マフラーの軍狼

ソラボ

第二話 寸隙

 イヴァンと別れ再び一号館に戻り、手続きが終わるのをロビーのソファで待っているロア。二度の親しき人との邂逅は多くの得るものがあったがその分結構な時間を取られてしまった。何よりも驚いたのはディアゲラの失踪。ロアにとって唯一無二の存在であっただけに話に現実味が感じられず、到底信じられないし、信じたくもない。グアジェドは軍と央魔院が手を組み全力で捜索中だとは言っていたが、軍の最高幹部クラスである人間が2週間も行方不明の状態で連絡は取れない上に消息もつかめないというのはどう考えてもおかしい。ロア個人の見解としてはディアゲラ自身の思惑がある、もしくはディアゲラより上の立場の人間、その中でディアゲラのことをよく思わない人物による陰謀によるものではないか。そしてグアジェドも何か隠していることがあるのではないか―――。決めつけに近い勢いでそう思い込んでいる。いずれにせよ、ディアゲラの身に差し迫った危機があることには相違ないだろう。ロアのやり場のない焦りと憤りは無意識に強く握りこまれた拳が物語っていた。しかし悪い話ばかりではない。複雑な事情があったとはいえ、兄の異例の大昇進は喜んでよいことだ。幼いころから頭の回転が早かったイヴァンのことだから副部長までの昇進は仕事も人脈もさぞかしうまくやってのけたのだろう。母も知っていた様子は無かったので、家に戻ったら伝えなければならない。陰と陽が激しく入り雑じる心中を落ち着かせるため、握りしめた拳を緩めて指を組み、ロアは一つ伸びをする。

 「……そういえば」

 先ほどの会話の中でグアジェドは究魔院に用があるとも言っていたことを思い出した。究魔院もこの中央特区の区画内にある。後でこちらから向かえば会えるかもしれないし、会えたならかねて計画していた軍本部の見学の許可も下りるだろう―――などと逡巡していると案外時間が立っていたようで、ほどなくして名前が呼ばれた。先ほどのサレナという女性だった。先ほどの慌てた様子から一転、仕事向けの穏やかな表情は変えることないが、少しうわずったような口調で話し始める。


「キドロア・セルエイク様ですね。大変お待たせしました。特待生希望調査免除通知書に関する全ての手続きが完了いたしました。帝国魔法軍からの推薦を受けるとのことですので、これにより帝国魔法軍への配属が確定いたしました。おめでとうございます。ですがそれとは別に、数日後に特待生を含めた全生徒に対し仮任務と称した研修を行います。これに関しては帝国軍の管理下ですので任務内容はこちらでは把握しかねます、ご了承ください。近日中に軍の方から仮任務の日時、場所をお知らせする手紙がご自宅に届くかと思います。必ずご確認ください。キドロア様のご活躍を心からお祈り申し上げます」


 以上です、と最後は晴れやかな笑顔を見せるサレナ。自分の上司の弟、ということもあってなのか些か緊張しているように見て取れる。何を気を遣う必要があるのか、こちらの方が階級も年も下だろうというのに―――。ロアはほんの少しこみあげてきた乾いた笑いをすぐに押し殺し、お礼を言って一号館を後にした。おそらく10時を過ぎているだろうか。さらに高度を上げた太陽が容赦なく地面を照り付け、舗装された石畳が運河からの涼しげな湿り風をものともせず熱気を放っている。


