無能王子の冒険譚
エピローグ エリナ・キサラギの憂鬱
キサラギの城の一室。
夕陽が窓から射し込み部屋の中を紅に染めている。
その窓辺、窓硝子にそっと手を触れ、真っ赤な風景を眺めながら、部屋の主エリナ・キサラギは溜め息をついた。
黒い魔導士のローブを纏い、ローブと同じ黒い髪を肩まで伸ばしている。
遠くに見える城下からは家々の煙突から煙が上がってあるのが見えた。
夕食が作られ、それぞれの家庭で一家の団欒があるのだろうか?
幾筋もの白い煙を見るエリナの黒い瞳が物憂げに潤んだ。
今夜の自分達の食卓にはまた兄はいないのだろう。
エリナの二つ年上の兄、ウィルレット・キサラギは一週間以上前の夜に忽然と姿を消した。
城下を捜索しているが未だに見つかっていない。
程無くしてウィルがトーキョーを出たと噂が流れた、それを連れ戻すために父の部下二人が城を出たと。
無事に戻って来てほしい。エリナはそう願ってやまない。
もしかしたら、と最悪の想像をしてしまう。
兄かいなくなった翌日にエリナは母から、兄とレクトゥール王女との婚約破棄の話を聞いた。
それで自暴自棄になった兄が思い余って……何てことになっていたら……。
じわりと目尻に浮かんだ涙を拭う。
どうして兄ばかり辛い目に遭うのだろう。兄は誰よりも頑張り屋で、優しく、人を思いやる心を持った立派な人間なのに。
ただ、一つ。戦いの才能を持ち合わせていなかっただけ。
だが、そのことがこうも兄を苦しめるのか。
幼い頃から父のような英雄になるのだと、血の滲むような稽古をしていた。
見ているこちらが苦しくなるくらいの激しい稽古を兄は十年前から一日も欠かしていない。
しかし、その稽古が実を結んだ事は一度もない、兄が誰かから稽古で一本を取ったという話を聞いたことがない。
見かねた周囲の人間が、剣が駄目ならばと槍や弓を奨めたが、どれも酷いものだったという。
決定的だったのが二年前だ。
双子の姉が兄と新人兵士とで木剣を用いた稽古をさせた。
剣を持って三日と経っていない、兄よりも年下の成人もしていない少年兵。
普段兄は自分を追い詰めるあまり実力者としか稽古をしてこなかった。
だから、初心者をあてがい、形だけでも一本を取れれば自信になり、才能が芽生えるかもしれないと姉は考えたらしかった。
兄には相手が新人とは伝えなかった。言ってしまえば勝っても自信にならなくなるからだ。
暫くすればばれるかもしれないが、とにもかくにも一度でも勝つことが兄の為になると思っていたのだろう。
城の中庭の稽古場で、手透きの近衛や騎士団の騎士たちに見守られる中行われたそれは散々たるものだった。
当日は自分も兄を応援しようと見守っていた。
エリナは目の前で兄が新人に手も足も出ずに打ち倒され、気を失う姿を見て言葉を失った。
エリナだけではない。姉も、周囲の兵士たちもまさか新人の子供相手にさすがに負けるとは思っていなかった。
剣のことがよくわからないエリナにも新人の少年が王子の相手をさせられた緊張からただがむしゃらに木剣を振り回していただけなのはわかった。
しかし、兄はそんな相手になすすべもなく打ち据えられ昏倒した。
すぐに兄は意識を取り戻し周りを囲んだエリナや姉達を安心させたが、次の兄の言葉に皆の空気が凍りついた。
兄は新人との稽古をこう言った。
「打ち込む隙が全く見当たらず、どうしていいかわからない内に正確で鋭い攻撃がきて防げずにやられてしまった」
