マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-064【品位に王道なく、人器に不材なし-参】

 食堂のテーブルに置かれたのは、ストレートの紅茶と手のひら大のビスケットが数枚という、大変簡素なもの。店主は客に出す食事としては粗末に過ぎると言って、お代は遠慮した。エレインはその厚意に丁寧な礼を返して、一枚のビスケットを頬張る。僅かに甘みはあるが、歯が痛くなるほどに堅く、およそ保存食の堅パンのような食感だった。恐らくは店主が間食として摂るためのビスケットだったのだろうが、わざわざ自分の為に振る舞ってくれたことに感謝し、紅茶に浸して柔らかくしたりしながら食べた。

 食事もそこそこに、エレインは受け取った手紙を見遣る。封筒を開けて手紙を広げると、イングリッドの署名を認める。そこには、簡潔ながら重要な事実が綴られていた。

《エレイン、そちらの首尾は如何かしら。私はウルリカたちに先んじてセプテムに向かうことにしました。無論“ハプスブルク卿”の件です。先だって会合したアナンデール卿、彼はまだこの件について隠していることがあります。合流した暁に、仔細をお話しましょう。このようにわざわざ手紙を出すということは、貴女も観取する通り、事は重大であり急を要するものです。では、其方の健闘をお祈りします》

 エレインの食事の手が止まる。ヴァイロン王との謁見をすらも反故ほごにして別行動を取っていたイングリッド。その行動の先で、疑念のハプスブルク卿に関する、何かを手に入れた。そして急ぎ、セプテムに単身で乗り込む必要があるほど、重大な事実だったということ。

 何よりも、女王マースとも繋がっているゴドフリーにすら、疑念の影が現れた。本作戦は彼の発案であり、最も表裏の情勢に精通し、最も国家権力に対する影響力を持つ。それが意味するものは、彼の思惑次第で如何様にも事を転せ得る、ということ。

 ――これは、マース様も承知の上なのだろうか?

 エレインは疑惑を深める。信頼に置けると踏んでいた相手が、裏で糸を引く物事の内通者かもしれない。それは彼女にとって、心が挫けそうな事実だった。

 だが、覚悟は決まっている。エレインは明日、女王マースを問い質すと決意した。


―――


 その日も大きな円卓の置かれた会議場に通され、エレインは首脳陣が囲う会議に参席する。前回とは打って変わり、政府高官が忙しなく出入りし、それを各省の大臣たちが口頭対応していた。

「大使館との首尾を報告しろ」「軍備配置は西のオアシスを中心として――」「疎開地の状況を洗い出し、最短経路の確保を――」「公安の人材配備を急げ、戒厳令下での疎開指揮は――」「国庫支出の手続きを急げ!」「勇者一行への資源供給についてだが――」「革命運動の進捗は――」

 昨日の決定事項を受けて、早くも政府は大戦勃発を見据えた計画を始動させていた。絶対君主制に非ず、立憲君主制に於いて未曾有みぞうの事態に迅速な指揮を執らせるには、偏に王と臣下との信頼関係が築かれていなければ決して叶わない。

 ――マース様は、本当に知っているのだろうか……

 女王マースは各省の大臣たちと密に言葉を交わしながら、グラティアにおける対人魔大戦計画を指揮していた。その表情と様子は真剣そのものを呈しており、エレインの目には彼女がハプスブルク卿らの暗躍に加担しているようには見えなかった。

「あら、エレインちゃん。ごめんなさいね、気が回っておりませんでしたわ」

 円卓の向かいで忙しなく動いていた彼女は、エレインに気付いて駆け足で近寄ってきた。

「陛下。お忙しいのに、わざわざ申し訳ありません」

「気にしないでくださいな、エレインちゃん。昨日だって出迎えられなかったのだし、謝るのはこちらのほうですわ。ただ、開会まではもう少し時間が掛かりそうですの。少しお座りになっていてくださいね」

 そう言って彼女は顔に笑みを湛えた。踵を返し、再び元の場所へ戻ろうとする。それを、エレインは躊躇ためらいながらも、意を決して呼び止めた。

「あの! 陛下! 少し、お話しがあります」

「……エレインちゃん。それは、差し迫る国務を差し置いて、ということでいいですわね?」

 女王マースは背を向けたまま振り返らずに、言葉を発する。エレインは心なしか、圧力を感じた。だが、こんなところで屈するわけにはいかないと、心を奮い立たせる。

「――はい。私的な会話をする余裕なんてないことは重々承知の上で、です。こちらも、喫緊のお話しですから」

 僅かな沈黙。そして、女王マースは振り返る。彼女の顔は、微笑んでいた。

「覚悟を決めてきましたのね、エレインちゃん。構いません、場所を移しましょう」

 そう言って、女王は大臣の一人に断りを入れると、エレインの手を引き、会議場から退出した。手を引かれたまま、エレインは後ろに付いていく。ローブをはためかせ小走りに進む彼女は、不思議と喜んでいるように見えた。

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