マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~
Log-066【王と士の隠し事】
大きく開いた謁見の間の扉を入り、左右には風が吹き抜ける窓が開いた広間。砂漠地帯の暑苦しい日中でも、風通しの良いその場所は、白を基調とした涼し気な色味も相まって、爽涼な空気で満たされていた。
既に到着していたエレインとアレクシアの二人と合流し、パーシーも加えて四人が女王マースの御前に参列した。アクセルは女王との謁見には間に合わなかったようだ。
玉座に座る女王マースに対して、一行は膝を付いて頭を下げる。すると女王は立ち上がり、丈の長いローブの裾を持って、階段状の床を下る。一行の眼前まで歩み寄ると、
「皆様、お立ち下さい。此の度はもう、礼節に拘っている余裕など無いことは、皆様が十二分にご理解されていることと存じますわ」
女王マースは礼儀礼節などこの際は不要と断じる。一行がその言葉を受けて、静かに立ち上がる。先頭のウルリカが、眼前に立つ女王の顔を見遣ると、眼には深い隈があることに気付いた。それは、寝る間も惜しんで国務の仕事に携わっている証拠だった。
「このような多事多忙なる折に、わざわざ私共を招く会を設けて下さり、大慶至極に存じ上げます」
口をついて出たウルリカの女王マースに対する慮りだった。だが、女王マースはウルリカの心中を察してか、首を横に振って、
「ウルリカちゃん、お気持ちは誠に有り難いですわ。ですが、今は誰しもが粉骨砕身の覚悟で対峙しなければ敵わぬ脅威が迫っております。それは当然、妾も同様ですわ。これよりは一蓮托生で、この危急存亡の時を乗り越えましょう」
女王マースの覚悟に満ちた言葉に、自然と頭が下がるウルリカ。
だが、ウルリカは理解している。女王が、ゴドフリーと繋がっていることを。そして、ゴドフリーには、イングリッドによる嫌疑がかけられていることを。今この場でそれに言及するつもりも、追求する時間的余裕も無いが、決して油断するつもりは無かった。
「陛下、お話はエレインより伺っていることと存じます。して、恐縮ながら、改めて助力をお願いしたく存じます」
「その件はエレインちゃんとも密に話し合って、内容を確定させておりますわ。ティムール、お願いします」
そう声をかけられ、女王マースの側に立ったのは、総務大臣のティムール。片手に紙書類を持って読み上げていく。
「グラティア国防軍から選りすぐった特殊精鋭部隊が百九十四名、陣頭指揮はエレイン殿に任せてある。兵站は十日分、馬車は五十九騎、一グラム金貨十万枚。また、既に通達はしておるが、道中のオアシスでは一行がもれなく駐留できるよう、手筈を整えておる」
「特殊精鋭部隊……」
ウルリカが頭に過ぎったのは、グラティアの暗部を担っていると噂される公安組織だった。
(この国が保有する特殊精鋭部隊。通称、特鋭隊……噂に名高い特務専門の連中ね)
謀略、破壊工作、要人警護、国境監視と、公には秘匿された諜報部隊と呼ばれるもの。だがそれは、人類同士で競り合う余裕のあった時代での話。現在の活動とその標的は、当然魔物に集約される。
「ご温情、誠に感謝申し上げます」
破格の援助を提示され、深々と頭を下げるウルリカ。ティムールは紙資料を畳んで懐に仕舞い、一行を見遣る。
「お主達の母国アウラとも連携し、有事の際にはセプテムに連合軍を派兵する用意がある。また、我々も国家の防衛態勢は整え始めておる。それゆえに、緊急時には遅滞を避けるため、エレイン殿から提示された無線通信による連絡手段は、くれぐれも早急に用意して欲しい」
「無線通信……なるほど」
ウルリカは首肯する。エレインとは事前に打ち合わせていなかった内容だが、およその流れは把握した。なによりも、その手の専門家であるパーシーを伴っていたことが僥倖となった。
「概要は以上だ。詳細については、追って資料の体裁で以てお伝えしよう」
ティムールはそう言って一礼し、女王マースの御前を下がった。
