エデン・ガーデン ~終わりのない願い~
巫女のあり方
ケーイ・A・ヴィオの故郷、セブンス小国群ヴィオラ領はかつて人類を総べていたヴィオ家が住まうエデン・ガーデン最北の地で、一番寒さが厳しく、一番食料自給率が高い国だ。
ケーイが故郷に足を踏み入れると、何処からか人が集まってきてケーイを囲んだ。
「ケーイ様、お帰りなさいませ」「ケーイ様」「ケーイさま」
誰もが口々に言い、頭を垂れる。
「ただいま帰りました。みな、元気そうで安心しました」
ケーイは最前列にいる一人一人の名前を呼び、労いの言葉を投げかけた。その度に人々は再びケーイに頭を垂れる。中には感涙に咽び泣くものもいた。
全員に声をかけ終えると、ケーイはようやく人垣を抜けて城に向けて歩き出した。
緑が茂畑に囲まれた道をゆっくりと、従者を従えて歩く。
歩いている最中も、遠くから多くの人が声を掛けてきた。
「お帰りなさいませ、ケーイ様っ」
すれ違う子供たちも弾んだ声でケーイを呼ぶ。
その度にケーイは笑ってみせた。
「お疲れ様です」
声を掛けられればそう返す。
「走っては危険ですよ」
走る子供にはそう言った。
そうしてようやく城に辿り着く。
門番がケーイを見て敬礼をした。
「お帰りなさいませ」
「ただいま帰りました」
開かれた門を通り抜ける。中庭でもたくさんの使用人がケーイの帰りを待っていた。
「お帰りなさいませ」
「こちらです」
「王がお待ちです」
複数の使用人に連れられながら中に入る。
「ありがとうございました」
中に入る直前、従者とはそう言って別れた。
やたら豪奢な城の中のやたら豪奢な扉の向こう、両脇を本棚に囲われた部屋で父は椅子に腰かけていた。
連れてこられたのは政務室だ。
前の机には山のように紙が積まれ、その一枚一枚にしっかりと目を通す父は、入ってきたケーイの方を見ることはなかった。
「お久しゅうございます、お父様。ただいま帰りました」
恭しく頭を下げながら声をかけても「良く帰った」というだけで顔は決して上げない。
ケーイはやや下を向いたまま次の父の言葉を待つ。
「縁談の話はどうなった」
不意に紙面から顔を上げた父が鋭い眼差しでケーイを見た。
長い間で蓄積していった恐怖が、ケーイの体を震わせる。
震える声で
「申し訳ございません」
と絞り出した。
「書簡をお渡しいたしましたが、その後、返事をいただくことは出来ませんでした」
一年前、帰郷したケーイは父からケーイをティエルの婚約者候補にしてほしいという手紙を預かっていた。
それをアルフェルドに渡しはしたが、検討すると言ったきり、アルフェルドがその話に触れることはなかった。
「ティエル様にはお話をしたかのか?」
苛ついた声が言う。
「いえ……」
ケーイは緩く頭を振った。
はあっと呆れた溜息が部屋に満ちる。
「では、『あれ』の方はどうなっている?」
父が言う『あれ』とは一つしかない。ケーイは前を見ないよう、極力顔を伏せた。
何も言わないケーイに父は荒い口調で
「使えん。貴様はそれでもヴィオラ領の姫か?」
と突き放す。
「申し訳ございません」
それ以外に言うべき言葉が見つからなかった。
「この国の発展に繋がることも出来ぬのに国民から囃し立てられる。貴様の祖母もそうだったな。『巫女』とは全くもって難儀なものだ。
役立たずにも関わらず役に立っているかのように振る舞わねばならぬのだから。さぞ心も痛むだろう」
そんなことを言うとは、なんて器が小さいのだろうと断ずることが出来れば楽だろう。しかし、ケーイはそこまで大人ではなかった。
しかし自分の大好きな人を、尊敬する人を馬鹿にされて耐えられるほど、我慢強くもない。
ぎりっ。歯を噛みしめる音が耳の奥で鳴る。
帰郷するたびにケーイは痛感する。父にとって巫女とは、娘とは道具でしかないのだと。
国を発展させるために世界王、もしくは自分より力の強い者に嫁がせる為の、または戦争を仕掛けて一旗揚げる為の道具なのだ。
「私とて、好きで『巫女』をしているわけではありません……」
ケーイは消え入りそうな声で小さく呟くと踵を返して歩き始めた。
「話はまだ終わっていないぞ」
「役立たずに話すことがあるのですか? ……失礼いたします」
