マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-141【地に堕ちた偽神】

「ウルリカ様ァ!!」

 ルイーサが叫ぶ。天空に投げ出され、弧を描きながら墜落するウルリカだった。鋼鉄が赤熱するほどの大熱に当てられて、全身から蒸気を放っていた。生死は不明、巨神の放出した衝撃波と熱波を至近距離で受けて原形を留めているだけでも奇跡的だ。

「ルイーサ様、援護を!」

 ウルリカの姿を視認した直後だ。アクセルは抜刀し、寸暇の迷いもなく走り出した。彼の背中を追うようにルイーサがついて行く。その背中越しで、降り掛かる火の粉を撃ち落としていく。アクセルもまた迫り来る鉄塊を剣で払い落としていく。降り注ぐ鉄塊はこぶし大ほどの大礫が関の山。とはいえ、高速で飛翔するそれが直撃でもすれば、如何に全身を魔力で固めようとも、打撲や裂傷は免れない。紙一重で払い除け、躱しつつ、二人はウルリカの落下が予想される地点まで疾走した。

「あいつ、ら……勝手な真似を……!」

「お姉ちゃん! そんな状態だ無理だよ!」

 氷壁を乗り越えてウルリカの救助に向かった二人を、這いつくばりながらも追おうとするアレクシア。エレインは彼女を背後から抱きかかえるように制止した。

「姉様! 危険です、お下がりください!」

 イングリッドが注意を喚起した直後、彼方から無数の鉄塊が飛来する。アレクシアの目前にまで迫った鉄塊を、三度の氷壁が弾き飛ばした。

「……足が、動かねえ……」

「アレクシア……今の、俺達は……ただの、足手まといだ……下がろう……」

「……クソがッ」

 ジェラルドの至極真っ当な説得に対し、恨み節を吐くアレクシア。絞り出すような声が示す通り、彼女の足腰は立たず、振り上げた拳に力はない。エレインにその腕を担ぎ上げられ、ジェラルドとともに部隊後方へと下がっていった。

「……とはいえ、姉様のお気持ちはごもっともですわ。未だ矢弾飛び交う戦場をたった二人で駆けるなど、命を捨てるも同然。愚行も甚だしい――私達は私達の今できることをするだけ。だから……頼んだわよ。ルイーサ、アクセル」

 もはや背後に守るべき城郭はなく、うずたかく築かれた幕壁は無残にも瓦礫の山と化している。携える手を失って寂寞を湛えた城門だけが、辛うじて都市と外界を遮断する。それこそが連盟部隊にとっての絶対防衛圏、命を賭して守り抜くべき境界線。イングリッドの言う「私達の今できること」とは、たったそれだけ。敵を打ち倒すことでも、ましてやウルリカを救うことでもない。それらは全て彼らに託した。己の無力さに打ちひしがれるのは、戦いが終わってからでいい。だからせめて、自分達の成し得る目標を完遂しよう。そう連盟部隊の誰もが、そのような真摯なる意志を携えて、相対するべき神を見上げた。

 そんな彼らの視線の先に待っていたのもの、それは――絶望だった。

 嗚呼、そうか。私達が神の裁定だとか、報復だとか、怒りだと誤認していたものは、ただの始まりに過ぎなかったんだ。巨神はただ、重く鈍いその装いを、脱ぎ捨てただけだったんだ。改めて神と呼ぶには、奇怪に過ぎる肉の塊。神が神格を堕としてまで成り果てた、破壊者の姿。あれはもう崇拝すべき巨神ではなく、暴虐なる巨人。

「……あ、あ……」「何だ、あれは……」「怖い……怖い……」「まさに……破壊の化身」

 普遍の動物であれば通常身に纏うはずの皮膚を持たず、筋繊維が剥き出しとなった肢体。

「何なんだ、あの生物は……」「……アレは生物なのか……?」「寒い、寒気がする……」

 ヒトのように頭部はあるものの、本来なら眼や鼻、耳があるはずの箇所にそれは無く、頭蓋は半球状に窪んでいた。唯一ヒトと共通する頭部器官は口唇のみ。

「ヒト……?」「巨人……?」「いや、悪魔だ……」「音が、聞こえる」「哭いて、いる……?」

 彼らが耳にしたものは、なんびとをも畏怖させる、あの響きだ。言葉として形容するなら、神の慟哭アポカリプティックサウンド。腹部を圧迫されるほど低く、意識が緩慢になるほど鈍く、立っているのが億劫になるほど重い音。決して抗えぬ破滅の訪れを謳う音。

「……神話に語られる、巨神……あんなモノを、どう滅ぼせと……?」

 イングリッドは目を見開き、諦念の言葉を呟く。巨神が無機質な鋼ではなく、肉体を纏った生命として地上に降臨した瞬間から、彼らに一つの共通認識が芽生えた。我々が対峙していた相手とは、曖昧で神秘的な神という概念ではなく、世界を滅ぼす獣だったのだと。

 地に足をつけて屹立し、遥か高みから全景を見渡す。その視界に映る景色とは、ことごとくが叩頭こうとうする世界の姿か。だが、やがて認識する。この世に唯一、頭を垂れぬ不遜ふそんな輩が存在すると。ゆっくりと天を仰いだ、そして、神と呼ばれし獣は――咆哮する。

 巨神の放った一声は、天蓋を覆い隠す叢雲むらくもの全てを吹き飛ばした。夕闇に染まる空が現れ、赤焼けと漆黒が神を彩る。神は甚だグロテスクな外形ではあるものの、赤き闇に照らされたその様相は、終焉という概念そのものを表した絵画の如く。もはや一縷いちるの希望も抱かせぬ、煉獄の悪魔がそこにいた。

「イングリッド・ローエングリン、聞こえておるか?」

 絶望の淵に立たされたイングリッドの脳裏に、メルランの声が響く。

「……こちら、イングリッド。無論、聞こえておりますわ」

 彼女は努めて平静に応答する。しかし、その声は確かに震えていた。

「御大の眼には、見えておられるのでしょう? こちらの状況、そして神の姿が」

「把握しておる。偽神が身に纏っていた鋼鉄は剥がれ、外殻の下に潜むおぞましき本性が姿を現した。この期に及んで、楽観を述べるつもりもなく、事実だけを伝える――我々に、窮地を脱する術はなく。もしも命が欲しくば、至急この都市から離れよ」

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