エデン・ガーデン ~終わりのない願い~
5
地面に巨大な陰を落とした物体の正体。それは
「竜!?」
叫ぶように鎧を激しく打ち鳴らして兵士達は空に武器を構えた。
標的は地を見下ろし、悠然と佇む神聖存在。巨体を遥か上空に持ち上げるのにふさわしい大きさの翼。一撃で全てを絶命させるに足る凶刃な爪。口の隙間から覗くは岩をも容易に噛み砕きそうな鋭利な牙。
ただそこに居るだけなのに圧倒的な存在感と押しつぶされそうな圧迫感を与えてくる。それに誰もが息を呑んだ。
「騒がしいと思い来てみれば……」
竜が重く、口を開いた。
「我が愚弟の落とし種が何をしている?」
ぎろっと目を剥き、低く押し殺したような声が吼える。
しかし、エデン軍の兵士達は誰一人として引くことなく竜に武器を構え続けていた。
「住処を荒らしていることには本当に申し訳ないと思っている」
それに手で下がるように指示して、ティエルは一歩前に進み出る。
剣も何も持っていないティエルを兵士達は見るからに青ざめた顔で見つめていた。しかし、そんなことは気にした様子もなく、ティエルは竜の前に立った。
「私はティエル・エデン。貴殿の名前を聞きたい」
「ほう……。お前が……」
竜は鋭い目を余計に細めてティエルを睥睨する。
そして、地を這うような声で囁いた。
「我が名を呼べるは我が父のみ。故に我は名乗ることを許されぬ」
声だけで殺されてしまいかねないほど鋭い口調。思わず冷や汗が背筋を伝った。
恐怖のあまり感覚が麻痺したのか。ティエルは膝から崩れ落ちそうな恐怖と同時に、心の底で生まれて初めてそれとわかる姿形をした竜と相対していることに一種の感動を覚えていた。
「我が質問の答えをまだ聞いていない。貴様等はここで何をしている?」
竜がもう一度、そう呟く。
重い緊張が両者を包んだ。
その時、肌を風が優しく撫で、体中を包むような感覚がその場にいる全員を襲った。
それに竜が怪訝そうに森の中に視線を移す。
そして
「なるほど」
と低く唸った。
それにティエルは心臓を鷲掴みにされたような感覚にとらわれる。
咄嗟に腰に差した“愛剣”に手をかけていた。
それを見て他の兵士達も武器を構える。弓兵はすでに弓を引き絞っていた。
「やめておけ」
しかし、それを牽制するように竜は嘲りを滲ませた声で言う。
こちらを全く見ていないのに、たった一言声をかけられただけなのに、ティエル達は射すくめられたように動けなくなってしまった。
「貴様等がいくら愚弟の落とし種とはいえ、そして我よりも圧倒的に数で勝っていたとはいえ“今”戦って勝てる見込みはないぞ」
こちらに目もくれず、竜はただ滔々と語る。
「かつて、竜が人に手こずった理由は一つ。「かがく」などという恐ろしい力のせいだ。
それを失った竜人が竜に勝てる道理はない」
そしてやはり明らかな嘲りと、それでいて同情のようなものを含ませた声で
「だが、逆にその力のない貴様等を気に留める理由も我々にはない」
と言った。
ティエルはゆっくりと剣から手を離しながら震える足を一歩前に進め、竜に近づいた。
後ろで微かに息を呑む音が聞こえた気がした。
「つまり、戦う気はないと?」
「我は我が父の命により馳せ存じたまでだ。戦う意志などありはしないし、その道理もない」
『父』。二度に渡って出てきたその単語にティエルは眉を潜めた。
その父とは一体どういう意味なのだろう。
竜の口から語られる『父』という言葉。ティエルにはそれが普段使っているような父親とは違う意味を含んでいるように思えた。
「しかし、愚弟の子孫よ。貴様等はこれが正しい行いだと思っているのか? それであの矮小な生き物が救われると?」
思わず考え込みそうになっていると、竜がティエルの方へと視線を向けてきた。
まるで冷たい刃物を突きつけられた時のような恐怖が心臓を締め付ける。
しかし臆さず、ティエルは真正面から竜と向き合った。
「私達が救うのは私達の安寧のみだ。魔獣を救うつもりなどない」
結局のところ、人であれ竜人であれ、自分の為にしか行動できない。
自分達の平和を守る為にはこうして魔獣が森の中に居続けてくれる環境を整えるのが一番手っ取り早い方法なのだ。
素直にそう答えると、竜は満足そうに息を吐いた。
「……ほう、そうか。
やはり貴様等はあくまでそうであるというのだな」
