ヴェルシュタイン公爵の再誕~オジサマとか聞いてない。~

藤原都斗

6

 




 父が意識を取り戻したと聞いたのは、ある日の午後の事だった。

 私の父は王に次ぐ権力を持つ、公爵位の貴族だ。
 そして、その地位を利用し、誰にも分からないように私腹を肥やす、最低な男。
 領民から不必要に税を徴収し、その血税を使って浪費を重ね、醜く肥え太った姿は、まるで家畜のようだった。

 国に仇なすロードリエス伯爵に裏から支援しているという事実に気付いた時は、殺意さえ湧いた。
 国を護る騎士として名高いヴェルシュタイン家の当主でありながら、何故こんな男が父なのか。

 ...物心付いた頃の父は、そんな男では無かった。

 強く、気高く、聡明で、誰よりも輝いていた。
 その姿に憧れ、騎士になろうと必死に鍛錬したものだ。

 だが父は、母が亡くなってから変わってしまった。

 初めの頃は幼いながらも、元に戻って欲しい一心で必死に呼び掛けたりもした。
 だが、時が経つにつれて、その気持ちは諦めとなり、最後には嫌悪となった。
 私の声は、父には届かなかった。

 ひと月前、そんな男が病に倒れたと聞いた時には、これでようやくあの男も母の元へ行けるのだから本望だろう、などと考えるくらいには、疎ましく思っていた。

 そんな父が、死に損なったらしい。

 一応息子なのだし、このひと月の間一度も見舞いにすら行かなかったのだから、顔を見せるくらいはしなければならないと判断した私は、騎士団の仕事が終わったその足で、屋敷へと向かった。




 屋敷へと到着すると、ふと、いつもと雰囲気が違うような気がした。

 だが、何が違うのかは分からなかった。

 その時は深く気にせず、父の執事であるアルフレードに父との面会の取り次ぎを頼んだ。
 そして、案内されたのは、書斎。

 あの暗愚な男が書斎で一体何をしているというのだろう。
 そう考えられたのは、その時だけだった。

 開かれた扉の先、そこに居たのは、記憶の中に居る憧れた父の、少し歳を重ねた姿。

 醜く肉に弛んだあの嫌悪感を煽る姿などでは無い。
 むしろ、そんな姿だったとは想像も出来ない程に、精錬された立ち姿。

 落ち着いた藍色を基調とした貴族服に、青みがかった銀髪をオールバックにしていて、本を手に、私を見ている。

 ひと月の間に一体何があったのか、一度も見舞わなかった私には知る由もないが、確かにそこには、私が小さい頃目標とした、父が居た。

 「...父上」
 「ミカエリス、か」

 呆然と呼び掛けた私の声で、私自身も現実へと意識が戻って来る。

 一体何を呆けているのだ、姿が変わった所で、中身が当時のように聡明かどうか、分からないというのに。

 「ただいま、戻りました」
 「そうか」

 緊張からか、心臓が早鐘のような速度で動いている事に気付く。
 目の前の父の静かな態度に、動揺を隠すだけで必死だった。

 「まずはご快復、お喜び申し上げます」
 「そうか」

 たったそれだけ。

 それだけなのに、プレッシャーに押し潰されそうになる。

 いつもならば、小馬鹿にしたような腹の立つ嫌味が飛んで来て、それに嫌々ながら答えていたというのに。

 ......ええい!何を萎縮しているのだ、私は!