 「さて、グアジェド叔父さんが用があるって言ってた究魔院は―――ここから西側か」


 ロアはロビーに置いてあったサンティレア中央特区の地図を見ながら究魔院を探す。その名称の建物を訪れたことなどない上、そもそも中央特区自体まず来ないので、地図を駆使しての現在地と目的地確認は必須だ。ましてや派手な移動魔法も使えないので宙に浮いて辺りを見回すこともできない。道路の案内だけではピンと来ないので、歩いた先にある各所の地図も見つつ一本一本道を確かめながら歩く。見慣れない建物ばかりで高さも似通っているため、ロアにとっては全部同じように見える。しばらく進むとその中に一つ、最上部がドーム状になっている特徴的な建物を見つけた。地図によるとこれがどうやら究魔院のようだ。どうにかこうにかたどり着いたが20分ほどかかったらしい。グアジェドと別れてから1時間ほど経つが、多忙を窮める彼がまだそこにいる可能性は高いとは言えない。半ば諦めつつも気持ち早足で向かった。入り口の前で辺りを見回すが少なくとも門にグアジェドの姿はない。もう用事を済ませ後にしたのか、それともまだ中にいるだけなのか。門横の注意書きによると、究魔院は関係者同伴でなければ、部外者の入館すら禁止されているらしい。ロアとしてはグアジェドに用はあっても究魔院の人間に用があるわけではないので恐らく中に入るのは難しいだろう。


 究魔院は正式名称を「ヘイグターレ帝国立魔法研究室」という。職務は"魔法に関わること全て"。新しい魔法の開発はもちろん、既存の魔法の改良、簡略化、不要な魔法の削除、魔法の使用に関する規律の立案や国内における禁止魔法の制定まで、ありとあらゆる業務を担当する部署である。魔法の情報は国家機密に抵触するものが多く、取り分け軍に関わる魔法の情報漏洩などしようものならもれなく死罪に値する程度の重罪に問われることとなる。部外者を立ち入らせるわけにはいかない最大の理由はここにある。しかしヘイグターレが魔法技術に秀でているのはこの究魔院で日夜魔法の研究が行われ、その成果が実を結んでいるからこそ、という面もある。究魔院では帝立央魔院内でも特に優秀な人材が集められるため、グアジェドのような魔法軍の上層部や、皇帝一族とはかつての学友である人物も多いと聞く。


 「来ては見たが……さすがに姿はないよな。守衛に聞いても答えてくれないだろうし……」


 ロアが困り果てていると、なんという幸運か、玄関の奥の方から馴染みのある声とともにグアジェドが出てきた。しかしもう一人横に見覚えのない男がおり、グアジェドと笑顔で会話を交えている。グアジェドはロアに気付くと少し驚いたような素振りを見せ、もう一人とこちらに向かって歩いてきた。グアジェドより背はやや低いが180cmは優にあるだろうが、対照的に服の上からでも分かるかなりの細身だ。整えられた白髪で目は細く、蛇のように黄味がかった瞳が鋭さに拍車をかけている。服の上から重厚そうなローブを纏っており、この時期、この時間帯に出歩くにしてはかなり暑そうな格好をしている。ロアは目線が合ったわけでもないが刺さるような彼の眼光にほんの少したじろいだ。


 「おぉロア。手続きが終わったのか。でもどうしてここに?」


 「は、はい、終わりました。用というのはバーリュクス卿にお願いがあるんです。この後ご都合がよければ魔法軍の本部か、魔法軍の練習風景を見学させてはいただけないかと思いまして」


 見知らぬ男の手前、グアジェド叔父さんと呼ぶわけにはいかない。先ほど教わった通りしっかりと公称を用いた。グアジェドはなるほど、と目を見開くと満足そうな顔をした直後、ほんの少し眉間に皺を寄せた。


 「そいつぁちょいと難しいな。いくらロアの頼みとはいえ階級が一兵卒じゃあ本部には招こうにも厳しいな。だが練習風景を見るってのは名案だ。というのもな、むしろ俺がお前を入隊前に招待して練習風景を見せてやろうと思ってたぐらいだったからな。お前から見たいといってくれるのは願ってもない理想の展開だ。ここでの用事もちょうど済んだところだし、早速連れて行ってやろう。―――しかしすまんなテレンツィオ。またも積もる話はお預けだ」


 ロアに向かって見せる晴れ晴れしい顔とは裏腹に、テレンツィオという男に見せるグアジェドの表情は気持ちばかり目を細めていたように見えた。テレンツィオも穏やかな顔でグアジェドに向き直る。再びグアジェドがロアの方を向いて口を開いた。


 「あ、そうだ。そのうちお世話になるだろうからロアにも紹介しておこう。こいつはテレンツィオ・ドアミュール。究魔院の院長。帝立央魔院の実質NO.2の人物だ。加えて俺の幼少期からの同級生でな。魔法学校の成績はいつもテリーが学年で一番、俺が二番だった。ほんとに頭がよくてな、落ち着いてるしめったに怒らないんだ。でもそのくせ臆病でな、12歳の―――」


