マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~
Log-053【我が王、相見える】
入口から末端まで伸びる、細やかな刺繍が施された絨毯の上を一行は進む。左右を均等に並ぶ列柱、同様の規則性で列を成す、板金鎧を纏い一条の槍を帯びた騎士たち。その背後には、思秋期に差し掛かった、宮廷服を纏う幾人かの臣下たち。
部屋の背部と前方の壁面、そして天井に配された窓には、幾何学的な植物が象られた、七色のステンドグラスが嵌め込まれていた。そこから外部光が差し込み、白色で統一された部屋に淡い色味を零す。
一行は王妃リオノーラを先頭にして、謁見の間を粛々と進んだ。静寂に包まれた空間は、絨毯を踏む一行の僅かな足音だけが鳴る。直立して微動だにしない騎士たちを覗こうとも、頭部を覆う兜によってその表情すら窺い知れない。その厳粛な様相に、誰一人――
「ハッハッハッハッハッ! よく来た勇者ウルリカ! そしてその一行よ!!」
ただ一人、その息を呑むほどに厳かな空気を粉微塵に叩き伏せる者がいた。
ウルリカ、アレクシア、レンブラント、ルイーサがすぐさま片膝をついて顔を伏せ、敬礼の姿勢を取る。呆気にとられていたアクセルとエレインは、続いてそれに倣った。王妃リオノーラは玉座に対し軽く会釈をして、歩みを止めることなく進む。そのまま玉座の右隣へと移動して、その場で踵を返した。
「勇者一行よ、よくぞ『アウラ』国王ヴァイロンの下に集った。これより、謁見の儀を執り行う。我が王に忠誠を誓いし栄誉の騎士諸君、この勇敢なる者らに最大の敬意を払い給え!」
王妃リオノーラの言葉を契機に、周囲の騎士たちは一斉に槍の石突を床に突き立てる。そこから光り輝く術式が描かれていき、騎士の足元に陣が形成されていく。術式が完成すると、次は一斉に槍を掲げた。淡い光を発していた陣は強く輝きだし、切先から蕾のような光の玉を天井に向かって幾つも打ち上げられた。
それは宙空で花開き、小さな花火となって炸裂する。
「な、なにこれ……」
「陛下の趣味。客人への心ばかりの歓待、だそうよ」
ヴァイロン王との初めての謁見だったアクセルとエレインは、唖然として上を見上げていた。幾度か経験のあるウルリカは、冷静な様子で事の次第を説明した。
花吹雪く天井から、一枚の花弁が舞い降りてくる。エレインが手に取ると、ぼうっと明るく、仄かに温かく、触れたそばから塵のように崩れていった。
「ハッハッハッハッハッ! 我が方の演技、如何だったかな? まあなに、楽しんで頂けたこととしようではないか」
「我らが王の歓待である。心して楽しむがよい」
「勿体なき厚遇でございます」
王妃リオノーラの言葉に対して、ウルリカは更に深く礼をして感謝の意を告げた。
「……いつもそうだがリオノーラ、お前は堅すぎるぞ。我がわざわざ肩の力を抜いてやろうと思って、客人には必ずこれをやっておるんだがな」
「王よ、では妾以外に適任がいらっしゃるのでは?」
「いや、いや……そういう意味ではないんだが……」
ヴァイロン王はリオノーラの冷ややかな言葉に狼狽える。突然の夫婦漫才に、アクセルとエレインはまたもや唖然としてしまった。他の面々が動じないところを見ると、王と王妃はいつもの調子のようだった。
王は咳払いをして、一行に目を向け直す。その表情は雄々しくも、寛容な器を思わせるものだった。
「して、勇者とその一行よ。此度おぬしらには、大変な遠征を課すこととなった。勇者たる者には必然、幾重もの試練が待ち受けておる。だが、承知の上であろうが、この遠征は勇者という一個の問題ではない。おぬしらの双肩には、多大なる人間の運命がのしかかっていると言っても過言ではなかろう。心して携わって欲しい」
「はっ!」
一行は一斉に発声し、深く礼をした。
「とまあ、前置きはこの辺で良いだろう。その方らよ、起立して面を上げよ」
ヴァイロン王の言葉に従い、一行は立ち上がって玉座を見据える。静かな物腰で佇む王妃リオノーラは、依然として厳しい表情をしていたが、王は先程とは打って変わり、柔和な表情を湛えていた。