と。
この言葉に誰もが何も言えなくなる。そんな空気を察することなく続けられた兄の言葉に皆驚愕する。
兄は言った。
「信じられないくらいの才能を持った子供だ。僕は足元にも及ばない」
その言葉で周囲の者は思い知った。いや、改めて知ったのだ。
王子に武の才は欠片もないと。彼が稽古で一本も取れないのは強者とばかりやっていたからでない。
それどころかこの王子にはその強者と、初
心者の区別すらついていない。
初心者すら王子にとっては才気溢れる天上人なのだ。それ以上の者なら推して知るべしということだ。
この出来事はすぐに城中に広まり、その日を境に兵士たちは兄に対する侮蔑の表情や態度を隠さない者が増えた。
「無能王子」の蔑称もこの頃から言われ始め、城どころか城下にも広がった。
稽古の相手だった少年がその後一月もしない内に兵士の適格なしと首を言い渡されたことも、噂が広まるのに拍車をかける原因となった。
その新人にも才能と実力は結局なかったのだ。王子はそんな相手にも何も出来ずに負けたのか、と皆が口々に言い合ったのだ。
そんなことがありながらも兄は腐ることなく稽古を続けた。兄の稽古に付き合うものはいなくなり、たった一人になってもだ。
その姿が痛々しくて、一度エリナは何故稽古を続けるのかと訊ねた事があった。
兄は、一点の曇りもない笑顔で答えた。
諦めなければいつか努力は報われると、そして聖剣を受け継いで父から英雄の名を引き継ぐのだと。
目に涙を溜めるエリナの頭を兄は優しく撫でてくれた。
エリナはそんな兄の努力が少しでも報われればいいと心から願った。
だが、わずか一年後それは叶わなくなった。姉が父が病に倒れてから誰も抜けなくなった聖剣を鞘から抜いたのだ。
誰もが姉を称賛して崇めた。この事はすぐに城下に伝わり、トーキョーを出て国中が大騒ぎとなった。
国王が病気になり、聖剣が彼から離れたことを臣民たちはずっと残念に思っていた。
歴史は浅くともその両方共に国の象徴だったからだ。
だから臣民の誰もが新たな聖剣の主の誕生を喜びお祭り騒ぎとなった。
仕事もほったらかしで日がな酒を飲み暴れては衛兵に捕縛されるものが後を絶たなかった。
収集がつかなくなったこの事態に、厳格な母もいっそ発散させた方が良いと考え、一ヶ月間かけて姉の聖剣授与の儀式と祝いの宴を開くことを決めた。
儀式が始まると城の中は最低限の人を残し閑散となる。
そんな城の片隅で兄は稽古を続けていた。
周りから儀式と宴に浮かれた声が聞こえるなか、城の影で誰からも見られないように。
兄を少しでも元気付けようと探していたエリナはその姿を見つけ溢れる涙を堪えられなかった。
当時を思い出し、また溢れてきた涙をハンカチで拭いて鼻をすする。
結局、兄の努力は報われず、唯一の拠り所の聖剣は姉の手に渡った。
噂は国外にまで広がったのだろう。レクトゥールは聖剣を妹に取られ、「無能王子」と謗られる兄に自らの国の王女を嫁がせる価値を見いださなくなった。
そして、兄はいなくなった。
エリナは外の景色を眺め続ける。ウィルの部屋よりも上の階のエリナの部屋からは城を囲む城壁の向こう側に街へと下る道が見えた。
もしかしたら兄が戻って来るかもしれないと、兄がいなくなってからは時間があるときはこうしてここからその道を眺めるのがここ最近の日課になっていた。未だ兄は戻らないが。
度重なる辛い出来事に兄の心は折れてしまったのだろうか?
