ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者~

ニセ梶原康弘

第10話 初恋

 こうして、危篤だったアリスティアが持ち直したことを知った魔物達は、まるで息を吹き返したように元気を取り戻し、明るくなった。
 あの陽だまりのような優しい笑顔をすぐにでも見たいと誰もが望んだが、快癒にまだほど遠い彼女がまた容態を悪くしたらと少年に諭されていたこともあって、ひとまず我慢することになった。
 いつか元気な姿を見せてくれるはずと信じて待つ彼等のために、お付きのメデューサ婆とドルイド爺が毎日のように「今日は木の実を三つも召し上がられた」「昨晩は少し熱があった」と、容態を知らせた。
 魔物達はそれらに一喜一憂し、一日も早いアリスティアの回復を祈るのだった。
 一方、少年はチート勇者の襲撃があれば森を出て戦うと言ったものの、実のところ気が気ではなかった。

(突然現れたというアイツみたいに、どこからどんな敵が来るか分からない)

 不安にかられた彼は毎日のように森の端から端へ歩き回った。異変がないか、自分自身の眼で確認せずにいられなかったのだ。
 だが、そんな風にずっと神経を張り詰めさせて身体が持つはずがない。見かねた一匹のオークからとうとう「異変があった時すぐに知らせられないじゃないか。テツオはティーガーのそばにいてくれ」と小言を言われてしまった。

「いや、でも心配でさ……」
「森の端々を我々が二匹一組で交代で見張ってるんだ。心配しなくても大丈夫だろ?」
「うん……」
「第一、苦労はみんなで分かち合えば軽くなると言ったのはテツオじゃないか」
「そ、そうか……確かにそうだね」
「それを何でテツオが森の全部を見張る必要があるんだ? 見張りは我々の役割だ。テツオはテツオにしか出来ない仕事をしてくれ」
「……はい、ごめんなさい」

 素直に謝ると彼はすごすごとティーガーの傍へ戻り、しょんぼりしてトロッコ作りに取り掛かるしかなかった。
 雨の中でインスペクターを殴打した鬼の形相とは別人のような、情けない顔で少年はため息をつく。
 その様子はまるで親に叱られた子供のようで、魔物達は思わず笑いをこらえ、この異邦人の少年に一層の親近感を覚えた。

(戦うときは鬼神のようで、我々を励ましたときはあんなに頼もしかったのに……)

 もちろんアリスティアにもこの小さな出来事は聞かされ、彼女も病床で小さく吹き出してしまった。
 だが「テツオが拗ねて、また一人で出て行ったりしないかしら」などと心配したので、メデューサ婆は「まさか! そんなことをしたら本当の子供ですよ」と、大笑いした。

「そ、そうよね……」
「ふふっ。姫様、心配でしたら早くお元気になりませんと」
「ええ」
「そうそう、お元気と言いましたら……」

 メデューサ婆は、思い出したように手を打ち合わせた。

「姫様がお元気になって、また皆と旅を始められる日が来ましたら、婆からびっくりするような贈り物を差し上げます。楽しみにしていて下さいまし」
「えっ、びっくりするような……何なの?」

 目を輝かせて「お婆ちゃん、教えてよ」とせがむアリスティアへ、メデューサ婆は「内緒、内緒」と楽し気に肩を揺すった。
 看病を交代してドルイド爺に任せている時に、コソコソと何やらしている様子は彼女も察していたが、そう言われると無性に気になって仕方がない。一国の王女といっても、そんなところはやはり好奇心を抑えられない年相応の少女だった。

「お婆ちゃん。私、早く元気になるから。ねえ、お願い」
「だめだめ、ちゃんと元気になってからです」
「意地悪……」

 そこで今度はドルイド爺が「お爺ちゃん、教えてよ」と、アリスティアからせがまれた。彼は白髪頭を下げ、ひたすら謝るしかない。

「お願い。ヒントだけでもいいから」
「姫様、勘弁して下され。少しでも漏らしたら石化するぞとワシ、婆さんから脅されてるのですよ」
「そんなぁ」

 少年が拗ねてしまわないかと心配していたアリスティアはプクッと頬を膨らませ、「もう、おじいちゃんまで意地悪……」と、自分が拗ねてしまった。
 何とか宥めようとドルイド爺は困り果てたが、困りながらも拗ねる彼女のかわいらしさに顔がほころぶのが隠せない。