金色の長い髪を上げて、こめかみから繋がって伸びる長い顎髭は、獅子の鬣を彷彿とさせる。身体の輪郭に余裕を持たせた宮廷服ながら、筋骨隆々という猛々しさを物語る大柄な体躯をしており、紺色のマントが静けさと雄渾さを演出していた。
ヴァイロン王は逞しく蓄えた髭を撫でながら、
「ふむ、見目麗しい貴人がこれほどとは」
そう言った矢先、隣にいたリオノーラから鋭い視線を感じて、額に汗する王。空気を察して、すぐに話題を変えた。
「……も、諸々はハプスブルク、およびアナンデールより伝わっているだろう。これは『セプテム』の革命の一助を担う、ただそれだけで済む話ではない。今再び“人魔大戦”が繰り返されようとしている。それを阻止するために、おぬしらには足を運んでもらう」
「はっ」
一行の返答する声――こだまする声が鳴り終わる。耳が痛くなるほどの静寂、それは暫く続いた。ヴァイロン王は少しして、目を閉じながら、息を吐く。言葉を続けた。
「勇者ウルリカよ、おぬしならば分かるだろう? ――これもまた、建前なのだ」
「なっ」「何……?」「どうした、王は何と仰せだ……?」
王の言葉に、周囲がざわめく。表情を覆い隠した騎士たちすら、その板金が筒抜けたかのように、動揺の色に染まっていた。
慌てる素振りを見せない者、それは王、王妃、そしてウルリカ。隣に立つレンブラントとアレクシアは、ウルリカの横顔を見て、彼女の反応を探る。
「ウルリカ……?」
エレインは背後から声を掛けた。だが、反応はない。ウルリカはただ静かに、王を見据えていた。
暫くのどよめき。その後、次第に静まっていく気配。寂莫たる雰囲気が辺りを包む。ヴァイロン王ただ一点を見つめるウルリカが、ようやく口を開いた。
「――そんなもの、存じ上げません」
「……えっ?」
エレインの僅かな間を置いた問い返しを発端に、再び周囲がざわめき始める。それもそのはず、あたかも委細承知したかのような表情を湛えていたウルリカが、知らぬ存ぜぬと宣うのだから。
「私は、言質を取った確かなものしか断言せぬ質でございます。少なくとも、陛下の仰られた件については、一向に存じ上げません。先々を推論はすれども、それはただ想定の範囲を広げるだけのこと。評価下さるのは大変喜ばしい限りでは御座いますが、少々買い被りに過ぎます」
ウルリカの畳み掛けるような否定の文句に、周囲からは批難の声も少なくなかった。王が一個人を認めるということが、それだけ価値を持つことだからだ。
だが、真っ向から否定された当の本人は、ウルリカの言葉に動じることもなく、口角を上げて微笑んでいた。そして、鷹揚な態度でウルリカの言葉に応じる。
「勇者ウルリカよ、大変善き心意気だ。おぬしは大いなる疑問に戸惑うわけでも、また性急に聞き返すのでもなく、ただ自らの無知を受け入れた。己が足で未知を踏破せんとする気構え、見事よ」
「ですから、買い被りなのでございます。アナンデール卿との対話で、無用な謎掛けには辟易としました故、急いたところで望む答えは返ってはこないものと断じました。勇者の功業なる、予め示された道標を歩む過程で、その大いなる謎を知り得るのならば、直ちに聞き糺す必要など無いと認めるまででございます」
ウルリカの言葉に、間髪を入れず高らかに笑い声を上げるヴァイロン王。それは嘲笑でも失笑でもなく、素直にウルリカの言葉を飲み込んでの笑声だった。
「実に小気味よい! 更に気に入ったぞウルリカよ! おぬしを勇者に抜擢した甲斐があった、というものだ」
ヴァイロン王は意気盛んに言い放つ。その強い語気に周囲は圧倒され、ウルリカを批難する声は鳴りを潜めた。
王の隣で微動だにしなかったリオノーラが、機会を計っていたかのように懐から時計を取り出し、王に差し向ける。王は一瞥し、軽く手を上げてリオノーラを下がらせた。
「すまぬ、勇者一行よ。我もこのような地位だ、何分多忙でな。これより別件が入っておるゆえ、先に失礼させて頂く、無礼を許して頂きたい。なに、今日は門出の晩餐を用意してある。遠慮なく召し上がってくれたまえ」