「事態は予断を許さない状況。ですが、休息無くして大事は成せませんわ。皆様、僅かばかりの余暇でしょうけれど。何卒、我が国で心身を休めていって下さいませ」
柔らかな物腰で、ローブの裾を持って一礼する女王マース。それに対し、一行は返礼する。簡素簡潔な、閉会の挨拶。
――ふと、ウルリカは頭を下げたまま、何の気なしに視線を上げる。女王マースが踵を返し、背を向ける直前。その視線は、エレインを一瞥していた。背後で頭を下げていたエレインに目を向けると、女王マースからの視線を受けてか、肯定の意を示した。
「……」
単なる鼓舞、には見えなかった。二人からは、示し合わせの意図を感じ取ったウルリカ。偶然にも注視していなければ気付かなかったほど、密談と形容すべき極めて個人的な意思疎通。
それは暑さか、それとも焦りか。ウルリカの額に汗が滲む。
―――
女王マースとの謁見を終え、王宮を後にする一行。ヌビラ湖の中央から城下町に架かる翡翠色の橋梁、その上を吹く川風が熱を帯びた肌を撫でる。欄干から身を乗り出し、透き通った青を湛える湖を覗き込むと、色とりどりの小魚が群れを為して躍っていた。
「お魚がいっぱいいるー」
心ばかりの余暇が風と共に流れる。エレインは水面を見つめながら無邪気に呟いた。
「お~? どれどれ~?」
「あ、パーシーおじちゃん。久しぶり」
「うん、久しぶりだね。エレイン」
エレインは幼い頃に家族ぐるみで会う機会のあったパーシーを覚えていたようだ。ただ、彼女にとっては不思議な義叔父、彼にとっては宗家に引き取られた養子、二人は互いにその程度の認識でしかなかった。
パーシーはエレインの隣に立って、同様に湖を覗き込む。すると、彼は指でメガネの位置を直しつつ、興味深げに生態観察をし始めた。
「え~と……虹鱒、鯉、鮎、田平。う~ん、やっぱりヌビラ湖は淡水魚の宝庫だね~。豊富な栄養を北へ南へ運ぶヤクト川が直結してるから、これほど恵まれた生態系を形成してるんだよ。その証拠に、川に沿って砂漠すらも渡る雁が魚を狙って泳いでいるね」
身振り手振りを駆使して説明するパーシーに、エレインは素直に感心する。
「へえー、流石はパーシーおじちゃん。何だか講義を受けてるみたい」
「伊達に講師業やってないのさ。ま、受け売りだけどね〜」
パーシーは得意気に笑う。姿恰好からして少年のようなエレインと、その振る舞いが少年のようなパーシー。そんな二人が横に並ぶと、その後ろ姿はまるで若人の兄弟だった。
「あんたたち、なに油売ってんのよ。置いてくわよ」
先行していたウルリカたちが振り返り、二人に呼び掛けた。エレインはコクリと頷いて、パーシーと共に一行の下へと駆け寄る。そんな折――
「エレイン、みんなに何か隠してない?」
「――え?」
その不意の言葉に、エレインは思わず立ち止まった。パーシーは瞬時に止まりきれず、彼女の背にぶつかる。
「あたたた……大丈夫かい? エレイン」
「うん、大丈夫だよ。ごめん、突然止まっちゃって――」
「――そうだね。まあ、ボクも人の事言えた義理じゃないけど、君も隠し事が下手だな~」
エレインが一行に対して隠し事をしていると暴いた矢先、しかしパーシーは何事も無かったかのようにあっけらかんと笑う。およそ彼にとって、エレインが隠し事をしていると暴けた事実こそが重要であり、隠し事自体には大して興味が無いのだった。
「ボクは政治に興味無いからいいけど、事実上統率者のウルリカには相談しといた方がいいかもね~。というかもう、あの娘なら君が何か隠してるってことくらい感づいてると思うけど。承知の上で黙認してるって感じだね。あの娘、満遍なく聡いからな~」
「……そっかぁ。やっぱり僕、そういうの苦手なんだなぁ。ちょっと悔しい」
エレインはたどたどしい笑顔を作りながら、首筋を摩る。
「うん、ボクも苦手。だから、信用されるんだよ、ある意味でね」
「……そうだね。裏も表も一緒なら、結果は同じだもんね」