「もう、そうやって笑って誤魔化しちゃって……」

 結局、完治して元気になるまでは秘密、ということでアリスティアは渋々納得するしかなかったが、拗ねるくらい元気を取り戻したと聞かされた魔物達の顔はみな、喜びに輝いた。
 そんな小さな喜びを重ねながら、魔物達は新たな旅へ向けた準備を営々と進めてゆく。
 アリスティアから笑われたと聞いた少年は、まるで渋柿でも食べたような顔で苦りきったが「姫様が笑って元気になってくれれば嬉しいじゃないか。面白くないだろうがこらえてくれ」と魔物達からなだめられ、不承不承うなずくしかなかった。

「それよりもテツオ、そのトロッコという奴は出来そうかい?」
「ああ、何とか完成の目処は立ったよ」

 試行錯誤の連続ではあったが、森の中の露天工房で中型トラックほどの大きさをしたトロッコが間もなく完成しようとしていた。
 車輪はティーガーの予備転輪を使い、シャーシや荷台は切り出した森の樹木から平板を作った。それを組木細工のように繋ぎ合わせる。
 もちろん少年一人では手に余る重労働だったが、そこは、力仕事ならお手のもののドワーフやオーク達が代わってくれた。
 車軸は、ドルイド爺が魔法で材木をクルクル回したものを石人形のゴーレムが己の腕を使って切削した。それをメデューサ婆が睨んで硬化させ、採取した樹脂を潤滑油として塗りつけた。
 難しい問題がひとつあった。
 車輪と車体をつなぎ、路面からの衝撃や振動を吸収して車体を安定させる装置「サスペンション」である。
 つる巻きバネのような精巧なものは、さすがにこの異世界では作れない。板バネを重ねるリーフサスペンションの真似をして木板を重ねてみたが、魔物達を乗せてみると重さに耐えられず簡単に折れてしまった。メデューサ婆が睨んで硬化させると今度は硬くなりすぎて撓まなくなり、衝撃や振動を吸収しなくなってしまう。色々試したがどれもこれも上手くゆかない。
 行き詰まり、どうしたものかと皆が思案に暮れた末にふと思いついたのが、インスペクターが魔物達の捕縛に使った粘液だった。
 そこで、地面に残っていた粘液を集めて荷台と車体の間に詰め込んでみるとゴム代わりの良いクッションになってくれ、ようやく解決出来そうになった。
 さらに、くの字に組み合わせた平板の表面に粘液を盛り上げ、ボロ布を被せることでソファに似た椅子を作ることが出来た。こちらはアリスティアを座らせる為のリクライニングチェアである。座り心地は極上で、これなら長旅でもほとんど疲れないだろうと思われた。
 魔物達は喜び合い、少年は「明日、試しにトロッコをティーガーに引かせてみよう」と走行試験を宣言した。

 翌日。
 少年がティーガーの後部からワイヤーをトロッコに結び付けていると、それを見守っている魔物達から突然歓声が沸いた。
 何事かと顔を上げた彼の目に入ったのは、メデューサ婆に支えられながら岩屋から静々と姿を現したアリスティアの姿だった。

「アリスティア様!」
「姫様!」

 痩せ衰え、顔色もまだ青白かったが、それでも生死の境をさ迷っていた頃に比べて見違えるように元気になっている。
 頬を紅潮させてアリスティアは手を振り、その笑顔に感激して何匹かのオークやゴブリンが男泣きに泣き出してしまった。それまで着ていたドレスは裂けてボロボロになってしまっていたのを老婆が繕い、アリスティアの身なりを気遣ったテツオが献上したマントをショールのように掛けている。
 大岩の上に用意されたリクライニングチェアまでそろそろと歩いたアリスティアは、メデューサ婆に抱きかかえられるようにして腰を下ろした。そこからトロッコの走行試験を見守るつもりらしい。
 まだ小さな声しか出せないアリスティアから耳打ちされたメデューサ婆が、大声で呼ばわった。

