私の主は魔法使い
9
みこと。
彼女はかつて天才闇魔法使いと謳われていたひかるさんの親友です。
十年前。兄にかけられた呪いを解くために学院で嫌煙されていた呪術を学ぶ道を選びました。呪術は精神干渉を得意とする闇魔法との相性が良く、呪術で成功した人には闇魔法の使い手が多いため、学院からの許可はすぐ許可におりました。
闇魔法は呪術による精神汚染を退けると言われていましたし、それだけの実力が彼女にはあったのです。
けれど、呪術は彼女の心身を苦しめ、呑み込み、そして狂気の塊へと変えました。
みことははひかるさんのことが好きでした。それはもしかしたら私よりも強い思いだったのかもしれません。
だから彼女は私の存在が許せなかったのです。
みことはひかるさんの幼なじみでもあります。そして学院に通っていない私よりもひかるさんと接する機会は多くありました。
それなのに私よりも自分は劣っていると思っていたようです。
日を増すごとに積もっていく憤り。それを呪術が憎悪へと変貌させて、やがて彼女に暴走の道を選ばせました。
私は彼女に殺されそうになり、結果として身体の時間を止める呪いをかけられました。
その後、彼女は逃走。それからはただひたすらに呪術を作り続けては試すということを各地で繰り返しているようです。
呪いに犯された兄を助けるという考えはもうすでにないでしょう。
それはもう彼女にとって重要ではないのです。
今回の妖精の姫君の件も新しい呪術を試した、それだけだと思われます。かつてエリネンスの一族をそうして滅ぼしたように。
「きもちわるい、魔力」
「歪んでるねー」
エリネンスの背に乗って風を切りながら、お二人が真剣な声音で言いました。
ここにいる全員が彼女の禍々しい魔力をその肌ではっきりと感じていました。
魔力を持たない私ですら、恐怖で肌が粟立つほどです。
「近いぞ」
エリネンスが翼を一度羽ばたかせると一気に速度が上がりました。落ちないようにその背にしがみ付きます。あそこまで時間がかかった距離もエリネンスにかかればあっという間のようです。
視界に切り立った崖が見え始めました。あそこが『目覚め草』が生えている場所のようです。
その時、唐突にひどい悪寒に襲われました。
「何か来ます!」
沸き上がる嫌な予感に咄嗟に叫びます。
すると突然、エリネンスの体が大きく傾きました。
「っ、エリネンス!」
「捕まっていろ……!」
エリネンスはそのまま体勢を立て直すことが出来ず、崖の上に落下しました。
上に乗る私達もまた無傷ではすみません。エリネンスが地面に叩きつけられると同時に体を空に放り出されました。
「うっ……く!」
「っ!」
「わっ!」
そこから着地は出来ず、崖の上を数センチ滑ります。
「だい、じょうぶ、ですか?」
痛みに耐えながら私が尋ねると、お二人は腕の中でふらふらと頭を揺らしながらも頷きました。
「良かった……」
「油断するな、少女よ」
呟いた私をもうすでに起き上がったエリネンスが叱咤します。
そして私達をかばうように前に立ち塞がりました。
その目は既にこちらを向いては居らず、ただ真正面を見つめています。
その視線の先を私も追いかけます。
そこに人影が見えました。
衣服を一切身に着けない全身包帯姿の少女。十年前と変わらないその姿を見間違うはずもありません。彼女は間違いなくみことです。
「あは、あんたもしつこいなぁ。暇なのかな? エリネンス坊ちゃーん?」
彼女はくるくると回りながらクスクスと楽しそうに笑っています。しかし、その目はどこか遠くを見つめていて、エリネンスのことなど眼中にもないようでした。
「確かに、そうかもしれんな。今の我にはお前を追う以外やることがない。そして、それが済まない限り我の心が休まることはない!」
エリネンスは短く吼えると、その口から火を吹き出しました。
こわがりさんが咄嗟に魔法で盾を張ってくれます。あと一歩遅ければ後ろにいる私達ですらその熱で焼け焦げていたことでしょう。
しかし
「笑止!」
彼女の声が空に響いた途端、彼の放った炎は黒い何に巻き込まれて消えてしまいました。
後ろに居る私達すら巻き込みかねない、危険ゆえに強力な攻撃を彼女は難なく防いでしまったのです。
