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デブオタと追慕という名の歌姫

ニセ梶原康弘

第5話 やがて慟哭という名の雨 ②

クリスマスを直前に控え、街中は賑わっていた。街路樹のプラタナスは色取り取りのイルミネーションで飾られ、陰鬱な天候を塗り替えそうなほど煌びやかだった。
だが、降り出した雨は雪に変わるどころか次第に激しさを増していった。通りを行き交う人々は急かされるように足を速めてゆく。
そんな人々の中をエメルはヨチヨチと歩いていた。大きな袋を抱えながら傘を差しているので前も足許もほとんど見えておらず、傍目には実に危なっかしい足取りである。
なので、時折人にぶつかってはその度に「ご、ごめんなさい」と謝っていた。
抱えているのは、デブオタへの贈り物だった。
お礼らしいお礼を受け取らない彼へも、クリスマスプレゼントという名目なら何の遠慮もなく渡せる。
購入したのは特大サイズのオーバーコートとブーツ靴だった。
もう真冬だというのに、デブオタはペラペラのポリエステルジャケットを着ていた。それしかなかったのだ。寒さなど少しも防げないのに。靴はもっと酷かった。破れ目をテープで巻きつけて補修していたものを履いていたのだ。
デブオタはそんな風体でも平気な顔をしていたが、エメルは見ていて涙が出そうだった。
だからクリスマスには必ず靴とコートを彼にプレゼントしよう、と、彼女はずっと前から決めていたのである。
折り良く、例のプロモーション映像の撮影が終わると、珍しくもデブオタは三日ほど休みにするとエメルに言い渡した。何やら用事があるのだという。
かくして、エメルはプレゼントを購入する為に勇躍、街へと繰り出したのだった。
靴はお洒落なメンズブーツだが、頑丈でそう簡単に綻びないと店員が薦めてくれたものを選んだ。高級そうなオーバーコートは焦げ茶色で裏地は温かなフリースになっている。どんな寒さでも防いでくれそうだった。
値は張ったが、エメルにとって異性にクリスマスプレゼントを買ったのは生まれて初めての経験だった。店員に尋ねたりお勧めを聞いたりしているだけで、まるで自分が一人前の女性になったように思える。
これを差し出したら、デブオタはどんな顔で受け取ってくれるだろう……照れる彼の姿を想像しただけで顔が綻んでしまうのを抑えられない。
店員の心遣いでプレゼントは防水ビニールで包装されていた。それでもどこからか雨が漏って濡れてしまってはいけない、とエメルは不器用に袋を抱えて帰り道を急いだ。
大通りを抜け、自分の住まいへの近道になる通りへ入ろうとしてエメルは立ち止まった。

「デイブ……」

ついさっきまで脳裏に思い浮かべていた、そのデブオタが偶然そこにいたのだ。
だが、何かいつもと様子が違っている。デブオタはあるビルに入ろうとしていて、守衛に止められていた。
そこは企業がずらりと軒を連ねるビジネスビルの通りだった。大通りほど人は多くなかったがスーツ姿の男性の往来が目立ち、そんな中でデブオタはみすぼらしい格好から見咎めらたらしい。
彼は、自分はここに用事があるのだと訴えているようだった。いつもの屹然とした顔はなく、どこか卑屈な様子で懸命に頼み込んでいた。
だが、守衛は冷然と首を横に振り、立ち去れと言う様に彼の背後を指差すのだった。
デブオタはしばらく必死に食い下がっていたが、守衛の態度は少しも変わらなかった。
雨音と町のざわめきで、会話は聞こえない。
悄然としたデブオタは、それでも諦めようとはしなかった。
ビル内への立ち入りを拒まれたデブオタは、そこから少し離れた街路樹の下に立って誰かを待ち始めた。
彼が用事があるというここは……? と、ビルを見上げたエメルは驚いて声を上げた。

「リバティーヴェル・レコード……!」

広告を兼ねた巨大な社名の看板が掲げられている。イギリスに知らぬ人とてない大手のレコード会社だった。
デブオタは、単身ここへ売り込みの営業をかけに来ていたのだ。
エメルがぼう然としていると、街路樹の下にいたデブオタが突然弾かれたように動いた。ビルに向かっていた一人の男に走り寄る。そして頭を下げ、何か話し掛けた。
どうやらデブオタは、この男にアポイントを取ろうとマークしていたらしい。
男は長身で精悍そうな顔立ちに丸眼鏡を掛けていた。高そうなアルマーニのスーツを着込んでいる。おそらくプロデューサーか何か、音楽事業の要職に就いている男なのだろう。
彼は、近寄ってきた物乞いのような風体の男に眉を顰めたが、それでも必死に話し掛けるデブオタの言葉に少しだけ耳を傾けた。
だが、それだけだった。先ほどの守衛同様、首を振ってデブオタを拒絶すると、彼が渡そうとしたケース入りのDVDを受け取ろうともせず、回転ドア式になった玄関へ足早に向かう。
エメルの耳に、後を追いながらデブオタが訴える「お願いです。一度でいいから観て下さい!」という叫び声が聞こえた。
男のスーツの袖に取り縋ってなおも懇願しようとするデブオタは、慌てて駆け寄った守衛に引き剥がされてしまった。そのまま打っちゃるように放り出され、雨に濡れた地べたに転がって泥だらけになってしまった。
男は、地面に這いつくばったデブオタへ冷ややかな視線を投げると声を荒げて言い放った。

