ヴェルシュタイン公爵の再誕~オジサマとか聞いてない。~【Web版】

藤原都斗

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 オーギュストさんのお母さんと、また夕食の時に食堂で会おう、という約束を、クリフォードさんとして交わした後、書斎を出た。

 背後で扉が閉まる音が聞こえてから、老執事さんへと視線を送る。

 「...申し訳ございません、説明をしようとは、何度も思ったのですが、どうにも...」

 歯切れ悪く、どこか落ち込んだ様子での老執事さんの返答に、溜息が零れそうになった。

 「......そうか、母上はもう...」

 溜息の代わりに、呟くみたいな感じで、そんな言葉が溢れ出る。

 クリフォード・ヴェルシュタイン。
 ヴェルシュタイン家先代当主で、オーギュストさんのお父さんの名前だ。
 記憶を辿れば、頭の中に反響したのは、幼い実の息子に向けたとは思えない程、冷たい声。

 『貴様はヴェルシュタイン家に相応しくない』
 『本当に私の子か?』
 『その位の事も分からないのか』
 『触るな、汚い』

 小さなオーギュストさんを、ヴェルシュタイン家に相応しい人間にする為にと、無駄にスパルタな教育を施していた、厳格、冷徹、そして冷酷な、オーギュストさんのお父さん。

 『おとうさま、ぼく、いいこになります、だから』

 無関心で、触れる事さえ拒否された。
 母親に甘える事も許されず、父親の用意した厳しい家庭教師に囲まれながら幼少期を過ごしたオーギュストさんにとって、父親という存在は絶対だった。

 『ぼくのこと、きらいでもいいから』

 そんな人と間違ってしまう程に、今のオーギュストさんの姿は似ているのかもしれないけど、何だか嫌だ。

 頭の中に反響する小さなオーギュストさんの切なる声に、自然と眉間の皺が深くなってしまった気がした。

 記憶では確かに、オーギュストさんは父親似だ。
 亡くなった年頃も、今のオーギュストさんくらいだった。

 だけどいくらなんでも、実の息子を、自分の夫だと思い込むなんて、一体誰が想像出来ただろう。
 オーギュストさんは学校に通うようになるまで、母親から引き離されて教育されていたからか、両親の仲がどんなだったか、イマイチ記憶に無い。
 でも、多分、父親はともかく、母親は、オーギュストさんのお母さんは、夫であるあの人を愛していたんだろう。

 ちらっと執事さんを見ると、顔色が悪かった。
 この様子だと、彼も知っていたんだろう。

 まあ、二人共まさかこんな事になるとは思ってなかっただろうけど。

 オーギュストさんがショックを受けるだろうからと、何も言えなかったのかもしれない。

 まあ、そりゃあそうだ。
 自分の母親がこんな事になってるなんて、ただでさえジュリアさんの事で参ってたオーギュストさんが知ったら、また壊れてしまったかもしれないし。
 オーギュストさんは父親に愛されなかったけど、母親であるあの人には愛されていたし、オーギュストさんは結局、両親ふたりが大好きだったから。

 予想ばっかりで実際それが真実なのかは定かじゃないし、可能性の話しか出来ないのが、なんか、つらい。

 「...いつからだ」

 「...兆候は二年ほど前からございました、...現在はほぼ毎日あのような様子で...」 

 「...そうか」

 老執事さんの、なんとも言えない返答に、そんな呟きしか返せなかった。

 うわあああぁ...マジかあああぁ...。
 いや、うん、なっちゃってるのは仕方ない、仕方ないけどさ、なんでこうなっちゃってるの、オーギュストさんのお母さん。

 ええぇぇええ、もうこれさぁ、どうしよう?どうしたらいいの?何が正解?マジで分からん。

 脳内でだけ大声で大袈裟に嘆く事で、複雑な気持ちを誤魔化すけど、声に出せないからやっぱりなんか微妙だった。
 そこでふと気付く。

 あ、そうだ、お医者さんは?診てもらったよね?

 「医師は、なんと?」

 「...心因性のものではないか、との事です」

 あぁなるほど、ストレスか。
 そんなん絶対オーギュストさんが原因じゃないか。
 実際オーギュストさんのせいかどうかは不明だけど、十中八九オーギュストさんのせいでしょ。

 なんか、自分の事じゃないんだけど申し訳無い。

 でも、心因性って事は、原因になってるストレスが無くなれば、ある程度改善される可能性がある。
 治療法としては少し心許ないけど、希望があるだけまだマシだろう。

 あの様子だと、心の病気か、もしくは現代でも問題になってたあの病気か、どちらかになっちゃってるんだろうけど、詳しい事は主治医に聞くしかなさそうだ。
 近々、主治医の先生と病気について、それから治療法について、色々と話し合う事にしよう。

