マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-096【迅雷錯綜、鉄火鉄血、人魔大戦-参】

 時を待たず、牧歌の大地パスクは飲まれた。

 無尽に湧き出る魔物の群れは、彼の国の混沌を嘲笑うかのように押し潰した。

 その百鬼夜行を塞き止められる者などいなかった。

 残る三国アウラ、グラティア、セプテムは自衛態勢を完了。

 パスクに向け応援を出す――だが既にそこに、彼の国の牧歌は消え失せていた。

 先行するセプテム軍は国境を越え西征、パスク中央の都市に向かっていた。

 突如、セプテム軍からの連絡が途絶する。

 ただ一つ、虫の息となりながらも帰投した伝令の「全滅」という言葉を残して。

 兵員二万を動員し、参謀を有する一個師団、目的はパスクへの援助と国情調査。

 その錚々たる軍勢が、跡形もなく全滅したのだ。

 三国に激震が走る、そして認識を改めた、パスクは滅亡したのだと。

 そしてここに、後世に残し、決して忘れてはならない三盟邦人魔大戦が幕を開ける。

 決戦の地は、かつての面影を残さぬパスクの大地。

 だが、三国における地理的条件において、セプテムは極めて危機的状況にあった。

 パスクとアウラの二国間は険しい山脈で分断され、

 グラティアにも小高い山々に加えて、あまりにも広く無味乾燥な砂漠が広がる。

 だが、セプテムにはそれが無かった。故に、パスクへの接続は容易。

 それがもたらすものは、魔物の侵入を容易にする――だけではない。

 魔物が世に現れて以来、長きに渡り結ばれてきた「永世不可侵条約」。

 それと同時に結ばれた「対魔相互防衛条約」。

 端的に言えば、対魔物との闘争において、国益を度外視した支援を国家間で行う条約。

 この条約こそが、セプテムを一時機能不全に陥るまで追い詰めたのだ。

 パスクへの接続が容易であるということは、真っ先に支援を行えるのはセプテム。

 滅亡が確定したとはいえ、パスクの民全てが死に絶えたわけではない。

 故にセプテムは二国の援軍が到着するまで、単独で支援を行い続けなければならない。

 そして、季節は奇しくも冬期。如何に雪中戦に慣れた軍隊とはいえ、行軍は困難を極めた。

 傷病者に次ぐ傷病者、死者に次ぐ死者。目も当てられぬ死体の山が築かれた。

 次第に国内には、女子供、年老いた者、そして苦しみ藻掻く廃兵のみが取り残されていった。

 アウラとグラティアの援軍が到着した時には、最早セプテムは機能不全。

 国家中枢の政府でさえ軍部の大部分を失い、混乱の渦中にて無政府状態に近かった。

 二国の幕僚部が臨時政府を樹立し、一時政府機関を統制、国内の安静化に努めた。

 それを国家総動員と言えようか。老若男女を問わず、兵站の維持に働いた。

 そして援軍は更に増員されていき、セプテムは瀬戸際で持ち堪えたのだ。

 そこには、彼の勇者の姿もあった。昼夜を問わず献身し、その身で迫り来る魔物を留める。

 人類は遂に、真の連携を取った。一分の隙も無く、隣人の手を取り合った。

 人が人の為に、命を賭けて戦う。人類の存亡を賭けて、人と人とが助け合う。

 生きて人の世を謳う。明確な目的の下に、人は限界を超えて剣を振るえたのだ。

 底見えぬ闇とも思えた血みどろの戦いに、光芒が差し込んだのは、月を三度跨いだ刻。

 無尽蔵に湧き立っていた魔物の群勢は、目に見えてその数を減らしていった。

 何が起きたか、それは誰にも分からなかった。だが確かに、人類は脅威を打ち払った。

 代償は大きかった。二千万という未曾有の血が流れた。

 特にセプテムが国としての機能を全快するには、長い年月が必要となるだろう。

 しかし、人類は確かにその手で未来を勝ち取ったのだ。

 やはり叶わぬと、何度も折れそうになる膝を、我々は決して地に着けはしなかった。

 その日、春の息吹を肌に感じた。それで十分だった。

 我々は何度でも、自らの足で歩んでゆける。


―――


 広大な雪原を渡る馬橇うまぞり。二頭の寒立馬が牽引する天幕付きの橇の中には、二人の男が静かに座る。中央には備え付けの暖炉が車内を暖めていた。

阿鼻叫喚あびきょうかん、地獄絵図の権化、人魔大戦の再来……いや、再現か」

 古ぼけた装飾写本を静かに閉じる。真っ白な燕尾服の懐から銀無垢のスキットルを取り出し、蓋を捻り開けた。葡萄酒の芳しい匂いが鼻を突く、一頻り堪能して口をつけた。

「ハプスブルク卿、それは?」

「赤だよ。テンプラニーリョ種の三十年もの……ふふっ、戯れさ。そんな顔しないで欲しいね」

 ハプスブルクの目の前に座る初老の男は、彼の洒落を柔和に流す。一つ咳払いをして、本題に入った。

「この写本は、齢千を越えた老獪ろうかいなるメルラン・ペレディールの手記だ。検閲によって九割がた削られた、単なる小説に成り下がったものだけれどね」

 それ即ち、原本からは遠く離れた内容だということ。彼は残念そうに首を振る。とはいえ、かつて人類が危機に瀕した人魔大戦を如実に伝える文献は、その手記を措いて他になかった。

