マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-107【死線上のアリア】

 大鵬たいほうの群飛の動きは直線的。ウルリカは手玉に取るように、巧みに儀仗剣を操り、軌道を複雑に変え、縦横無尽に翻弄する。瞬く間に彼女の背後には、夥しい数の魔物がとぐろを巻くように追従し、蜿々長蛇えんえんちょうだの列を為した。己が首を付け狙う獣共を従えて、人類を殲滅せんとする獣共が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする地上を眼前に急降下していく。すると、

「勇者よ! 聞こえるか! 最早、縮退魔境エルゴプリズムは制御の臨界を超えた! 攻性防壁ファイアウォールの抑制よりも、相転移の加速が上回ったのだ!」「幾ら綻絡を紐解こうとも、その倍の術式が紡がれる!」「更にはこの距離だ、意識の接続が乱れてきている!」「駄目です、完全に押し負けています!」

 ウルリカの手の中に収まっていた魔石は、既に制御の効かない段階にまで来ていた。その証左に、先程まで振動と制動とを繰り返していたはずが、今では腕の感覚が麻痺する程にまで激しく震えていた。だが、

「まだ、まだよ。あともう少しなの」

 そう言ってウルリカは、着用していた細長いネックリボンを解き、片方の端を口に咥え、打ち震える魔石を握った手を素早く緊縛した。これで如何に握力を失おうとも、零れ落とすことはなくなった。

「もう少し! もう少しだけ堪えて頂戴! あと数十メートルで――」

 その時、視界の端に、近傍まで迫った魔物の姿が見切れる。背筋が凍る、注意を怠っていた、死角に入った、周囲の魔物はみな背後にあるものと高をくくっていた。

「まずっ――」

 顔を横に向けた、その瞬間、瓢虞ヒョウグの残忍な虎爪が――死の恐怖が――視界を包み込む。最早、逃げ場などなかった。魔物が僅かに手首をきかせれば、まるで綿毛が風に飛ばされるように、ウルリカの首は簡単に吹き飛ぶ。避けようのない非情の現実が、眼前を覆っていた。

 突如、彼女を中心として、稲妻を帯びた爆発が起きた。虎爪を立てた瓢虞ヒョウグ爆轟波ばくごうはによって吹き飛ばされた、同時に、彼女を追従していた大鵬たいほうの群飛も三々五々に散る。

 爆心地から上がる幕電を伴った黒煙から、吐き出されるように墜落するウルリカと、彼女の儀仗剣。今し方、羽織っていたはずの外套は、跡形もなく爆ぜて消えていた――懐にあった雷槍と共に。

「……人生で何度も自爆だなんて、なかなか無い体験よね……」

 身体が引き裂かれるような痛みに歯を食い縛りながら、焼け焦げた頬を緩めて自嘲する。吹き飛びそうな意識を何とか奮い立たせ、落下する地上を正面に向く。腕を伸ばし、きつく縛っていたリボンを振り解いた。そして、

「『積もり積もれば山となり、打ち続ければ石穿つ。気層を成すは星のなり、積み重ねるは万事のことわり層理そうりをなぞれ!』」

 呪文の詠唱、魔術の行使。すると、突き出した掌から、球状の結界が現れた。その結界は一種の膜として機能し、あたかも台風の目のとなって周囲の空気を収斂していく。膨張と圧縮を繰り返し、次第に灼熱を帯びていく膜の結界。その中央には、縮退魔境エルゴプリズムつがえられていた。

「仕方ないわね……もう、この方法しかないわ」

 先の爆発によって散らばっていた大鵬たいほうの群飛が、ウルリカの生存を確認してか――魔術の気配を察してか――一斉にひるがえり彼女に矛先を向ける。再び、彼女の背後には、殺意の爪牙が大挙して這い寄る。残る猶予はない。

「『積羽舟を沈むインパルスブラスト!』」

 呪文の号叫が、収斂し圧縮した空気を抱く結界を解き放った。けたたましい音と共に、さながら火砲の如き爆風が吹き荒れ、同時に、結界内につがえた縮退魔境エルゴプリズムが地上に向かって射出された。猛烈な高速度で降下する黒鉄くろがねの魔石、ウルリカの目測では、およそ四十秒で地上に到達するか。

 パーシーから受け取った計算結果から、当初の作戦では魔術などの推進力は用いず、ただ宙空から魔石を投げ落とす予定だった。魔石が目標地点に到達するまでの僅かな時間を使って、超重力の射程範囲から離脱する為に――だが、今やその作戦も終わりを告げようとしている。半分の成功と、半分の失敗という戦績を以て。

「……セプテムの魔術師達。これより二十秒後に起爆させるわ。これまでよく保ってくれたわね、人類代表として感謝するわ。最後の大詰め、死ぬ気で気張るわよ」

 ウルリカはそう伝えて、魔術師達との精神感応テレパシーを切断し、ゆっくりと目を瞑った。暗黒が支配する感覚下、意識の半分を縮退魔境エルゴプリズムの暴走抑止に傾けつつ、もう半分では諦観の想いが駆け巡っていた。作戦目標はほぼ達成した、だが、不帰ふきを以っての報告となりそうだ。

「これで、あたしの旅はお仕舞いか……あんた達の勝ちよ、誇りを抱いて死になさい」

 背後から、声高な凶音が、垂涎を物語る爪音が、死を運ぶ羽音が、鋭利なまでに耳をつんざく。小さき人の子を飲み込まんと、息巻く殺意と絶望が、連綿たる列を成した。群飛が描きし軌跡には、羽虫の一つも残らない。人もまた同様に、肉片一つ残すことなく、滅却するが死に様か。

「……ごめん父上、みんな……アクセル――」

 謝罪の言葉を述懐する。浮遊感に包まれる中、足を畳み、丸くなって、揺り籠で眠る赤子のように身を委ねた。深い微睡まどろみに落ちていくように、深々と、深々と――

 感覚は、一瞬だった。四肢が弾け飛ぶような鋭い痛み、息が出来なくなるような鈍い痛み、身体中から流れ出る熱い血潮、意識が薄れていく感覚の消失。天より迎えが来ることもなく、生き汚く藻掻くこともなし。ただただ、生の感触が指先から抜け落ちていくのみ。

 それはまさしく、命の終わりを告げられた、死にゆく者が最期に認める、生と死を分かつ川岸に臨むかのよう――

 ――え?

 一縷いちるの意識が、今まさに消えかけた、その時、ウルリカの鼓膜を激しい風音が揺らした。空を駆けた彼女にとっては、何ら違和感のない音。だが、今は違う。もし大鵬たいほうの群飛に飲み込まれたのならば、もし魔物の腹の中に居るのならば、この音は違う。今、彼女が居る、そこは、

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