 「その辺にしてくれジェド。私の過去なんてキドロア君にとってはどうでもいいだろう」


 テレンツィオは嘆息しながらグアジェドをたしなめた。語気こそ強かったが、意気揚々と自分のことを語る莫逆の友に少し嬉しいのか、少し苦笑を浮かべている。テレンツィオはロアに少し頭をさげ、改めて自己紹介を始める。


 「あなたがキドロア・セルエイク君ですね。噂にもジェドの自慢話にも実力のほどは聞いていますよ。ディアゲラさんの息がかかった規格外の新人が現れた、とね。はじめまして。ご紹介に預かりましたテレンツィオ・ドアミュールです。色んな縁がありまして、今は究魔院の院長をさせていただいてます。ところでキドロア君は魔法軍に入られるそうで。今年の合格者の中で断トツで優秀でしたから、私個人としては是非とも究魔院に来ていただきたかったのですが、本人の希望とあれば仕方ありませんね。しかし、魔法の取り扱いの規律に関しては軍であれ一般人であれ、等しく究魔院が管理しています。魔法の濫用が認められた場合は魔法刑務所ストバルダ・アシガンに収容されることになります。他にも軍に関して言えば、魔法の威力や効能を高める魔法具の開発提供も行っています。なにかわからないことがあったら気軽に足をお運びください。厳重なセキュリティとはいえ、院関係者の同伴であればすんなり入館できますので。もちろん私を呼んでもらっても構いませんよ。自分で言うのも変な話ですが、多忙なのであまりご期待には添えないかもしれませんが、善処させていただきますね」


 淡々とした口調ながらはきはきとしゃべる上、自分の名前まで憶えていたテレンツィオに少々驚かされたが、ここで臆していてはグアジェドに笑われてしまうので、こちらこそよろしくお願いします、と力強く返した。


 「では私はこれで。この後二人で予定があるようですし、私はタバロ院長ともども皇帝陛下から招集がかかっているのでね。キドロア君、近いうちにまた会えるといいですね」


 テレンツィオは笑顔で手を振りながら二人に別れを告げると、シュトラメルグ城の方へ歩いていった。ロアとグアジェドはそれを姿が消えるまで見送っていた。グアジェドはよし、と一息いれると軽くロアの背中を叩く。


 「あいつもあいつで忙しいはずなんだが、やっぱり二人揃うと話が弾んでしまってな。さて、俺の用事も済んだことだし見学にいってみるか。確か第二部隊が練習をしてたはずだ」


■■■


 グアジェドに10分ほど連れられてたどり着いたのは帝国魔法軍公定練習場、「ダダロンの庭」。整備された砂場といったようなところで、端には対人練習用と思しき藁人形が並んだ区画と、個人トレーニング用と思しき器具の置かれた施設が立ち並んでいる。砂場の奥の方で数十人、誰もいない方向に魔法を放っている。攻撃魔法を放つ者、物体に対し治癒魔法を放つ者さまざまだ。グアジェドは腕を組みながら真剣な顔をして彼らを見つめる。


 「あれがわが国の魔法軍、第二部隊だ。主な業務は国内の治安維持と、幹部クラスの魔法士の育成だ。国内における不穏な動きをするものを取り締まって央魔院の刑務部と協力して未然に犯罪を防いだり、ロアみたいな優秀なやつを引き抜いて幹部育成をしたりする部隊だ。おそらくお前も入隊後まもなく第二部隊に配属されることになるだろう。なーに心配すんな、すぐに幹部になれば配属先は変わるからな」


 ディアゲラと同じ第一部隊で共に仕事がしたいロアにとっての懸念材料も、グアジェドはしっかり補足説明した。


 「しかし……。あそこで練習してるのは幹部の上位クラスの奴らじゃないな……。さすがに練度が低すぎる」


 魔法の未熟さはロアでも見て取れた。攻撃魔法も時たまに失敗して不発に終わったり、治癒魔法も集中が途切れたり、と粗さが目立つ。魔法を使うと大抵の場合は掌の前に魔法陣が浮いて出てくるのだが、それの紋様の緻密さが魔法の質、難度に関わってくる。彼らの紋様はまばらだったり左右非対称だったりしている。