「テツオ様ー! アリスティア様が『成功を祈っています』と!」
「ありがとう!」

 照れながら手を振ると少年はトロッコに乗り込む。
 アリスティアへ向かって歓声をあげていた魔物達も静まった。
 「エンジン始動!」の声に、それまで静物と化していたティーガーが目を覚まし、身を震わせた。七〇〇馬力のマイバッハエンジンが音を立て、排気管から黒煙が勢いよく噴き出す。七〇トンの鋼鉄が動き出すには、エンジンをフルパワーで漲らせる必要があるのだ。
 魔物達が見守る中、トロッコの上に立った少年が高々と上げた右手を振り下ろし、号令した。

戦車前へパンツァー・フォー!」

 巨大な起動輪がキャタピラの一枚一枚をゆっくりと噛み込み始める。ティーガーは悠然と進み始めたが……

「わっ、わっ、わわわわわわわ!」

 ティーガーに引かれてゴロゴロと動き出したトロッコは、振動で車体の上の荷台が勢いよく揺れた。びよーんびよーん、とバネ仕掛けのようにどこか間の抜けた動きで上下している。
 格好よくトロッコの上に屹立していた少年はひっくり返り、前後左右に転がされ「あだだ! いだだ!」と、情けない悲鳴をあげた。
 アリスティアは「テ、テツオ!」と心配の声をあげたが、魔物達はトロッコの滑稽な動きと少年の声に思わず笑い出してしまった。

「戦車停止! 戦車停止!」

 必死に張り上げた少年の声を受けてティーガーはピタリと止まる。その後尾へトロッコはゴツンと当たり、荷台の中で頭をブツけたらしい彼の「痛ぁ!」に、魔物達の笑い声が更に膨れ上がる。
 ようやく顔を出した少年はトロッコの中でさんざんすっ転がされ、小突き回されたらしく、ヨレヨレのヘロヘロになって荷台の縁にもたれかかった。
 そして、何事かと笑いを止めて見守った魔物達の前で「きゅう……」と白眼を剥くと、そのまま動かなくなった。

「テツオが……伸びちゃった!」
「……ぷっ、くくくくく!」
「わーはははははは!」

 魔物達の爆笑は最高潮に達した。ゴブリン達は腹を抱えて笑い、オークは笑い過ぎて涙まで流している。ゴーレムは声を出せないまま笑い過ぎてとうとう後ろへひっくり返った。ケルベロスに至っては笑い過ぎて痙攣し、地面の上でのたうち回っている。

「み、みんな……そんなに笑ったらテツオに悪いでしょう。ねえ……ねえ……」

 オロオロしながら魔物達をたしなめていたアリスティアは、ふと、彼等が愉快な気持ちで心から笑っていることに気がついた。
 この異世界でチート勇者に迫害され、怯えたり泣いてばかりだった魔族達。いつもどこか不安げで笑う機会などほとんどなかったのに、誰もがいま大きく口を開け、楽しそうに笑っている。

「……」

 彼女は今まで己の民がこんなにも無邪気に笑っている様子を見たことがなかった。
 アリスティアの目に涙がにじみ、やがて彼女も笑った。
 楽しそうに笑う魔族の民の姿が、彼女にはこの上なく嬉しかった。嬉しくてたまらなかった。
 その笑顔の頬に美しい涙の筋が出来たが、王姫は涙を拭おうともしない。
 こんなにも皆を笑顔にさせてくれた人がこの上なく尊く、愛しく感じられた。

(テツオ……)

 台車の上でだらしなく気絶している異邦人の少年を見つめた異世界の王姫は自分の胸の中に、今まで彼へ抱いていたものとは異なる気持ちを、その時はっきりと感じたのだった。

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