 「......父上」

 「なんだ」

 意を決して声を掛けると、氷のような蒼さの瞳が私を見つめ返した。
 また幼い頃の事を思い返しそうになって、必死に現実へと意識を向ける。

 駄目だ。

 いくら姿が昔を取り戻しても、アレはあの暗愚な男なのだ。

 「私に、何か言う事は無いんですか」

 睨み付けながら、告げる。

 すると、普段なら訳の分からない暴言と嫌味を言う筈のあの男は、私の思惑を他所に、冷静に口を開いた。

 「.........ふむ、何が言いたい」

 静かに私を見下ろしながら腕を組み、先を促す。

 いつもとは違う、懐かしい声音。

 だが、騙されるな。
 信じた所で、落胆するのは私なのだから。

 必死に、自分へそう呼び掛けながら、キッと目の前の男を睨み付けた。

 「...ロードリエス伯爵に行われた、支援の件についてです」

 キッパリとそう告げる。

 「...騎士団に専念するのではなかったのか?」

 普段なら此処で、貴様には関係無い、だとか、余計な口出しをするな、などと喚き出すのが日常となっていたが、返って来たのは、そんな静かな言葉だけ。

 「...父が国に仇なす輩に支援などしなければ、こんな事は言いません」

 「なるほど」

 父は、私の言葉に怒る事も無く、どこか納得したように頷くだけだった。

 ......この変化は、一体なんだというのか。
 読めない。この人の深意が、分からない。

 「一体なんのおつもりか」
 「ミカエリス」

 焦りの余り、柄にもなく声を荒げそうになった私を、目の前の男は私の名を呼ぶ事で落ち着くよう促した。

 ...これではいつもと逆ではないか。

 「......なんですか」

 憮然としながら言葉を返す。
 すると目の前の男は、冷静に、そして、どこか怪訝そうに口を開いた。


 「今更、何を言っている?」


 頭を殴られたんじゃないかと錯覚するくらいの、衝撃だった。

 今更。
 そう、確かに今更だ。

 今まで、苦言を呈した事はあった。
 伯爵の件に関しては2度目になる。

 だが、私は今まで、それ以外に何をしていただろうか。

 何も、しなかった。
 していなかった。

 しようとすら、しなかった。

 それに気付かされた時、この身を襲った感情は、悔しさと、悲しみだった。

 そして、気付きたくなかった事実にも、気付いてしまった。

 私は、諦めていたのではない。

 逃げていたのだ。

 父が変わってしまった事も、私の声が届かない事も、理解していたが、認めたくなかったが故に。

 父を嫌悪する事で己を正当化し、自分自身を甘やかしていた。

 無様にも、本人に指摘されるまで自覚が無かったのだ。
 己の未熟さに腹が立ち、失望感さえこの身を襲う。

 ...だが、もしも、まだ間に合うなら。

 「っ、確かに、今まで騎士団ばかりで、家を放っておいた私に、こんな事を言う権利は無いでしょう。......ですが...!」

 ぐっと拳を握り締める事で、なんとか感情を制御しながら、言葉を続けた。

 「今日こそ、言って頂きたい!、あなたは、何故、あんな事をしたんですか!」

 知りたい。
 この男の、父の、深意が。

 じっと目の前の男を見つめると、静かに見つめ返されている事に気付く。

 どれくらいそうしていたのか、一瞬にも永遠にも感じた空白の時間。
 ふと、男が口を開いた。

 「ふん、あんな小物、気に掛ける意味も無かったがな」

 「な...!」

 予想外過ぎる言葉に、頭の中が混乱で覆い尽くされる。

 一体どういう事だ、何もかもが計算されていたとでもいうのか。
 だがそれはあり得ない、ならば、今までのあの暗愚な父は、一体何だったというのか。

 必死に混乱を抑えようとしている私を尻目に、父は、ふと、小さく嗤った。

 「...いや、意味はあった、か」

 その表情は、どこか悲しげに見えた。

 「...父上?」

 私の呼び掛けで、少しだけ逸れていた父の視線が、私に戻される。


 「ミカエリス、お前にとって、ジュリアはどのような母だった?」

 「...なんですか、唐突に」


 何故突然、亡くなった母の話になるのだろう。


 怪訝に思いながら父の表情を見つめると、当の父が、儚く、笑った。


 「...私にとって、彼女は太陽で、全てだった」

 切なく、悲しく、そして、懐かしそうに、微笑う父の姿。

 「国など、どうでも良かった。全てを捨てても、構わないくらいに」


 それが、その言葉が、全ての理由だと、理解させられた。


 「...まさか、貴方は、それだけの為に」


 父は、それ程まで母を愛していたのか。

 だから、国を敵に回すような事ばかり、していたと?


 「自暴自棄に、なっていただけだがな」


 そう言って、自嘲するように、父は嗤う。


 父は、母が亡くなった時から、変わってしまった。
 それは、周知の事実で、父が母を愛していた事も、周知の事実だった。

 だがそれはつまり、母を深く愛し過ぎていた故に、余りにも悲しい現実を受け入れられず、結果、ああなってしまっただけだったという事。

 父は毎日、想像を絶するような悲しみと、闘っていたのだ。

 私は、父を理解しようとすら、していなかった。


 「...もう一度聞こう、お前にとって、彼女はどのような母だった?」

 再度尋ねられ、胸が苦しくなる。

 私には、自分の全てだと思えるような女性との出逢いも、恋愛の経験も無い。
 故に、父の気持ちは殆ど理解出来ないが、当時、とても幸せそうだった二人を毎日のように見ていた事を思い出す。