 「実はな、上位クラスのやつらであれば、ぜひお前に手合わせをお願いしようと思っていたんだ。かなりの実力者揃いだからお前にとっても不足がないだろうと考えていたが適当な奴らが見当たらんな……こいつらでは正直相手にならんと思う」


 グアジェドは言い切った。確かにロアは今年の魔法士試験をトップの実技成績で突破し、「50年に一度の逸材」と試験官に言わしめたほど魔法適性は高い。もちろんディアゲラの指導があってこそだが、父親も国家魔法士という血筋による才能も少なからず起因している。大陸最強の魔法軍といえど、ロアと同クラスの実力を持つ者はそうそう見つからない。


 「お!?バーリュクス総官ではないですか!!戻ってこられたのですね!!して、そちらの青年は?」


 練習を見ていると施設から出てきた男がこちらに猛スピードで駆け寄るや否や、ピタッと止まりグアジェドに敬礼をする。
 髪は真っ黒だが逆立っており、グアジェドほどではないが引き締まった無駄のない筋肉、端正な顔立ちをしている。そして最大の特徴は左の瞳は青、右の瞳は赤というオッドアイだ。


 「ああ、ウォルザか。こいつが例の規格外新人、キドロア・セルエイクだ。ロア、紹介しよう。第二部隊隊長のウォルザ・べネスグラムだ」


 ウォルザはニカッと笑いながらロアに手を差し伸べる。流れのままに手を差し出し、二人は握手を交わす。ウォルザの力強い握手にロアは若干の野性味を感じる。


 「噂には聞いてるっすよ~50年に一度の逸材だって!それにあのディアゲラの弟子だとか!!……まあ今は大声では言えない事態ですけど。ともかく、はやく実戦でその実力を見てみたいもんすねえ。あ、そうだ総官!今屋内施設の方で上位クラスが1対1の対人戦練習やってたところなんです。どいつか引っ張ってきてキドロア君と手合せさせましょうか?」


 対人稽古の話になった途端、ウォルザの目の輝きが増す。グアジェドも結構血の気の多い方だが、ウォルザはさらに上を行く人物のようだ。部隊長である以上実力は相当なものだろうが、そこはかとなく危なっかしい気もする。ロアがウォルザの素性をグアジェドに尋ねると、根は真面目だが戦闘狂。国外勤務にするとどんな暴れ方をするかわからない。だからこそ国内で業務が完結する第二部隊にしたんだ、と苦笑いで答えた。ウォルザはグアジェドの返事を待たずして施設に入っていくと、しばらくして10人程度の隊員を連れて戻ってきた。そして空き地の方へ向かうとそちらで練習していた他の隊員も集めてきた。隊員はグアジェドの姿を認めると慌てて敬礼をする。ウォルザは約60人の隊員に向き直ると声高らかに話し始めた。


 「みんな紹介する。今回の試験で実技試験を首席合格をしたキドロア・セルエイク君だ」


 何のために集められたんだ、というようなポカンとした顔をしていた隊員がざわめき始めた。あいつがあのキドロアか、いずれ隊長クラスになるんだろうな、といった声が聞こえる。ロアは内心少し恥ずかしさを感じたが表情は変えずにウォルザの話を傾聴する。


「50年に1度の逸材と言われるほど、実力は相当のものだ。そこで、だ。君たちの練習にもなるだろう、彼とぜひ手合わせをお願いしたい。我こそは、というものはいるか」


 ざわめきがどよめきに変わった。いやいや無理だろ、俺たちで相手になるわけがない。屋外練習をしていた隊員の間では不安と恐怖がの声が広がる中、上位クラスの隊員たちは沈黙を守り、ロアをじっと見つめている。ロアは至って平常心を保つ。一人、上位クラス側から手が上がった。上下黒の服を着た青年だ。黒髪青瞳で、背はロアより少し高いぐらいか。先ほどのテレンツィオとタイプは違うが鋭い眼光をしている。


