マギアルサーガ~惡の化身~

松之丞

第十二話

 連綿と列なって聳えるけやきの大樹、それを見上げた先に、枝と枝、葉と葉で巧妙に隠蔽された、人が住まうための屋舎が設けられていた。一目見ただけでは、折り重なった連理のようにしか見えず、目を凝らしても、幾重にも折り重なった葉叢が立体物のように見えただけで、ただの錯覚だと判断しかねない。ティルの言っていた隠れ家なるものの質の高さに、俺は目を丸くしてしまった。でも、一体どうやってあんな高木を登るというんだ? ロープが垂れ下がっているわけでも、梯子が掛かっているわけでもない。

「まあ任しとけよ」

 そう言って先導するティル。隠れ家の真下に当たる場所で立ち止まると、宮殿の柱かと見紛うほどの木の幹、それを伝って伸びる一本の蔓を握り、勢いよく引っ張った。するとどうだ、上から縄梯子が降ってきたじゃないか。

「ほお、すごい仕掛けじゃないか。器用だなぁ」

「へへ、まあな。親父の受け売りだけどよ」

 なるほど、よく考えられている。あたかも蔓に擬態させた釣り竿のような仕掛けを使って、小さく収納した縄梯子を下ろしたんだ。たまたま蔓の仕掛けに引っ掛かりでもしない限り、隠れ家を発見できたところで、そう容易く侵入はできまい。

 だけど、やっぱり不思議だ。なぜここまで手の込んだことを仕掛けるくせして、頑なに魔術を利用しないんだろうか。ましてや、金細工職人なら、魔石の研磨や利用にも長けてるって認識なんだがな。何より、今どき火打石ってところが妙だ、あまりに渋すぎる。親指ほどの発火の魔石なら、今日日、使用人だって買えるのに。

「だけど、これほどの仕掛けを、魔術の類を一切使わないのは珍しいな。いや、凄いは凄いんだけど」

「んー、そうか? オマエもオレと同じような境遇なんだから、んなもん慣れっこだろ」

 ティルはそそくさと縄梯子を登っていく。俺もそれに続いて登っていく。とはいえ縄梯子なんて、これまでほとんど登ったことがなかったな。やっぱりこの不安定さを操るにはコツが要る。

「とはいえティルの場合、努めて使わないようにしていないか? 火を熾す時もそうだったけど、なんで魔石の一つも使わないんだ?」

「あー、魔石ね……」

 何か訳ありか? 魔力の扱いが不慣れな時期は、ほんの小さな魔石であっても、暴発する危険があると聞く。でも、大体は大人になるにつれて解消されていくもんだ。ましてや器用なティルが、それはないだろう。

「……いやさ、ただ魔石を使うのに器用も不器用もねぇけど、石を磨くってなりゃ相応の繊細さがいるだろ?

「まあな。でもお前ほどの奴なら、お手の物、ってところじゃないのか?」

「いやまあ、元来、手先が器用だってのは自負してらぁ。けどよ、根性の部分じゃ、オレって奴ぁ粗野なのさ。親父みてぇな、根っからの完璧主義者じゃねぇ。だから、常に繊細さが求められるよう生きてんだよ」

「なるほど。哲学的な生き方だな」

「ったく……テメェはいつも褒めてんのか貶してんのか分かんねぇんだよ」

「いや、良い生き方だ。そこはかとなく小粋だよ。矜持の置き所が特にな、俺好みだ」

「うへぇ、気持ちわりぃ」

 本音と冗談を交えつつ、ようやく頂上へと辿り着く。実際に隠れ家なるものを間近に見ると、意外にも十分な居住空間が設けられていることに驚く。枝と枝が連なってできた入口を分け入ると、まさに森林が自然と造り上げたかのような、高木と高木の間中にあって、枝葉の交錯をそのまま利用して無理なく融和させた造りは、見事と言う他ない。