そして、それはまるで生きているかのようにエリネンスの魔力を喰らい始めました。
そして徐々に形を得て、やがて石の怪物ゴーレムへの形へと変わったのです。
それはぎこちない動きでエリネンスを見ると、こちらに向かって一直線に襲いかかってきました。
「いい加減学習しなよ、エリネンス坊や。そんな下位魔法をいくつ放ったところで無駄なんだよ!」
「くっ……」
それに体当たりをくらい、エリネンスの体が僅かに後ろに傾きました。
そのまま倒れそうになったところをぎりぎりで踏み止まります。天を裂く咆哮が彼の口から迸ります。
「あれ、凄い凄い! 『ベロちゃん』のたいあたりを止められるようになったのぉ、エリネンス坊やぁ」
みことが嬉しそうに言いました。でも、その目はやはりこちらを見てはいません。一体、何処を見ているんでしょうか。
「舐め、るな!!」
エリネンスの怒号が響き渡りました。その勢いに押されてか、『ベロちゃん』というらしい生き物の体が倒れます。
その上に乗り上げたエリネンスの鋭い牙と爪がその体を大きく切り裂きました。
瞬間、霧のように消え去ります。それは蛇の時とよく似ていています。きっと同じものなのでしょう。
ゴーレムもどきが消えた瞬間、エリネンスの体が僅かにふらつき、地面に崩れ落ちそうになりました。
「エリネンス!」
「心配ない。手を出すな、これは我の戦いだ」
思わず盾の外に出そうになった私をエリネンスの声が止めます。
これは自分の戦いだと、そう言われると私は何も出来なくなってしまうのです。
彼は足に力を込めるとみことに向けて走り出しました。その巨体に似合わない俊足に私の視力は追いつかず、気付いたときにはもうみことの目の前にエリネンスは居ました。
鋭い爪に淡く銀色の光が宿り、素早く繰り出されます。爪の先に魔力を込めて放つ強力な斬撃で元々は遠距離用のものですが、それを近距離で繰り出しているのですから相当なダメージを与えられるはずです。
「ぐっ、あああああああ……っ!」
――しかし悲鳴をあげたのはエリネンスの方でした。
エリネンスの体から血が噴き出します。
血が溢れ出すそこはまるで爪で切り裂かれたようです。
誰も、何が起こったのかわかりませんでした。
ドラゴンの自慢である硬い皮膚ですら深く傷付けるほどの攻撃をみことが放ったというのでしょうか。
「やーん、あっまいよぉ、ぼ、う、や!」
ぐらっと傾いたエリネンスの体にみことの右膝蹴りが撃ち込まれました。
「があ!!」
まるでボールでも蹴飛ばすかのように容易に、エリネンスの巨体を私達の居る場所まで飛んできました。
それにぶつかって私達を守る盾が破壊されます。
「うあっ!」
そのままエリネンスと共に遥か後方へと吹き飛ばされました。
しばらく地を滑り、やっと動きが止まったのは崖っぷちギリギリのところでした。
「あれぇ? 何かおまけが居たみたいだねぇ?」
へらへらと笑いながらみことは言います。
どうやら私達がいたことに気付いて居なかったようです。
それに圧倒的な力量の差を見せ付けられたような気がしました。歯牙にも掛けられていなかったということでしょう。
みことが何をしたのかはわかりませんが、生物の中でも最強と謳われる竜を赤子の手でも捻るかのように簡単にあしらってしまう。その技術力や、魔力量はもはや人のものではありません。。
私には到底辿り着けない境地に彼女はいるのだと、改めて見せつけられたような気がしました。
「どうして、戦うんでしょうね……」
私はぽつりとそう零しました。
戦わずに済むのなら、そうするのが一番のはずです。
でも、そうしなければならない時があるのも確かなのです。
心がある限り、自分が自分である限り、戦いはなくならないのです。
私は抱きしめていたこわがりさんとふくよかさんを下へと降ろしました。
「お姉さん?」
怪訝そうなお二人に私は笑ってみせます。こうやって笑っておかないと、今にも恐怖で立ち上がれなくなりそうでした。
「エリネンス、お願いです」
震える体に鞭打って、とはまさにこのことでしょう。私はゆっくりと立ち上がると言いました。
「少しで良いです。私に協力させてください」
どうしても戦うしかないと言うのなら、力のない私に出来ることはただ一つです。