経緯を思えば全てを投げ出したくなる気持ちは痛いほどわかった。
「剣なんか………」エリナは呟く「どうでもいいじゃないですか、兄さん」
兄が聞けば怒るかも知れなかったが言わずにはいられない。
周りの人間は兄に父と母の幻影を重ね過ぎだ。
剣の才能がないことに落胆し失望しているが、兄の長所はもとよりそういうところにはない。
今年成人してその儀式に緊張する自分のために励まし、作法を丁寧に教えてくれたのは兄だ。
成人して、城下の魔導士協会に勤めることを認められ、初めて協会に向かうとき護衛を買って出てくれた。
勿論、何かあったときに自分が役に立たないことはわかっている。ただ、緊張している妹の側にいてあげたいという思いやりだ。
自分にだけではない。城の中でも困っている人や手の足りない仕事の場には兄の姿をよく見かける。
兄はどんな相手でもそういうとき見過ごすことはない。
たとえ、普段自分を「無能王子」と呼び馬鹿にしている相手だとしても。
だから、色々な噂だけで兄とそれほど接することのない人たち以外は兄の事を「無能王子」とは呼ばなくなってきている。
もしくはそう呼ぶのは兄に人としてではなく象徴としての役割しか求めない者達だ。
そういう人間は今は姉の取り巻きのようになっている。
兄の美徳は自分を差し置いてでも相手を思いやれ、どんな人間も気遣い助けることの出来る心根にある。
そこに損得勘定はない。上に立つものとして危うさもあるかもしれないが、そういう人間にはそれを補い助ける人が集まるのだ。
その一番の見本がウィルたちの目の前にはいた。父親のカズマ・キサラギだ。
父の元には父の人柄に惚れ込み、父を慕う人間が多く集まっている。
「兄さん……父上は建国以降、病気になるまで一度も聖剣を使わなかったんですよ」
兄は国を継ぐものは聖剣を継ぐような武人でないといけないと思っているのではないか。
エリナは兄の間違いを兄の事を「無能王子」と呼ばなくなった人たちや、父の事を伝えて教えてあげたいと思っている。
「国を統べるのも、臣民を導くのも人です。聖剣でも武名でもないんです………それは人を掌握するための手段の一つに過ぎません」
確かに聖剣と武名があればそれだけで従う人間はいるだろう。
だが、そんなのは近くにいる一部の者だけだ。
広い国の多くの人のための統治に絶対に必要なものではない。
ウィルが求めているもの。ウィルに本当に必要なもの。
その答えは彼の身近な、彼の帰りを願う妹が持っていた。
それを知ることなくウィルはウルセトへと行くことになる。
暗殺者から逃れるという理由がなかったとしても彼はそうしたはずだった。
それはやはり不幸なことなのかも知れなかった―――。
夕陽が窓から射し込み部屋の中を紅に染めている。
その窓辺、窓硝子にそっと手を触れ、真っ赤な風景を眺めながら、部屋の主エリナ・キサラギは溜め息をついた。
黒い魔導士のローブを纏い、ローブと同じ黒い髪を肩まで伸ばしている。
遠くに見える城下からは家々の煙突から煙が上がってあるのが見えた。
夕食が作られ、それぞれの家庭で一家の団欒があるのだろうか?
幾筋もの白い煙を見るエリナの黒い瞳が物憂げに潤んだ。
今夜の自分達の食卓にはまた兄はいないのだろう。
エリナの二つ年上の兄、ウィルレット・キサラギは一週間以上前の夜に忽然と姿を消した。
城下を捜索しているが未だに見つかっていない。
程無くしてウィルがトーキョーを出たと噂が流れた、それを連れ戻すために父の部下二人が城を出たと。
無事に戻って来てほしい。エリナはそう願ってやまない。
もしかしたら、と最悪の想像をしてしまう。
兄かいなくなった翌日にエリナは母から、兄とレクトゥール王女との婚約破棄の話を聞いた。
それで自暴自棄になった兄が思い余って……何てことになっていたら……。
じわりと目尻に浮かんだ涙を拭う。
どうして兄ばかり辛い目に遭うのだろう。兄は誰よりも頑張り屋で、優しく、人を思いやる心を持った立派な人間なのに。
ただ、一つ。戦いの才能を持ち合わせていなかっただけ。
だが、そのことがこうも兄を苦しめるのか。