「いい加減にしろ! 貴様のように、あやしい歌手を売り込みに来る奴は毎日ごまんといるんだ。そんな連中にいちいち打てあってられるか。失せろ!」

その声を聞いたときだった。
雨と泥に塗れて這いつくばっていたデブオタは、キッと顔を上げて叫んだ。

「あやしい歌手だと? よくも言ったな。エメルは違う、絶対に違う!」

エメルはその言葉に、まるで落雷に身体を貫かれたような思いがした。

「いいか、その言葉を覚えていろ! 必ず後悔させてやる!」

だが、男はそんなデブオタの叫びに聞く耳などないとばかりに回転ドアを回して社屋の中へさっさと入った。守衛も雨の吹き込まない玄関の定位置へと戻った。そこからデブオタが社屋に一歩でも立ち入らぬよう油断なく眼を光らせている。
デブオタは、のろのろと立ち上がった。放り出された拍子に地面に転がり出て泥だらけのDVDを黙って拾う。
ずぶ濡れのバンダナを絞って泥を丁寧にふき取るとケースに納め、リュックサックにしまうと、彼はその場から離れていった。
一部始終を見ていたエメルは、胸が張り裂けそうだった。
だが、打ちひしがれてトボトボと歩きだすデブオタに、どんな言葉が掛けられよう。
彼女は、今にも泣き出しそうな顔でオロオロしながら後を付いて行くしかなかった。
俯いて濡れ鼠になって雨の中を歩くデブオタは、自分の背後から見え隠れに付いて来るエメルのことなど気づきもしない。
だから、路地裏のような曲がり角から同じように俯いて飛び出してきた少女にも気がつくはずもなかった。
あっという間の出来事だった。
エメルが危ないと言う前に二人は衝突してしまった。デブオタは尻餅をつき、少女はデブオタに跳ね飛ばされクルクルッともんどりうって倒れた。

「イテテ、大丈夫? 前よく見てなかった。ごめ……」
「いたた……こちらこそ、ちゃんと見てなかったの。ごめんなさ……」

互いに涙声だったのとどこか聞き覚えのある声に、二人は顔を見合わせ、そして言葉を失った。
泥だらけのデブオタの前でうずくまっていたのは、涙で顔をグシャグシャにしたリアンゼルだった。

「……」
「……」

しばらくの間凍りついたように二人は動かなかったが、雨の中で最初に口を開いたのはリアンゼルだった。

「何でアンタがこんなところに……」

デブオタは言い返そうと思って口を開いたが、言葉が出てこなかった。
俯いたデブオタの向こうを見やったリアンゼルは、彼の背後に聳え立つリバティーヴェル・レコードのビルを見てすぐに察した。惨めな彼の様子に、その顛末も。
だが、いつものように悪罵を口から発することが出来なかった。
彼女は今、彼と同じだった。何もなかった。
オーディションに合格したこともなく、CDで曲を発表もしていない。テレビに登場したこともない。ファンすらまだ一人もいない。それどころか、後ろ盾のプロダクションもなくした。歌姫になれる見込みなどもうないと捨てられて。
今のこの自分が、彼の何を笑えるのだろう。
唇を震わせたまま言葉のないリアンゼルを見たデブオタは、無言で自分を侮辱しているのだと思った。

「何だよ。こんなザマを笑って悦に浸りたいのか」

ずっと堪えていたのだろう。声を振り絞って、デブオタは彼女へ自分の思いのたけを叩きつけた。

「……努力だけじゃ何もならねえのかよ! ゴミみたいな奴はどんなに頑張っても夢に手をかけるのも許さねえのかよ!」

濡れたその頬を雨が叩くように打ちつける。
今まで幾度となく裏切られ、見下され、搾取され、黙って耐えてきた男の、それは怒りと悲しみの叫びだった。

「聞く耳なんかねえ、光の当たる場所には立ち入るな、いつまでもゴミ溜めではいつくばってろって言うのか、笑われて見下される為に! ふざけんな、ふざけんな!」

離れた場所に立ち尽くしていたエメルの手から、彼に贈るつもりだったクリスマスプレゼントが零れ落ち、地面に転がった。
今まで自分を導いてくれたデブオタの、本当の悲しみと怒りに初めて触れたのだ。

