マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-102【天地を灼く炎】

そして今や、唸りを上げ、火花が迸り、大気を圧縮した、その火矢を――

「その空なる一閃、一条の矢となれ――焔若緋漆シャフト・レルム!!!』」

 轟音と共に打ち放つ。音速を優に超えた影響で生まれた衝撃波によって、眼前の胸壁は抉られたかのように消し飛んだ。放たれし火矢はあたかも彗星の如き輝きを湛え、宙空に舞う縮退魔境エルゴプリズムに向かって飛翔する。

 両者が接触する、その瞬間、火矢は渦を巻くように、魔石へと吸引されていく。今し方、火矢がもたらした、肌を焦がす熱波と、鼓膜を引き裂く程の轟音は、瞬く間に鎮火してしまった。

 対して、術者であるウルリカは、『焔若緋漆シャフト・レルム』を放った反動で、勢い良く後方に吹き飛ぶ。それをアクセルが身を挺して受け止めた。

「クッ! ま、まずい!」

 だが容易くは止まらない、地に着けた足が引きられる、上体を維持できない、遂には転倒し、ウルリカを抱えて転々と転がっていく。勢いは止まず、背中から後方の胸壁に打ち当たり、その胸壁がまるで跳躍台となって、弧を描きながら宙空へと投げ出された。

「……ッ! 君、だけでもっ!」

 ウルリカを胸壁の内側へと目一杯放り投げる。彼女は身体を強打してしまったが、何とか塔からの落下は阻止できた。

 だが、アクセルは宙空に投げ出されたままだ。次第に、重力が全身を支配していくのを感じる。そして地上への降下が始まった――その直後だった。

「『蜘蛛這い糸縫う糸疣しゆうの連理、粘糸鉄線スティッキー・スレッド!』」

 ウルリカはアクセルから離れる寸前に、魔術の印を結んでいた。彼女は仰臥して胸壁に足を掛ける、二人を繋ぐ蜘蛛の糸を目一杯手繰り寄せる。彼もまた、か細くも強靱なその糸を握り締める。まるで映像が巻き戻されるように、再び弧を描いて胸壁の内側へと引き寄せられ、飛来するアクセルをウルリカが受け止めた。

 度々引き起こされる衝撃波で機器が吹き飛ばないよう身を挺して庇うパーシー、二人を横目に見ながら心配の言葉を掛ける。

「だ、大丈夫かい? 君たち――」

「お喋りしてる暇は無いわ!」

 覆い被さったアクセルを退け、ウルリカは立ち上がると共に疾走し、地面に落とした儀仗剣を拾い上げ、純白の魔石が接がれた鞘尻を宙空の縮退魔境エルゴプリズムに差し向ける。

 奇妙な沈黙を保っていた魔石、かつては漆黒を放っていたその貌が、今にも爆ぜようかという程の紅を湛えていた。それは、ウルリカの放った炎の魔術が魔石の内側に渦巻く超重力の回転エネルギーを得て、今まさに臨界点を迎える兆候――あと数秒遅ければ、魔物の群勢を退けるばかりか、彼氏彼女達は跡形も無く消し飛んでいただろう。

 ウルリカが血の混じった唾を吐き捨てる。ここまでの一連は、綱渡りのような作戦だった。それでも彼女は、ニヤリと得意げな笑みを浮かべていた。

「人の営みを何度だって滅ぼしてきた魔石よ――さあ、吹き飛ばしてみせなさいよ。その力で、この目に映る全てを!」

 儀仗剣の鞘尻に接がれた魔石が光を放つ、同時に、宙空を舞う縮退魔境エルゴプリズムが共鳴する。沈黙を保っていた、超重力を孕む黒鉄くろがねの魔石が――今や真紅に染まった魔石が――慟哭どうこくの如き深く鈍い音を上げ、急速に回転を始めた。

 それが頂点に達した時、地上に明星が顕現したかのように眩い閃光を放ち、大地を揺らし、大気を震わせ、内から溢れんばかりの劫火を、天に目掛けて放出した。

 ――その威力は最早、ウルリカが放った火矢など、比ぶべくもなかった。劫火の放出によって生じた衝撃波、膨れ上がった魔力の迸り、それは単純な破壊ではなく、立ってはいられない程の重力を生んだ。眼前に臨むウルリカ達は勿論のこと、側防塔内のレンブラント達、果てはアレクシアら連盟部隊まで、それを目撃した全ての者が、膝を折らざるを得ない程の重力を感じていた。

