僕のお姫様

七島さなり

3.安寧

 それは大声というには小さく、小声というには大きい、強いて言うならよく通る静かな声だった。
 その別の音にいとも容易く消されてしまいそうなほど儚いのに、反して他の音がなることを許さないような力強さを持った声は、後に鳴るはずだった全ての音を消してしまった。
 寸でのところで止められた手のひらを脱力させながら花楓がそちらを見る。


「凉那……」


 そこには生徒会長、学校の“姫”こと姫野凉那が立っていた。


「一ノ瀬、篠、小笠、何をしたの」


 その感情の見えにくい瞳が三人を順番に捉える。


「俺達は何もしてないぞ。ただ、後輩の相談にのってただけだ」


 凉那の問いに飄々と答えてたのは篠だ。


「風紀委員の仕事を奪っておいてぬけぬけと……!」
「その風紀委員長様が俺達の仕事を増やしてんだよ! ったく、目安箱の中を一度見せてやりてぇよ」


 再び声を荒げる花楓に彼は吐き捨てるようにそう言った。


「篠」


 しかし凉那に嗜められると、ぐっと唇を引き結ぶ。さすがに生徒会長にまで噛み付くわけにはいかなかったようだ。
 彼女は篠から視線を逸らすと花楓に向き直った。


「いつもお疲れ様。花楓」


 そして一歩前に足を踏み出す。
 すると花楓は怯えたように近付いた分だけ後ろに下がった。


「今度、生徒会からも注意を呼び掛けておくから」


 それを見た凉那が立ち止まる。
 だから二人の距離がそれ以上に縮まることはなかった。


「……うん。お願い」
「ううん。これからもよろしく」
「うん。それじゃあ……」


 短いやり取りの後、逃げるように小さな足音が廊下を駆けて行く。
 走り去る花楓の後ろ姿を見送って一ノ瀬はふうと体の力を抜いた。
 その顔には僅かな疲労が滲んでいる。


「ありがとう。助かったわ」


 それでも彼はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべてみせた。


「別に。殴ってもらえなくて残念だったね」


 対して、冷たく言い放った凉那の瞳は確かな怒りを孕んでいる。


「なんでそうなるのよ」
「殴られたいから首を突っ込むんでしょ?」
「違うわよ。放っておけなかったの」


 責めるような口調に一ノ瀬は唇を尖らせた。


「はいはい。じゃあ、そういうことにしておく」


 すると凉那は呆れたように一つ息を吐いて、口端を僅かに持ち上げるだけの笑みを零す。


「もう。……それよりどうしたのよ? 昼にこっちにくるなんて」


 凉那の教室は階段を挟んだ反対側だ。そして彼女が普段昼休みを過ごしている生徒会室はそもそも階が違う。
 一ノ瀬は物珍しそうに彼女を見つめた。


「遅いから迎えに来た」


 すると至極当然のようにそう答えが返ってくる。


「そうなの? 連絡くれれば良かったのに」


 一ノ瀬は面を食らって、数度、目を瞬かせた。


「したけど、返信なかったから」
「あら、本当。気付かなかったわ」


 そして制服から携帯を取り出すと、画面に浮かぶいくつかの通知を見て空いてる手を頬に当てた。


「それで、来るの?」


 凉那が問うと彼は「ええ」と頷いた。


「さっくん!」
 振り向いた一ノ瀬に呼ばれて呆然とその様子を眺めていた堂抜は我に返る。


「う、うん!」


 慌てて駆け寄ると小さな唇が「堂抜」と呟いた。
 その声に呼ばれるだけで堂抜はふわふわとした気持ちになる。


「あ、えと、姫、僕も一緒に良い?」


 戸惑いがちに問うと小さな首肯が返ってきた。


「さ、さ、早く行きましょう」


 その言葉に押されるように三人揃って歩き出す。


「小笠、篠」


 そこでふと凉那が思い出したように声を上げた。
 視線の先にはいそいそとその場から立ち去ろうとしている小笠と篠の姿がある。
 二人は逃げられないと悟ったのか。
「はーい」と緩く返事をすると揃って向きを変え、堂抜達の後ろに付いた。
 これから彼らを待っているのはお昼休みをいっぱいに使った凉那による事情聴取だろう。
 怒られる時はちゃんと弁明してあげようと堂抜はそっと心に誓った。

「現代ドラマ」の人気作品

コメント

コメントを書く