マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-165【ハプスブルクという男】

 ハプスブルクは幾度となく、自らの目と耳で、人類の絶望を垣間見たのだという。決して潰える兆しのない魔物という存在。どれほど奴らを駆逐くちくしようとも、それを上回る頭数で以て押し寄せてくる。もはや撲滅ぼくめつの術はなく、人類はただ少しずつむしばまれていくのみ。

 そんな絶望感の只中にあって、ハプスブルクが宰相さいしょうの立場に収まってからというもの、アウラの王ヴァイロンは彼に『勇者ノ剣計画ソードオブザブレイブ』の詳細を知る権利を与えた。魔術の大老であるメルランの計画は、彼の目に極めて画期的に映った。魔物という災厄さいやくの存在は、創造主の消滅とともに沈静化されるのだと。

 しかしそこに、一つの問題が立ちはだかる。創造主はこの世界の支柱であるという事実だ。主を討ち滅ぼすのはいい、だが支柱を失ったその先の世界はどうなるのか。その問題への糸口を掴むため、ハプスブルクは宰相さいしょうという立場のかたわらで、長年の暗躍あんやくを続けた。

 そしてついに、彼は一つの解決策を考案した。それは神の目を盗み、その力を掠め取るという策略だった。その結果、神の支配は継続されるものの、それを甘んじて受容することで世界の秩序は保たれ、しかし神の持つ超常の力を逆に利用しようというのだ。

 その鍵となるのが、魔王だった。世に魔王と称される者、その実態は、単なる悪逆非道な魔物の王という姿ではない。むしろその逆で、始原の勇者一行の一人だった経緯を持つ者だ。その最期は、神の力の源が氾濫はんらんを起こさないよう、栓を閉める存在となった。彼がいなければ、この世界はまたたく間に崩壊していただろう。

 つまり、魔王を媒介ばいかいして神の力を引き出す。これで人類は魔法や文明に続く新たなる力を手に入れることが出来る。だがそのためには、神の監視の目をあざむかなければならない。そのために用いるもの、それがアクセルだった。

 魔王の代行者である彼こそは、唯一魔王に干渉できる存在。神の力の栓を担う魔王をコントロールできる者、それは即ち神の座に就く権利を有するということ。神の持つ監視の目は極めて機械的であり、神の基準と照らし合わせて権限を持つかどうかが重要となる。つまり、現在この世界を牛耳ぎゅうじっている神の手先を潰し、その立場にアクセルを据えることで、少なくとも神の力を行使する権限は人類に渡ることとなる。その力の途方もなさは人魔大戦でも目にした通りであり、その神の力さえあれば、魔物がどれほど強大であろうと恐るるに足らぬ存在と成り果てよう、という結論がハプスブルクの見解だった

 そして、その神の力を出力する手段となるのが、ウルリカの持つ星鍵だった。

 ゆえにハプスブルクは星鍵のレプリカを造り上げた。原物と同等の機能を有する呪物ウィッチガイドを。しかし、レプリカを用いるには大きな壁が立ちはだかる。それこそが神の許し、つまりは権限だった。オリジナルの星鍵は旧主の権限因子なるものによって、それをクリアすることが可能。しかし、ハプスブルクの持つ星鍵は飽くまでもレプリカ、物理的な手段で旧主の権限因子に匹敵する権利を有することは決して無かった。

 しかしここにきて、やはりというべきか、それをクリアする存在が咒術じゅじゅつだった。星鍵を握る勇者ウルリカと、魔王との接続者であるアクセル、その両者が明確に星鍵のレプリカを認識すること。その認識がレプリカでしかなかったハプスブルクの星鍵を、星鍵足りうる概念へと昇華させ、概念を現象する咒術じゅじゅつを用いることで、神の力を行使する権限を偽造することが出来るのだ。メルランが咒術じゅじゅつを禁忌とした理由の一つは、彼のような企みを持つ人間が現れることを危惧きぐしたからなのかもしれない。

 何にせよ、ハプスブルクがここ楼摩ろうまの地に渡った目的の一つは果たされ、残すは『勇者ノ剣計画ソードオブザブレイブ』の成就じょうじゅのみと相成った。ただし、彼もまた自らの大願と勇者の目的に揺れ動く者。どちらも本質的には正しく、そして危うい選択と言えよう。神の不在がどこまで世界に影響を与えるかは定かではない。だが、神の目を盗むことで人類が神の力を獲得し、仮に魔物の脅威きょうい排斥はいせきできたとて、持続可能性を担保した社会が築けるかどうかも定かではない。どちらを選んだところで、問題は山積を続けるのが世の常なのだろう。

 未来は二つに一つ、ではどちらを選ぶべきか。リターンとしての目的達成という本義がどちらも変わらないのであれば、ハプスブルクはリスク回避の可能性を真っ先に選ぶ。それが神の目を盗むという選択だったのだ。彼にとってはただ、それだけのことだった。

 かくして、ハプスブルクという男は『勇者ノ剣計画ソードオブザブレイブ』を利用する決意を固めた。比較的予測が立ち、対策を立てられ得る方角に舵を取ったのだ。それはやはり、宰相さいしょうという国家を背負う男であるがゆえの判断なのだろう。曰く、「優れた者の為に、自ずと舞台がやってくる」と宣う。その言葉が指し示すものとは、ハプスブルクなる男の人格には典型的な優生思想とともに、当為ゾルレンの精神が刻まれているということ。

 つまり、優れた者にこそ相応の難事が訪れるべきだし、それを乗り越えてこそ他を圧倒するだけの優れた能力なるものが初めて世に生かされる、という考え方をハプスブルクは持っているのだ。玉石混交の集団こそが社会を形作っているということはわきまえつつも、その中でも特に優れた者というのは、衆愚では決して解き明かせない暗礁あんしょうへと果敢かかんに立ち向かう義務があるのだと、この男は語った。

 それこそは己自身でもあるし、そしてウルリカ率いる勇者一行なのだと言う。そして、優れた者同士が競った結果として最後に残るもの、それこそが歴史を作るのだとも言う。ここに、瀬戸際外交チキンレースは公式となり、ハプスブルクと勇者一行は一蓮托生いちれんたくしょうの契りを交わしつつ、自らが目指す結末の為に競い合う好敵手と認めることと相成った。

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