――悲しい人や傷ついた人を歌で抱きしめてあげる……そんな優しい歌手になってくれ

あの日、公園でデブオタが言った言葉が思い浮かぶ。エメルはぎゅっと眼をつぶって胸元をきつく手で掴んだ。
リアンゼルも顔を背けていた。
彼女の心にも彼と同じ悲しみや怒りが溢れていたのだ。
だが心の琴線に触れてもなお、ひび割れた彼女のプライドは自分を侮辱したデブオタに共感することを許さなかった。
リアンゼルは吐き捨てるように言った。

「そうよ。あんたなんか、底辺のゴミ溜めで永遠に這いつくばっていれば……」

エメルの頭に、かあっと血が上った。
次の瞬間、我を忘れた彼女はリアンゼルの前に躍り出し、最後まで言わせなかった。

「デイブをバカにするなぁぁぁぁっ!」

泣きながら叫んだエメルは、リアンゼルの頬を思い切り引っ叩いた。
横ざまに叩かれて地べたに転がったリアンゼルは、一瞬何が起きたのか分からなかったが、相手がエメルだと知ると「こいつ、エメルのくせに!」と、猛然と掴みかかった。
だが、かつての虐められっ子は怯えるどころか怒りに歯をむき出して飛び掛かってきた。デブオタを侮辱したことが何よりも許せなかったのだ。
さっきのお返しとばかりにリアンゼルがエメルの頬を殴りつけると、エメルは殴ったコブシを掴んで指に噛み付いた。
離せとばかりにこめかみをしたたかに打ち据えられエメルはのけぞったが、負けじと彼女の顔に拳固を叩き付ける。リアンゼルの鼻から血が噴き出した。

「ウジ虫エメル! 私に楯突くなんて、殺してやる!」
「よくもデイブをバカにしたわね! 絶対許さない!」

雨の中を二人の少女は掴み合い、殴り合った。互いの髪をむしり、爪を立て、泣き叫ぶ。
どれぐらいそうやって傷つけあっただろう。ずぶ濡れになり、土にまみれ……やがて体力も尽き果てて二人は跪いた。
それでもしばらくの間、憎悪の視線を向け合い火花を散らしていたが、先に立ち上がったのはリアンゼルの方だった。
睨みつけるエメルへ泥と血の入り混じった唾を吐くと「覚えてなさい! 潰してやる……絶対このままじゃすまさないから……」と、捨て台詞を投げつけ、足を引きずるようにしてよろよろと立ち去った。
半ば、ぼう然となってリアンゼルを見送っていたエメルは、差し掛けられた傘と、頬を拭うバンダナの感触でふいに我に返った。

「デイブ……」
「エメル、ナイスファイト」

滲んだ血と泥をふき取ったデブオタの顔は僅かに苦笑じみていたが、それは虚ろな表情に取って代わり、エメルはたじろいだ。

「オレ様がドブ板営業しているところ、見てたのか」
「……」

エメルが黙って頷くと、デブオタはややあって「何で見てしまったんだ」と咎めた。
その声は、怒っているというよりむしろ悲しげだった。

「こんな惨めな有様を見たかったのか?」
「……ごめんなさい。でも見かけたのは偶然なの」

デブオタは俯いたまま、つぶやくように言った。

「エメルはこんな惨めな一部始終を見ても、今までのように歌えるのか?」
「デイブ……」
「見せたくなかった。オレ様は、エメルには明るい希望だけを持って歌手になってほしかったんだ」

デブオタは、うずくまったままのエメルに傘を握らせると雨の中を立ち上がった。
まるで降りしきる冷たい冬の雨に奪いつくされたように彼の声も表情も生気がない。いつもの豪快で陽気な姿とは別人のようで、エメルは声を失った。

「みじめな思いをするのは、オレ様だけでよかったのに……」

デブオタは肩を落としたまま、エメルに背を向けた。

「もう、おしまいだ」
「デイブ……」

呼びかけた声に応えはなかった。雨音に消されて彼の耳に届かなかったのだろうか。デブオタは、俯いたままエメルに背を向け、とぼとぼと歩き出した。
「待って」と差し伸べた手に気がつくこともなく、彼は雨の向こうへと悄然と立ち去ってゆく。
エメルは、動けなかった。それ以上、彼の後を追うことが出来なかった。
ややあってようやく立ちあがった彼女は、のろのろと周囲を見回した。
もう、リアンゼルもデブオタの姿もそこにはない。視界の端で土に汚れたビニール袋が転がっていた。
デブオタの為に買ったクリスマスプレゼントを黙って拾うと、エメルは手の甲で涙を拭った。