そして一度、大きく翼を羽ばたかせる。
「最後に聞きたい。貴様はエヴィという少女を知っているか?」
突然、質問が変わる。それに咄嗟に反応できず、ティエルはただ竜を怪訝そうに見つめた。
「エヴィという少女を、貴様は知っているか?」
「……それを聞いてどうする?」
竜は質問を再び繰り返した。それに会って一日しか経っていない少女の姿がようやく浮かぶ。しかし、竜の目的がわからない以上、それをやすやすと口にすることは出来なかった。
「父の願いだ。その娘の現状を知りたいと」
「俺に竜の知り合いは二人しかいない」
あえてはぐらかすように答える。
すると、竜はもう一度、不機嫌そうに翼を振るった。
「エヴィは竜ではない。少女だ」
苛ついた声はティエルをしっかりと捕らえ、心を抉らんと襲いかかってくる。
「父はその少女の行方を知りたがっている。もし知っていて答えぬのであれば、あちらの者に聞いても構わないのだぞ」
「っ」微かに息を呑む。
今向こうに行かれたら困る。ティエルはぐっと口を噤んで目を伏せた。
しばらく黙想する。
やがて、顔を上げて竜を見据えた。
「なら約束しろ。その子には害を加えないと」
「元よりそのつもりだ。それに、エヴィは我の妹でもある。手など出しはしない」
妹。それに思わず顔をしかめる。
しかし今は気にしないよう微かに首を横に振って考えを打ち消した。
そして意を決したように静かに言葉を絞り出す。
「……エヴィ、F・エンドレス、という少女を知っている。彼女は現在、城で保護されている」
「そうか、やはり彼女が……。
父に良い土産が出来た。礼を言おう」
竜は本当にそれで満足したらしく、口元を笑みのように歪ませてそう呟いた。
そして満足げでどこか弾んだ声で言う。
「礼のついでに一つ教えておいてやろう」
それは本当に些細な気まぐれだったのだろう。
「”きょうだい”には気をつけろ」
「兄弟……?」
そうしてまたわけのわからないことを言って、竜はもう何も言うことはないと表すように翼を大きく羽ばたかせた。
体を殴りつける突風に思わず目を閉じる。
風が収まり、次に目を開いた時、竜の姿はどこにも見えなくなっていた。
「竜!?」
叫ぶように鎧を激しく打ち鳴らして兵士達は空に武器を構えた。
標的は地を見下ろし、悠然と佇む神聖存在。巨体を遥か上空に持ち上げるのにふさわしい大きさの翼。一撃で全てを絶命させるに足る凶刃な爪。口の隙間から覗くは岩をも容易に噛み砕きそうな鋭利な牙。
ただそこに居るだけなのに圧倒的な存在感と押しつぶされそうな圧迫感を与えてくる。それに誰もが息を呑んだ。
「騒がしいと思い来てみれば……」
竜が重く、口を開いた。
「我が愚弟の落とし種が何をしている?」
ぎろっと目を剥き、低く押し殺したような声が吼える。
しかし、エデン軍の兵士達は誰一人として引くことなく竜に武器を構え続けていた。
「住処を荒らしていることには本当に申し訳ないと思っている」
それに手で下がるように指示して、ティエルは一歩前に進み出る。
剣も何も持っていないティエルを兵士達は見るからに青ざめた顔で見つめていた。しかし、そんなことは気にした様子もなく、ティエルは竜の前に立った。
「私はティエル・エデン。貴殿の名前を聞きたい」
「ほう……。お前が……」
竜は鋭い目を余計に細めてティエルを睥睨する。
そして、地を這うような声で囁いた。
「我が名を呼べるは我が父のみ。故に我は名乗ることを許されぬ」
声だけで殺されてしまいかねないほど鋭い口調。思わず冷や汗が背筋を伝った。
恐怖のあまり感覚が麻痺したのか。ティエルは膝から崩れ落ちそうな恐怖と同時に、心の底で生まれて初めてそれとわかる姿形をした竜と相対していることに一種の感動を覚えていた。
「我が質問の答えをまだ聞いていない。貴様等はここで何をしている?」
竜がもう一度、そう呟く。
重い緊張が両者を包んだ。
その時、肌を風が優しく撫で、体中を包むような感覚がその場にいる全員を襲った。
それに竜が怪訝そうに森の中に視線を移す。
そして
「なるほど」
と低く唸った。
それにティエルは心臓を鷲掴みにされたような感覚にとらわれる。
咄嗟に腰に差した“愛剣”に手をかけていた。
それを見て他の兵士達も武器を構える。弓兵はすでに弓を引き絞っていた。
