何も変わっておりません、今も昔も。
11
「こちらが、お二人に住んでいただく屋敷になります」
皇帝に指示されてセルジェとエリーゼを案内するのは帝国で軍事処を預かる軍務卿ダルトン・ギャレットだった。かの王国騎士団長を彷彿とさせる、歴戦の戦士といった厳つい風貌である。
そしてダルトンに案内されたのは明らかに二人で住むには広すぎる屋敷であった。
三階建、庭には厩舎の他に使用人用の別邸もあり、伯爵位にある貴族が住みそうな豪奢な邸である。
先頭を歩くダルトンはそのまま屋敷の門をくぐり、玄関の扉を開けると、やはり中の装飾は貴族にしては質素ではあるがそこそこ値の張る物も多く、そしてやはり二人で住むには広すぎる。
「お帰りなさいませ」
燕尾服を身に着けた年配の男性が挨拶をする。
「執事のセバス。その後ろにいるのがメイド長のメリルと料理長のロキサです。他の使用人は追って手配いたします」
「お屋敷全般をまとめさせて頂く、セバスと申します。よろしくお願い致します」
「ご紹介に預かりました、メイド長のメリルでございます。よろしくお願い致します」
「料理長を勤めさせて頂くロキサです。リクエストがあれば遠慮無く申し付け下さい」
ダルトンの簡単な紹介の後に三人はそれぞれ礼儀正しく挨拶をした。
セバスは年齢にそぐわず背筋も真っ直ぐ伸びた現役の執事のようだ。
メリルはパッと見四十代前半ほどの女性だ。その後ろには数人の若い女性が並んで頭を下げていた。
ロキサは見るからに若い容貌であるが、どことなく草臥れた雰囲気があり、それが見た目より老けた印象を与えている。こちらも後ろに二人ほど助手という扱いなのかコック服の男が軽く頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
エリーゼは使用人に躊躇うことなく頭を下げて挨拶をすると、セバスたち以下の使用人に動揺が走る。
エリーゼからしてみれば、世話になるのだから礼を尽くすのは当然のことであったが、貴族は容易に頭を下げたりせず、むしろ横柄に振る舞う者の方が多い。使用人に対してはより顕著だ。中には使用人は自分の物だと勘違いして虐待や無理な命令をする貴族もいるくらいだ。
歳がいった者はともかく若い層の使用人は特にそこを注意して奉公に出るのだが、如何せん表に出ない事柄もあり働いてみないとわからないことが多く、更にメイドや給仕をする女は当主のお手つきになってしまうこともありため若い女性にとって敷居の高い仕事でもあるのだ。
そしてエリーゼが頭を上げると幾分か使用人たちのセリーゼを見る目が柔らかくなっていた。
それに気づかないエリーゼは内心首を傾げつつ、ダルトンの案内について行く。
一通り邸内も案内が終わり、エリーゼ用として用意された部屋で一息をつく。
メリルが午後用の紅茶を淹れ、簡単な軽食が出された。
精霊であるセルジェは食事は必要としていないので特に無く、エリーゼが食べている様子を微笑みを浮かべて見つめていた。
「……そんなに見つめられると恥ずかしいのですが」
『気にするな』
「気にしますよ」
苦笑混じりに言うエリーゼの向かいでセルジェは誰もが見蕩れるような甘い笑みを浮かべている。
実際、そばに控えていた給仕のメイドは顔を赤らめており、それを見たエリーゼは不満げに唇を尖らせた。
『そう拗ねるな』
セルジェはエリーゼの隣に移り、柔らかいその髪を撫でる。
『私が見ているのはエリーゼ、お前だけなのだから。……お前も私だけを見ていれば良い』
甘い言葉にエリーゼの胸が高鳴る。
いつもこの人はそうだ、私に嫉妬を感じさせることもなく、卒無く熟す。
悔しさを感じてエリーゼはセルジェから逃れるように顔を逸らす。
『エリーゼ?』
「セルジェ様はいつもそうです……」
『どうした?』
「…………貴方はいつも惜しみなく与えてくれる。私は同じだけのものを返せてないのに」
『エリーゼ』
名を呼ばれ、エリーゼは渋々といった様子で顔を上げてセルジェと目を合わせる。
紺碧の瞳に宿るのは、絶望、悲しみ、恐怖。
そして、セルジェへの濃く深い闇のような恋慕。
『エリーゼ……私はお前が在るだけでいいのだ』
「でも……」
『そうだな、では今度手製の菓子でも作ってくれないか』
セルジェの突然の要求にエリーゼは目を丸くして聞き返す。
「お菓子、ですか?」
『ああ。お前が美味しそうに食べていて興味が湧いた。色んな菓子を食べてみたいのだ』
「…………」
セルジェの気遣いに気付いたエリーゼはそんなことをさせてしまったことに申し訳なく思いながら、了承の意を示した。
「あの……でも作るのは初めてですので、練習してからでも……」
『なら私は味見役をしよう』
下手な物は渡せないと思い、提案したのだが先回りされてしまい困惑するエリーゼに、セルジェはにっこりといい笑顔を向けた。
「……うう……セルジェ様は意地悪です……」
『ほれ、よく言うだろう?好きな子ほどいじめたくなる、とな』
悪戯に笑うセルジェの様子に、尚更気合を入れてお菓子を作ることを決意したエリーゼだった。
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