「みことを、退けます」
彼女はかつて天才闇魔法使いと謳われていたひかるさんの親友です。
十年前。兄にかけられた呪いを解くために学院で嫌煙されていた呪術を学ぶ道を選びました。呪術は精神干渉を得意とする闇魔法との相性が良く、呪術で成功した人には闇魔法の使い手が多いため、学院からの許可はすぐ許可におりました。
闇魔法は呪術による精神汚染を退けると言われていましたし、それだけの実力が彼女にはあったのです。
けれど、呪術は彼女の心身を苦しめ、呑み込み、そして狂気の塊へと変えました。
みことははひかるさんのことが好きでした。それはもしかしたら私よりも強い思いだったのかもしれません。
だから彼女は私の存在が許せなかったのです。
みことはひかるさんの幼なじみでもあります。そして学院に通っていない私よりもひかるさんと接する機会は多くありました。
それなのに私よりも自分は劣っていると思っていたようです。
日を増すごとに積もっていく憤り。それを呪術が憎悪へと変貌させて、やがて彼女に暴走の道を選ばせました。
私は彼女に殺されそうになり、結果として身体の時間を止める呪いをかけられました。
その後、彼女は逃走。それからはただひたすらに呪術を作り続けては試すということを各地で繰り返しているようです。
呪いに犯された兄を助けるという考えはもうすでにないでしょう。
それはもう彼女にとって重要ではないのです。
今回の妖精の姫君の件も新しい呪術を試した、それだけだと思われます。かつてエリネンスの一族をそうして滅ぼしたように。
「きもちわるい、魔力」
「歪んでるねー」
エリネンスの背に乗って風を切りながら、お二人が真剣な声音で言いました。
ここにいる全員が彼女の禍々しい魔力をその肌ではっきりと感じていました。
魔力を持たない私ですら、恐怖で肌が粟立つほどです。
「近いぞ」
エリネンスが翼を一度羽ばたかせると一気に速度が上がりました。落ちないようにその背にしがみ付きます。あそこまで時間がかかった距離もエリネンスにかかればあっという間のようです。
視界に切り立った崖が見え始めました。あそこが『目覚め草』が生えている場所のようです。
その時、唐突にひどい悪寒に襲われました。
「何か来ます!」
沸き上がる嫌な予感に咄嗟に叫びます。
すると突然、エリネンスの体が大きく傾きました。
「っ、エリネンス!」
「捕まっていろ……!」
エリネンスはそのまま体勢を立て直すことが出来ず、崖の上に落下しました。
上に乗る私達もまた無傷ではすみません。エリネンスが地面に叩きつけられると同時に体を空に放り出されました。
「うっ……く!」
「っ!」
「わっ!」
そこから着地は出来ず、崖の上を数センチ滑ります。
「だい、じょうぶ、ですか?」
痛みに耐えながら私が尋ねると、お二人は腕の中でふらふらと頭を揺らしながらも頷きました。
「良かった……」
「油断するな、少女よ」
呟いた私をもうすでに起き上がったエリネンスが叱咤します。
そして私達をかばうように前に立ち塞がりました。
その目は既にこちらを向いては居らず、ただ真正面を見つめています。
その視線の先を私も追いかけます。
そこに人影が見えました。
衣服を一切身に着けない全身包帯姿の少女。十年前と変わらないその姿を見間違うはずもありません。彼女は間違いなくみことです。
「あは、あんたもしつこいなぁ。暇なのかな? エリネンス坊ちゃーん?」
彼女はくるくると回りながらクスクスと楽しそうに笑っています。しかし、その目はどこか遠くを見つめていて、エリネンスのことなど眼中にもないようでした。
「確かに、そうかもしれんな。今の我にはお前を追う以外やることがない。そして、それが済まない限り我の心が休まることはない!」
エリネンスは短く吼えると、その口から火を吹き出しました。
こわがりさんが咄嗟に魔法で盾を張ってくれます。あと一歩遅ければ後ろにいる私達ですらその熱で焼け焦げていたことでしょう。
しかし
「笑止!」
彼女の声が空に響いた途端、彼の放った炎は黒い何に巻き込まれて消えてしまいました。
後ろに居る私達すら巻き込みかねない、危険ゆえに強力な攻撃を彼女は難なく防いでしまったのです。