 「お、ノルアスか。お前ならいい勝負になるだろうな。キドロア君、彼が今の幹部候補生でトップの成績を誇るノルアス・ネスディアスっす。お互いにとって不足はないと思うっすよ。それにここは軍の公式の練習場。中央特区内だけど、思う存分魔法が使えるっす。持てる力を最大限発揮して暴れてくれるのを期待してるっす。では二人、こちらに」


 言われるがままに、二人は空き地の方で向かい合う。ロアがグアジェドの方を見ると満足そうな笑みを浮かべている。これはロア、ノルアスどちらに対する期待なのだろうか。他の隊員が見つめる中、不意に、今まで一言も発しなかったノルアスが口を開いた。


 「君がキドロア・セルエイクか。新人の一隊員の俺とて名前は聞いたことあるよ。どういう風の吹き回しでここに来たのかは知らないが、手合わせ感謝する。だが、まだ正式に入隊も決まっていないやつに負けるつもりはない。私も幹部候補生としての、軍の先輩としてのプライドがある。ディアゲラ第一部隊長の愛弟子らしいが……師匠の名に恥じぬ実力、見せてくれると期待しよう」


 無愛想な見た目とは裏腹によく喋るな、とロアは感じた。勿論だ、とだけ返して目を閉じ、意識を集中させウォルザの合図を待つ。目の前で向かい合ったが、ウォルザやグアジェドほどのオーラは感じない。あの二人が特別戦闘狂でずば抜けた魔法適正を持っていることもあるかもしれないが、強者ならではの覇気を、ロアはノルアスから感じ取れなかった。しかし油断は禁物、と心を落ち着かせ自分が使う魔法を脳内で思い描いていく。


 「……はじめ!!」


 ウォルザの合図とともに目を開き、それと同時に左右両手に別々の魔法陣を浮かばせるロア。ノルアスもそれは同様で、互いに紋様の違う魔法、すなわち4種類の魔法陣が同時に形成されている。ノルアスの魔法生成の速さはロアにも引けを取らないようだ。


 「まずは小手調べだ……尖転海ロアラ・シュドーネ!」


 先に仕掛けたのはノルアス。ノルアスの左手が渦を巻く水に包まれ、ロアめがけてうねりながら飛んでくる。火事の際の消火活動にも用いられる水属性の中位魔法だ。狙いも正確、威力も十分。さすが幹部クラスのトップなだけあって屋外練習の隊員たちとは比肩できないほどの練度の高い魔法だ。傍観の隊員たちも練度の高い魔法を放つ同級生に歓声が沸き起こる。


 「なかなか手応えがありそうだな。……雷棘輪マグナ・エレネシア


 ロアは右手の魔法をノルアスめがけ放つ。電気を帯びた輪を作り出し、地面に叩きつけ周囲一面に稲妻を走らせる、見た目も威力もド派手な風属性の上位魔法を、ロアは表情一つ変えずに撃ち出した。それは着地前にノルアスの放った尖転海ロアラ・シュドーネをいともたやすく切り裂き、勢いを落とすことなくノルアスへ飛んでいく。ノルアスの放った魔法はロアを避けるようにして二つに割れ、失速し消えていった。隊員からは驚愕と畏怖のどよめきが起こるが、彼ら二人の耳には届いていない。互いに微塵も怯むことなく次の魔法を構える。上位魔法を使いこなすだけで驚くというのに、自分たちより年下の人間がそれをやってのける―――常人であれば震え上がらないはずがない。そんな隊員たちをロアは一瞥たりともしない。


 ノルアスは追風タービル雷棘輪マグナ・エレネシアをギリギリで躱す。瞬時、ノルアスが先ほどまでいた場所は空気を切り裂くような爆音とともに稲光が駆け巡る。地表のごく近くで拡散させることで魔法は地面に吸われることなく、威力を失うことなく広がる。巻き起こった砂煙が収まると、真っ黒に焦げきった砂の地面が現れる。ノルアスはそれに表情一つ変えず目くばせすることもなく体勢を建て直し、今度はすぐさま右手から土属性の魔法を放つ。