半ば投げやりにそう返す。部屋から飛び出すと慌てたように侍女達が付いてきた。
「部屋に戻ります。もう休みますので翌日の準備をしておいてください」
そう言い放って足早に歩く。付いてくる侍女達はどんどん離れてしまい、いつの間にか遠くにいた。
その勢いのまま、自分の部屋に入る。
勢いよく開け放たれた扉はその勢いのまま大きく音を立てて閉まった。
一年ぶりの自室は綺麗に整えられて、一年前に出た時のなんら変わりない。
中央より少し右寄りに天蓋の付いた白くて柔らかそうなベッド。扉のすぐ右側にはこじんまりとした衣装ダンス。その隣に全身鏡。真正面にある窓の前には座って寛げるように小さなテーブルと椅子が二脚向かい合って置かれている。左側には三面鏡が置かれた煌びやかな化粧台。
数年前に亡くなった祖母から譲り受けたものだが、今の今まで使ったことはない。
ケーイは胸につかえるわだかまりを取ろうと深く深く息を吐いた。
そうして窓に歩み寄る。
ケーイの部屋は城の中でも一番景観が良いと祖母が言っていた。そこから見えるのはヴィオラ領というエデン・ガーデンの中にたった一つしかない狭い国。国土の半分以上が畑や田んぼで、今はもう少なくなってしまった人という種しかいない国だ。
畑には緑が茂り、田んぼには稲が植えられている。草木はそよそよと風に揺れ、開けた窓から涼やかな匂いを部屋に運んできた。沈みかけた夕日が瑞々しい食物達を輝かせて、黄昏色に染め上げる。
あまりの眩しさにケーイは思わず手をかざした。
このまばゆい程の緑の豊かさが、エデン・ガーデン内で最も食料自給率が高い国と言われる所以だ。この厳しい氷河期において、ヴィオラ領だけはその厳しさから無縁だった。
理由は簡単。それこそが『風涼の巫女』の力、出来ることだからだ。
『風涼の巫女』とは初代ラン・ヴィオから始まり、ヴィオ家の女性にのみ受け継がれてきた役目のことを言う。
そして数十年に一度生まれる魔力の強い子供がその前の代から『風涼の巫女』の術『風の護り』と『風の加護』を受け継ぐ。その子は一年に一度『風の護り』を土地に掛けるのだ。
『風の護り』は別名春を呼ぶ魔法とも言われる。その土地をあらゆる弊害から遠ざけるという魔法。簡単に言うと人にはなんの効果もないバリアのようなものを張り、冷害や水害、その他諸々の害悪から遠ざけるという魔法だ。
そして、かつてその役を務めていた祖母からその役目を引き継いだのがケーイである。
祖母から今の力を譲渡されてからもう十年が経つ。今まで散々、色々なところに『風の護り』を使ってきた。しかし、ケーイは未だに『風の加護』だけは使ったことがなかった。
祖母にきつく使ってはいけないと言われ続けていたこともあるが、何よりそれを父が狙っているからというのが一番の理由だ。『風の加護』は扱いどころを間違えば大変なことになる。
しかし、それを言ってわかってくれる父ではない。彼の頭には自分が再び王として世界から注目されるにはどうすればいいかということしかないのだ。そして『風の加護』はそれを叶える手段の一つとしてしか捉えていない。
「だからこそ、『あれ』なんて言い方が出来るんだ」
ケーイは、『風涼の巫女』でも『ティエル・エデンの従者』でも『エデン軍副隊長』でも『ヴィオラ領王女』でもないケーイ・A・ヴィオは、隠していた翠の石が付いたネックレスを取り出すと、両手で強く握り閉めた。
それは祖母がくれた大切なお守り。術と同じ名前をした『風の加護』というお守り。
「おばあさま、わたし、おばあさまとの約束、絶対に守ります」
記憶の中の祖母が言う。
『ケーイ、この術は危険だから、本当なら使ってはいけないんだ。けどね、もしあなたがこれを使ってもいいと思える人が現れたのなら、そしてあなたがその人を失いたくないと思い、この術によってその人が助られるのなら、その時は使っても良いわ。だから、そう思える人に出会えるまでは、絶対にこの術を使ってはいけないよ』
ケーイはもう一度、窓の外に目を向けた。
そこには、ケーイが愛してやまない、平穏がある。
「失くしたくないものを、見つけましたから」