彼女の言葉に、含みを感じたパーシー。だが、そこに踏み込むのは自分の役目では無い。微笑みながら頷いて、会話を切る。
「さ、行こう。またウルリカの激が飛んでくるよ」
既に到着していたエレインとアレクシアの二人と合流し、パーシーも加えて四人が女王マースの御前に参列した。アクセルは女王との謁見には間に合わなかったようだ。
玉座に座る女王マースに対して、一行は膝を付いて頭を下げる。すると女王は立ち上がり、丈の長いローブの裾を持って、階段状の床を下る。一行の眼前まで歩み寄ると、
「皆様、お立ち下さい。此の度はもう、礼節に拘っている余裕など無いことは、皆様が十二分にご理解されていることと存じますわ」
女王マースは礼儀礼節などこの際は不要と断じる。一行がその言葉を受けて、静かに立ち上がる。先頭のウルリカが、眼前に立つ女王の顔を見遣ると、眼には深い隈があることに気付いた。それは、寝る間も惜しんで国務の仕事に携わっている証拠だった。
「このような多事多忙なる折に、わざわざ私共を招く会を設けて下さり、大慶至極に存じ上げます」
口をついて出たウルリカの女王マースに対する慮りだった。だが、女王マースはウルリカの心中を察してか、首を横に振って、
「ウルリカちゃん、お気持ちは誠に有り難いですわ。ですが、今は誰しもが粉骨砕身の覚悟で対峙しなければ敵わぬ脅威が迫っております。それは当然、妾も同様ですわ。これよりは一蓮托生で、この危急存亡の時を乗り越えましょう」
女王マースの覚悟に満ちた言葉に、自然と頭が下がるウルリカ。
だが、ウルリカは理解している。女王が、ゴドフリーと繋がっていることを。そして、ゴドフリーには、イングリッドによる嫌疑がかけられていることを。今この場でそれに言及するつもりも、追求する時間的余裕も無いが、決して油断するつもりは無かった。
「陛下、お話はエレインより伺っていることと存じます。して、恐縮ながら、改めて助力をお願いしたく存じます」
「その件はエレインちゃんとも密に話し合って、内容を確定させておりますわ。ティムール、お願いします」
そう声をかけられ、女王マースの側に立ったのは、総務大臣のティムール。片手に紙書類を持って読み上げていく。
「グラティア国防軍から選りすぐった特殊精鋭部隊が百九十四名、陣頭指揮はエレイン殿に任せてある。兵站は十日分、馬車は五十九騎、一グラム金貨十万枚。また、既に通達はしておるが、道中のオアシスでは一行がもれなく駐留できるよう、手筈を整えておる」
「特殊精鋭部隊……」
ウルリカが頭に過ぎったのは、グラティアの暗部を担っていると噂される公安組織だった。
(この国が保有する特殊精鋭部隊。通称、特鋭隊……噂に名高い特務専門の連中ね)
謀略、破壊工作、要人警護、国境監視と、公には秘匿された諜報部隊と呼ばれるもの。だがそれは、人類同士で競り合う余裕のあった時代での話。現在の活動とその標的は、当然魔物に集約される。
「ご温情、誠に感謝申し上げます」
破格の援助を提示され、深々と頭を下げるウルリカ。ティムールは紙資料を畳んで懐に仕舞い、一行を見遣る。
「お主達の母国アウラとも連携し、有事の際にはセプテムに連合軍を派兵する用意がある。また、我々も国家の防衛態勢は整え始めておる。それゆえに、緊急時には遅滞を避けるため、エレイン殿から提示された無線通信による連絡手段は、くれぐれも早急に用意して欲しい」
「無線通信……なるほど」
ウルリカは首肯する。エレインとは事前に打ち合わせていなかった内容だが、およその流れは把握した。なによりも、その手の専門家であるパーシーを伴っていたことが僥倖となった。
「概要は以上だ。詳細については、追って資料の体裁で以てお伝えしよう」
ティムールはそう言って一礼し、女王マースの御前を下がった。
「事態は予断を許さない状況。ですが、休息無くして大事は成せませんわ。皆様、僅かばかりの余暇でしょうけれど。何卒、我が国で心身を休めていって下さいませ」
柔らかな物腰で、ローブの裾を持って一礼する女王マース。それに対し、一行は返礼する。簡素簡潔な、閉会の挨拶。
