マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-164【勇者、異邦に降り立つ-肆】

「――ええ、その認識で間違いないわ」

 ウルリカはアクセルに一瞥いちべつもくれず、ハプスブルクと視線を交わし続けながら、淡々と言い放った。しかし、それを認めるのは、とても苦しい決断だったのかもしれない。自らが命がけで為そうとしていることが、結果として邪悪の烙印らくいんを押されることになるなどと。

「ウルリカ……じゃあ、それを知ってて、なお――」

「――アクセル。それでもね、あたし達はその結末をまだ知らない、まだこの目で見てはいないの。確かに予想はできるけど、でも決して予測はつかない。そんな、どうにでもなるような末路に、あたし達はどうして怖じ気づかなきゃいけないの? いいえ、違うわアクセル。あたし達が本当に恐れるべきなのは、決断を先送りにして、ここで立ち止まってしまうことよ。時間はどうしたって待ってくれないけど、結果なんてのはやった通りになるだけ。臆した先は悪夢だけ――でも、進んだ先には未踏の未来が待ってるわ」

「……未来……」

 ウルリカ自身そうは言ったものの、神を失った先の世界を救済する手立てを持ち合わせているわけではない。しかし、支柱を失ったものが瓦解するのが節理だとはいえ、一切の手立てが残されていないと断言できないのも節理。そこに賭けるだけの価値はあると踏む。

「ハプスブルク、あんたがどんな詭弁きべんろうそうと、あたしは神の支配から人類を解き放つわ。弱きも強きも十把一絡じっぱひとからげに、人々は自らの足で立ち上がらなきゃなんないの。その先に立つ者にしか、この世界の存亡を憂慮ゆうりょする権利なんてないわ。じゃあなに? 聞かせてもらおうじゃないのよ。あんたはこの無間地獄のような神の支配を良しとして、未来永劫えいごう受け入れ続けるのかしら?」

 ハプスブルクに反撃を加えるウルリカ。そう、神による支配を受け入れ、この世界が維持されるとしても、現人類が永き繁栄を見るかどうかは神の胸三寸に委ねられてしまう。そうでなくとも、魔物の隆盛は年を跨ぐごとに増す一方。もはや決断は迫られているのだ。

「うん、勇者の覚悟は全くブレてはいないようだね。それを聞けて一つ安心したよ。もし、君の返答に躊躇ちゅうちょが見られたのなら――私もこちらを使わざるを得なかったところだよ」

 すると、ハプスブルクは白い燕尾服の懐から、一つの大きな鍵を取り出した。それは、よく見慣れたもの。そう、ウルリカが所持する鍵に酷似していたのだ。

「うそ、あんたそれって……」

「レプリカ、だよ。君の持ってる鍵のね」

 ハプスブルクはウルリカが腰に吊るした大きな鍵を指さしてそう言った。彼女はその鍵を手に取って、二つの鍵を見比べる。その大きさ、その形状、その無骨さ、その全てが瓜二つだった。

「レプリカですって? ってことはあんた、これが一体何なのか、知ってるってわけ?」

「なるほど、ここに至ってまだこの鍵の正体を知らないときたか。全く、あの大老は生真面目に過ぎるというか、勇者に忠実な男だね。であれば、私から言うことは何もないよ。そもそも、私が彼の計画を邪魔立てする理由はない。過程は共同体、結果のみが対立しているのだからね」

 無邪気なようで不敵な笑みを浮かべるハプスブルク。

 メルランの言っていた通り、瀬戸際外交チキンレースとはこのことのようだ。彼の言葉から察するに、勇者の功業が終幕を迎える、その時こそが彼の謀略の発動タイミングなのだろう。

「……つまり、あんたは『勇者ノ剣計画ソードオブザブレイブ』の成果を掠め取ろうってことのようね。でも、あんたが危惧する神の居ない世界、それを回避しつつも、人類の自由と存続を神から奪取するだなんて、何を企んでるわけ? 計画に横やり入れたくらいで可能になるものなのかしら?」

「ふむ、私の企みを君達に告白する義理は?」

「簡単よ、全然フェアじゃないわ。こっちは計画も実情も覚悟も筒抜けなのよ? タダであたし達の気概を試せるとでも思ってたわけ?」

 ウルリカの極めて感情的な、あまりにも一方通行な物言いに、ハプスブルクは思わず吹き出してしまう。だがそんな情緒的言動は、意外にもツキシロのような実直な者にこそ効いたようだ。彼はハプスブルクの隣で目を瞑りながら、静かに微笑んでいた。

「はっはっは! フェアじゃないときたか。でも確かにそれは道理だね。いや、道徳と言った方が適切かな。君は実に地の利の生かし方を心得ている、ツキシロ君まで味方につけらてしまっては、私も立つ瀬が無いといったもの。なるほど、君という人間をして、なぜ情緒に訴えかけてくるような交渉を、わざわざ私にかけてきたのかが分かったよ」

 私のお手上げだ、と言わんばかりにハプスブルクは諸手を挙げる。無論、どうあれ彼が口を割らなければ、ウルリカ達との対立構造に干渉しようとしなければ、彼の質的優位は依然変わらないはずだった。

 しかし、それでもあえて降伏を選んだのは、敬意だった。決して感傷からくるものではない、前述のように自らの立場を配慮してのものでもない。ひとえにウルリカという弱冠にして才知溢れる、小さな勇者への敬意を払った行為だった。

 選民思想ではないにせよ、ハプスブルクは優生思想を持った人間。弱者を一々無体に扱うことはしないが(時間の無駄という判断から)、分不相応と見れば即座に切り捨てるだけの合理性と冷淡さを持っている。そんな冷血と表現すべき人間ではあるものの、自らが認めた者に対しては、相応の礼を尽くすだけの良識は持ち合わせているようだ。

 そうして彼は相も変わらず淡々と、自らの計画を告白し始めた。

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