 「響號洞ザンド・ヴァネルゴ!!」

 響號洞ザンド・ヴァネルゴは巨大な岩を生成し、それを轟音による衝撃波で破壊し、爆音で思わず耳を塞いだ相手が動きをとめたところに、砕けた無数の岩石を浴びせつける土属性の上位魔法。至近距離で使われればほぼ確実に鼓膜が破れるほどの危険な魔法だ。ノルアスは少し口角を吊り上げながら言い放った。


 「いきなり雷棘輪か。上位魔法をいとも簡単に……ならばこちらせも上位魔法を使うまでだ」


 なるほどな、とノルアスを一瞥し微笑すると、ロアは左手に用意していた魔法と右手に新たに作った魔法を同時に使った。再び生徒からはどよめきが起こる。巨大な二つの火の玉と、その声はおろか響號洞すらもかき消すほどの暴風が巻き起こったかと思うとすぐさまロアはそれを融合させる。砂埃を上げ、心臓を直接鷲掴みにして揺さぶってくるような唸る轟音を上げて吹いていた暴風が、もう片方の魔法から掠め取るように炎を帯び、巨大な熱風の竜巻となってノルアスへと差し迫る。離れても伝わる高熱と魔法の範囲の巨大さに、傍観していた生徒たちは腰を抜かしながら這いずるように慌ててその場から避難する。


対巨輪炎イドゥ・グラノ・リメリア旋颪遣傑ニュデス・ラトーリア……火属性と風属性、どちらも上位魔法。しかも同時に使うどころか、二つを融合させるまでやってのける発想力までお持ちとは……。すでに一個隊長レベルの実力っすねえ。さすがにディアゲラさんの穴を埋めるほどじゃないですが、十分な即戦力っすね」


 「ああ。グラモニッドの禁止魔法実験と例の一件・・・・が起きるまでは、我が国も平和そのものだった。その間の7年間で教え込んだそうだが、ディアゲラの教える腕以上に、あいつの才能がすさまじいということだ。ディアゲラも毎朝早起きしては城壁で魔法の鍛錬をしていたが、ロアも欠かしていないみたいだしな」


 ウォルザとグアジェドは二人の凄絶な魔法の応酬を好奇の表情で見つめていた。二つの魔法を同時に生成する事自体高等な技術が必要なのだが、その二つともが上位魔法となると難易度は格段にはね上がる。ロアがグアジェドの前でこうして魔法を全力で使うのは、グラモニッド共和国の反国際的運動が激化する前に会った時以来約2年ぶり。その後も数回会うことはあったが、要人と連れ立っていたり、プライベートで街中ですれ違うだけ、など魔法の上達を披露するような場面は一度もなかった。久方ぶりにしかとロアの成長ぶりを見届けられることにグアジェドは胸が躍っているようで、グアジェド以上の戦闘狂であるウォルザも同じかそれ以上の反応である。


 「な、なんだこれは……。上位魔法を二つ同時に、しかも融合だと……見たことがない!」


 「ああ、そうだろうとも。俺とてやるのは二回目だ。どうにか上手くいったがな」


 平静を保っていたノルアスの表情に若干の焦りが見える。ロアは薄ら笑いを浮かべると、両手を前に突き出す。じわじわと動いていた炎の竜巻が、一気に速度を上げてノルアスに襲い掛かる。砂、炎、強風。近くにいると呼吸すらままならず、口を開けようものなら容赦なく砂が入ってくる。まともに食らえば全身を火傷する程度の重傷は避けられないであろう強烈な魔法の渦にノルアスの姿は見えなくなった。ロアはゆっくりと手をおろし、竜巻が消えるのを待つ。その間にも左手には抜かりなく次の魔法陣が浮かび上がっている。熱風が静まり、次第に人影が見え始める。

 
 「ぐっ……、かはっ……。砂が……。」


 ノルアスはよろけ、咳き込みながらも立っていた。よく見えなかったが防御魔法を使ったようで、火傷はないが巻き上げられた砂をもろに吸ってしまったようだ。少々傷を負いながらも上位魔法を耐えたノルアスに、ロアは少し感心したような表情を見せる。ロアは右手にも魔法陣を組み上げながら語り始めた。


