何にもない方がいい

増田朋美

何もない方がいい

現在は科学技術が進歩して、いろんなことができる様になりました。とにかく何でもできる。スマートフォンがあれば。スマートフォンで、出来る事は実にいろいろありますね。単なる電話機として使うだけではなく、メールを使って文字でコミュニケーションを図ったり、テレビ番組は動画サイトで見ればいい。中には絵をかいたり、写真をとったり、音楽を作ったりできるアプリもある。また、通販サイトを見れば、何でも気軽に買うことができますね。洋服も、日用品も、何でも。かえって店頭にないものを通販ですぐに入手してしまうこともできます。店でなくても、メルカリなどのアプリを使えば、ほしいものを見知らぬ他人から、入手してしまうことができたりします。
スマートフォンだけではありません。医療関係も、すごい進歩していますね。抗生物質があれば、大体の感染症も治せますし、がんの治療だって、かなり重度のがんでも、手術して摘出することができますね。現在は、遺伝子を操作してがんになりにくい体になることもできてしまうと、あるテレビ番組で言っていたことがありました。
そのほか、毎日生活していく中で、機械化も進んでいますし、AIによって人件費を解消したり、大量生産を可能にしたり、いろんなものが安く、大量に作れるようになって、何でもお金を出せば気軽にホイホイと手に入れられる様になりました。つまりどういう事かと言いますと、楽して長生きができる様にできるようになったという事です。なんでも便利な世の中になり、自分は何もしなくても、スマートフォンやら機械やらが代わりにしてくれる。
しかし、これって、果たして良いことなんでしょうか。私にはわかりません。便利になれてよかった。つらかった作業をしなくてもいいんだ。そういって喜ぶ人は数多いでしょう。それはそれでうれしいことですから、悲しむことではないのかもしれない。
しかし、人間というものは完璧なものではないようです。どうしても人間というものは、感情というものがある。これのせいで、人間は、何回も間違いをするんです。人間は、理屈ではなく感情でないと動かない動物ですから。例えば理屈動という言葉はありません。感動という言葉ならありますけど。いつの時代になっても、理屈動という言葉が、出てきそうな気配がありません。という事は、理屈で人間を動かした、というケースはまだまだないという事ですね。
そして、感情の動物であるのと同時に、記憶の動物でもあるのです。楽をして助かったという感情を覚えてしまう。それは、良いことにつながることもあるけれど、果たしてどうなのでしょうか。もし、スマートフォンで電話をしなくてもメールで正確な答えを伝えられるなら、電話なんていらないや。なんていう気持ちがわいてくる。機械のほうが正確に動いてくれるから、私が作る必要は無いや、今日は電子レンジで、出来合いを作っちゃおう。そういう気持ちもわいてくる。
それが蓄積されていくとどうなるでしょう。それでは、何をするにも面倒、面倒、面倒という言葉が付きまとってくるでしょう。それにこたえるために機械がとにかく出現してきて、もう人間は、機械に囲まれて、たった一人でも生きていくことができる様になるのかもしれません。
しかし、前述した通り、人間は感情の動物です。理屈で何でも処理できる、という能力は持っていないのです。便利になる道具はたくさん発明することができますが、寂しいという感情を消してくれる道具は果たしてあるでしょうか?そこをよく考えてみてください。
寂しい気持ちはなぜ発生するのでしょう。それは、人間がいないから起こる感情ですよね。人間は一人になりたいところもあるけれど、基本的に誰かがいてくれて、安心できるという感情は誰でも持っている。どんなに一人が好きな人だって、たまには誰かがいてくれるほうが、安心できる、という気持ちが発生することはあると思うんですね。だって、どんなに便利なアプリがあっても、出会い系のサイトというものはなくなることはないですね。それはやっぱり人間は人間の存在を求める動物であるからでしょう。
ですから、いくら便利な世の中になっても、寂しいという感情が発生しない方法は全く伝授されていないのですから、其れは残ってしまうのでしょう。それでは周りがどんどん便利になって、寂しいという感情がどんどんどんどん広がってしまうような気がするのです。
ですから、私の意見では、もうこれ以上便利にはならなくてもいいのではないのかと思うのです。実は、人の不幸であっても、自身にとっては、プラスになることだって十分に転がっているのです。何かものを求めることによって、人と人がつながり、其れが重大な友情をはぐくむこともあるでしょう。人が一人亡くなったことによって、別の人とつながりが得られ、立ち直るという事例もあるのです。よいことであろうが悪いことであろうが、人はそういう事をして生きているのです。
しかし、便利な世の中になることによって、その人間同士のつながりと言いますものがどんどんどんどん失われているような気がしてなりません。人がつながる大事なきっかけというものがなくなっている。それが今の世の中ではないかと思うのです。その結果寂しいという感情が蓄積され、其れをためきれなくなると精神疾患などが発生してしまう。そして、無差別殺傷事件のようなことも起きてしまうのでしょう。最近大量殺人が話題になっていますが、そういう事件を起こす人たちは、人と接することを阻害され、閉じこもってしまった人であることが多いですね。そうなると、命の大切さもわからなくなり、怨恨だけが大きくなってしまう。それで、大規模な殺人事件も起きてしまう。そういう意味からも、もう便利なシステムは作らないほうが良いのでは無いか。と、思います。これ以上技術の発展を望むよりは、人間を大切にすることを、教え込んでいったほうが良い。私はそう思います。

コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品