マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-116【巻き上がれ、械竜】

 地表をえぐり、唸りを響かせ、暴風を纏い、地平を疾走する。大地は躍るように、土煙を、雪煙を巻き上げる。その跳梁ちょうりょうする一歩一歩が、足下から痺れるような地響きを生む。まるで地上は我が物だと言わんばかりに、無尽の暴威を撒き散らして、人類の喉元へと迫り来る。

「嗚呼ァ……ウルリカ、ウルリカ……嗚呼、嗚呼、嗚呼……」

「いつまでも五月蝿いな……前代未聞の敵を迎え撃つんだ、前を見ろ」

 猛疾走する破狼ハロウに対峙して、張り詰めた闘志で臨戦態勢を取る連盟部隊。その後方で陣を取る特鋭隊の一角に、天を仰ぎながら呪文でも唱えるかのようにウルリカの名を呟き続けるティホンと、それをたしなめるエフが居た。

「あんなに遠くに居たはずなのに、もうここまで……」

 大狼の速度は尋常ではない。連盟部隊との距離およそ八〇〇〇メートルを、僅か一分ほどで走破せんとしていた。その光景に、戦場に立つ者は皆、是非も無く奮い立たねば、腹の底から湧き出る戦慄せんりつに飲まれてしまうだろう。

 それは、感情の起伏が小さいはずのエフとて同じこと。

 彼の鼓膜をつんざくは、単なる音として捉えれば、嵐の夜を彷彿とさせる程度のとどろきでしかない。だが彼には、あらゆる音という音が、含みを以って聞こえるのだ。

 こと破狼ハロウが発する音に限定すれば、それは、どう足掻こうとも人は捕食される側なのだと思い知らされる音。種としての歴然たる力の差を認識させられる音。あたかも人の子が、天地鳴動に噛みつくが如し。その抗いこそが、卑小にして愚かしいのだと、エフにはそう宣告されているように感じられた。

 恐々として、すくみあがる。動悸がして、息が上がる。神経が脳裏に訴えかける、危険だと。

 特鋭隊は無駄口のない一団ゆえ、周囲の仲間が何を思うのかは推し量る他ない。皆一様に表情のない眼で大狼を睨めつけてはいるが、きっと心境は同じなのだろうとエフは察する。

 そんな中にあって、ティホンは相変わらずだ。

「ウルリカ……我が聖女……嗚呼、ウルリカ……我があまつ光」

「……こっちの気も知らず、アンタの頭はアイツの事ばかりだな。今だけは羨ましいよ、その度胸」

 エフの皮肉も、現在の進退窮まる状況も、ティホンの沈思ちんしを妨げることはできない――いや、彼には何を差し置いても、優先すべきことがあったのだ。そう、つまりは、絶対の聖女と崇め奉るウルリカから賜った、言い付けだ。

「嗚呼、ウルリカ……我が熾天よ……貴女様に、全てを捧げよう」

 ティホンの呟きが――典礼の祈りが――終止した。同時に、肌を突き刺すような魔力が、彼からほとばしる。それは、隣にいるエフが一瞬、大狼を忘れてしまうほどの寒気を感じる威力。周囲の誰もが彼に視線を奪われていた。

 突如、ティホンが跪く。地面に両手を着けて、呪文を唱え始めた。

「『天網恢恢てんもうかいかいにして漏らさず。平地風波へいちのふうは、凪こそ前触れ。粟散辺地ぞくさんへんじ、土中の遍歴。煙波縹渺えんぱひょうびょう真砂まさごの蛮刀。深溝高塁しんこうこうるい、刃にして壁』」

 その時、一斉に膝を折った。まるで大地に吸い寄せられるかのように、力が抜け、姿勢を保てず、全身に鉛がのし掛かる。すると、最前線に立っていた連盟部隊の総司令官アレクシアが号令を放った。

「各位ッ! 伏せろッ!」

 その喚声に応じて、全部隊が腹這いになる。身体を蝕む、抗い難い荷重に身を委ねて。

 尚も詠唱を続けるティホン。一節一節を唱える度、身体にのし掛かる荷重は増していく。

「『眠れる獅子の、尾を束ね、我が手に鋼の、波濤あれ』」

 遂には、身体が地面にへばりついて動けなくなるほどの荷重がのし掛かる。魔力を込めなければ、呼吸さえも危ういほどに。そして――

「『磁瀑鑿匙インダクト・カタラクト』」

 詠唱が、完了する。魔術の行使が、履行された。

 沈み込むような、鈍い音が鳴り響く。低く、低く、地の深きに落ちていく潮騒しおさい。螺旋を描き、渦を巻き、蜘蛛の巣のように網を掛けていく。地に眠ることごとくを、大いなる極点に誘いながら。

「ッ……! 耳鳴りが、止まない……アンタ、一体何をしているんだ……!?」

 百聞は一見に如かず。その問いに、言葉で応えるまでもなく。遠く彼方にて、ソレは広がっていた。大地が泡立つような砂の震える音、肌に溶ける泡雪混じりの颶風に乗って、鼻を突く鉄の臭いが漂う。視覚を除く感覚全てで捉えるエフが、ソレを言い表すならば、地から出で、天へと昇る、鉄の瀑布ばくふ

「さあ、我が聖女よ、ご覧あれ……砂上の械竜をお見せしよう」

 ティホンは勢い良く立ち上がり、両手を天に掲げた。同時に、それはまるで間欠泉の如く、大地から漆黒の瀑布が膨大なまでに吹き出る。その噴流は日の光を照り返し、輝く蛇胴じゃどうを描いて天を衝く。まさに、くらき貴石の昇竜が如し。

「磁力の魔術師が操る、大地から出づる金属臭……砂鉄か」

 エフが推察する。その漆黒の正体は、地中に集積していた砂鉄。ティホンは磁力を操る魔術に長けるという。先ほど執行した魔術とは、地下深くへと磁場を浸透させ、地中に眠る金属の粒子を支配するもの。その一片一片が収束すれば、それ即ち、鉄の瀑布となる。

「これが、アンタの……魔術」

 驚愕するエフ。先ほどまで狂気に触れたかのように女主人の名を呟き続けていた男が、今や人一人の力だとは到底思えない絶技を見せるのだ。

 ティホンは舞い踊るように、両手を縦横左右に振るい、鉄の瀑布を巧みに操る。それは天地を駆け、とぐろを巻き、長蛇のように軌道を伸ばす。最早その長さは、二十メートル程もある幕壁の高さを優に越えていた。

「我が聖女に牙を剥くれ者よ。主に代わり、信託賜りしこの私が鉄槌を下そう」

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