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デブオタと追慕という名の歌姫

ニセ梶原康弘

第5話 やがて慟哭という名の雨 ①

雨が降っていた。
年中、気まぐれのように雨の降るイギリスでは、今さら冬の雨など珍しくもない。
だが、その日……。


その日の午後、そぼ降る冷たい雨を弾き飛ばしそうなほどの歌声が、とあるスタジオの中に響いていた。

「Alice danced in the air. The red ruby broke like blood... Alice sang in the air. The blue sapphire broke like tears...」
(アリスは空に踊る、真っ赤なルビーを血のように散らし撒きながら……アリスは空に歌う、青いサファイアを涙のように散りばめながら……)

世界的に有名なロックバンドのサイケデリックな名曲を、高音までよく響く声で熱唱している一人の少女がいる。
力強いが決して粗野な声ではなく、優雅で不快さを微塵も感じさせない歌声。
最初は戸惑うように始まった歌は、理解の範疇を超えたような歌詞をなぞるうちに人知を越えた光景を垣間見た衝撃のように、叫びにも似た絶唱へと昇華していった。
手にしたエレキギターを掻き鳴らしながら揺れ動く身体と共に、金色の髪が波打っている。サファイアのような青い瞳は天井からのライトを浴び、歌と同じトパーズのような光を散りばめて輝いているように見えた。
やがて少女が歌い終わると、カメラを向けていた男が手を上げて「お疲れさま」と声を掛けた。

「動画、綺麗に撮れたよ。ありがとう。悪いね、もう一度歌わせてしまって」
「いいえ、どういたしまして」

金色の髪を横に揺らしてリアンゼルが微笑むと、男はカメラを携帯に接続した。そして、撮影したばかりの動画をデータにして送信すると電話を掛け始めた。
壁際には他に三人の少女達が居たが、みなリアンゼルの歌声に圧倒されてしまったらしい。声もなく、ただ驚愕と感嘆の入り混じった眼をリアンゼルへ向けていた。
リアンゼルがタオルで汗を拭き、床に置いたペットボトルのスティル・ウォーター(ミネラルウォーター)を飲んでいると、スタジオの隅で男が電話の相手と話している様子が眼に入った。
男は身振り手振りで、何やらかなり激しいやり取りをしているように見える。リアンゼルは何気ない風を装って聞き耳を立てた。

「……じゃあこの娘の何が駄目だっていうんだ。コンセプトにピッタリじゃないか!」
「デファイアント・プロダクションの娘だ。所属は確かだし、まだデビューしていない。掘り出し物だぞ」

しばらくの間、男は口論していたようだったが最後に「わかった。もういい!」と吐き捨てるように言って電話を切ると「分からず屋の石頭め!」と悪態をついた。
リアンゼルの視線に気づくと、男は近寄って気の毒そうに話し始めた。

「すまない。是非君をとプロモーターに掛け合ったんだが……採用出来なかった」
「そうですか」

リアンゼルはがっかりしたが、目の前で自分以上に悔しがっているプロデューサーを見て「都合があるのでしょう。気にしないで下さい」と笑いかけた。
動画まで送って懸命に推してくれるほど自分を買ってくれたのだ。素直に嬉しかった。

「プロモーターはどうしても男性歌手でないと駄目だ、の一点張りだった。この企画にそれほど性別に拘る理由はないはずなんだがな」

そう言って残念そうにリアンゼルを見ると、男は胸から名刺を二枚取り出して差し出した。

「一枚は君への敬意だ。もう一枚はマネージャーのミズ・ラーズリーに渡してくれ。後でメールでもお詫びを送るが、次回同じような企画があったら必ず君を推薦してオファーすると伝えてくれ」
「本当ですか? ありがとうございます!」

リアンゼルは頬を紅潮させて礼を言った。

「今回は不採用でしたが嬉しかったです。次の機会には今日よりもっといい歌を歌ってみせますね」
「いい返事だ。その約束覚えておくよ。ありがとう」

男の言葉へにこやかに笑みを返すとリアンゼルは「では、失礼します」と、スタジオから出て行った。
壁際にいた少女達が寄り添いあって見送っていると、男が傍によって声を掛けた。