雨が降っていた。
年中、気まぐれのように雨の降るイギリスでは冬の雨など珍しくもない。
だがその日。
慟哭という名の雨はそれぞれの心を冷たく打ちのめし、そして……


**  **  **  **  **  **


雨は激しく降り続いていた。
行き交う人々も疎らになった通りの中を今、よろばうように歩いている一人の少女がいる。
失くしたのか失意のうちにどこかへ捨てたのか、傘もなく、ずぶ濡れのままで服も泥だらけ。物乞いかと見紛うほど汚れた身なりで、通り過ぎる人の好奇な眼に晒されていた。
だが、何もかも汚れ、みすぼらしい中で眼だけが違っている。
その瞳はまるで炎が燃え盛っているようだ。
プロダクションに見捨てられ野良犬のようになって、しまいには似た者同士醜い掴みあいまでして。
とうとうこんなに落ちぶれてしまった……と、リアンゼルは思った。
それでも、負けるものかという闘志が消えることはなかった。
それだけが、彼女をいま、熱く支えていたのである。

(笑いたい奴は幾らでも笑うがいい。降りたければ幾らでも降れ)

彼女は行き交う人々の視線を受けるたびに睨み返す。侮蔑じみた視線を投げかけた人々に彼女の鋭い視線を真っ向から受け止められる者はいなかった。皆、決まり悪そうに顔をそむけ、逃げるように視界の外へと消えてゆく。
彼女の情熱を煽るように雨足は強まり、彼女の身体を叩いた。

(土砂降りに打たれて、もっともっと強くなってやる)

涙は冬の冷たい雨に紛れ、彼女が泣いていることに気がついた者は誰もいなかった。

「In the night downtown that fell silent, I loiter around for a fight. Take one's way of life」
(静まり返った街中で、私は戦いを求めさまよう。己の生き様を懸けて)

雨の中、だしぬけに歌い出したリアンゼルへ、周囲の人々は気でも触れたのかという眼を向けた。
だがリアンゼルはそんな視線をものともせず、大声を張り上げてマクスウェル・セバスティアンの「孤独な偏狂者」を歌い始めた。

「In this world, there is nobody including the thing to know including my truth. It is said that it is the woman who was out of order」
(この世界に、私の真実など知るものなど誰もいない。イカレた奴だと人は指をさす)
「I begin to dance looking for my truth」
(私は自分の真実を探して踊りはじめる)
「I exclaim in the dark world. The cry is not a word」
(闇の世界に溶け込んで、言葉にならない叫びをあげながら)

光の差し込まぬ雨空に、炎立つような叫びが歌となって響いてゆく。打ち捨てられた痛憤を天へ訴えるように。
人々はひとときの間、呆れたような眼を向けた。
だが、雨に打たれて歌い続ける歌姫の歌声は打ち付ける天の礫に怯むことなく、さらに深く鋭くなってゆく。
笑うことの出来ないほどの真剣な想いを感じ始めた彼等の顔から、次第に侮蔑の色が消えていった。

「Flame blazes with my soul. It will chop the heart of the person seeing it like a blade sometime」
(私の魂の炎が燃える。それはいつか刃のように見る人の心を切り刻むだろう)
「The flame will destroy the world of somebody sometime」
(その炎はいつか、誰かの世界を滅ぼすだろう)

激しい雨の中、離れた場所で行き交う人々が一人また一人と立ち止まってゆく。
それまで傍観者だった彼等は、次第に観客へと変わっていった。
だが、そんな人々など気に留めることなくリアンゼルは雨の中、歌い続ける。
観客の中に、ヴィヴィアンがいた。彼女は激しい雨の中を駆け回り、探し続け、ようやく見つけたのだった。彼女の膝から下は雨で濡れそぼっている。撥ね付いた泥で靴もタイツもスカートも汚れきっていた。
彼女は歌い終えたリアンゼルに差しかける為の傘を捧げ、従者のようにひっそりと佇んでいる。

「I continue dancing. I demand nobody's sympathy in night」
(闇の中で私は踊り続ける。誰の共感も求めないわ)
「I continue crying. I demand nobody's pity in night」
(闇の中で私は叫び続ける。誰の哀れみも求めないわ)
「I continue dancing. I demand nobody's sympathy in night!」
(闇の中で私は踊り続ける。誰の共感も求めるものか!)
「I continue crying. I demand nobody's pity in night!」
(闇の中で私は叫び続ける。誰の哀れみも求めるものか!)

雨に打たれる中、彼女の激唱は悲しくも美しく、そして雄々しかった。
瞳から零れた涙を袖で拭うと、ヴィヴィアンは愛する歌姫の激情が鎮まるのをじっと待ち続けた。

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