マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-092【因果が囁く、神を騙るモノ】

 エフから木枷を外してもらい、、没収されていた儀仗剣が手渡された。自由となった身体で大きく伸びをするウルリカ。脱力して息を吐くと、手足や胴にジンワリとした熱を感じた。時間にして、どれほどの眠りだったのだろうか。ただ、彼女にとっては十分な休息となったようだ。

「それで? レギナは新王として認められたわけ?」

「ああ。魔物が目前まで迫る中にあって、民衆は活気づいていたよ。この国は保つだろうさ、その意気が絶えない限りはな」

 エフは冷静に、レギナの演説が与えた民衆への影響を分析する。音を頼りに生きる者としての観点か、民衆の歓声の中に息づいた、国家不滅を手繰り寄せる気迫を見出していた。

「ま、でしょうね。あの人ならやってのけるわよね」

 その言葉には、レギナという女傑に対する、掛け値なしの信頼が込められていた。ウルリカが彼女に見出したものは、人心を掴む純潔さと、裏切りや仇敵さえ受け入れる寛大さ。そして、君臨すれども統治せぬ、民の為の王を心に描き続ける誠意。それが備わったレギナなら、新たな王として認められるだろうと。だからウルリカは、快くこの投獄を受け入れたのだ。

「準備はいいか? さっさと出るぞ。今日の正午には魔物が到達するって話しだからな」

「え? は? 正午?」

「ああ。刻限までは、もう数時間しか無い。急いで西門に向かうぞ」

 ウルリカはエフの言葉に耳を疑った。彼女が投獄されたのは、夕暮れの刻。つまり、

「嘘……あたし、半日寝てたってこと? ちょっと、どうしてもっと早く来なかったのよ!」

 彼女の身勝手な物言いに、エフは呆れて頭を掻く。

「おいおい、冗談だろ……仕方なかったんだよ、レギナの計らいでセプテム軍部も全面的な協力態勢に入ったからな。昨日は俺たち連盟部隊と一緒に、軍備をありったけ引っ張り出さなきゃいけなかったんだ、徹夜でさ。アンタ一人の身に割く時間なんて到底無かったんだよ」

「……まあ、それもそうね」

 感情任せに突っ掛かった未熟さを反省した。そうだ、自分がいなくとも軍や国家を動かし、最善策を講じてくれるだけの仲間がいるんだ。それだけの人材が揃っていると、信じていたはずだ。

「でも、取り敢えずそれが聞けただけ良かったわ。貴方の知る範囲で構わないから現状報告して頂戴。西門に向かいながらね」

 ウルリカは気を取り直し、外套に付いた汚れを軽く払い、急ぎ足で独房を出た。立ち止まって周囲を見渡す。等間隔に灯された浅葱色の水銀灯が照らすのは、エフに処理されたのだろう横臥する看守。

「殺しちゃいないでしょうね?」

「舐めるな、俺たち特鋭隊はそんな下手など打たない。そもそも、この国唯一の監獄施設にしては随分手薄だ。潜入は退屈なほど容易だったよ」

 こっちだ、とエフが手招きで先導。その後ろをウルリカが付いていく。

 そうか。この国に監獄などという罪人をわざわざ生かしておく施設など、今まで要らなかったんだ。独裁者ボブロフ――彼は反逆者に容赦しなかったという。そう、罪人の烙印を押された者は皆、すべからく死罪だったんだ。

 沈鬱な感情を振り払うように、足早に付いていくウルリカ。横目で一瞥していると、空の独房が連綿と続いていた。耳を峙てると、そこに響くのは自身の足音だけ、エフの音は聞こえない。潜入工作員という肩書き故か、彼は自然と音を殺して歩いていた。それは音響術サウンドアートの恩恵ですらなく、彼の純粋な技術のようだ。