「君達も見習うといい。あの歌声は間違いなく並外れた努力で身につけたものだ。あれでまだデビューしてないとはな。おそらく“雷鳴メイナード”の秘蔵っ娘だろう」
「凄い娘ね。私と同じ年齢だなんて思えない」

一人の少女が震える声でつぶやき、もう一人が「私……とてもかなわないわ」と、うなだれた。

「そういえば、一昨日オーディションに来た娘も凄かったな」

男がつぶやくと、少女達は更に戦慄した。

「あ、あんな娘が他にもいたんですか!」
「ああ、こっちは純粋なイギリス人ではないと云う理由でプロモーターが落としたんだ。馬鹿な話だ。僕に権限があればどちらか……出来たら二人とも採用するのに」
「どんな娘だったんですか?」
「黒い髪をした日本人のハーフだ。激しいステップで踊りながらアンプ付きみたいな声量で最後まで息を切らさず歌ってのけた。発声とダンスを徹底的に鍛えたに違いない。それも透き通るような声で情熱的に歌うんだよ。あんな娘は今まで見たことないね」
「……」

ぼう然となった少女達を振り返って、男は言った。

「おそらくあの娘達に共通しているのは、並外れた情熱を持っていること、血の滲むような練習を積み重ねたこと、この二つだ。君ら、リアンゼルのあの瞳を見たかい? プロの歌手だってあんな眼をしている奴はそうはいない」
「……」
「でも君達だって出来る。本気で夢を目指すなら、情熱があるなら。あの娘達のように努力すれば自然とあんな眼を持った歌姫になれるはずなんだ」

肩を落としていた少女達は顔を見合わせた。
その言葉に何かを気づかされたのだ。

「私達だって……」

それまで顔を下に向けていた少女達はやがて拳を力強く握り締め、互いに頷き合うのだった。


**  **  **  **  **  **


リアンゼルは、弾むような足取りで雨の中を帰途についていた。
オーディション自体は不合格だったが、彼女の顔は輝いていた。歩く、というよりまるで空でも飛んでいるような気持ちだった。
雨足は次第に激しさを増していたが、リアンゼルの耳には雨音がまるで拍手喝采のように聞こえた。雨に濡れる足許もいっそ快く感じられるくらいだった。
次の機会にはオファーを約束してくれたのだ。

(もうすぐだ。もうすぐ自分の夢が叶う)

あの小癪なエメルとにっくきデブオタを叩きのめす為に渇望していたプロ歌手としてのデビュー。それが、もう手の届くところまで来ている。
デビューしたら、ヴィヴィアンに相談してブリティッシュ・アルティメット・シンガーのオーディションにもう一度出場させてもらおう。
あの時の自分とはもう何もかもが違う。今度こそ優勝して、名実共にスターの仲間入り出来る。
リアンゼルの胸は、勝利と明るい未来への期待に膨らんだ。

「ただいま。いま戻ったわ!」

意気揚々とディファイアント・プロダクションへ帰社したリアンゼルは、玄関で守衛が眼を丸くしたので、自分がまるで凱旋将軍のような足取りだったことに初めて気がついて苦笑いした。
それでもこの知らせを一刻も早く伝えたい、とオフィスルームへ彼女は一目散に向かった。
「ヴィヴィ。グッドニュースよ、聞いて!」とドアを開けると、デスクの前で何やら思い詰めていたヴィヴィアンは飛び上がった。

「おおリアン、ノックぐらいしてちょうだい。私、心臓が止まるかと思ったわ」

胸を押さえた彼女は、驚いたにしては大袈裟なくらい顔が引き攣っていたが、興奮していたリアンゼルは、まだ何も気がつかなかった。

「ごめんなさい、でもあなたに早く聞かせたかったの」

リアンゼルは嬉々として先ほど受けたオーディションの首尾を伝えた。

「今回は性別に拘るプロモーターの意向でどうしても駄目だったけど、次回はかならずオファーするって約束してくれたのよ!」
「そ、そう。凄いわね」
「もうすぐよ、もうすぐデビュー出来るわ。今だから言うけど、私ずっと実績が作れなくてヴィヴィに申し訳なかったの。でも、これであなたにやっと報いることが出来るわ」
「そんなことを気にしていたの?」
「ええ。でも、これからはどうぞ胸を張ってちょうだい。私もこれで自称天才を返上して名実共に天才って認めてもらえる。バーバラ先生にも報告出来るわ」