風が癖の強い髪を揺らす。どうしようもないくらいに寒いはずの風は、それでも涼しくケーイの体を包んで流れていった。
ケーイが故郷に足を踏み入れると、何処からか人が集まってきてケーイを囲んだ。
「ケーイ様、お帰りなさいませ」「ケーイ様」「ケーイさま」
誰もが口々に言い、頭を垂れる。
「ただいま帰りました。みな、元気そうで安心しました」
ケーイは最前列にいる一人一人の名前を呼び、労いの言葉を投げかけた。その度に人々は再びケーイに頭を垂れる。中には感涙に咽び泣くものもいた。
全員に声をかけ終えると、ケーイはようやく人垣を抜けて城に向けて歩き出した。
緑が茂畑に囲まれた道をゆっくりと、従者を従えて歩く。
歩いている最中も、遠くから多くの人が声を掛けてきた。
「お帰りなさいませ、ケーイ様っ」
すれ違う子供たちも弾んだ声でケーイを呼ぶ。
その度にケーイは笑ってみせた。
「お疲れ様です」
声を掛けられればそう返す。
「走っては危険ですよ」
走る子供にはそう言った。
そうしてようやく城に辿り着く。
門番がケーイを見て敬礼をした。
「お帰りなさいませ」
「ただいま帰りました」
開かれた門を通り抜ける。中庭でもたくさんの使用人がケーイの帰りを待っていた。
「お帰りなさいませ」
「こちらです」
「王がお待ちです」
複数の使用人に連れられながら中に入る。
「ありがとうございました」
中に入る直前、従者とはそう言って別れた。
やたら豪奢な城の中のやたら豪奢な扉の向こう、両脇を本棚に囲われた部屋で父は椅子に腰かけていた。
連れてこられたのは政務室だ。
前の机には山のように紙が積まれ、その一枚一枚にしっかりと目を通す父は、入ってきたケーイの方を見ることはなかった。
「お久しゅうございます、お父様。ただいま帰りました」
恭しく頭を下げながら声をかけても「良く帰った」というだけで顔は決して上げない。
ケーイはやや下を向いたまま次の父の言葉を待つ。
「縁談の話はどうなった」
不意に紙面から顔を上げた父が鋭い眼差しでケーイを見た。
長い間で蓄積していった恐怖が、ケーイの体を震わせる。
震える声で
「申し訳ございません」
と絞り出した。
「書簡をお渡しいたしましたが、その後、返事をいただくことは出来ませんでした」
一年前、帰郷したケーイは父からケーイをティエルの婚約者候補にしてほしいという手紙を預かっていた。
それをアルフェルドに渡しはしたが、検討すると言ったきり、アルフェルドがその話に触れることはなかった。
「ティエル様にはお話をしたかのか?」
苛ついた声が言う。
「いえ……」
ケーイは緩く頭を振った。
はあっと呆れた溜息が部屋に満ちる。
「では、『あれ』の方はどうなっている?」
父が言う『あれ』とは一つしかない。ケーイは前を見ないよう、極力顔を伏せた。
何も言わないケーイに父は荒い口調で
「使えん。貴様はそれでもヴィオラ領の姫か?」
と突き放す。
「申し訳ございません」
それ以外に言うべき言葉が見つからなかった。
「この国の発展に繋がることも出来ぬのに国民から囃し立てられる。貴様の祖母もそうだったな。『巫女』とは全くもって難儀なものだ。
役立たずにも関わらず役に立っているかのように振る舞わねばならぬのだから。さぞ心も痛むだろう」
そんなことを言うとは、なんて器が小さいのだろうと断ずることが出来れば楽だろう。しかし、ケーイはそこまで大人ではなかった。
しかし自分の大好きな人を、尊敬する人を馬鹿にされて耐えられるほど、我慢強くもない。
ぎりっ。歯を噛みしめる音が耳の奥で鳴る。
帰郷するたびにケーイは痛感する。父にとって巫女とは、娘とは道具でしかないのだと。
国を発展させるために世界王、もしくは自分より力の強い者に嫁がせる為の、または戦争を仕掛けて一旗揚げる為の道具なのだ。
「私とて、好きで『巫女』をしているわけではありません……」
ケーイは消え入りそうな声で小さく呟くと踵を返して歩き始めた。
「話はまだ終わっていないぞ」
「役立たずに話すことがあるのですか? ……失礼いたします」
半ば投げやりにそう返す。部屋から飛び出すと慌てたように侍女達が付いてきた。
「部屋に戻ります。もう休みますので翌日の準備をしておいてください」