幼い頃から父のような英雄になるのだと、血の滲むような稽古をしていた。
見ているこちらが苦しくなるくらいの激しい稽古を兄は十年前から一日も欠かしていない。
しかし、その稽古が実を結んだ事は一度もない、兄が誰かから稽古で一本を取ったという話を聞いたことがない。
見かねた周囲の人間が、剣が駄目ならばと槍や弓を奨めたが、どれも酷いものだったという。
決定的だったのが二年前だ。
双子の姉が兄と新人兵士とで木剣を用いた稽古をさせた。
剣を持って三日と経っていない、兄よりも年下の成人もしていない少年兵。
普段兄は自分を追い詰めるあまり実力者としか稽古をしてこなかった。
だから、初心者をあてがい、形だけでも一本を取れれば自信になり、才能が芽生えるかもしれないと姉は考えたらしかった。
兄には相手が新人とは伝えなかった。言ってしまえば勝っても自信にならなくなるからだ。
暫くすればばれるかもしれないが、とにもかくにも一度でも勝つことが兄の為になると思っていたのだろう。
城の中庭の稽古場で、手透きの近衛や騎士団の騎士たちに見守られる中行われたそれは散々たるものだった。
当日は自分も兄を応援しようと見守っていた。
エリナは目の前で兄が新人に手も足も出ずに打ち倒され、気を失う姿を見て言葉を失った。
エリナだけではない。姉も、周囲の兵士たちもまさか新人の子供相手にさすがに負けるとは思っていなかった。
剣のことがよくわからないエリナにも新人の少年が王子の相手をさせられた緊張からただがむしゃらに木剣を振り回していただけなのはわかった。
しかし、兄はそんな相手になすすべもなく打ち据えられ昏倒した。
すぐに兄は意識を取り戻し周りを囲んだエリナや姉達を安心させたが、次の兄の言葉に皆の空気が凍りついた。
兄は新人との稽古をこう言った。
「打ち込む隙が全く見当たらず、どうしていいかわからない内に正確で鋭い攻撃がきて防げずにやられてしまった」
と。
この言葉に誰もが何も言えなくなる。そんな空気を察することなく続けられた兄の言葉に皆驚愕する。
兄は言った。
「信じられないくらいの才能を持った子供だ。僕は足元にも及ばない」
その言葉で周囲の者は思い知った。いや、改めて知ったのだ。
王子に武の才は欠片もないと。彼が稽古で一本も取れないのは強者とばかりやっていたからでない。
それどころかこの王子にはその強者と、初
心者の区別すらついていない。
初心者すら王子にとっては才気溢れる天上人なのだ。それ以上の者なら推して知るべしということだ。
この出来事はすぐに城中に広まり、その日を境に兵士たちは兄に対する侮蔑の表情や態度を隠さない者が増えた。
「無能王子」の蔑称もこの頃から言われ始め、城どころか城下にも広がった。
稽古の相手だった少年がその後一月もしない内に兵士の適格なしと首を言い渡されたことも、噂が広まるのに拍車をかける原因となった。
その新人にも才能と実力は結局なかったのだ。王子はそんな相手にも何も出来ずに負けたのか、と皆が口々に言い合ったのだ。
そんなことがありながらも兄は腐ることなく稽古を続けた。兄の稽古に付き合うものはいなくなり、たった一人になってもだ。
その姿が痛々しくて、一度エリナは何故稽古を続けるのかと訊ねた事があった。
兄は、一点の曇りもない笑顔で答えた。
諦めなければいつか努力は報われると、そして聖剣を受け継いで父から英雄の名を引き継ぐのだと。
目に涙を溜めるエリナの頭を兄は優しく撫でてくれた。
エリナはそんな兄の努力が少しでも報われればいいと心から願った。
だが、わずか一年後それは叶わなくなった。姉が父が病に倒れてから誰も抜けなくなった聖剣を鞘から抜いたのだ。
誰もが姉を称賛して崇めた。この事はすぐに城下に伝わり、トーキョーを出て国中が大騒ぎとなった。
国王が病気になり、聖剣が彼から離れたことを臣民たちはずっと残念に思っていた。
歴史は浅くともその両方共に国の象徴だったからだ。
だから臣民の誰もが新たな聖剣の主の誕生を喜びお祭り騒ぎとなった。
仕事もほったらかしで日がな酒を飲み暴れては衛兵に捕縛されるものが後を絶たなかった。