「やめておけ」
しかし、それを牽制するように竜は嘲りを滲ませた声で言う。
こちらを全く見ていないのに、たった一言声をかけられただけなのに、ティエル達は射すくめられたように動けなくなってしまった。
「貴様等がいくら愚弟の落とし種とはいえ、そして我よりも圧倒的に数で勝っていたとはいえ“今”戦って勝てる見込みはないぞ」
こちらに目もくれず、竜はただ滔々と語る。
「かつて、竜が人に手こずった理由は一つ。「かがく」などという恐ろしい力のせいだ。
それを失った竜人が竜に勝てる道理はない」
そしてやはり明らかな嘲りと、それでいて同情のようなものを含ませた声で
「だが、逆にその力のない貴様等を気に留める理由も我々にはない」
と言った。
ティエルはゆっくりと剣から手を離しながら震える足を一歩前に進め、竜に近づいた。
後ろで微かに息を呑む音が聞こえた気がした。
「つまり、戦う気はないと?」
「我は我が父の命により馳せ存じたまでだ。戦う意志などありはしないし、その道理もない」
『父』。二度に渡って出てきたその単語にティエルは眉を潜めた。
その父とは一体どういう意味なのだろう。
竜の口から語られる『父』という言葉。ティエルにはそれが普段使っているような父親とは違う意味を含んでいるように思えた。
「しかし、愚弟の子孫よ。貴様等はこれが正しい行いだと思っているのか? それであの矮小な生き物が救われると?」
思わず考え込みそうになっていると、竜がティエルの方へと視線を向けてきた。
まるで冷たい刃物を突きつけられた時のような恐怖が心臓を締め付ける。
しかし臆さず、ティエルは真正面から竜と向き合った。
「私達が救うのは私達の安寧のみだ。魔獣を救うつもりなどない」
結局のところ、人であれ竜人であれ、自分の為にしか行動できない。
自分達の平和を守る為にはこうして魔獣が森の中に居続けてくれる環境を整えるのが一番手っ取り早い方法なのだ。
素直にそう答えると、竜は満足そうに息を吐いた。
「……ほう、そうか。
やはり貴様等はあくまでそうであるというのだな」
そして一度、大きく翼を羽ばたかせる。
「最後に聞きたい。貴様はエヴィという少女を知っているか?」
突然、質問が変わる。それに咄嗟に反応できず、ティエルはただ竜を怪訝そうに見つめた。
「エヴィという少女を、貴様は知っているか?」
「……それを聞いてどうする?」
竜は質問を再び繰り返した。それに会って一日しか経っていない少女の姿がようやく浮かぶ。しかし、竜の目的がわからない以上、それをやすやすと口にすることは出来なかった。
「父の願いだ。その娘の現状を知りたいと」
「俺に竜の知り合いは二人しかいない」
あえてはぐらかすように答える。
すると、竜はもう一度、不機嫌そうに翼を振るった。
「エヴィは竜ではない。少女だ」
苛ついた声はティエルをしっかりと捕らえ、心を抉らんと襲いかかってくる。
「父はその少女の行方を知りたがっている。もし知っていて答えぬのであれば、あちらの者に聞いても構わないのだぞ」
「っ」微かに息を呑む。
今向こうに行かれたら困る。ティエルはぐっと口を噤んで目を伏せた。
しばらく黙想する。
やがて、顔を上げて竜を見据えた。
「なら約束しろ。その子には害を加えないと」
「元よりそのつもりだ。それに、エヴィは我の妹でもある。手など出しはしない」
妹。それに思わず顔をしかめる。
しかし今は気にしないよう微かに首を横に振って考えを打ち消した。
そして意を決したように静かに言葉を絞り出す。
「……エヴィ、F・エンドレス、という少女を知っている。彼女は現在、城で保護されている」
「そうか、やはり彼女が……。
父に良い土産が出来た。礼を言おう」
竜は本当にそれで満足したらしく、口元を笑みのように歪ませてそう呟いた。
そして満足げでどこか弾んだ声で言う。
「礼のついでに一つ教えておいてやろう」
それは本当に些細な気まぐれだったのだろう。
「”きょうだい”には気をつけろ」
「兄弟……?」
そうしてまたわけのわからないことを言って、竜はもう何も言うことはないと表すように翼を大きく羽ばたかせた。
体を殴りつける突風に思わず目を閉じる。
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