 「物心、付いた頃だったので、...余り記憶が、ありません...。
 ですが、誰にでも優しく、聡明で、...公爵夫人として相応しい、...母の鑑のような、美しい、人、だと思っていました」

 可愛らしく微笑む母と、そんな母を見て、いつも冷徹だった顔を、幸せそうに緩める父の姿が脳裏を過ぎる。

 そんな二人の姿を見るのが、とても好きだった。

 いつか自分も父のようになって、母のような女性を妻にするのだ、と、侍女や乳母に語っていたあの頃の私。

 嗚呼、もしかすると私は、ずっと拗ねていただけだったのかもしれない。

 母が亡くなって、父は私を、全くと言って良い程、見てくれなくなった。
 母が亡くなった事も悲しかったが、そんな父の姿は、幼い私には追い打ちのように感じただろう。

 故に、そんな父を嫌悪する事で、幼い私は己の心を守ったのではないだろうか。


 「...そうか」


 父は、私の言葉に納得したように呟いた。
 そして、とても悲しそうに、嗤う。


 「私は、彼女の愛した全てを、壊そうとしていた」


 嗚呼、この人は、もうあの暗愚な男ではない。


 「決して、許されはしないだろうな」


 私が憧れ、背を追った、父だ。


 「父上...」


 切なく嗤う父の姿に、涙が出そうになった。

 ふと、私から外れていた父の視線が、私へと向けられる。


 「ミカエリス、お前はもう、自由だ」

 「どういう、事ですか」


 静かに告げられた父の言葉。
 意味も真意も分からず、つい困惑してしまい自然と眉間へ皺が寄る。


 「私は賢人となった。ゆえに、お前が家督を継ぐ必要が無くなった。
 ...だが、お前が家督を継ぎたいと言うなら、私は喜んで引き下がろう」

 「な...!」

 父の言葉を理解すると同時に、絶句した。

 父は、この人は、一体何を言っている?

 「全て、お前の自由だ」

 何もかも諦めたような表情で告げられる父のそんな言葉。
 途端、一気に、頭に血が昇った。

 「勝手な事を言わないで頂きたい!」

 勝手だ。
 この人は、本当に自分勝手だ!

 「自分で壊しておいて、滅茶苦茶にしておきながら、私に任せて、また投げ出すと言うのですか!」

 何もかも諦めて、隠居でもするつもりだとでも言うのか。
 ふざけるな、そんな事は私が許さない。

 「......民は私を許さないだろう」

 「そんなモノがなんだと言うのです!」

 「...ミカエリス」

 キッパリと言い放つ私に、父が、どこか困ったような表情で私の名を呼ぶ。

 確かに民からの信頼を取り戻すのは容易では無いだろう。
 だが。

 「小さい頃、私が憧れ、背を追い、見ていた貴方は、そんなに小さくなかった!」

 高潔で、真っ直ぐ、誰よりも気高い、自慢の父。

 「......だが、お前も、私を恨んでいるだろう」

 「ええ!恨み、憎み、蔑みました!だけどそれは、今の父上、貴方では無い!」

 ひと月前とは違う、自分を取り戻した本来の父を、どうして嫌う事が出来るだろうか。

 「.........本気で、言っているのか」

 「本気です!」

 睨み付けるように父を見つめながら、そして、私の本気が伝わるように祈りながら、そう言い放つ。


 すると、父はじっと私を見つめながら、また静かに口を開いた。


 「また、いつ、どうなるか、分からんのだぞ」


 ...父が完璧な人では無い事は、この12年で嫌という程理解させられた。
 だというのに、今更ながら父は、私を気遣ってくれている。

 自分が、また元に戻るかもしれない、という不安と闘いながらも、息子にこれ以上の迷惑を掛けたくないと。

 その父の気持ちに、胸の奥が暖かくなっていくのを感じた。


 「ならば、私は貴方を支えましょう、小さな頃から、私はその為に頑張っていたのだから!」


 ぐっと拳を握り締め、それを自分の胸に押し当てながら、父を見据える。


 「道を間違えそうになったら、今度こそ、息子である私が止めてみせる!もう、私は無力な子供ではありません、父上!」


 私がそう言い放つと、父は少しだけ驚いたような表情を浮かべた後、困ったように少しだけ微笑んだのだった。


 

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