 「ほう、耐えきったか。流石はトップレベルさんのようだ。……だが今のは言うなれば見世物だ。範囲こそ広いが、予備動作が長い。防御魔法を張る時間も、回避魔法を使う余裕だって十分あるし、予備動作の間に逆に攻撃を食らう可能性もある。かつての魔法大戦のような大多数同士の場面なら役立つかもしれんがな。だが……こいつは別だ」


 「そ、それは―――」


 ノルアスが何か言葉を発しようと考えたその時点で勝敗は決していた。視認する暇すらも与えられず彼の意識は途切れ、体は地面に倒れていた。先ほどの熱風が止んだことで、避難し遠くから眺めていた隊員がぞろぞろと戻ってきた。自分たちの知らぬ間に横たわっている同僚を見てか、悲鳴とざわめきが起こる。彼らの内、数人がすぐさまノルアスのもとに駆け寄って声をかける。呼びかけに応じないノルアスに顔を青ざめる彼らだが一転、ロアの方を向くと怒りに歪んだ形相で殴り掛かってきた。予想外のところから飛んできた物理攻撃に一瞬反応が遅れるロア。仰け反るのが精一杯だったロアの目の前に、目にも止まらぬ速さで間に何かが飛んできた。安全な遠い位置で見ていたはずのウォルザだった。音も風もないままに両者の間に割って入り、感情に任せ振りかざされた拳を掌で受け止める。


 「……おっと。暴力的な魔法は許可したが、暴力の許可はしたつもりはないぞ」


 ロアに話しかけるときの気さくな声とは似ても似つかぬ凍りついたような低い声だった。見たことも聞いたこともないような冷酷なウォルザの眼光と沈んだ声に、隊員はひっ、と声を上げ手を竦めた。野次を飛ばしていたほかの隊員たちもそそくさとノルアスを担いで日陰へと移動し、治癒魔法を当て始める。


 「仲間の窮地に我を忘れ、無謀無策に敵陣へ猛進する愚下に堕ち果てたか。そんな単細胞はこの国の軍の幹部とは呼べんな。そもそも両者思考と技術を尽くし、正々堂々戦った結果だ。友人の敵討ちの気持ちもわからないでもないが、ノルアスですら容易く倒すような強者にお前たちが挑んだところで勝てるわけがないだろう。―――それにそもそもノルアスは気絶しただけだ」


 ウォルザはノルアスがただ気を失っているだけだと気づいていた。ロアはそれに少し安堵したように頷く。ロアが最後に使ったのは黒破痺戟サレムク・マラーデル豪風踏ゼル・アヴェル。闇属性と風属性の上位魔法である。黒破痺戟サレムク・マラーデルはかつて暗殺などに用いられた魔法で、黒い煙のようなもので脊髄の働きを抑制し、対象の運動神経の働きを著しく抑制、痙攣させて気絶させるものだ。豪風踏ゼル・アヴェル追風タービルの3段階上の移動魔法で、風属性の移動魔法では最上位の魔法。速度は追風タービルの30倍ともいわれている。ウォルザはロアに向き直ると笑いながらも少々困った顔をした。


 「さすがっすね。ノルアスも気づいていたかもしれないけど、二人のオーラの差からして勝負が長引かないことは分かってたっすよ。……しかし、キドロア君。まさか闇属性の魔法を使うなんて。……実は、訓練生の闇属性及び光属性の魔法の使用は軍律で禁じられているんすよ。まあ使えるとは思ってなかったので警告しなかった俺が悪いんすけどね。なので今回限り不問にするっす。以後気を付けて欲しいっす」


 ロアは目を丸くし、そうだったんですかすみません、と頭を下げる。闇属性と光属性の魔法は使いこなせば他の属性よりはるかに強力だが、その分難易度も高く何より使用者への体の負担が大きい。ウォルザの話によれば、部隊長クラスの経験と才能があればなんら支障はないが、隊員が生半可な練度で使用すると魔力に耐え切れず四肢が壊死したり、最悪の場合全身が魔力に蝕まれて死に至るらしい。過去にも数度、闇属性の魔法の使用で死亡例があり、これを受け軍は訓練生の使用の禁止を取り決めた、と何かの資料で読んだことがあることをロアは思い出した。