ヴァイロン王は玉座から立ち上がり、翻ったマントを両の腕で払って正して、リオノーラを伴って歩を進める。すぐさま一行は片膝をついて敬礼した。王がウルリカの側を横切るその時、ゆっくりと膝を折ってウルリカの肩に手を置き、顔を耳元まで近づけた。
「我は奴を真に信用しておる。ゆえに――ハプスブルクには気をつけろ」
微かな声量で、獅子の唸り声の如き囁きで、ウルリカにそう耳打ちした。ウルリカの返事は無かったが、王に一瞥をくれた。それを了解と取り、王は口角を上げて笑みを返した。肩を優しく叩いて、王は立ち上がる。何事もなかったかのように、リオノーラ共々、悠々と謁見の間を去っていった。
当然、周囲からは怪訝の声が後を絶たない。それを尻目に、ウルリカは立ち上がって踵を返す。
「行くわよ。もうここに用は無いわ」
ウルリカの早い足取りに連れられて、皆立ち上がり追うように後ろをついていく。王の臣下の呼び止めも歯牙にかけず、背後にどよめきを残して謁見の間を後にした。
「あれ? お食事は?」
「そんな悠長にしてる時間ないっての。あんたはすぐ『グラティア』に向かう準備をするの。アクセルも駐屯地に向かう準備を急ぎで。アレクシアは引き続き本作戦に必要な手続きを処理して頂戴。もちろん、アクセルの件も含めてね。あたしとルイーサは父上と同行して、後援者を募るわ」
「それは承知している。だがそれより、先程陛下に何を言われた?」
「ハプスブルクに気をつけろ、よ。何を言いたいのかわかんないけど、そういうことらしいわ」
レンブラントの問いに間を置かず返答し、そのまま足早に階段を下る。その淡々とした言葉に得心がいかず、アレクシアはウルリカに追いついて問いただす。
「おい、そいつはどういうこった。奴は曲がりなりにも宰相の立場だぞ。王の右腕であり、実質的に国家を運営する人間だ。それを、陛下自らの口から気をつけろ、だと?」
「真に信用している、とも言ってたわ。王の信用に足る人間だからこそ、あたしたちが気をつけなきゃいけないんでしょ。ゴドフリーの言ってたことを思い返せば合点がいく話よ」
「……どういうこった、わけわからねえよ」
「あたしだってわかんないわよ。今分かってることはただ一つ、そんな謎解きしてる時間なんてないってことよ」
隣で困惑するアレクシアの方を振り向くこともせず、ウルリカは来た道を真っ直ぐに戻っていく。一階では大量の膳を運ぶ使用人たちで溢れていたが、その間を縫うように進んでいった。
「ああ……いい匂い……勿体ないなぁ……」
「そんな悠長なこと言ってたら、この食事ごと人類がすっ飛ぶわよ」
「わ、分かったよ……」
歩く速さそのままに、エレインを一言で窘めるウルリカ。後ろに付いたアクセルは、神妙な面持ちでウルリカの背中を見つめ、
「ウルリカ、なんだか君らしくもない。随分と焦っているみたいだ」
そうウルリカに投げかける。アクセルの声掛けに、彼女はハッとして目を見開いた。立ち止まりはしないものの、胸に手を当てて、歩を進めながら深呼吸する。
「ええ、そうね。あたしらしくもないわ。癪に障るけど、あんたに言われて気がついた……胸が、ざわついてる」
ウルリカの表情からは、余裕が消えていた。だが、アクセルの指摘を受けて、内心では幾らかの落ち着きを取り戻す。
「……何これ」
ふと、胸に手を当てた時に、懐に一枚の紙が入っているのに気づいた。取り出して見ると、そこには『三国間次代勇者選定資料』の文字。要するに、世界が勇者を決定し、輩出する為の契約文書だ。それは本来持ち出すことなど許されない政府機密のはず。恐らくは、先ほどヴァイロン王が耳打ちをした際、懐に忍ばせたもののようだった。
「これ、どういう――」
――いや、理由はわかっている。ヴァイロン王がハプスブルクに言及した際にこれを渡した。即ち、この紙はハプスブルクの差し金に他ならない。
ゴドフリー曰く、ヴァイロン王が未来を視るなら、ハプスブルクは現在を視る眼。ならば、主体であるハプスブルクの思惑に、舵取りのヴァイロン王が直々に手を貸すことは、当然有り得る話だ。