「メルラン・ペレディール……戦災復興の礎となった大老、ですか」

「この手記を書く前は、何と言ったかな……まあ、今や過去の名に価値はないか」

 メルラン・ペレディール。その名は、戦後百年を置いてから世に誕生した。本来ならば、その名を冠した男が人魔大戦を経験できるはずがない、生きていられるはずもない。そのはずだった。

「始まりの名を――アポロと」

 男が一つの名前を口にした。それは他でもない、メルラン・ペレディールを指していた。

「ふふ、ツキシロ君。君も戯れが好きだね」

 ハプスブルクは男をツキシロと呼ぶ。柔和な笑みを湛えて、言葉を続けた。

「伝承に謳われる魔術師……いや、世界を秘匿した魔術師と言った方が正しいか。永劫なる地獄を甘んじて受け入れた、勇者に比肩する人の世の楔石。それが彼の本性」

 彼はメルランの有り様を表現した。その言葉は、メルランという男が勇者と同価値だということを言っていた。人の世を維持存続させる、楔だと。だがその言葉にツキシロと呼ばれた男は、同意しかねるといった表情で眉を顰める。

「勇者は……何度も見送って参りました。ですが、彼の者の尊顔を拝したことはありませんね」

「皮肉に聞こえるね?」

 呟きのようなツキシロの言葉に引っかかりを感じるハプスブルク。彼はそのまま続けた。

「無慈悲にも語られる真実を受け入れ、その天命を捧げてきた殊勝なる若人たち。その最期を看取るのが、導き手なる者の使命でありましょう」

 表情には出さないが、その語気は僅かに熱を帯びていた。ハプスブルクはツキシロの生い立ちと使命から、それを明確に義憤と捉える。

「ふふ、君はやはりゴドフリー君と同じ思想だね。まあ、気持ちは察しよう。そしてそれが理想であって、現実に即していないとも分かっている」

 異論なし、といった具合に溜息を吐くツキシロ。彼の胸の内に代わる語りだった。

「そうでなければ、貴方がたに肩入れなどしません。我々楼摩は永世中立の立場を敷く国家。ただ寄り添うは、人のみ」

 既に彼の言葉から憤りは失せていた。彼本来の立場に立ち返ったのだろう。

「理想と現実に折り合いをつける。それだけだよ、私の出来ることなんてね。理想を理想のまま叶える、そんな神様みたいにはなれないのさ」

 自らの力と現実の無情さを推し量った上での、諦観した言葉。ツキシロにも思うところがあったのか、軽く首肯する。

「故に、大老は……」

「うん。だからメルランは長い歳月を積み重ねてきたんだ」

 二人にも理想がある。だがそれは遙か遠く、手の届くものではなかった。だが、メルランという男は、傲慢にもその理想に手を伸ばす。

「歴代の勇者の使命は、始原の勇者が成し遂げた功業を準えること。そして、多くを背負った者の一生が残す思念は、強い概念として在り続ける。それはやがて、神の喉元まで届き得る刃へと研ぎ澄まされていく。人の可能性を信じた男の、気の遠くなるような計画だよ」

 千年前、初めてこの世に生まれた勇者。その後に続く勇者たちの使命は、その始原の勇者が残した轍を歩むこと。

「『勇者ノ剣計画ソードオブザブレイブ』……」

 現時点でメルランという名を冠する男が、千年という歳月を掛けて進める企て。それが『勇者ノ剣計画ソードオブザブレイブ』。勇者の功業とは、その一環に当たる。

「最早、彼の者の精神は、人のそれとは思えませんね。まるで、自らが神を名乗ろうとするが如き所業……」

「うん? 違う違う、その逆だよ、ツキシロ君」

 ハプスブルクは諭すように語り始めた。

「あの男はね、夢見ているんだ。何者にも縛られない、人の多様性が生み出す、人の手で創り上げた世界を。だからぎ取ろうとしているんだよ、人としての尊厳たる自由を。そう……それこそ、神様その人からね」

「…………」

 ハプスブルクの言葉に、ツキシロは黙する。二人はそれ以上を語ろうとはしなかった。

 延々と、雪上を滑走する音、吹き荒ぶ寒風を切る音、薪の爆ぜる音。

 地平線の向こうから、極北唯一の不凍港を持つ湾港都市ソルトンが顔を覗かせた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品