――ふと、ウルリカは頭を下げたまま、何の気なしに視線を上げる。女王マースが踵を返し、背を向ける直前。その視線は、エレインを一瞥していた。背後で頭を下げていたエレインに目を向けると、女王マースからの視線を受けてか、肯定の意を示した。
「……」
単なる鼓舞、には見えなかった。二人からは、示し合わせの意図を感じ取ったウルリカ。偶然にも注視していなければ気付かなかったほど、密談と形容すべき極めて個人的な意思疎通。
それは暑さか、それとも焦りか。ウルリカの額に汗が滲む。
―――
女王マースとの謁見を終え、王宮を後にする一行。ヌビラ湖の中央から城下町に架かる翡翠色の橋梁、その上を吹く川風が熱を帯びた肌を撫でる。欄干から身を乗り出し、透き通った青を湛える湖を覗き込むと、色とりどりの小魚が群れを為して躍っていた。
「お魚がいっぱいいるー」
心ばかりの余暇が風と共に流れる。エレインは水面を見つめながら無邪気に呟いた。
「お~? どれどれ~?」
「あ、パーシーおじちゃん。久しぶり」
「うん、久しぶりだね。エレイン」
エレインは幼い頃に家族ぐるみで会う機会のあったパーシーを覚えていたようだ。ただ、彼女にとっては不思議な義叔父、彼にとっては宗家に引き取られた養子、二人は互いにその程度の認識でしかなかった。
パーシーはエレインの隣に立って、同様に湖を覗き込む。すると、彼は指でメガネの位置を直しつつ、興味深げに生態観察をし始めた。
「え~と……虹鱒、鯉、鮎、田平。う~ん、やっぱりヌビラ湖は淡水魚の宝庫だね~。豊富な栄養を北へ南へ運ぶヤクト川が直結してるから、これほど恵まれた生態系を形成してるんだよ。その証拠に、川に沿って砂漠すらも渡る雁が魚を狙って泳いでいるね」
身振り手振りを駆使して説明するパーシーに、エレインは素直に感心する。
「へえー、流石はパーシーおじちゃん。何だか講義を受けてるみたい」
「伊達に講師業やってないのさ。ま、受け売りだけどね〜」
パーシーは得意気に笑う。姿恰好からして少年のようなエレインと、その振る舞いが少年のようなパーシー。そんな二人が横に並ぶと、その後ろ姿はまるで若人の兄弟だった。
「あんたたち、なに油売ってんのよ。置いてくわよ」
先行していたウルリカたちが振り返り、二人に呼び掛けた。エレインはコクリと頷いて、パーシーと共に一行の下へと駆け寄る。そんな折――
「エレイン、みんなに何か隠してない?」
「――え?」
その不意の言葉に、エレインは思わず立ち止まった。パーシーは瞬時に止まりきれず、彼女の背にぶつかる。
「あたたた……大丈夫かい? エレイン」
「うん、大丈夫だよ。ごめん、突然止まっちゃって――」
「――そうだね。まあ、ボクも人の事言えた義理じゃないけど、君も隠し事が下手だな~」
エレインが一行に対して隠し事をしていると暴いた矢先、しかしパーシーは何事も無かったかのようにあっけらかんと笑う。およそ彼にとって、エレインが隠し事をしていると暴けた事実こそが重要であり、隠し事自体には大して興味が無いのだった。
「ボクは政治に興味無いからいいけど、事実上統率者のウルリカには相談しといた方がいいかもね~。というかもう、あの娘なら君が何か隠してるってことくらい感づいてると思うけど。承知の上で黙認してるって感じだね。あの娘、満遍なく聡いからな~」
「……そっかぁ。やっぱり僕、そういうの苦手なんだなぁ。ちょっと悔しい」
エレインはたどたどしい笑顔を作りながら、首筋を摩る。
「うん、ボクも苦手。だから、信用されるんだよ、ある意味でね」
「……そうだね。裏も表も一緒なら、結果は同じだもんね」
彼女の言葉に、含みを感じたパーシー。だが、そこに踏み込むのは自分の役目では無い。微笑みながら頷いて、会話を切る。
「さ、行こう。またウルリカの激が飛んでくるよ」
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