 地面にへばり付いたような体勢のまま、ウルリカは空を見上げる――灼天――天蓋には、夥しい数の朝星が瞬いていた。そう、その一つ一つが、彼女の放った全身全霊の火矢に相当する劫火。そして今や、大地を穿ち、焦し、命を討たんとする無数の流星群となり、目にも留まらぬ速さで、地上へと降り注いだ。

 数えきれぬ魔物の群勢を、数えきれぬ火矢が貫く。辺り一面は大火の様相、炸裂が爆風を生み、熱波は延焼を引き起こす。大地は抉れ、砂塵が覆い、白無垢の雪原は爛れた焦土と化し、その様はまるで――焦熱地獄、およそ命ある全てが刈り取られていく光景。縮退魔境エルゴプリズムという禁忌がもたらす業の程が、眼下にまざまざとあらわれていた。

「これが……こいつの力なのね」

 人智を超えた力を放ち切り、見渡す限りの地獄絵図を産み落とし、再びの沈黙を湛える黒鉄の魔石が、宙空からゆっくりと降りてきた。先ほどまでその身を縛り付けていた重力は静まっていき、ウルリカはゆっくりと立ち上がる。手を差し伸べ、空から降りてきた魔石を拾う、その手は震えていた。力を出し切った疲弊か、見事な戦果を上げた歓喜か、禁忌の由来を思い知った畏怖か、その全てか。

「お、おい……何なんだよ、ありゃあ……」

 精神感応テレパシーの声が脳内に響く、アレクシアの声だった。彼女の声は、僅かに震えていた。未だ眼前に降り注ぐ夥しい火矢を前に、彼女は戦慄していたようだ。

「お前、こりゃあ戦略級じゃねえか。並みの典礼魔術だって、こうはいかねえ。個人が行使していい水準を遥かに超えてやがる……とんでもねえモンを隠し持ってやがったんだな」

「まあ、ね。ちょっと手元が狂ってれば今頃あの渦中にいたのはあたし達。そんな代物よ」

「……ハッ、狂ってやがる。身内とは思いたくねえな」

「安心していいわ。アンタたちも別軸で狂ってるから」

「よく言うぜ、まったく」

 そう言って、アレクシアは精神感応テレパシーを切断した。ウルリカは脱ぎ捨てた外套を拾って纏い、再び眼下に目を遣る。すると、隣にアクセルが付いた。彼は恐々とした表情で彼女に問う。

「ウルリカ、この火の雨はまだ続くのか……もう、草の根も残ってないんじゃ……」

「馬鹿ね、よく目を凝らしてみなさい。大してこたえちゃいないわよ、連中は」

 未だ潰えぬ灼天の暴雨は、果てさえ見えぬ魔物の群勢を瞬く間に駆逐していった。だが、それでも、そこまで焼き尽くしても、果ては見えない。見渡す限りの地平線から、次々と、次々と、連綿と後続が現れる。現れては焼き払われ、その燃え殻、亡骸を踏み越えてまた現れる。

「チッ……冗談じゃないわ。どんだけ湧き出れば気が済むのよ。まるで――」

 ――そう、まるで……虚空から、産み落とされるような。際限なき増殖。それは、ウルリカの脳裏に過ぎる、何か得体の知れない直感が囁く声。すると、それに呼応するかのように、腰部に儀仗剣と一緒に吊り下げていた、メルランから手渡された巨大な鍵が、突如として振動し始めたのだ。

「な、何よ、これ……」

 触れてもいないのに、魔力を放つわけでもなく、ただ震え続ける鍵を見遣る。何かを暗示しているのか。

「ウルリカ、それはメルラン様の……」

「ええ。突然、生きてるみたいに震え始めたわ……」

 ウルリカはこめかみに手を遣って、精神感応テレパシーを執行する。接続先はメルラン。だが、

「……ッ!」

 接続は何の前触れもなく途切れた――いや、ウルリカは途切れる瞬間、異様な感触を確かに捉えていた。それは、強烈かつ無数の魔力がもたらした歪み。その歪みが、彼女の伸ばした回線を引き千切るように断線した。そのような事象は、通常では考えられない。仮に、数百数千の魔術師が束になって大規模な典礼魔術を共同行使している、などといった極めて特殊な状況下ならば、無いとは言えないが……。

「どういうことよ……あいつ、何しでかそうってのよ……」

 遠景に広がる焦熱地獄を前にしてさえ、ウルリカは先ほど感じた得体の知れない直感に対し、不穏な流れを感じていた。この人魔大戦において、未曾有の何かが引き起こされる予感。

 現況は未だ、序曲に過ぎないのだと。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品