 専門家じゃないし、医療系の知識は演じる役柄に必要そうなくらいしか無いのが悔しい。
 ある程度は勉強してたけど、広く浅く、テレビやネットで仕入れられる程度の知識しかない。
 本なんて、学校の教科書と台本くらいしか読んでなかったのが、今になって悔やまれる。

 いや、こんな所で知識が必要になるなんて思わないから仕方ないんだけどさ。

 っていうか、一個いいかな。

 「ローザ、...ロザリンドとミカエリスに、この事は?」

 他のご家族には知らせてるよね?
 妹さんと、息子さんに知らせないってのはちょっと無いと思うんだけど。

 「...勝手ながら、まだ、伝えておりません、知らない方が心安らかにあれるかと愚考致しまして...」

 「...そうか」

 あー、うん、まあ、仕方ないか。
 妹さんにとってはお母さん、息子さんにとっては、おばあちゃんがこんな事になってるなんて、どう考えたってショックだろうし。 
 ただでさえ肉親のオーギュストさんが頭おかしくなってたのに、その上おばあちゃんまでとか、しんどすぎる。
 それでも、近い内に知らせた方が良いと思うんだけど、...二人共物凄くショック受けそうだなあ。

 しっかしなー...仕方ない事なんだけど、なんていうか、...やるせない。

 あー、なんだろう。
 泣きそう。

 いや、泣かんけど。

 今泣いたらオーギュストさんの威厳的な何かがぶっ壊れる気がする。
 それはちょっと避けたい。

 そこで、ふと気付く。

 あれ、なんで私まで落ち込んでるんだろう。
 本来なら、助かった、って思う筈なのに。

 だって、オーギュストさんの変化に気付かれる事無く過ごせるって事は、その分の負担が減ったって事だ。
 それは喜ばしい事の筈なのに、何故か泣きそうになってる自分が居た。

 ...それでも、これも仕方ない事なのかもしれない。
 なにせ私は、壁らしい壁にもあんまりぶつかった事が無い、現代日本人。

 まるでドラマみたいな出来事を実際目の当たりにして、ショックを受けない訳が無い。

 弱い自分に、嫌気が差した。

 ...だけど、いつまでもショックで落ち込んでる訳にもいかない。
 私にはまだやらなきゃいけない事が山ほどあるんだから。

 よし、頑張って切り替えよう。
 頑張れ頑張れ!出来る出来る!やれば出来る子なんだよ私は!ファイト!

 必死に自分を鼓舞しながら、無理矢理に頭を切り替えた。

 今はとりあえず、今日の予定を終わらせてしまおう。
 落ち込むのは後でも出来る。

 とにかく落ち着く為にと息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
 すると、少しだけマシな気分になった気がした。

 気のせいかもしれないけど、それでもマシになればそれでいい。
 落ち込んでしまった気分を振り切るみたいに、無理矢理言葉を口にした。

 「...夕食の前に、会っておきたい者が居る」

 私はその人に会う為に、ここに来たんだ。







 老執事さんは、既に別館でその人と会う手配をしてくれていた。

 案内は執事さんに任せて、老執事さんには、馬車の荷物の確認を頼んだ。
 特に理由は無いけど、12年もの間お世話を掛けたお詫びとして少しでも楽をさせたいと言ったら、老執事さんは、どこか誤魔化すみたいに朗らかに笑って送り出してくれた。
 それから、近頃腰が痛くて痛くて、とも続ける老執事さんに、執事さんが若干微妙そうな表情を向けていたけど。

 さすがは国で王様の次に偉い家、と言うべきか、確かに老執事さんにはキツイんじゃないかと思う程度には、別館まで距離があった。

 お城みたいなオーギュストさんの実家には現在、領地を任せっきりにしていた、とある人物が居る。

 執事さんがオーギュストさんの右腕なら、その人は左腕、という間柄で、この土地で共に生まれ育った乳兄弟というやつだ。

 別館の客間の前まで来た時、ふと、くぐもった話し声が聞こえた。

 「どうやら、先客が居るようですね」

 冷静な執事さんの言葉に、なるほど、と納得する。
 いくらアポを取ってても、結局は領地を何もかも任せっきりにしている訳だし、やっぱり多忙なんだろう。

 とか考えた次の瞬間、オーギュストさんの凄すぎるスペックの耳が、室内で聞こえ難くなってる筈の会話を拾ってしまった。

 『それでは、どうぞこちらをお受け取り下さいませ』
 『ほほう、殊勝な心掛けですな』 

 ......うん?

 『いえいえ、その代わり、今期はどうぞ我が商会をご贔屓に...』
 『なるほどなるほど、これはこれは。
 はっはっは、中々のワルですなぁ』

 .........あれ?、なんか、気のせいかな?

 『いえいえ、アーネスト殿ほどではございませんよ』 
 『いやいや、そちら程では...』

 待って待って、なんか時代劇の某悪代官と悪い商売人みたいな会話聞こえてくるんだけど!?


 

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