マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~
Log-137【霊峰を穿つ-参】
「エレイン、攻撃停止および全軍後退の指示を出しなさい! 前線部隊はもちろん、側防塔砲撃隊、歩廊狙撃隊、後方支援も含めた全軍よ!」
「え、ええっ! いいの!? 大丈夫なの!? 僕達は、ウルリカは!?」
「メルランの言葉から推し量るに……何の策も講じなければ、ここは瞬く間に惨状となるわ。だから一切合切を棄てて、可能な限り撤退するのよ。神に抗うあの子と、防波堤を担う私達を除いて……!」
地面に手を着けながら魔術を紡ぐイングリッドの鬼気迫る語気に息を呑むエレイン。異様な光と音を放つ鉄の巨神が壊滅的な暴威をもたらす、その被害を最小限に抑えるには、自らが壁となるしかない。その覚悟を彼女から感じ取ると、エレインは自然と踵を返し、息を目一杯吸い込んで、
「全軍ッ!!! 撤退ッ!!!」
けたたましい号令を放つ。激しい攻勢をかける中での突如とした命令に、部隊の面々は唖然とした表情を浮かべる。当然だろう、そびえ立つ巨神の足を留め置くことに成功しているのだから。しかし、エレインは構わず続けた。
「前線部隊は直ちに集合ッ! 砲撃および狙撃隊、並びに後方支援部隊は直ちに撤退ッ! 可能な限り戦場から後退せよッ! 繰り返す、後方部隊は直ちにその場から撤退せよッ!」
喉が潰れるほどの蛮声を張り上げる。次第に止んでいく砲声、静まっていく前線に渦巻いた魔力の奔流。彼女の号令は確かに伝わった。だが無論、疑問の声がないわけがない。
「エレイン様……! ウルリカ様は、ウルリカ様はどうなされたのですか……!?」
真っ青な顔でエレインに駆け寄ってくるルイーサ。彼女にとって最も肝心な部分の説明がなされていない。動悸で息を切らしながら尋ねるも、
「ルイーサ、今だけは目をつぶって。ウルリカは僕達が必ず助けるから、貴女は撤退の指揮をお願い……!」
「クッ……! 承知、致しました……」
エレインの真摯な言葉と眼差しは、部隊を背負う指揮官としての責務の証。それを差し置いて個人的な感情をぶつけることは出来なかった。苦虫を噛み潰したような表情を湛えつつも、ルイーサは踵を返し、後ろに下がった。眉をひそめながら彼女を見送るエレインの表情は、一個人としての共感と、統率者としての使命感との間に揺れる、複雑な感情を現していた。
「エレイン、こちらレンブラント! 現在の迎撃を停止して、即時撤退でいいんだな!?」
イングリッドから渡された無線機から、焦燥が混じる父の声が発せられる。一斉に撤退行動へと移っていく連盟部隊へと視線を注ぎつつ、エレインは手に持った無線機を口元に当てて、娘ではなく――指揮官として命令を告げる。
「お父さん、全砲兵を率いて撤退して! 各塔への伝達および引率もお願い!」
「了解……死ぬな娘よ、必ず帰ってきなさい」
「そっちもね! 急いで逃げて!」
無線機を通じて、父レンブラントからの言葉に戦士として、そして娘として応えた。
「こちらレギナ! 撤退は承知したよ! だがどこまで下がればいいんだい!?」
「レギナさん、可能な限り遠くへ逃げて! 欲を言えば地下に! 少なくとも城郭からは離れてください!」
「あい承知したよ! 他のモンにもそう伝えるさね! あんた達も死ぬんじゃないよ!」
「うん、ありがとうレギナさん!」
レギナとの意思共有は有り難い。新王からの一声があれば、撤退は滞りなく進むだろうから。しかし、彼女からの希望に対する回答は濁してしまった。この状況下において、命の保証だけは出来かねるから。
「――エレイン。撤退を要する状況、俺にもなんとなく理解できる。大して残っちゃいねえが、俺たちの魔力も全部持っていってくれ」
後方支援に当たっていたアレクシアが、ジェラルドとアクセル、そして僅かに残った彼女らの部隊を引き連れて前線に復帰する。当然、肉体が癒えたとは到底言えない。だが、今必要なのはイングリッドが構築を続ける魔術への支援。
「頭数は少しでもあった方がいい、そうだろ?」
「お姉ちゃん……うん、お願い。僕もすぐに加勢するから、イングリッドお姉ちゃんに魔力を補助してあげて!」
おう! と威勢よく応えて、彼女らは膝を折ったイングリッドの背後に付く。諸手を差し向けて、あらん限りの魔力を込めていくと、暗色の外套がはためき始めた。
「ようイングリッドォ! ここが正真正銘、正念場だな! 俺達の命、お前に預けるぜ!」
