ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者~

ニセ梶原康弘

エピローグ  「虹」

――この力の全てを、弱き者を救う為に捧げたい



 最後の瞬間そう願った「彼」は、もともと意思も感情もないはずの存在だった。


……ここはどこだろう

 自分の身体へ何かが激しく叩きつけられる感触に、暗転したはずの意識がうっすらと目覚めた。
 それは雨だった。
 無論、雨くらいでその鋼鉄の身体が寸毫も揺らぐことなどはない。
 だが、雨は「彼」に陰鬱なものを想起させた。

 荒れた風の吹きすさぶ、寒い日の夜更け。降っては止み……そんな小雨の中で貨車の上から見た悲しい光景。
 すれ違ってゆく列車の鉄格子の向こうでひしめく人々の哀しい目。生きたいとただ願いながら、抗うすべもなく死へと連れ去られてゆく無力な彼等を見た時、「彼」は叫び、願ったのだ。

――この力の全てを、弱き者を救う為に捧げたい!

 だが、それに応えるものはなく、空襲が始まり……そして……

「わあああー雨だ、雨だぁ!」
「そこの木の下だ! ほら、あそこなら濡れてない……」

 ふいに――

 黄色い叫び声と共に、数匹の異形達が彼の視界に飛び込んできた。
 四匹のゴブリンの子供達である。近くの川で魚釣りをしていたらしく、木をくり抜いて作った魚籠代わりのバケツと釣り竿を抱えている。
 ずぶ濡れになった彼等は、広い葉を擁した大樹の下で服を脱いで絞った。そして、それを釣り竿に引っ掛けて乾かしながら、雨宿りを始めた。身をすくめてうずくまり、流れゆく低い雨雲をボンヤリと眺める。
 陰鬱な空と雨を黙って眺めているうちに、彼等の顔も次第に暗く陰っていった。
 それは、かつて見た鉄格子の向こうの人々と同じ表情へ次第に変わってゆくように思えて、「彼」は恐怖に似た予感に胸を掻き立てられた。
 だが……

「なぁ、雨が止むまで歌でも歌おうか」

 唐突に一匹のゴブリンが言うと、暗く陰りかけた彼等の顔がパッと明るくなった。

「いいね、歌おう。でも何を歌う?」
「あれ歌おうよ。テツオが最初に教えてくれた『故郷を離るる歌』」
「じゃあ、二匹づつ別れて歌おう」

 陰鬱な空気が消え散ったことに「彼」は驚いた。そういえば、土砂降りに近かった雨音も心なしか緩んできたような気がする。戸惑った思いのまま、「彼」は異形の子らの歌に耳を傾けた。
 雨の降りしきる中に明るい歌が響いてゆく。美しい歌唱だった。きっと毎日のように愛唱している歌なのだろう。
 そして、その歌は遠い昔聴いた覚えがあった。故国ドイツの古い歌。疲れ切った労働者が工場から貨車に自分を載せて送り出しながら歌っていたのだ。それを、こんな異世界の森の中で聴くことになろうとは……
 「彼」の中に、様々な想いが去来した。
 本来なら祖国の首都を護る為に戦うはずだった自分が、この数奇な運命を辿ったのは何故だったのだろう。自分の戦いに、自分の生に、果たしてどんな意味があったのだろう……
 雨は小雨になったが、歌い終えたゴブリンの子供達は空を見上げ、また本降りになるかもしれないと思い、動きかねていた。

「そういえばアリスティア様は、とても綺麗な声で歌っていたなぁ」

 思い出したように一匹のゴブリンの子が言った。

「寝つけない夜はいつも傍で歌ってくれたっけ」
「そうだったなぁ。でも、姫様はもういない……」
「僕……やっぱり寂しいな」
「駄目だよ、そんなこと言っちゃ」

 年長らしい一匹が、優しく諭すように叱った。

「姫様がもしここに残っていたら、テツオのことを思い出して泣いてるはずだよ。寂しいって、この雨みたいに……」
「うん」
「だから……行かせてよかったんだよ」
「そうだね。それに……僕達のこと、忘れないって言ってくれた」
「姫様、今幸せなはずだよ、きっと……」

 王姫の笑顔を想像したのだろう、寂しげな声が明るくなった。

「姫様もこの歌を歌っているかなぁ」
「きっと、テツオと一緒に歌ってるさ。もしかしたら今、僕達と一緒に歌っていたかも知れない」

 彼等の会話を聞くうちに「彼」は思い出した。

(僕に力があったら! 弱い者を助ける力があったら!)
(お願いです。ティーガー、どうか無力な私達のために力を貸して下さい……)

 弱き者を救うために無力な身で飛び出した少年のことを……
 自分の力を悲しく乞うた少女のことを……

 彼等の願いに応え、自分は力の続く限り戦い、燃料が尽きてもなお走り続け……
 そうだ、この異形の子らはあのとき彼等が護ろうとした子供達、滅びようとしていた小さな国の民だ。
 「彼」が気づいた時、空を眺めていたゴブリンの子供達から歓声があがった。

「雨があがったよ! ほら、陽が差してくる!」
「光のはしごみたいだ!」
「あれ、あれ見てよ! 凄い! あれってもしかしてテツオが教えてくれた……」

 歓声は大きくなり、子供達は大樹の下から我先に雨上がりの空の下へ飛び出してゆく。
 「彼」は子供達の駆けてゆく先を見て……そして、そこにあったものに言葉を失った。

 虹。

 それは……雲間から差し込んでくる光条と、その向こうに差し掛かる色鮮やかな七色の光彩だった。
 かつて堕落した人類を水害によって滅ぼした後、神の言葉を信じて助かった一組の家族へ示した証。この世界を二度と滅ぼすことはしないと神が示した誓約。

 その虹へ向かって、楽しそうな歓声と共に異形の子供達が駆けてゆく……



 鋼鉄の車体は傷つき、無限軌道キャタピラは千切れ、錆付いた砲は二度と火を噴くことはない。
 だが、力尽きて森の中に横たわった「彼」は、今際の果てに遂に知ったのだった。

――この力の全てを、弱き者を救う為に捧げたい

 その願いが聞き届けられ、叶えられたことを。


 満ち溢れる喜びが、「彼」を悠久のやすらぎに優しくいざなう。
 やがて、楽しそうな子供達の笑い声を聞きながら「彼」は二度と目覚めぬ眠りへと静かに就いたのだった。


 誰も知らない、遠い異世界の空の下で……

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