だが、他でもないそのヴァイロン王が警告している。その意味するものは――
「嫌な感じがする……急ぐわよ」
部屋の背部と前方の壁面、そして天井に配された窓には、幾何学的な植物が象られた、七色のステンドグラスが嵌め込まれていた。そこから外部光が差し込み、白色で統一された部屋に淡い色味を零す。
一行は王妃リオノーラを先頭にして、謁見の間を粛々と進んだ。静寂に包まれた空間は、絨毯を踏む一行の僅かな足音だけが鳴る。直立して微動だにしない騎士たちを覗こうとも、頭部を覆う兜によってその表情すら窺い知れない。その厳粛な様相に、誰一人――
「ハッハッハッハッハッ! よく来た勇者ウルリカ! そしてその一行よ!!」
ただ一人、その息を呑むほどに厳かな空気を粉微塵に叩き伏せる者がいた。
ウルリカ、アレクシア、レンブラント、ルイーサがすぐさま片膝をついて顔を伏せ、敬礼の姿勢を取る。呆気にとられていたアクセルとエレインは、続いてそれに倣った。王妃リオノーラは玉座に対し軽く会釈をして、歩みを止めることなく進む。そのまま玉座の右隣へと移動して、その場で踵を返した。
「勇者一行よ、よくぞ『アウラ』国王ヴァイロンの下に集った。これより、謁見の儀を執り行う。我が王に忠誠を誓いし栄誉の騎士諸君、この勇敢なる者らに最大の敬意を払い給え!」
王妃リオノーラの言葉を契機に、周囲の騎士たちは一斉に槍の石突を床に突き立てる。そこから光り輝く術式が描かれていき、騎士の足元に陣が形成されていく。術式が完成すると、次は一斉に槍を掲げた。淡い光を発していた陣は強く輝きだし、切先から蕾のような光の玉を天井に向かって幾つも打ち上げられた。
それは宙空で花開き、小さな花火となって炸裂する。
「な、なにこれ……」
「陛下の趣味。客人への心ばかりの歓待、だそうよ」
ヴァイロン王との初めての謁見だったアクセルとエレインは、唖然として上を見上げていた。幾度か経験のあるウルリカは、冷静な様子で事の次第を説明した。
花吹雪く天井から、一枚の花弁が舞い降りてくる。エレインが手に取ると、ぼうっと明るく、仄かに温かく、触れたそばから塵のように崩れていった。
「ハッハッハッハッハッ! 我が方の演技、如何だったかな? まあなに、楽しんで頂けたこととしようではないか」
「我らが王の歓待である。心して楽しむがよい」
「勿体なき厚遇でございます」
王妃リオノーラの言葉に対して、ウルリカは更に深く礼をして感謝の意を告げた。
「……いつもそうだがリオノーラ、お前は堅すぎるぞ。我がわざわざ肩の力を抜いてやろうと思って、客人には必ずこれをやっておるんだがな」
「王よ、では妾以外に適任がいらっしゃるのでは?」
「いや、いや……そういう意味ではないんだが……」
ヴァイロン王はリオノーラの冷ややかな言葉に狼狽える。突然の夫婦漫才に、アクセルとエレインはまたもや唖然としてしまった。他の面々が動じないところを見ると、王と王妃はいつもの調子のようだった。
王は咳払いをして、一行に目を向け直す。その表情は雄々しくも、寛容な器を思わせるものだった。
「して、勇者とその一行よ。此度おぬしらには、大変な遠征を課すこととなった。勇者たる者には必然、幾重もの試練が待ち受けておる。だが、承知の上であろうが、この遠征は勇者という一個の問題ではない。おぬしらの双肩には、多大なる人間の運命がのしかかっていると言っても過言ではなかろう。心して携わって欲しい」
「はっ!」
一行は一斉に発声し、深く礼をした。
「とまあ、前置きはこの辺で良いだろう。その方らよ、起立して面を上げよ」
ヴァイロン王の言葉に従い、一行は立ち上がって玉座を見据える。静かな物腰で佇む王妃リオノーラは、依然として厳しい表情をしていたが、王は先程とは打って変わり、柔和な表情を湛えていた。
金色の長い髪を上げて、こめかみから繋がって伸びる長い顎髭は、獅子の鬣を彷彿とさせる。身体の輪郭に余裕を持たせた宮廷服ながら、筋骨隆々という猛々しさを物語る大柄な体躯をしており、紺色のマントが静けさと雄渾さを演出していた。