「凄いな……ここは、お前が?」

「親父との合作だ。オレがまだ餓鬼だった頃のな。気が向くたびに改造してっから、初期から大分変わってっけどな」

 足を踏み入れると、天井はかなり低く、直立すれば頭をぶつけてしまうか。流石に木々の幹枝で支えてるだけあって、一歩踏み込むたびに多少は揺らめく。まあ、俺のような大人族ヴァンダルが住み着くことなど想定していないんだろうから、仕方がない。むしろ、潰れてしまう心配がない強靱さを感じ取れるだけでも十分だ。

「ま、適当に掛けろよ。オマエのデカさじゃ窮屈だろうけどよ、贅沢は言わせねぇぜ」

 鼻で笑いながら、背もたれを省いた簡素な木の椅子を示す。これは確かに、尻がはみ出るな。

「んなもんしかねぇけど、勘弁してくれや。こんな隠れ家じゃ乾物の備蓄で精一杯よ」

 これまた小さなテーブルの上に、天井から吊してあった干し肉が置かれた。猪肉だろうか、けど臭みは殆どない。丁寧な燻製がなされているんだろう、流石のお手並みだ。一つ頂こうか。

「おお……これは、美味いな」

 遠慮もせず一口頬張ると、口の中に燻製肉の独特な風味が広がっていく。それがまた程よい灰汁の強さで、鼻から抜ける薫りが妙に心地よい。肉自体も塩辛すぎず硬すぎず、だけど十分な噛み応えがあって、咀嚼のたびに旨味が醸成されていく。贅沢を言える立場じゃないが……酒が欲しくなってしょうがない。

「ったくよぉ旦那、コイツが欲しくてしょうがねぇって顔してやがんな。オレ様の秘蔵だ、味わえ」

 おいおい、本気かよ。こぢんまりとしたかまどの隣に、何だか奇妙な樽が置いてあるかと思いきや、

「ティル……お前って奴は最高か?」

 テーブルに置かれた、獅子紋様を浮かべる銀の杯には、なみなみと注がれた芳醇な葡萄酒。底の見えない深い紅を湛え、それでいて透き通るほど瑞々しい。鼻孔をくすぐる葡萄のごく甘やかな薫りと相まって、良く醸成された酒精の目が眩むような芳香に酔う。嗚呼、殊に久しき至福の時よ。

「ったりめぇだ。金成る客には最高品質のもてなしを、それがオレの流儀よ。ま、王様お殿様ありきの商売だからしょうがねぇ」

「そのもてなした相手は、一番金を落としそうもない客だけどな」

「馬鹿か、無料提供は道案内まで。この宿代は、びた一文負けてやるか。オマエが路傍でおっ死んじまう前に、ぜってぇ取り立ててやっかんな」

「なるほど、見た目に違わず血の味がするってね。そりゃまた、味わい深いじゃないか」

 銀の杯を互いに掲げて、前途の安寧を祈願して乾杯する。ふと、丹念に磨き上げられた杯に、己の顔が映る。なんだよ、随分やつれているじゃないか。過去を思い返して、心が疲労したか? もう二週間近くも続ける逃避行に辟易へきえきしてきたか? 全く、これからだというのに、もう音を上げるのか?

 胸の奥から這い上がりそうになる弱音を、芳醇な葡萄酒で強引に押し戻す。舌を伝い、喉を通り、胸に染み渡り、腹を潤す。目を瞑り、暗黒に身を委ねながら、深く息を吐き出す。心地好い稲妻が、脳裏で踊り出した。口角が緩み、喉のつかえが解け、四肢の強張りが弛緩する。瞑っていた瞼を開けると、ふわりと柔らかな景色が広がった。まるで、たんぽぽの綿毛にでも乗っているかのような。

「あんだぁ? んな図体して下戸かぁ?」

 すでに酔いが回ってしまった俺を見て、ティルが鼻で笑う。特段酒が好物ってわけじゃないが、薫りを楽しみ、味を楽しむ嗜好は持っている。そんな、じっくりと飲む俺とは対照的に、奴の飲み方は大いに豪快だ。瀑布を飲み込む滝壺のように、奴には少し大振りな杯を、どんどん飲み干していく。俗に言う、ザルって奴だな。

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