「……姉様、後方部隊は撤退するよう申し伝えたはずですが?」
「馬鹿野郎。ここでの軍規はウルリカ、次いで俺だ。あいつが出しゃばれねえなら、俺が出しゃばんのが筋ってもんだろ?」
「……仰ってる意味が分かりません」
「時機が来たら伝えろって言ってんだよ。ちと頼りねえけどよ、俺達の魔力は余さず全部やる。だから全力でぶっ放せ」
アレクシアがぶっきらぼうに激励を送る、その言葉にうなずくアクセルが口を開く。
「僕達は民と都市の盾になると同時に、戦士として一蓮托生を誓った身です。それは当然、ウルリカとも誓った絆。僕達ばかりが撤退するということは、もはや背徳行為です。それは仲間として、そして家族として。だから受け取ってください、イングリッド様」
イングリッドは押し黙った。彼女は任務を優先する合理的な人間、だがそれ以上に、仲間と家族を愛する人間。己が心と志し同じくする者達を、どうして無碍にできようか。それ以上は口を開かず、黙して彼らを受け入れた。
その直後、イングリッドを中心として横一列にセプテムの魔術師達が並ぶ。彼女に倣って膝を折り、地面に手を着けて、魔術の術式構築に加勢した。
「ウルリカの令姉ですね。私はヴィルマー。彼女には大学時代、随分と世話になりました」
イングリッドの隣に並んだのは、砲手の指揮官を担っていたヴィルマーだった。
「……ウルリカから貴方も砲撃隊だと聞いていましたが? 撤退と伝えたはずです」
「このまま一矢報いず撤退など、ウルリカに鼻で笑われますからね。世間様に迷惑をかけるのは、彼女の専売特許じゃないってところを見せないと」
ウルリカの旧友として、彼女の奮闘に負けじと内輪な冗句を飛ばすヴィルマー。学生時代の問題児が過ごした日常、それを共有する数少ない人間である彼は、軍事オタクの二つ名に違わず情熱を内に秘めた男だった。そう、問題児と呼ばれた二人に共通する決定的な問題、それは不躾、無遠慮、自己中心的である点だ。
「ハァ……あの子の旧友と言うだけありますわ。勝手になさってくださる?」
溜息を吐くイングリッド。今ごろになって気付いたが、連盟部隊という組織は自分勝手なウルリカが集めた奔放な連中の集まりだった。しかし、大人しく命令を聞くような軍隊なら、ここまで柔軟な作戦移行など出来なかっただろう。目的は同じくとも、個々の意思を通せる組織でなければ、少数による戦闘には限度があるから。
「え、ええっ! いいの!? 大丈夫なの!? 僕達は、ウルリカは!?」
「メルランの言葉から推し量るに……何の策も講じなければ、ここは瞬く間に惨状となるわ。だから一切合切を棄てて、可能な限り撤退するのよ。神に抗うあの子と、防波堤を担う私達を除いて……!」
地面に手を着けながら魔術を紡ぐイングリッドの鬼気迫る語気に息を呑むエレイン。異様な光と音を放つ鉄の巨神が壊滅的な暴威をもたらす、その被害を最小限に抑えるには、自らが壁となるしかない。その覚悟を彼女から感じ取ると、エレインは自然と踵を返し、息を目一杯吸い込んで、
「全軍ッ!!! 撤退ッ!!!」
けたたましい号令を放つ。激しい攻勢をかける中での突如とした命令に、部隊の面々は唖然とした表情を浮かべる。当然だろう、そびえ立つ巨神の足を留め置くことに成功しているのだから。しかし、エレインは構わず続けた。
「前線部隊は直ちに集合ッ! 砲撃および狙撃隊、並びに後方支援部隊は直ちに撤退ッ! 可能な限り戦場から後退せよッ! 繰り返す、後方部隊は直ちにその場から撤退せよッ!」
喉が潰れるほどの蛮声を張り上げる。次第に止んでいく砲声、静まっていく前線に渦巻いた魔力の奔流。彼女の号令は確かに伝わった。だが無論、疑問の声がないわけがない。
「エレイン様……! ウルリカ様は、ウルリカ様はどうなされたのですか……!?」
真っ青な顔でエレインに駆け寄ってくるルイーサ。彼女にとって最も肝心な部分の説明がなされていない。動悸で息を切らしながら尋ねるも、
「ルイーサ、今だけは目をつぶって。ウルリカは僕達が必ず助けるから、貴女は撤退の指揮をお願い……!」
「クッ……! 承知、致しました……」
エレインの真摯な言葉と眼差しは、部隊を背負う指揮官としての責務の証。それを差し置いて個人的な感情をぶつけることは出来なかった。苦虫を噛み潰したような表情を湛えつつも、ルイーサは踵を返し、後ろに下がった。眉をひそめながら彼女を見送るエレインの表情は、一個人としての共感と、統率者としての使命感との間に揺れる、複雑な感情を現していた。
「エレイン、こちらレンブラント! 現在の迎撃を停止して、即時撤退でいいんだな!?」