収集がつかなくなったこの事態に、厳格な母もいっそ発散させた方が良いと考え、一ヶ月間かけて姉の聖剣授与の儀式と祝いの宴を開くことを決めた。
儀式が始まると城の中は最低限の人を残し閑散となる。
そんな城の片隅で兄は稽古を続けていた。
周りから儀式と宴に浮かれた声が聞こえるなか、城の影で誰からも見られないように。
兄を少しでも元気付けようと探していたエリナはその姿を見つけ溢れる涙を堪えられなかった。
当時を思い出し、また溢れてきた涙をハンカチで拭いて鼻をすする。
結局、兄の努力は報われず、唯一の拠り所の聖剣は姉の手に渡った。
噂は国外にまで広がったのだろう。レクトゥールは聖剣を妹に取られ、「無能王子」と謗られる兄に自らの国の王女を嫁がせる価値を見いださなくなった。
そして、兄はいなくなった。
エリナは外の景色を眺め続ける。ウィルの部屋よりも上の階のエリナの部屋からは城を囲む城壁の向こう側に街へと下る道が見えた。
もしかしたら兄が戻って来るかもしれないと、兄がいなくなってからは時間があるときはこうしてここからその道を眺めるのがここ最近の日課になっていた。未だ兄は戻らないが。
度重なる辛い出来事に兄の心は折れてしまったのだろうか?
経緯を思えば全てを投げ出したくなる気持ちは痛いほどわかった。
「剣なんか………」エリナは呟く「どうでもいいじゃないですか、兄さん」
兄が聞けば怒るかも知れなかったが言わずにはいられない。
周りの人間は兄に父と母の幻影を重ね過ぎだ。
剣の才能がないことに落胆し失望しているが、兄の長所はもとよりそういうところにはない。
今年成人してその儀式に緊張する自分のために励まし、作法を丁寧に教えてくれたのは兄だ。
成人して、城下の魔導士協会に勤めることを認められ、初めて協会に向かうとき護衛を買って出てくれた。
勿論、何かあったときに自分が役に立たないことはわかっている。ただ、緊張している妹の側にいてあげたいという思いやりだ。
自分にだけではない。城の中でも困っている人や手の足りない仕事の場には兄の姿をよく見かける。
兄はどんな相手でもそういうとき見過ごすことはない。
たとえ、普段自分を「無能王子」と呼び馬鹿にしている相手だとしても。
だから、色々な噂だけで兄とそれほど接することのない人たち以外は兄の事を「無能王子」とは呼ばなくなってきている。
もしくはそう呼ぶのは兄に人としてではなく象徴としての役割しか求めない者達だ。
そういう人間は今は姉の取り巻きのようになっている。
兄の美徳は自分を差し置いてでも相手を思いやれ、どんな人間も気遣い助けることの出来る心根にある。
そこに損得勘定はない。上に立つものとして危うさもあるかもしれないが、そういう人間にはそれを補い助ける人が集まるのだ。
その一番の見本がウィルたちの目の前にはいた。父親のカズマ・キサラギだ。
父の元には父の人柄に惚れ込み、父を慕う人間が多く集まっている。
「兄さん……父上は建国以降、病気になるまで一度も聖剣を使わなかったんですよ」
兄は国を継ぐものは聖剣を継ぐような武人でないといけないと思っているのではないか。
エリナは兄の間違いを兄の事を「無能王子」と呼ばなくなった人たちや、父の事を伝えて教えてあげたいと思っている。
「国を統べるのも、臣民を導くのも人です。聖剣でも武名でもないんです………それは人を掌握するための手段の一つに過ぎません」
確かに聖剣と武名があればそれだけで従う人間はいるだろう。
だが、そんなのは近くにいる一部の者だけだ。
広い国の多くの人のための統治に絶対に必要なものではない。
ウィルが求めているもの。ウィルに本当に必要なもの。
その答えは彼の身近な、彼の帰りを願う妹が持っていた。
それを知ることなくウィルはウルセトへと行くことになる。
暗殺者から逃れるという理由がなかったとしても彼はそうしたはずだった。
それはやはり不幸なことなのかも知れなかった―――。
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