ヴァイロン王は逞しく蓄えた髭を撫でながら、
「ふむ、見目麗しい貴人がこれほどとは」
そう言った矢先、隣にいたリオノーラから鋭い視線を感じて、額に汗する王。空気を察して、すぐに話題を変えた。
「……も、諸々はハプスブルク、およびアナンデールより伝わっているだろう。これは『セプテム』の革命の一助を担う、ただそれだけで済む話ではない。今再び“人魔大戦”が繰り返されようとしている。それを阻止するために、おぬしらには足を運んでもらう」
「はっ」
一行の返答する声――こだまする声が鳴り終わる。耳が痛くなるほどの静寂、それは暫く続いた。ヴァイロン王は少しして、目を閉じながら、息を吐く。言葉を続けた。
「勇者ウルリカよ、おぬしならば分かるだろう? ――これもまた、建前なのだ」
「なっ」「何……?」「どうした、王は何と仰せだ……?」
王の言葉に、周囲がざわめく。表情を覆い隠した騎士たちすら、その板金が筒抜けたかのように、動揺の色に染まっていた。
慌てる素振りを見せない者、それは王、王妃、そしてウルリカ。隣に立つレンブラントとアレクシアは、ウルリカの横顔を見て、彼女の反応を探る。
「ウルリカ……?」
エレインは背後から声を掛けた。だが、反応はない。ウルリカはただ静かに、王を見据えていた。
暫くのどよめき。その後、次第に静まっていく気配。寂莫たる雰囲気が辺りを包む。ヴァイロン王ただ一点を見つめるウルリカが、ようやく口を開いた。
「――そんなもの、存じ上げません」
「……えっ?」
エレインの僅かな間を置いた問い返しを発端に、再び周囲がざわめき始める。それもそのはず、あたかも委細承知したかのような表情を湛えていたウルリカが、知らぬ存ぜぬと宣うのだから。
「私は、言質を取った確かなものしか断言せぬ質でございます。少なくとも、陛下の仰られた件については、一向に存じ上げません。先々を推論はすれども、それはただ想定の範囲を広げるだけのこと。評価下さるのは大変喜ばしい限りでは御座いますが、少々買い被りに過ぎます」
ウルリカの畳み掛けるような否定の文句に、周囲からは批難の声も少なくなかった。王が一個人を認めるということが、それだけ価値を持つことだからだ。
だが、真っ向から否定された当の本人は、ウルリカの言葉に動じることもなく、口角を上げて微笑んでいた。そして、鷹揚な態度でウルリカの言葉に応じる。
「勇者ウルリカよ、大変善き心意気だ。おぬしは大いなる疑問に戸惑うわけでも、また性急に聞き返すのでもなく、ただ自らの無知を受け入れた。己が足で未知を踏破せんとする気構え、見事よ」
「ですから、買い被りなのでございます。アナンデール卿との対話で、無用な謎掛けには辟易としました故、急いたところで望む答えは返ってはこないものと断じました。勇者の功業なる、予め示された道標を歩む過程で、その大いなる謎を知り得るのならば、直ちに聞き糺す必要など無いと認めるまででございます」
ウルリカの言葉に、間髪を入れず高らかに笑い声を上げるヴァイロン王。それは嘲笑でも失笑でもなく、素直にウルリカの言葉を飲み込んでの笑声だった。
「実に小気味よい! 更に気に入ったぞウルリカよ! おぬしを勇者に抜擢した甲斐があった、というものだ」
ヴァイロン王は意気盛んに言い放つ。その強い語気に周囲は圧倒され、ウルリカを批難する声は鳴りを潜めた。
王の隣で微動だにしなかったリオノーラが、機会を計っていたかのように懐から時計を取り出し、王に差し向ける。王は一瞥し、軽く手を上げてリオノーラを下がらせた。
「すまぬ、勇者一行よ。我もこのような地位だ、何分多忙でな。これより別件が入っておるゆえ、先に失礼させて頂く、無礼を許して頂きたい。なに、今日は門出の晩餐を用意してある。遠慮なく召し上がってくれたまえ」
ヴァイロン王は玉座から立ち上がり、翻ったマントを両の腕で払って正して、リオノーラを伴って歩を進める。すぐさま一行は片膝をついて敬礼した。王がウルリカの側を横切るその時、ゆっくりと膝を折ってウルリカの肩に手を置き、顔を耳元まで近づけた。
