何も変わっておりません、今も昔も。
07
人里離れた大森林の奥深く。人の手が入らない、否、入れられないこの大森林の北に位置する大きな湖。
水は透き通る透明さ。そこに生息する様々な生き物達は勿論食物連鎖という関係はあれど外敵という外敵もないためのびのびと成長し、今では人より大きい生き物ばかりとなっていた。
木々の隙間から差し込む日差しを受けて水面がキラキラと輝く水底で龍が蜷局を巻いて眠っている。
その湖のほとり。二人の男女がその龍の様子を見て、男の方は呆れた様子で顔を見合わせた。
「……寝てますね」
『全く……。火のには早く行ってやれと言われたがこれなら別に急ぐ必要もなかったな』
「フランは変わらないですね」
『あれもなかなかに古龍の中では古いからな。早々変わらないだろう』
「どうしましょうか」
『あやつの好物はなんだったか?』
「ええと、確か水属性の魔力だった気がします。セルジェ様……まさか」
エリーゼは愉快そうに笑うセルジェを見てぎょっとした。
『そのまさかだ』
セルジェは水龍を起こすために釣りをしようとしていた。
―――結果としてセルジェの目論見はとても上手くいった。
目の前に糸でたらされた水属性の魔力に気付いた水龍は一も二も無く食い付き、セルジェに引き上げられた。余談としては、水龍、フランはようやくエリーゼに気付き、その途端に大泣きしたのであった。
『それにしても酷いなぁ。僕は魚じゃないんだよ?』
『変わらないだろう。魂の契約を交わしておきながら眠るなど……そこらの魚と大差ないわ』
『四番目って長いんだよねぇ。僕より前に風龍がいたら間違いなく遅くなるのは分かってたしさぁ』
『だとしても主が帰ってきたというのに寝てるやつがあるか』
『しょうがないじゃん。ねー主様―?』
ねー?と首を傾げるフランにつられてエリーゼも戸惑いながらねー?と首を傾げた。
『(エリーゼが)可愛いから許す』
『……ぶれないよねぇ』
『エリーゼは昔から可愛いからな』
『僕が言ったのは……いや、いいや。なんでもない』
残念なものを見るような目でフランはセルジェを見遣ると、素知らぬふりでセルジェはエリーゼの腰を抱き寄せてフランに自慢するように笑う。
『私のエリーゼはいつでもどこでも可愛らしいからな』
「セ、セルジェ様……!」
顔を赤らめてそっとセルジェに身を任せるエリーゼ。
なんだかんだと相思相愛の二人なのでスキンシップがとれる時には遠慮はしないらしい。
ましてや精霊王がエリーゼと再会したのは三百年ぶりだ。離れていた分埋めようとしているのかここ最近はほとんどの時間を離そうとしなかった。
『はいはい。ご馳走様でしたー。ところでさ、ちょっとした疑問なんだけど』
「?」
『主様、食事とかどうしてたの?』
「えぇと……精霊たちが持ってきてくれた果物とか木の実を……」
エリーゼの回答を聞いたフランの目が据わり、隣にいるセルジェへと視線を移すと。
『あのさぁ……、昔もあれほど言ったのにまだ学習しないわけ?人間は果物や木の実だけで生きれるわけじゃないんだけど?』
「フラン、私は大丈夫ですから……」
『主様もさぁ、精霊王が大切なのは分かるけど甘いんだよね。っていうかアルテミシアとずっと一緒にいたくせに、エリーゼが帰ってきただけで浮かれて連れ合いの生活蔑ろにするとか本末転倒すぎて笑えないんだけど』
静かに怒るフランにエリーゼだけでなく精霊王のセルジェですらたじたじである。
フランの怒りに反応して湖の水が波打つ。
かつてもそうだったのだ。
セルジェはアルテミシアを連れて精霊界へ行っていた際も、何か食べさせねば、と思いついたはいいが精霊は食事をしないため人間が食べるようなものも無く。また何を食べさせたらいいのかも分からず。
精霊は契約を交わしていない固体は生死に関与できないため、尚更であった。
その時も果物や木の実を食べさせていたのだが、人間はそれだけでは生きられずアルテミシアが体調を崩してようやく治癒のために水龍の元へ訪れて発覚したのだ。
『浮かれるのもはしゃぐのも別に構わないけど……、次、僕に主様に治癒魔法使うような状況にさせたら』
「……させたら?」
『体調が戻るまで会わせない。何が何でも会わせない』
『なんだと!』
『それが嫌ならちゃんとしてよね。僕だってそんな(面倒な)ことしたくないし。っていうか帝国で暮らせばいいじゃん。精霊ってばれたってどうとでも出来るでしょ?』
『むぅ……だが』
『まだ理解してないから言っておくけど。主様は人間なの。人間は精霊界で暮らせるのは精々三年が限度。それ以降はどんなに気をつけても変わっていくだろうからね。そうなったらいくら僕でも直せないし、直らない。それに主様のためにもヒトの常識は学んだ方がいい。というか学べ。じゃないと嫌われるぞ』
『嫌われる?!それはダメだ!!』
「さすがに嫌いになったりはしないと思いますが……」
『ヒトのままでも変化するでもいいけど、将来を考えるならヒトの常識を学んで置いて損は無い。それに帝国で暮らすなら僕にとっても都合がいい。あそこの皇帝は僕と土の爺様が加護を与えてるからね。多少の融通は利くし』
『むむむ……』
「帝国、ですか」
『気が乗らないかい?』
渋る様子を見せたエリーゼにフランは尋ねる。
王国での生活を思い返して人の中で生きることに抵抗を覚えつつあるのだろう。
……良くない傾向だ、と水龍は僅かに危機感を覚える。
一時的に移り住むだけならまだしもヒトはヒトの中で生きるべきであり、それは昔から変わらない摂理でもある。
龍も代替わりすることもあるがそれは別の存在としてではなく、新たな龍として記憶や性質を引き継ぎ再び同じ龍として生まれる。
けれどヒトはどう足掻いても精霊との寿命の差は覆せないものなのだ。
ヒトには過ぎた力を持っていたとしても、アルテミシアがそうだったように。
「……多少。国を捨てたとはいえ帝国とは敵対しておりましたし」
『帝国は王国と違って良いところだよ。今ある国の中では穢れも少ないから、主様も標的にはされないと思うよ』
「だといいんですが」
苦笑するエリーゼ。セルジェはいまだにどうしようかと悩んでいるのか、フランとエリーゼの会話にまで気が回らないようだ。
チャンスだ、と水龍はここぞとばかりにエリーゼにそっと囁く。
『それに、帝国でならキミの心配事も解決すると思うよ?』
「!……セルジェ様。私、帝国に行ってみたいです」
エリーゼは申し訳なく思いながらセルジェに言うと、わかったと一つ頷いてくれた。
こうして二人の帝国行きが決定した。
『どうせなら早い方がいいね。久しぶりに皇帝にも会いたいし、僕も行こうかな』
「フランがいると心強いです。お願いします」
嬉しそうに笑ったエリーゼの笑顔が何となく、昔のアルテミシアと似ていて。
水龍はどことなく居心地の悪さを感じて照れ隠しを装って視線を逸らした。
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