「……あれ?」

 ふと、ウルリカは自身の足音の他に、不思議な音を捉えた。それは進行方向の、闇深い通路の奥から聞こえてくる。それは進むごとに、微かながら大きくなっていった。まるでき臼で麦をすり潰すような、断続した低く鈍い音。

「ねえ、何か聞こえてこない?」

「ああ、ずっと聞こえていた。どこの誰だか知らないが、男の唸りだ。俺たちには関係ないが」

「こんだけ施設の体をなしてない癖に誰を収容するってのよ」

「今ここで気にすることか、それ? 見ろ、その階段を上ればすぐ地上――って、おい!」

 ウルリカはエフを横切り、彼の言う地上へと繋がる階段をも通り過ぎる。小走りで突き進む彼女に、彼は舌打ちして追い掛ける。奥へ向かうに応じて、監獄を反響する唸りも大きくなった。

「――ここね」

 ウルリカが急停止する、続いてエフも彼女の前で止まった。

「おい、時間がないと言っただろ。油を売る暇なんてないんだよ」

 悪かったわ、と言ってエフをなだめるウルリカ。溜め息を吐いて、彼は首を横に振る。

 唸りは確かに、目の前の独房から聞こえていた。だが中は一切が闇深く、薄らと人影が見えるだけ、こちらに気づく様子もない。するとウルリカは、鉄格子を前に手を伸ばした。

「『初めに火が在った。人は其の手を取った。文明と云う叡智を拾った。全てはそこから始まった。人の世の暁を灯せ、発火イグニッション』」

 囁くように唱え、指を打ち鳴らす。するとウルリカの指先から、ボウッ、と拳大の炎が灯った。揺らめく灯火に照らされて、闇に紛れた人影が、その姿を現す。

「えっ、うっそ……あんた、ここで何してんのよ……」

 ウルリカは唖然とする。そう、その者にははっきりと見覚えがあった。それはかつて、小等部時代の彼女相手に教鞭を執り、非行時代の彼女相手に完全なる敗北を喫した、磁力の魔術師にして、小児性愛の人格破綻者。

「……ティホン」

 唸り――いや、いびきが止まった。独房の中でうつむいて座った男が顔を上げると、目深に被ったフードから蒼白でけた顔を覗かせた。それはかつてルカニアファミリーの根城で出会った時よりも、一層頬が窪んだか。だが、確かにそれはティホンその人だった。

 眩しげに半目を開けて、ウルリカの方を見遣る。すると次第にティホンの顔は、あたかも万力で引き延ばされていくかのように、驚愕の色へと染まっていく。

「う、うる、うるるるるるる……!」

 その声に連動して、ティホン身体が小刻みに震える。青白かった肌は途端に紅潮していき、飛び出るほど見開いた眼からは滂沱の涙が零れ落ちる。

「ウルリカ! ウゥルゥリィカァ! ウゥゥゥルゥゥゥリィィィカァァァ!!」

「えっ、えっ、ちょっと」

「何なんだよ、こいつ……」

 突如、発狂したかのようにウルリカの名を呼ぶティホンに狼狽うろたえる二人。壁に寄りかかった背中を起こし、ひざまずくように四つん這いとなってこうべを垂れる。上目遣いで恍惚こうこつとした顔をウルリカに注ぎ、尚も彼は滂沱の涙を零し続ける。

「何たる奇縁! 何たる邂逅かいこう! 何たる僥倖ぎょうこう! 我がまなこには滅法眩き、貴女こそは天をも焦がす灼天のフォーマルハウトよ! あああぁぁぁぁぁ……! はああぁぁぁぁぁ……! 美しき、いと美しき、我が聖女よぉぉぉ……!」