そして、それはまるで生きているかのようにエリネンスの魔力を喰らい始めました。
そして徐々に形を得て、やがて石の怪物ゴーレムへの形へと変わったのです。
それはぎこちない動きでエリネンスを見ると、こちらに向かって一直線に襲いかかってきました。
「いい加減学習しなよ、エリネンス坊や。そんな下位魔法をいくつ放ったところで無駄なんだよ!」
「くっ……」
それに体当たりをくらい、エリネンスの体が僅かに後ろに傾きました。
そのまま倒れそうになったところをぎりぎりで踏み止まります。天を裂く咆哮が彼の口から迸ります。
「あれ、凄い凄い! 『ベロちゃん』のたいあたりを止められるようになったのぉ、エリネンス坊やぁ」
みことが嬉しそうに言いました。でも、その目はやはりこちらを見てはいません。一体、何処を見ているんでしょうか。
「舐め、るな!!」
エリネンスの怒号が響き渡りました。その勢いに押されてか、『ベロちゃん』というらしい生き物の体が倒れます。
その上に乗り上げたエリネンスの鋭い牙と爪がその体を大きく切り裂きました。
瞬間、霧のように消え去ります。それは蛇の時とよく似ていています。きっと同じものなのでしょう。
ゴーレムもどきが消えた瞬間、エリネンスの体が僅かにふらつき、地面に崩れ落ちそうになりました。
「エリネンス!」
「心配ない。手を出すな、これは我の戦いだ」
思わず盾の外に出そうになった私をエリネンスの声が止めます。
これは自分の戦いだと、そう言われると私は何も出来なくなってしまうのです。
彼は足に力を込めるとみことに向けて走り出しました。その巨体に似合わない俊足に私の視力は追いつかず、気付いたときにはもうみことの目の前にエリネンスは居ました。
鋭い爪に淡く銀色の光が宿り、素早く繰り出されます。爪の先に魔力を込めて放つ強力な斬撃で元々は遠距離用のものですが、それを近距離で繰り出しているのですから相当なダメージを与えられるはずです。
「ぐっ、あああああああ……っ!」
――しかし悲鳴をあげたのはエリネンスの方でした。
エリネンスの体から血が噴き出します。
血が溢れ出すそこはまるで爪で切り裂かれたようです。
誰も、何が起こったのかわかりませんでした。
ドラゴンの自慢である硬い皮膚ですら深く傷付けるほどの攻撃をみことが放ったというのでしょうか。
「やーん、あっまいよぉ、ぼ、う、や!」
ぐらっと傾いたエリネンスの体にみことの右膝蹴りが撃ち込まれました。
「があ!!」
まるでボールでも蹴飛ばすかのように容易に、エリネンスの巨体を私達の居る場所まで飛んできました。
それにぶつかって私達を守る盾が破壊されます。
「うあっ!」
そのままエリネンスと共に遥か後方へと吹き飛ばされました。
しばらく地を滑り、やっと動きが止まったのは崖っぷちギリギリのところでした。
「あれぇ? 何かおまけが居たみたいだねぇ?」
へらへらと笑いながらみことは言います。
どうやら私達がいたことに気付いて居なかったようです。
それに圧倒的な力量の差を見せ付けられたような気がしました。歯牙にも掛けられていなかったということでしょう。
みことが何をしたのかはわかりませんが、生物の中でも最強と謳われる竜を赤子の手でも捻るかのように簡単にあしらってしまう。その技術力や、魔力量はもはや人のものではありません。。
私には到底辿り着けない境地に彼女はいるのだと、改めて見せつけられたような気がしました。
「どうして、戦うんでしょうね……」
私はぽつりとそう零しました。
戦わずに済むのなら、そうするのが一番のはずです。
でも、そうしなければならない時があるのも確かなのです。
心がある限り、自分が自分である限り、戦いはなくならないのです。
私は抱きしめていたこわがりさんとふくよかさんを下へと降ろしました。
「お姉さん?」
怪訝そうなお二人に私は笑ってみせます。こうやって笑っておかないと、今にも恐怖で立ち上がれなくなりそうでした。
「エリネンス、お願いです」
震える体に鞭打って、とはまさにこのことでしょう。私はゆっくりと立ち上がると言いました。
「少しで良いです。私に協力させてください」
どうしても戦うしかないと言うのなら、力のない私に出来ることはただ一つです。
「みことを、退けます」
コメント