そう言い放って足早に歩く。付いてくる侍女達はどんどん離れてしまい、いつの間にか遠くにいた。
その勢いのまま、自分の部屋に入る。
勢いよく開け放たれた扉はその勢いのまま大きく音を立てて閉まった。
一年ぶりの自室は綺麗に整えられて、一年前に出た時のなんら変わりない。
中央より少し右寄りに天蓋の付いた白くて柔らかそうなベッド。扉のすぐ右側にはこじんまりとした衣装ダンス。その隣に全身鏡。真正面にある窓の前には座って寛げるように小さなテーブルと椅子が二脚向かい合って置かれている。左側には三面鏡が置かれた煌びやかな化粧台。
数年前に亡くなった祖母から譲り受けたものだが、今の今まで使ったことはない。
ケーイは胸につかえるわだかまりを取ろうと深く深く息を吐いた。
そうして窓に歩み寄る。
ケーイの部屋は城の中でも一番景観が良いと祖母が言っていた。そこから見えるのはヴィオラ領というエデン・ガーデンの中にたった一つしかない狭い国。国土の半分以上が畑や田んぼで、今はもう少なくなってしまった人という種しかいない国だ。
畑には緑が茂り、田んぼには稲が植えられている。草木はそよそよと風に揺れ、開けた窓から涼やかな匂いを部屋に運んできた。沈みかけた夕日が瑞々しい食物達を輝かせて、黄昏色に染め上げる。
あまりの眩しさにケーイは思わず手をかざした。
このまばゆい程の緑の豊かさが、エデン・ガーデン内で最も食料自給率が高い国と言われる所以だ。この厳しい氷河期において、ヴィオラ領だけはその厳しさから無縁だった。
理由は簡単。それこそが『風涼の巫女』の力、出来ることだからだ。
『風涼の巫女』とは初代ラン・ヴィオから始まり、ヴィオ家の女性にのみ受け継がれてきた役目のことを言う。
そして数十年に一度生まれる魔力の強い子供がその前の代から『風涼の巫女』の術『風の護り』と『風の加護』を受け継ぐ。その子は一年に一度『風の護り』を土地に掛けるのだ。
『風の護り』は別名春を呼ぶ魔法とも言われる。その土地をあらゆる弊害から遠ざけるという魔法。簡単に言うと人にはなんの効果もないバリアのようなものを張り、冷害や水害、その他諸々の害悪から遠ざけるという魔法だ。
そして、かつてその役を務めていた祖母からその役目を引き継いだのがケーイである。
祖母から今の力を譲渡されてからもう十年が経つ。今まで散々、色々なところに『風の護り』を使ってきた。しかし、ケーイは未だに『風の加護』だけは使ったことがなかった。
祖母にきつく使ってはいけないと言われ続けていたこともあるが、何よりそれを父が狙っているからというのが一番の理由だ。『風の加護』は扱いどころを間違えば大変なことになる。
しかし、それを言ってわかってくれる父ではない。彼の頭には自分が再び王として世界から注目されるにはどうすればいいかということしかないのだ。そして『風の加護』はそれを叶える手段の一つとしてしか捉えていない。
「だからこそ、『あれ』なんて言い方が出来るんだ」
ケーイは、『風涼の巫女』でも『ティエル・エデンの従者』でも『エデン軍副隊長』でも『ヴィオラ領王女』でもないケーイ・A・ヴィオは、隠していた翠の石が付いたネックレスを取り出すと、両手で強く握り閉めた。
それは祖母がくれた大切なお守り。術と同じ名前をした『風の加護』というお守り。
「おばあさま、わたし、おばあさまとの約束、絶対に守ります」
記憶の中の祖母が言う。
『ケーイ、この術は危険だから、本当なら使ってはいけないんだ。けどね、もしあなたがこれを使ってもいいと思える人が現れたのなら、そしてあなたがその人を失いたくないと思い、この術によってその人が助られるのなら、その時は使っても良いわ。だから、そう思える人に出会えるまでは、絶対にこの術を使ってはいけないよ』
ケーイはもう一度、窓の外に目を向けた。
そこには、ケーイが愛してやまない、平穏がある。
「失くしたくないものを、見つけましたから」
風が癖の強い髪を揺らす。どうしようもないくらいに寒いはずの風は、それでも涼しくケーイの体を包んで流れていった。
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