 「言ってしまえば魔法中毒みたいなもんっすね。酒の飲みすぎで亡くなるのと原理は一緒らしいっす。しかし、一番厄介なのが中途半端に蝕まれ、魔物に変身してしまうことっす。おそらくキドロア君も知っての通り、通常魔物は何らかの原因で魔力を帯びた野生生物が繁殖期になると一定の確率で変化するやつっす。でもそれは人間にも起こりうることなんすよ。人間は特定の繁殖期がないので突如なっちゃうっす。そうなるともう手の付けようがないので……殺処分しかないっす。自分が部隊長になってからはないっすが、これも過去に数件あるみたいっす」


 その話をグアジェドは神妙な面持ちで頷きながら聞いていた。おそらく彼ほど軍の在籍が長い人間になればその場面に立ち会ったことがあるのだろう。今まで闇属性の魔法を数えるほどしか使ったことのないロア。確かに他の属性に比べ種類も圧倒的に少ない上、連発できるほど闇魔法は使いこなせない。未熟な部分と自覚はしていたが、今まで以上に使い方と使う場所には気を付けようと誓うのであった。少し落ち込むロアの横で、ウォルザといつの間にかこちらまで来ていたグアジェドはロアにも聞こえるような声で話を始める。


 「どうですか総官。前例のないことではありますが、彼を直接第一部隊に配属してみては?」


 「俺もそれについては考えていた。この劣勢の状況でも焦らないだろ。肝が据わってるし、見ての通り戦闘時ですらこの技術だ。俺もこいつの実力に関しては保証する。しかしこのまま即座に配属してしまっては、必ず他部隊の成り上がりの奴らと軋轢が生まれてしまう。今後ロア程の人間であれば一個大隊の総指揮を任せる場面がくるだろう。その際に反抗的な態度を取る者をできる限り減らしておきたい。どんな屈強な組織だとしても内部亀裂は大きな混乱を生み、敵に攻め入る隙を与えることになる。我が軍の敗北の理由が我が軍というのはなんとも情けないではないか。能力主義、実力至上主義の世界ではあるが、残念ながら実力だけで信用を勝ち取り、指揮に皆が従ってくれるわけではないからな」


 グアジェドの将来を見据えた慎重な意見にウォルザはなるほど、思慮が少々出過ぎた真似をお許しくださいと跪いた。


 「よせ大袈裟だ、面を上げろ、ウォルザ。いずれお前の教え子ともなるであろう奴の前で容易く頭を垂れてはお前の名も彼らの名も泣く。部隊長は常に自身に満ち溢れているべきだ」


 かしこまりました、とすぐに立ち上がり砂を払うウォルザ。そんな二人を黙ってロアが見ていると、目を覚ましたノルアスと手当をしていた隊員たちが戻ってきた。手早い処置のおかげか、肩を持たれることなどなく自力で歩いている。ノルアスは他の隊員がついてくるのを手で制す。一人歩いてロアの前まで来ると、ゆっくりと手を差し出した。


 「……見事だった。ここでいうのもなんだが、他の隊員との練習とは比べ物にならないぐらい強くて、内心楽しんでる自分がいたよ。是非また手合わせ願いたい。その時には必ず今より強くなって、そして、いつかお前を越えて見せるさ。―――キドロア・セルエイク」


 ロアは少々呆気にとられていたが、ややあって頷いてノルアスの手を握り返し、二人は固い握手を交わした。それを見ていたウォルザが突如満足げな顔をしながら手をたたき始めた。すぐさまグアジェドも続き、それを受けほかの隊員たちもまばらに手を叩き始め、あっという間に大きな拍手に包まれた。先ほどロアに殴りかかった生徒も不満げな顔はしているが柏手を打っている。じりじりと照りつける太陽はほぼ彼らの真上にある。ロアは顔が熱くなるような感覚がした。それが陽光の照り返しによるものなのかどうかは分からなかったが、不思議と悪い気分ではなかった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品