「我は奴を真に信用しておる。ゆえに――ハプスブルクには気をつけろ」
微かな声量で、獅子の唸り声の如き囁きで、ウルリカにそう耳打ちした。ウルリカの返事は無かったが、王に一瞥をくれた。それを了解と取り、王は口角を上げて笑みを返した。肩を優しく叩いて、王は立ち上がる。何事もなかったかのように、リオノーラ共々、悠々と謁見の間を去っていった。
当然、周囲からは怪訝の声が後を絶たない。それを尻目に、ウルリカは立ち上がって踵を返す。
「行くわよ。もうここに用は無いわ」
ウルリカの早い足取りに連れられて、皆立ち上がり追うように後ろをついていく。王の臣下の呼び止めも歯牙にかけず、背後にどよめきを残して謁見の間を後にした。
「あれ? お食事は?」
「そんな悠長にしてる時間ないっての。あんたはすぐ『グラティア』に向かう準備をするの。アクセルも駐屯地に向かう準備を急ぎで。アレクシアは引き続き本作戦に必要な手続きを処理して頂戴。もちろん、アクセルの件も含めてね。あたしとルイーサは父上と同行して、後援者を募るわ」
「それは承知している。だがそれより、先程陛下に何を言われた?」
「ハプスブルクに気をつけろ、よ。何を言いたいのかわかんないけど、そういうことらしいわ」
レンブラントの問いに間を置かず返答し、そのまま足早に階段を下る。その淡々とした言葉に得心がいかず、アレクシアはウルリカに追いついて問いただす。
「おい、そいつはどういうこった。奴は曲がりなりにも宰相の立場だぞ。王の右腕であり、実質的に国家を運営する人間だ。それを、陛下自らの口から気をつけろ、だと?」
「真に信用している、とも言ってたわ。王の信用に足る人間だからこそ、あたしたちが気をつけなきゃいけないんでしょ。ゴドフリーの言ってたことを思い返せば合点がいく話よ」
「……どういうこった、わけわからねえよ」
「あたしだってわかんないわよ。今分かってることはただ一つ、そんな謎解きしてる時間なんてないってことよ」
隣で困惑するアレクシアの方を振り向くこともせず、ウルリカは来た道を真っ直ぐに戻っていく。一階では大量の膳を運ぶ使用人たちで溢れていたが、その間を縫うように進んでいった。
「ああ……いい匂い……勿体ないなぁ……」
「そんな悠長なこと言ってたら、この食事ごと人類がすっ飛ぶわよ」
「わ、分かったよ……」
歩く速さそのままに、エレインを一言で窘めるウルリカ。後ろに付いたアクセルは、神妙な面持ちでウルリカの背中を見つめ、
「ウルリカ、なんだか君らしくもない。随分と焦っているみたいだ」
そうウルリカに投げかける。アクセルの声掛けに、彼女はハッとして目を見開いた。立ち止まりはしないものの、胸に手を当てて、歩を進めながら深呼吸する。
「ええ、そうね。あたしらしくもないわ。癪に障るけど、あんたに言われて気がついた……胸が、ざわついてる」
ウルリカの表情からは、余裕が消えていた。だが、アクセルの指摘を受けて、内心では幾らかの落ち着きを取り戻す。
「……何これ」
ふと、胸に手を当てた時に、懐に一枚の紙が入っているのに気づいた。取り出して見ると、そこには『三国間次代勇者選定資料』の文字。要するに、世界が勇者を決定し、輩出する為の契約文書だ。それは本来持ち出すことなど許されない政府機密のはず。恐らくは、先ほどヴァイロン王が耳打ちをした際、懐に忍ばせたもののようだった。
「これ、どういう――」
――いや、理由はわかっている。ヴァイロン王がハプスブルクに言及した際にこれを渡した。即ち、この紙はハプスブルクの差し金に他ならない。
ゴドフリー曰く、ヴァイロン王が未来を視るなら、ハプスブルクは現在を視る眼。ならば、主体であるハプスブルクの思惑に、舵取りのヴァイロン王が直々に手を貸すことは、当然有り得る話だ。
だが、他でもないそのヴァイロン王が警告している。その意味するものは――
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