マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-159【魔王が見せたヒトの夢-弐】

 翁の喚呼かんこ木霊こだまする、「その身を以て炉心を閉じよ、これこそは世界を幾度となく滅ぼした業火の源なり。そして貴公よ――現世と冥府とを繋ぐ架け橋と成れ」と。だから僕は、祈りを捧げた。冥府へと旅立っていった我が友のために。その祈りに魔力が呼応する、僕の朽ち果てかけた肉体はその姿形を大樹へと変容していく。現世と冥府の狭間に根差すように、僕の名を冠した大樹の根は光輝く炉心を包み込み、地に開いた大穴を塞いでいく。包み込んだ炉心から、膨大な力と記憶が僕の中に流れ込んでくる。それは創造主に刻まれた記憶であり、そして僕達人類が積み上げてきた歴史であり、この世界の創世神話だった。

 力を無尽蔵に放出する炉心を得た大樹は、その根を星の隅々にまで行き渡らせる。地底に駆け巡る根は星全体に炉心の力を循環させ、世界を幾度となく滅ぼした業火の手綱たづなを握る。それはつまり、世界の覇権を握ることを意味する――僕はその日、魔王となった。

     *

 目が覚めて、勢いよく上体を起こした。息が切れている、額から汗が流れる。己の掌を眺めた、漆黒に染まった左手と、失われた右手。嗚呼、大丈夫……僕はまだ、アクセルだ。

 ベッドから起き上がり、真っ暗となった客員用デッキを見渡す。すると、とても簡素なベッドサイドテーブルにランタンを認める。それを手に取り、優しく握り締めるように魔力を込めると、仄かな火が灯る。

 少しだけ外の風に当たりたい、そう思ったアクセルは甲板に続く階段を登る。重々しい鉄扉を打ち開いた、その先には、

「――嗚呼、なんて……綺麗な……」

 天に瞬く無窮むきゅうの星々、それはただ果てしなく、いつまでも人の心を照らす一縷の雫。その彼方に見えるは、眩いほどに満ちた月影。なぜか自然と――涙が、零れた。

「涙……これは、君の……?」

 その涙は、アクセルのものではない。それは夢で見た、魔王アルトリウスの涙。そうそれは、友のために流した涙だった。太陽のような君に捧げる、月影に煌めくしずく

「――あら、アンタも風に当たりに来たの」

 ふと、その声のする方に目を遣ると、船首にたたずむウルリカがいた。包帯を解くには至っていないものの、ほんの数日でみるみるうちに回復しているようだ。昨日までの苦痛に歪む表情はすでに見られない。無論、魔力を急速回転させればすぐにでも傷の修復は可能だったが、楼摩ろうま到着までにはまだ時間が掛かる、不要不急な体力消耗は避けたいのだろう。

「ウルリカ……少しね、不思議な夢を見てしまったからさ」

「夢? ああ、もしかして……魔王にまつわる夢かしら」

 アクセルは甲板を進み、ウルリカの横につく。側端の縁に胸から寄りかかり、夜光虫が煌めくかのような星影たゆたう夜の海を眺める。

「うん、よく分かったね。多分あれは……彼の、古い記憶なんだろう。共に戦う仲間がいて、聖堂のような場所に行って、神様の手下みたいなのと戦って、相撃ちを覚悟で剣を振るって、親友の手で助けられて、まるで縮退魔境エルゴプリズムのようなものが動き出して、それを命懸けで阻止して、大きな樹の姿と化して……」

「アンタ、それ……」

「えっ……?」

 気付かぬうちに、再びアクセルの頬を濡らす涙。ふと自らの胸中に問いかける、しかし己の感情に大きな振れがあったわけではない。ならばこの涙は、

「これは……彼の、涙だね。その最期に後悔はなかったはず。でも、その別れは……辛かったんだと思う」

「ああ……そういう、ことね」

 それが意味するものとは、アクセルが意識レベルで魔王との接続を果たしているということ、もはや後戻りの出来ぬ地点まで来てしまっているということ。ウルリカにきびすを返すつもりなど毛頭ないのだが、改めてそれを意識すると、不意なもどかしさを感じてしまう。

「……わずらわしくないわけ? まるで自分を侵蝕してくるような気分じゃないの?」

「正直に言えば……怖いよ。自分が自分じゃなくなるような気がして。夢で見たものが、自分のものじゃない誰かの記憶だって理解しながら垣間見ていた。その時はまるで、アクセルって人間を全部捨て去ってしまったような気分だったんだ。僕じゃない意識や記憶の方が、あたかも自然であるかのような……そんな気分だったんだ」

 いずれ二者の意識は融け合う運命にあるのだろう。それがいつどのタイミングなのかはウルリカにも不明だったが、確定事項であることは間違いない。避けられない未来なのだろう。しかし、それでも彼女は、

「――駄目よ」

「えっ、駄目? それは、どういう……」

 アクセルはアクセルでいて欲しかった。アクセルである自分を、最期まで貫き通して欲しかった。それは出来るかどうかの話ではなく、ただの願望でしかない。祈りの範疇を出ない感情論。それでもウルリカは、彼に願い続ける。

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