「こりゃ、重篤ね」

 話が通じないと察し、溜め息吐く。灯した火を消すため、指を弾こうとした、その時――

「――いや、輪廻の『くさび』を開く者よ……!」

 耳を疑った。『楔』、それは符牒。勇者の使命を帯びる者だけが知っていい言葉。決して部外者が認知してはいけない言葉。ウルリカの表情が真剣なものに変わる。

「……あんた今『楔』って言った? 答えなさい。どこでその言葉を知ったの」

「違う、私は垣間見たのだ、勇者ウルリカよ……幻理渦巻く、未知の世界で……!」

「幻理ってあんたそれ単なる仮説じゃない。咒術が誘う別世界、そこでまかり通ってる法則が幻理だって話は聞いたことあるけど……」

 幻理、それはこの世界の物理に相対する法則、と呼ばれるもの。具象は概念に、因果は果因に、御伽噺は現実に――非公式下では、この幻理を操る秘技こそが咒術なのだと囁かれている。

「幻理の世は偽神ヤルダバオトの認知外、まさに反証可能性の隠れ蓑。勇者の反芻は幻理に新たなる概念を醸成し、やがて偽神ヤルダバオトの喉元へと届く刃と成ろう。然り、それ即ち、機満ちたるこの時を以て、貴女が振るうべき刃に相応しい! 運命は最早、貴女に収斂しゅうれんされてゆくのだッ!」

 楽劇の如く諸手を挙げ、天を仰ぐ。その眼は嬉々として潤んでいた。その様はまさに狂人。

「……流石のあたしでもあんたの一字一句全ては解せないわ。でも狂い果てたにしちゃ理路整然とした語り口よね」

「私は決して狂ってなどいないのだよ。ただ真理の薄氷に、刹那、触れただけなのだから」

「端っから狂ってる人間が何言ってんのかしら」

 溜め息を吐くウルリカ。そうでなくともおかしいのに……と呟きつつも、彼女は顎に手を添えて、ティホンの言葉を反芻する。己が使命と照らし合わせ、彼の言葉を要約していく。

「一つだけ、確認させて頂戴。これまで勇者って存在を輩出してきたのには歴とした理由があった。それは”抑止力”の側面のみならず、偽りの神様とやらを討ち倒す為。その為にかつての勇者たちは命を捧げてきた。公に出来なかった本当の理由は市民の混乱を防ぐ為じゃなく、神様の目を盗む為。この解釈で合ってる?」

「然り、然り。勇者とは神殺しの刃を磨く砥石。決して偽神ヤルダバオトの目に触れてはならぬのだ」

 ウルリカの質問に、ティホンは深く首肯する。対照的に、頭の痛い問題が山積する自分の置かれた状況をかえりみて、溜息混じりにやれやれと呟く。だが彼女の隣で、一人納得のいかない者が怪訝な顔を湛えていた。

「アンタこそ何言ってるんだ。神様を倒す? 目を盗む? 俺は無神論者だから、罰当たりだなどとのたまうつもりもないが……絵本を読み聞かせられている気分だ」

 当然の反応だろう。ただ当たり前の世界を生きてきた者には認知し得ないことゆえに。

「ええそうよ。その御伽噺に終止符を打つのがあたし達勇者の使命ってこと」

 知らぬ分からぬ理解せぬ。それを承知の上でウルリカは包み隠さず断言してみせる。無論、彼女とて憶測の域を出てはいない。だが、最早彼女は、この突拍子もない話の確証を握りつつあった。

「本当に、何を言ってるんだアンタ達は……いや、そう言い切れる確証があるんだろうな、アンタには。まあ、俺には関係のない話だ……」

 そう言ってエフは、しかし、不思議と居心地悪そうに頭を掻く。暫くの間の後、

「……が、その大層な作戦の一助を担えたことは、誇りに思うよ」

 そう語る彼の表情は、僅かに恥じらいを湛えていた。恥らうは、本懐を口にした証拠。それは男の心根にざわつく、口を衝いて出た感情。残滓ざんしさえ残さず葬られた記憶が最期に遺した、胸中の深層に疼く爪痕だろうか。

「ええ、本当に……助かるわ」

 まるで、かつてのような表情を見せる眼帯の男に、ウルリカは目を伏せつつ、悟られぬよう口元を綻ばせた。

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