イングリッドから渡された無線機から、焦燥が混じる父の声が発せられる。一斉に撤退行動へと移っていく連盟部隊へと視線を注ぎつつ、エレインは手に持った無線機を口元に当てて、娘ではなく――指揮官として命令を告げる。
「お父さん、全砲兵を率いて撤退して! 各塔への伝達および引率もお願い!」
「了解……死ぬな娘よ、必ず帰ってきなさい」
「そっちもね! 急いで逃げて!」
無線機を通じて、父レンブラントからの言葉に戦士として、そして娘として応えた。
「こちらレギナ! 撤退は承知したよ! だがどこまで下がればいいんだい!?」
「レギナさん、可能な限り遠くへ逃げて! 欲を言えば地下に! 少なくとも城郭からは離れてください!」
「あい承知したよ! 他のモンにもそう伝えるさね! あんた達も死ぬんじゃないよ!」
「うん、ありがとうレギナさん!」
レギナとの意思共有は有り難い。新王からの一声があれば、撤退は滞りなく進むだろうから。しかし、彼女からの希望に対する回答は濁してしまった。この状況下において、命の保証だけは出来かねるから。
「――エレイン。撤退を要する状況、俺にもなんとなく理解できる。大して残っちゃいねえが、俺たちの魔力も全部持っていってくれ」
後方支援に当たっていたアレクシアが、ジェラルドとアクセル、そして僅かに残った彼女らの部隊を引き連れて前線に復帰する。当然、肉体が癒えたとは到底言えない。だが、今必要なのはイングリッドが構築を続ける魔術への支援。
「頭数は少しでもあった方がいい、そうだろ?」
「お姉ちゃん……うん、お願い。僕もすぐに加勢するから、イングリッドお姉ちゃんに魔力を補助してあげて!」
おう! と威勢よく応えて、彼女らは膝を折ったイングリッドの背後に付く。諸手を差し向けて、あらん限りの魔力を込めていくと、暗色の外套がはためき始めた。
「ようイングリッドォ! ここが正真正銘、正念場だな! 俺達の命、お前に預けるぜ!」
「……姉様、後方部隊は撤退するよう申し伝えたはずですが?」
「馬鹿野郎。ここでの軍規はウルリカ、次いで俺だ。あいつが出しゃばれねえなら、俺が出しゃばんのが筋ってもんだろ?」
「……仰ってる意味が分かりません」
「時機が来たら伝えろって言ってんだよ。ちと頼りねえけどよ、俺達の魔力は余さず全部やる。だから全力でぶっ放せ」
アレクシアがぶっきらぼうに激励を送る、その言葉にうなずくアクセルが口を開く。
「僕達は民と都市の盾になると同時に、戦士として一蓮托生を誓った身です。それは当然、ウルリカとも誓った絆。僕達ばかりが撤退するということは、もはや背徳行為です。それは仲間として、そして家族として。だから受け取ってください、イングリッド様」
イングリッドは押し黙った。彼女は任務を優先する合理的な人間、だがそれ以上に、仲間と家族を愛する人間。己が心と志し同じくする者達を、どうして無碍にできようか。それ以上は口を開かず、黙して彼らを受け入れた。
その直後、イングリッドを中心として横一列にセプテムの魔術師達が並ぶ。彼女に倣って膝を折り、地面に手を着けて、魔術の術式構築に加勢した。
「ウルリカの令姉ですね。私はヴィルマー。彼女には大学時代、随分と世話になりました」
イングリッドの隣に並んだのは、砲手の指揮官を担っていたヴィルマーだった。
「……ウルリカから貴方も砲撃隊だと聞いていましたが? 撤退と伝えたはずです」
「このまま一矢報いず撤退など、ウルリカに鼻で笑われますからね。世間様に迷惑をかけるのは、彼女の専売特許じゃないってところを見せないと」
ウルリカの旧友として、彼女の奮闘に負けじと内輪な冗句を飛ばすヴィルマー。学生時代の問題児が過ごした日常、それを共有する数少ない人間である彼は、軍事オタクの二つ名に違わず情熱を内に秘めた男だった。そう、問題児と呼ばれた二人に共通する決定的な問題、それは不躾、無遠慮、自己中心的である点だ。
「ハァ……あの子の旧友と言うだけありますわ。勝手になさってくださる?」
溜息を吐くイングリッド。今ごろになって気付いたが、連盟部隊という組織は自分勝手なウルリカが集めた奔放な連中の集まりだった。しかし、大人しく命令を聞くような軍隊なら、ここまで柔軟な作戦移行など出来なかっただろう。目的は同じくとも、個々の意思を通せる組織でなければ、少数による戦闘には限度があるから。
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