手を打ち合わせて思いの丈を話し続けるリアンゼルは、目の前のヴィヴィアンが強張った顔で何かを言いたそうにしているのに気がつかずにいた。

「今度こそ、あのデブとエメルの二人組を私の実力で叩き潰してやるわ」
「……」

リアンゼルの脳裏に、あの日受けた言葉が蘇った。

(オーディション落っこちてデビュー出来なかった負け犬風情が。咆える以外に貴様に何が出来る?)

あの日受けた侮辱を彼女は片時も忘れたことはない。

「生きる世界が違うって……ウジ虫はウジ虫の世界へ帰って死ねって……言葉じゃなくて私の歌であいつらに思い知らせてやる!」

顔を歪めて憎しみを滾らせるリアンゼルを見つめたヴィヴィアンは、思わず「醜い顔……リアン、それがあなたの本当の敵よ」と小さな声でつぶやいた。

「ヴィヴィ、何か言った?」
「ええ、リアン。あなたに書いて欲しいものと、伝えなきゃいけないことがあるの」

いつもの快活なヴィヴィアンとは別人のようで声も震えている。リアンゼルはようやく彼女の顔が悪いことに気がついた。

「ヴィヴィ、一体どうしたの? 顔が真っ青じゃないの!」
「大丈夫。別に具合が悪い訳じゃないの……」
「嘘を言わないで。何かあったのね。そうでしょう?」

リアンゼルはヴィヴィアンの両手を取った。

「ねえ、私ヴィヴィにはいっぱい苦労を掛けさせてしまった。でもこれからは何だって力になれるわ」

言ってちょうだい、と心配して顔を寄せてくるリアンゼルは、さっきの憎悪に歪んだ顔とは別人のようだった。大切な人を思いやる、十六歳の少女らしい優しい顔をしている。
この顔だ、とヴィヴィアンは思った。
あの憎悪の歪んだ顔を秘めたままで歌姫にしてはいけない。
いま自分に向けてくれる優しい心で歌って欲しい。それでこそアルティメットの名にふさわしい歌姫になれるはずなのだ。
その為には……。
ヴィヴィアンは、リアンゼルを見つめて頷いた。

「リアン。今回のオーディションね、もしあなたが合格しても私、辞退させるつもりでいたの」
「ど、どうして?」

ヴィヴィアンは、一枚の書類を机の上に広げた。

「こっちがあなたにふさわしいから。このオーディションであなたにデビューして欲しいから」

訝しげに書類を見たリアンゼルは、あっと声を上げた。

「ヴィヴィアン、それ……」

彼女が思わず息を呑んだそれは……

『来年のオーディションには必ず優勝してスターになって見せるわ!』

「ブリテッシュ・アルティメット・シンガー」。
年に一回開かれるイギリスで最も権威ある歌姫のオーディションの出場申込書だった。
エリザベス女王陛下の御名を懸けて雪辱を宣誓した彼女にとって、それは権威以上の特別な意味を持っていた。

「リアン、私からの一生のお願い。この出場申込の欄にあなたの名前を書いてちょうだい」
「お願いなんかしなくていい。私の方が一生を懸けても出場させて欲しかったんだもの」
「じゃあ、書いてくれるのね」
「もちろんよ」

リアンゼルはウィンクするとテーブルの前に座り、丁寧に自分のフルネームを記入した。
ヴィヴィアンはそれをじっと見つめた。

「はい、書きあがったわ」
「ありがとう」

ヴィヴィアンは書類を受け取って大切そうに封筒に入れ、胸に抱きしめた。

「リアンゼル。出場して必ず栄冠を手にしましょうね」
「ええ。でもどうしたの? 改まって」
「リアンゼル・コールフィールド。あなたに伝えなきゃいけないことがあるの」
「……」

