす得物だッ! この僥倖ぎょうこう、この邂逅かいこうからおずおずと引き下がるなど、この俺には絶対に有り得んことだッ!

「あら、随分と風変わりな装いで現れたのね。アンタの夢の中ぶりだけど、私のこと、覚えてるかしら?」

 ……覚えているか、だと? 俺に睡眠などという休息行動は不要だ。意識を失うということは、俺という存在の消滅を意味する。貴様など知る由もない……だが、内なる俺は、知っているのか? この顔に見覚えがあるのか? こいつは何者だと言うんだ? だが、そんなことなど、どうでもいい。俺は貴様を破壊するだけだ。

 眼前の鬱陶しい金属人間を、力ずくで弾き飛ばす。間髪を入れず、俺は奴の喉元に、我が切先を伸ばし――

「来なさい、イングリッド」

 奴の喉元へと伸ばした腕が――宙を舞う。何が起きた? 眼前にあったはずの腕が、瞬く間に失われていた。

 視界の端に映る、もう一人の人間。紺碧の長い体毛を頭部から垂らしたその人間は、蛇腹のようにくねる、長蛇の剣を手に握っていた。あんな軟弱な刃で、俺の腕は一瞬にして切断されたのか? 馬鹿な……こいつらは、何者だというんだ? この俺を、ここまで容易く抑え込み、切り刻む生命とは……。

 だが、その程度で傲るなよ。俺の肉体は、斬った穿ったでは、どうにもならんぞ。恐らくは、塵一つ残さず完全に消滅するまで、またすぐに再生する。自分でも奇妙だがな。

「行って、エレイン」

 奴がまた、先と似たような言葉を放っ――クッ! 何!? 奴の背後で突然、何かが光り輝いたかと思えば、いつの間にか俺の身体が、奴から離れていくだと!? いやそうか、俺は今、後方に吹き飛んでいるのか。現在進行形で俺の腹部を、奴の背後で眩く光った焦熱を帯びる膨大な力の塊が、引き裂き、貫いていた。

 周囲を弾き飛ばすほどの衝撃波を纏いながら、浜に砂塵を舞い上げて、電光石火の速度でもって俺を大木に突き刺した。だが、その勢いは衰えず。更に幾つもの大木をなぎ倒していき、軌道上の草花を吹き散らして、俺は海辺から随分と離された地点で、ようやく止まった。

 ……分からない。どういう絡繰からくりだと? 気配は最初、間違いなく奴だけだったはず。だが、それがどうしたことだ。いつの間にか、二人も現れたじゃないか。いや、恐らく俺をここまで吹き飛ばしたのは、三人目の人間だろう。推測するに、奴の言葉がきっかけだった。言葉を放った瞬間、奴らが現れた。

 とはいえ、打つ手がない。どこからともなく現れる、俺よりも戦闘行為に慣れた連中を、破壊する手が。

 ――ならば、一つしかあるまい。大本営を即座に破壊すればいいだけのことだ。むしろ、それ以外に道はない。やるのは、一瞬のこと。奴の喉元にさえ届いてしまえば、恐らく、殺せる。

 失った腕は、もはや取り戻した。それを認めると、俺は間を置かず、走り出す。爆発したように、後塵が舞い上がる。先の疾走とは比べものにならないほど、加速していく。瞬時に俺は、海辺へと辿り着いた。

「あら、なかなか硬いのね。潰し甲斐があるのは結構よ」

 抜かせ、貴様の首は俺が取る。その命、貰い受ける。それが節理なのだと、この世界に証明してやろう。

 音速を超え、大気に波濤はとうを生む。俺はそのまま、一直線に突き進んだ。俺を認め、即座に立ち塞がったのは、先ほど現れた三人の人間。馬鹿が、今は貴様らなど相手にはしない。後でじっくりと切り刻んでやる。

 立ち塞がった三人の人間に激突する――その瞬間、俺は急旋回して軌道を変えた。そして、一瞬のうちに奴の背後へと回り込み、奴の頭蓋に、我が破壊衝動がもたらす、力動の全てを託した鉤爪を、振り下ろす。

「馬鹿ね、アンタ。本気であたしを食えるとでも思ってんの? 頼むわ――アレクシア」

 ――なッ!? 俺の、身体が、沈む!? いや、違う! 上空からまた、人間が現れたんだッ! 俺の背中を、大木の幹よりも巨大な剣で引き裂きながらッ! 何という大きさ、何という膂力……馬鹿な、この俺が、沈むだとッ……!

 立つこともままならず、俺は浜に沈んで、巨大な剣に磔となる。腕の力も、足の力も、何もかも、通じない。こんなことが、あるのか。奴に一筋の傷も付けられず、あまつさえ、奴は一歩たりともその場から動くことはなかった。もはや、想像を絶する、脅威だ……。

「愚か者には躾けが必要よ、悪く思わないで頂戴」

 すると、背を向ける奴は踵を返して、膝を折った。地に沈み込む俺に視線を合わせて、語り掛けてくる。

「まあでも、こうなるってこと、想定はしてたわ。アンタも咒術を嗜んでたわけで、概念を再現するアレが、アンタの肉体に影響を与えれば、こう変身もするわよね」

 変身、だと? 俺が、変身した姿だと? ならば、かつての俺とは、一体何者だったというんだ。

「……貴様、俺の何を、知っている」

「あら、アンタ喋られるんじゃない。さっさと言いなさいよね、そういうこと」

「俺に、言葉など、不要だったのだ……」

「そりゃこれまでのアンタはそうでしょうけど、格上のあたしに対して失礼じゃないかしら。最初から分かってたんでしょ? どう逆立ちしたって、あたしを食えないってこと」

「……内なる俺が、囁いた。爪を、収めろ、と……」

「馬鹿ね、それがかつてのアンタよ。つまりアンタは、以前の自我と同居してんのよ。咒術がアンタって存在を幻理世界の住人に塗り替えちゃったとしても、記憶や精神までは塗り潰せないわ。ちょっと生まれたてだから、忘れてるだけよ。そのうち思い出すわ」

「なっ……言っている意味は、あまり理解できないが、それは、本当か」

 なぜか、胸を撫で下ろす自分がいることに、驚きを隠せない。それほど俺は、かつての俺に焦がれているのか。それが、どんな存在かも知らないくせに。

「まあでも、アンタが前世の記憶を取り戻す前に、これだけは伝えておくわ。アンタの名は、レフ・レック・ファウスト。あたしの愛弟子を殺め、その意志を継がんとして、志半ばで命を落とした男よ。ま、今は鎧みたいに外骨格や鱗をゴリゴリに纏った、爬虫類みたいな、教典に伝わる悪魔みたいな、変な格好してるけどね」

 レフ・レック・ファウスト……それが俺の名。そして、かつて一度、死んだ男。そうか……

「ならば、貴様は何者だというんだ。俺がかつて死んだ人間の男、だというのは分かった。では、貴様が殺したのか? この俺を」

「へぇ……凄い生命力よねアンタ。アレクシアの大剣で磔にされてるってのに、もう馴染んじゃってるわ」

 奴は興味深そうに、貫かれた俺の背中を眺めている。全く、話を聞いているのか、こいつは。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品