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僕のお姫様

七島さなり

私の王子様

 今日の凉那はどこか上の空だった。


 原因は言わずももがな。朝の堂抜と花楓のやり取りのせいだ。


 一日中その光景が頭の中を反芻して、その度に気が滅入るということの繰り返し。


 今も生徒会室に行くためにお弁当を机の上に置いたは良いもののそこから体が動かない。


 別れたあと、あの二人がどんな話をしたのか。分かるはずもないことが気になって仕方がなかった。


 普段の凉那であれば、誰が誰と仲良くしていようと興味を抱くことはなかっただろう。


 しかし、相手は堂抜と花楓。凉那の人生において大きな影響を与えた二人であるだけに、無関心でいることは出来なかった。


 これも堂抜に出会うことでもたらされた変化だろう。


 彼のおかげで交友関係も広まったし、多少は外に目を向けることも出来るようになった。


 凉那にとって堂抜は恩人で、尊敬すべき相手。


 しかし、それはいつからか恋慕へと変わり、凉那自身でも持て余すほど大きくなった。


 堂抜もそうであったらいいのに。そんなわがままを抱くほどには恋していた。


 そんな淡い期待を砕くほどの威力が今日のあの瞬間にはあったのだ。


 二人に交友があったという話は聞かない。花楓の反応を見ても近しい間柄だという風には思えなかった。


 けれど。


「あんな、簡単に……」


 堂抜は躊躇せずに花楓の肩を掴んでいた。


 よくよく考えてみると初詣の時だって彼は自然と凉那に手を差し出してきた。もしかしたらそういうことに慣れてるのかもしれない。


 それは凉那が特別でも何でもないと言われたようで。


 ちくりと走る胸の痛みに少しだけ顔を歪める。


「ひーめ?」


 その時、藍花が凉那の顔を覗き込んだ。


 はっと我に返った凉那がぱちりと瞳を瞬かせる。


「大丈夫?」


 藍花は人懐こい笑みを浮かべて尋ねてきた。


「うん」


 こくんと覚束ない仕草で頷く。すると彼女は机に置かれたままのお弁当箱を手に取った。


「生徒会室、行こ」


 お腹ペコペコとおどけたように言ってみせる藍花。気を使わせてしまったことがすぐにわかった。


「うん」


 考えないようにしようと気を引き締めた凉那はもう一度、力なく首を上下に動かしてようやく席から立ち上がる。


「今日も眠かったー」


 歩きながら藍花は欠伸を一つこぼした。


「でも長澤さんって授業中に寝てたことないよね」と返事をしながらその手からお弁当を受け取る。


「そりゃ、姫が後ろにいるからねえ。おちおち寝てもいられないよ」


 藍花は口端を持ち上げて見せると肩を竦めて左右に首を振った。


 彼女が常に気怠さを伴っているのは出会った時から変わらない。


 けれど、藍花が見た目通りの人間でないことは知っている。


 どうしてそのように振る舞うのかまではわからないが、そんな彼女に何度も救われた。


 今だっていい加減な振りをして凉那の気を逸らそうとしてくれている。


 それに感謝しながら凉那は教室の外に出た。


 廊下は教室と違って空気が吹き抜ける。


 不意に襲う冬の寒さに微かに身体を縮こまらせた。


「姫っ」


 すると、寒さで過敏になった耳によく馴染む声が響く。


 どきりと高鳴る心臓を深呼吸一つで押さえつけて声の方へと視線を向けた。


「今、大丈夫?」


 そこに居たのは今日一日、凉那の頭を占領して出ていってくれない堂抜咲麻その人だった。


「えっと……」


 一度は交わった視線を逃げるように断ち切って、藍花へと向ける。


 すると藍花はにやと悪戯好きのする笑みを浮かべた。


「じゃ、私は先に行ってるね〜」


 そして、緩く手を振りながらすたすた歩き去ってしまう。止める暇もなかった。


「……大丈夫。どうしたの?」


 助力を得られなかった凉那は諦めてそう答える。


 堂抜はほっとしたような顔で微笑んだ。


「あの、朝のこと、謝ろうと思って」


 しかしすぐに眉尻を下げて力なく呟く。


 凉那はといえば朝、という単語に心臓が大きく脈打ち、痛みに顔が歪みそうになるのをなんとか堪えた。


「別に、良いのに」


 平静を装ってそう答える。しかし声はどこか冷めた響きを伴っていた。


「……何があったの?」


 それを誤魔化すように間を置かずに問い掛ける。


 すると堂抜は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。


「ちょっと、部活でいろいろあって……」


 歯切れの悪い言葉。それでも凉那は思わず納得してしまった。


 科学部がどういった活動をしているかは重々承知しているからだ。


 そうはいっても、風紀委員に目を付けられるような何をしたのかまではわからない。


「そう……」


 凉那は何を言うべきか言葉を探した。


 しかしそれを遮るように「堂抜咲麻!」と鋭い声が飛んでくる。


 瞬間、「ひっ」と堂抜は身を縮こまらせ、凉那は顔を跳ね上げた。


 声の方を見るとずんずんと大股で歩く花楓の姿がある。


「……花楓」


 凉那は咄嗟に堂抜の前に歩み出た。


「す、ずな……」


 それに花楓は僅かに鼻白む。しかしぐっとその場で足を止めると、毅然とした態度で凉那と向かい合った。


 それに思わず目を瞠る。今までこうして花楓と真っ向から相対することなど、滅多になかった。


 胸に去来した喜びとも、悲しみともつかない思いに喉が詰まってうまく声が出ない。


 張り詰めた静寂の中、先に口を開いたのは花楓だった。


「そいつに用があるんだけど、良い?」


「それは……」


 凉那はなんとか言葉を絞り出す。けれどそれから先が続かない。


 本当はそれらしい理由で断ってしまいたかった。けれど肝心の理由が何も思いつかない。


 そもそも凉那は二人の関係に口を出せる立場にまだないのだ。


 堂抜の恋人というわけではないし、風紀委員の行き過ぎた対応と断じるには情報が足りない。


 今のままではただ凉那が嫌なだけ。それだけでは理由としてあまりに弱い。


「ごめん、姫。また後で」


 結局、何一つ言葉にならないまま、堂抜は困ったように笑って花楓と一緒に凉那の元から離れていく。


 行かないで。無意識に浮かんだ言葉を持て余したまま、凉那はその場に立ち尽くした。

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