ヴィヴィアンは、リアンゼルを真っ直ぐ見つめて静かに言った。

「私、ヴィヴィアン・ラーズリーはディファイアント・プロダクションを解雇されたの。今日付で……」
「……え?」
「クビになったの」

今度はリアンゼルが、真っ青になる番だった。

「嘘、嘘……何で……」
「……」
「私が、今まで何の成果も挙げられなかったから?」

ヴィヴィアンは「違うのよ」と俯いたが、リアンゼルは唇を噛み締めた。
時にはレッスンに付き添い、励ましたり、叱ったり、慰めたりしてくれた、姉同然のマネージャー。
文字通り二人三脚でここまで来たのだ。彼女なしで、ブリテッシュ・アルティメット・シンガーなどどうして受けられよう。リアンゼルにとって他人事どころではなく、生木を裂くような仕打ちだった。
このままにしておくものか、と彼女は立ち上がった。

「私、メイナードに掛け合ってくるわ。止めても無駄よ。もうすぐ確実にデビュー出来るんですもの。私の将来を担保にしてあなたの身分を保証させてやる」
「その必要はないわ」
「私が必要あるの。一緒に今まで苦労してくれたヴィヴィ以外のマネージメントなんて絶対お断りよ」
「違うの」
「何が違うって言うの? 相手が雷鳴メイナードであろうと私、許すつもりはないわ」

怒りに身を震わせるリアンゼルへ、ヴィヴィアンはささやくように告げた。
それは、彼女が一番言いづらかったことだった。

「あなたもなの。リアンゼル・コールフィールド」
「え?」
「あなたも解雇されたのよ。このディファイアント・プロダクションからは、あなたではなく別の娘がブリテッシュ・アルティメット・シンガーに出場する」
「……」

時が止まったようだった。
信じられない言葉を聞いて、衝撃を受けた彼女は思わずよろめいて後ずさり、壁にぶつかってそのままズルズルと崩れ落ちた。
ヴィヴィアンが慌てて駆け寄り、助け起こそうとした。

「大丈夫、私が無所属でブリテッシュ・アルティメット・シンガーに出場させてあげる。あなたのマネージャーですもの。もうここのスタジオやレッスンルームは使えないけどレンタルスタジオだってちゃんと当てはあるから練習の心配はしないで」
「……」
「後ろ盾がないくらいのこと、今のあなたにはハンディにもならないわ。ほら、あなたのライバルだってそうじゃないの。プロダクションに所属もせずに……」
「……」
「リアン、こんなことくらいであなたが負ける筈ないでしょう? 正真正銘の天才なんだから。ね、聞いて。これから……」

懸命に言い募っていたヴィヴィアンの言葉が途切れた。
リアンゼルの頬に、一筋の涙が流れていたのだ。
人前で挫折した様子や涙など絶対に見せず、守り続けていた歌姫のプライド。それがプロダクションからの冷たい宣告を前にヒビ割れた瞬間だった。

「どうして……」
「リアン?」
「最初はちょっとの間だけ全力の本気を出して頑張るつもりだった。だけどどこからもオファーなんかなかった。天才だって私だけが自惚れていたんだもの。だから、アイツらを見返す為にも歯を食いしばって頑張ってきたのよ」

リアンゼルは自分自身へつぶやくように独白した。

「ヴィヴィが応援してくれて、メイナード社長が期待してくれて、それに応えたかった。でも結果が出なかった……とうとう捨てられてしまったのね」
「違うわ、リアンゼル! お願い、聞いて。メイナードはそんな社長じゃない」
「じゃあ、何でここまで頑張ってきた私達を捨てるのよ! もう私には見込みがないからクビにして他の娘をアルティメット・シンガーのオーディションに出すってことじゃない!」
「リアン、落ち着いて聞いて。これには理由が……」

ヴィヴィアンは必死に宥めようとしたが、激昂したリアンゼルには彼女の言葉など耳に入ってこなかった。
差し出されたヴィヴィアンの手を「放っておいてよ!」と振り払うと、リアンゼルは泣きながらオフィスルームを飛び出した。
ディファイアント・プロダクションの社屋から外へ走り出ると、一条の光も差し込まぬ無情の空が見えた。
その空は彼女の今の気持ちそのものだった。
虚ろな眼で見上げると、彼女は悄然として何処へともなく去っていった。
傘もなく、沛然と降りしきる冷たい雨の中を……

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